美しい世界を紡ぐウタ

日燈

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第ニ章 冴ゆ季節、心に積もる

二十四

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 ラルジュはリュエルのことを自慢するだけ自慢して、去っていった。悔しさを通り越し、なんだか虚しい。

「気は済んだ?」

 ぼんやりしていたら、いつの間にか幼なじみが側にいた。顔を上げる。杏色の猫目を、ずいぶん久しぶりに見たような気がした。

「もうどうでもいい」

 ラルジュの話を聞いていたら、どうでもよくなってしまった。

「でも、カムナギにはなりたいんだ?」

 昨年も学年トップだった。カムナギの試験は一度、受けている。ああ、落ちたな、と。試験中に思った。
 結果はやはり駄目だった。カムナギは、三度試験を受けて落ちたら諦めた方がいいと言われている。例外が学生のうちに受ける試験だ。それで落ちてもカウントされない。だから学生のうちに経験を積もうと、みんながんばる。

「……それが生きる意味だから」

 小さい頃からカムナギになるための教育を受け、家族中の期待を背負ってきた。父はカムナギだ。おまえも当然、カムナギになるんだと言われてきた。がむしゃらに従順にやって来たけれど、胸に溜め込んでいたものがあったのだろう。
 数年前、知らない生徒に襲われて、無理やり身体を暴かれた。その生徒は好きだとかなんとかほざいていたが、こちらにしてみれば、暴漢に違いなかった。
 涙とともに失った何か。
 それから、気づいたらこんなふうになっていて。もう、よく知りもしない相手と身体を重ねることをなんとも思わない。熱と、感じる快楽だけが本物だった。

「ねえ、ラルジュはなんて?」

『いまの君がカムナギになれるとは、到底思えないね』

 あの冷めた声。

「、ぼくはカムナギになる! ぼくは、ぼくはカムナギになるんだ」

 ならなくてはいけないのだ。

「ぼくは…ッ」
「大丈夫、君はなれるよ」

 ふわりと抱きしめられる。蜜のように甘い言葉を発する彼の腕の中、優しいキスの雨を受ける。

「ぼくが側にいるから」

 そうだ、同級生からは距離を置かれるようになってしまったが、彼は、彼だけはいつも、なんの見返りもなしに側にいてくれた。

「うっ」

 だからきっと、その言葉は慰めなんかじゃない。

「これからは、ちゃんとぼくを見ていて。どこにも行かないようにね」
「行かっ、行かないでっ」

 気づいてしまった。彼まで失ったら独りになってしまう。

「どうしようかなー? なんて。冗談だよ」

 くつくつ笑う声が耳に心地好い。

「ようやく帰ってきてくれたんだもの。ねえ、チャハル?」

 その瞬間、古い記憶が鮮やかに甦った。

『ぼく、カムナギになるんだ!』
『じゃあ、ぼくは “じかん” になるよ』
『じかん?』
『きみとずっといっしょにいる人のこと』

 あんまり嬉しくて、ワクワクして堪らなくて、彼に抱きついた。

『うん! やくそくねっ』

 そうだ、自分が言ったのだ。

「約束…」
「やっと思い出した?」
「、ごめっ」

 どうして忘れていたのだろう。彼はあれからずっと側にいてくれたのに。

「いいよもう。あれは今でも有効なのかな」
「有効に決まってるだろっ」
「はいはい。これからもずっと一緒ね」

 コクコク頷く。堪えられない涙のせいで、言葉は出なかった。


 〇*〇*〇


 ラルジュが図書館へ戻ると、レルヒはすっかり課題を片付けたところらしかった。

「この本、使えますよ」
「ありがとう」

 共通の科目で必要となる参考文献を渡してくれる。そのとき寄越された目に問われた気がして、口を開いた。

「あとは警らに任せるよ」
「それでいいのですか」

 ラルジュなら、相手を退学させることくらい簡単にできそうだ。

「うん。きっともう、何もしてこない」

 チャハルは独りではない。幼馴染みがいれば、もう無害だろうと思う。

『ありがとう、ラルジュ。これでようやくぼくのものになりそうだ』

 帰りしな廊下ですれ違ったその幼馴染みは、猫目を細めて口角を上げた。チャハルよりずっと食えないやつだ。

『首輪でもつけて側に置いてくれるとありがたいんだけどね』

 戯れに言えば、くつくつ笑う。

『それも悪くないけど、何もしなくても、もうどこにも行かないと思うよ』

 自信と執着に溢れた笑みだった。
 ラルジュは短く息を吐く。

「俺ばかり狙うものだから、なかなか気づけなかったんだ」

 チャハルの手下は、リュエルよりラルジュを標的にしていた。まさかそれでリュエルを退学にさせようとしていたなんて思うまい。

「あなたがばら蒔いた恨みつらみは、相当根深いようですね」
「思い当たることはないんだけどね」

 レルヒは肩をすくめて、それについて考えるのをやめた。

「私やあなたが原因で、リュエルが被害を被るとは思いませんでした」
「おまえは兄の補佐、俺は人気者のメルの護衛。以前は、それで落ち着いていたからね」

 お互い、侍官や侍衛になってほしいと声をかけられることすらなかった。

「リュエルだって、人気がでてきていますよ」
「うん。今流れている噂も、明日にはトイレに持っていかれるだろう」
「あなたを見て囁く姿も、見られなくなるでしょうね」

 目をそらしたり、よそよそしくはされそうだが。

「ありがたいね」

 ラルジュは肩をすくめてリュエルのもとへ足を進ませた。


 例のボタンを押して開かれた暗い通路を行き、その先の扉に手を伸ばす。

 ~ミォフェ~ハタィ~ナォエロ~ ミォフェ~ハタィ~ナォエロ~

 かすかに開いた隙間から、美しい旋律が耳に届いた。ラルジュはそっと扉を開き、リュエルへ目をやる。

 ~クェシ゚~チィノ コゥエルディ~ヨ~シォファ~

 ソファにいるかと思いきや、シュネーの机の近く、窓際に寄りかかるように立ち、ぼんやりと上の方を見ている。
 窓枠に置かれた白い手。光に煌めく銀の髪。自然体で佇んで。それは絵画のように美しい光景だった。
 胸に染み込むウタは優しく、どこか切ない。

「ラルジュ。用事、終わったのか」

 紡ぎ終えると、今気がついたというふうに視線を寄越された。

「すっかりね」

 リュエルはソファの方へ行き、テーブルに置かれていた水で喉を潤す。それからシュネーの方を向いた。

「それじゃあ先生、」
「さよならの挨拶はいらない」
「……失礼しました」
「またな」

 暗い通路を行きながら、リュエルが口を開く。

「また来るって、言っちまったんだ」
「そうかい。それなら、また来ればいい」
「……ああ」

 ラルジュは美しい銀髪をさらりと撫でる。

(君は優しいね)

 声に出したら、素直でない彼のこと。へそを曲げてしまうかもしれない。だから今日のところは、黙っておこう。
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