美しい世界を紡ぐウタ

日燈

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第ニ章 冴ゆ季節、心に積もる

二十五

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 あれからすぐに学び舎は、ラルジュとトイレの話題で持ちきりになった。いつの間にかそこにエレミアまで加わっているものだから、気が気でなかった。

「水分補給は大切だから、トイレに行きたくなっても仕方ないよね」
「水分補給を怠って倒れるよりずっといいさ」

 議論の矛先はどうやら 「水分補給の大切さについて」 で落ち着いている。結構なことだ。
 移動教室のとき、話題の人物エレミアと遭遇した。おれは気まずくて視線を外す。しかしエレミアは、気にせずおれを呼び止めた。

「今、少しいいか?」

 例の件についてだろう。頷いて、彼に続く。
 ざわざわした雰囲気から離れた所まで来ると、エレミアは口を開いた。

「例の件、片が付いたぞ。関わった者をすべて洗い出した。中にはやはり、警らに属する者もいてな。面目ない」
「いえ。その人たちはどうなるんですか」

 おれは暴行を受けたりなどはしていないため、自分が被害者という感覚があまりない。

「彼らが絡んでいるのは武道大会の一件だけではない。以前から君を退学にすべく行動していた」
「……身に覚えがないけど」
「それはラルジュのおかげだろう。武道大会の日も、運がよかった」

 もしあの状態で妙な輩に見つかっていたら、大変な目に遭ったかもしれない。

「聖武科の生徒は退学だな。そういう決まりだ。主犯について、ラルジュたちから話はあったか?」
「いえ」

 退学か。重い響きだ。

「ふむ。彼は謹慎処分となるだろう。彼が君に手を出したのは、まったくの検討違いだった」

 おれは首を傾げてしまう。

「どうやら、君が侍らせている優秀な二人組を手に入れたかったらしい。君をどうにかしたところで、二人が彼を選ぶことはないだろう」

 睫毛を伏せる。もう少しおれが周りに認められるような存在だったら、相手もそんなことを考えなかったかもしれない。

「ところで、トイレの話はラルジュの案か?」
「、え、いや…」
「私も便乗させてもらった。突飛だが、いい案だ。不穏な空気は見事に流れ去ったな」

 トイレだけに。リュエルは頬をヒクリとさせる。
 エレミアは巻き込まれたのではなく、自ら話に乗っていた。それでいいのか。清廉潔白な彼にトイレの話題。なんだか微妙な気分だ。

「それのおかげか知らんが、以前より親しみを持たれている気がする。話しかける相手の表情が違うんだ」

 エレミアの凛とした眼差しを受けると、背筋が伸びる思いがする。安易に話しかけられる雰囲気ではない。そんな認識すら、トイレは揺るがした。

「トイレさまさまだな」

 ちょっと嬉しそうに微笑を浮かべて言うので、おれも諦めのような気持ちが湧いて、ふっと笑ってしまった。


 そんなこんなで学び舎がトイレに湧いているうちに、期末試験がやって来た。確実にアルシャと会う機会は朝の挨拶運動くらい。それも期末試験を前に終了した。全校集会のときにカムナギとしての彼を見ることはあったが、そのときのアルシャはやはり、尊敬する先輩だった。

「さあ、気張っていきましょう!」

 中でも気合いが入っていたのはレルヒだ。目指せドンピシャ。怒濤の模擬テストにはうんざりである。

「リュエル、どうだった? ぼく、前より手応えがあったよ!」

 幾何学のテストが終わると、メルがテテッとやって来た。海のような瞳がきらきら輝いている。

「おー…。デジャブって感じ」

 おれは柔らかな檸檬色に指を通して息を吐いた。模擬テストをたくさんやったせいで、これは何回目のテストだと思う。内容もいつか見たなという感じ。タイムループにハマっている気分。
 そんなおれにメルは小首を傾げ、目を瞬いた。

「今日はあと、実技試験だね」
「……ああ」

 いつかの二の舞にはなりたくない。一番やった試験対策はウタだ。グランがいてもお構い無しで、シャワー中や髪を拭いながら、移動中など、とにかく紡いだ。
 ここでまた自分らしいウタができ、ラルジュやレルヒに相応しいと思われれば、妙な因縁をつけてくる者もいなくなるだろう。ラルジュやレルヒに迷惑をかけないために、自分が被害者とならないために、カムナギ候補として認められる存在にならなくては。二人と共に歩むと、決めたのだから。

「行こうぜ」

 すっと立ち上がる。
 ――佇む姿が綺麗で、メルはしばし言葉を返すのも忘れて見惚れた。


 ただそこにいるだけで目を引いてやまない。いつの間にリュエルはそんな雰囲気を身につけたのだろう。ラルジュとレルヒは二階の特等席にいる。紡ぐとき、いつもリュエルの視線が向く場所だ。

「今日は大丈夫そうだね」
「ええ」

 聖堂に姿を現したリュエルはすっとした空気を身にまとい、それでいて自然体だった。片側の髪をきっちりと耳にかけている。タイをしていないことを除けば、身だしなみは完璧だ。

「あんな綺麗だっけ」

 ポソリと落としたのはランザームだ。ちょっと前に薬のせいで別人のようになった彼を見たが、それ以外の印象はもう少し擦れた感じで、ヤンチャな少年というイメージが強かった。

(何がそんなに変わったんだろう)

「ちょっとは自信がついて、余裕を持てているんじゃないか? ずっと紡いでいたからな」

 隣に並んだグランが自慢げな笑みを浮かべる。

「自信は人を輝かせるものだ」

 そうして、俺を見ろ! とばかりに胸を張った。ランザームは頬を掻き掻き、まぁ一理あるかもなと思う。視線を戻せば、リュエルは何やらブリランテと話をしていた。二人とも堂々として、抜きん出た存在感を放っている。

「それでは、一年聖音科の実技試験を始めます」

 グランは固唾を飲んだ。リュエルもメルも、悔いのないウタが紡げますように――。
 聖堂内に静けさが満ちると、さっそく一人目の子が紡ぎ始めた。

 ~~ォスゼィ~プディヨ ゲタゥジュ~シンジュシ~ン~~

 やはり、緊張というのは与える影響が大きいのだろう。声も表情も固いな、という子ばかりだ。それでも、前回の試験よりは皆、さまになっている。

「では次、メル・ヴァーム」
「はいっ、先生」

 メルは緊張しやすいタイプで、今も聞いている方にまで緊張が伝わってくる。それでも、ウタはなんとか紡ぎきった。メルの課題は緊張と発音だ。音は取れているし、澄んだ声は耳に心地好い。
 紡ぎ終えたメルが緊張の面持ちでペコリとお辞儀すると、聖堂は拍手に湧いた。

「メルは着実に発音が良くなっている」

 本当に少しずつだが、ずっとウタを聞いてきたラルジュにはわかる。たくさん練習しているのだろう。

「メルも、諦めなければきっとカムナギになれるでしょう」
「そうだね」

 メルとゆっくり穏やかに歩むのも悪くはないが、ラルジュには平穏よりもスリルや困難を欲する心があった。
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