美しい世界を紡ぐウタ

日燈

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第三章 冬の休暇、別荘合宿

十二

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 その日はおやつの時間になってもラルジュが来なかった。昼飯時にも見かけなかったので、おれは首を傾げてしまう。

「ラルジュはいいのか?」

 するとレルヒは、さっさとお茶を煎れながら口を開いた。

「オルキさんとの鍛練がヒートアップしているのでしょう」
「へえ」

 ずいぶんアッサリした言い方だ。

「ああリュエル、いただいたクッキーは兄上たちにもお裾分けしましたからね」
「ああ…」

 ラルジュが来ないからといって、おやつの時間を遅らせる気はさらさらないらしいレルヒである。
 一息吐いてまた勉強というときに、アルシャが顔を覗かせた。

「レルヒ、今どうかな」
「アルシャさん、よろしくお願いいたします」

 レルヒはすっくと立ち上がり、アルシャに席を譲る。

「それでは、私は書庫におりますので」
「うん」

 唐突にアルシャと二人きりになってしまった。アルシャはいつもひょっこりやって来るので、心拍数が上がってしまう。

「それじゃ、ウタを聞かせてもらおうかな」

 アルシャは光に透ける銀髪にさらりと指を通して微笑んだ。

 ~~ビェナチィノ゙~ディヨ~キフゥ メシ゚トィエラ~~

 おれは落ち着かない気分で紡ぐ。手が届く距離にアルシャがいて、こちらを見ているのがわかる。

「……アルシャ、」
「僕がいたら気が散るかい? 窓の外で聞いていようか」

 ふっと笑って立ち上がろうとするので、慌ててその腕を掴んだ。そう、掴んでしまった。自分の行動に動揺し、目をさ迷わせる。それでも掴んだ手は離せない。おれはやっとで言葉を紡いた。

「……いい。ここにいてほしい」

 憧れから始まった思いは、アルシャに触れるのを躊躇わせる。何かを欲したりするのもそうだ。ただ与えられるものを甘受するだけで胸がいっぱいで、こちらから求めることなどおこがましいとすら思ってしまう。それでも。

『もし僕が、死ぬとき君も連れていきたいって言ったら、どうする?』

 あのとき感じた切なさが、おれの背中を押していた。今のアルシャからそのような雰囲気は微塵も感じないため、ホッとする。
 アルシャはかすかに目を見開いて、座りなおした。

「僕もただの人間だって、いつかのことでわかっただろ?」

 頭に浮かんだのはあの武道大会でのこと。

「変に気を遣わなくていいんだよ」

 触れたいと思うなら触れればいい。言いたいことがあるなら、遠慮せずに言っていいのだ。

「僕みたいにね」

 アルシャはくすりと笑い、おれの横髪を手で掬いあげてキスを落とした。それからひょいと眉を上げ、「君も好きにしてごらん」と言いたげに微笑む。
 おれは戸惑いがちに手を伸ばし、煌めく金髪に触れてみた。メルのように柔らかくはない。さらりとしていて、指通りがよかった。それがまるで、小さな子が初めて動物に触れるかのようなたどたどしさだったからか、アルシャがくつくつ笑う。
 かぁっと顔が熱くなったおれは、誤魔化すように両手で艶やかな金髪をもしゃもしゃにした。

「わっ!?」

 アルシャが驚いている。寝癖と言うにもひどすぎる頭だ。その表情といい、おれは吹き出すように笑ってしまった。
 アルシャがどこか唖然としたようにこちらを見てくる。

「、わりぃ、ちゃんと、なおすからっ」

 ツボに入ってしまい、なかなか笑いは収まらない。

「……リュエル、君のかわいい笑顔を見れるのは嬉しいけれど、あんまり笑われるとちょっといい気はしないよ」

 そう言って目を細めたかと思うと、アルシャは仕返しとばかりにおれを擽りにかかった。

「まっ、やめっははっ」
「ああ存分に笑えばいいさ」
「ちょっマジっキツいっからっ」

 笑うのも度が過ぎれば苦痛である。ようやくアルシャの擽り攻撃が止んだとき、おれはぐったりと椅子に沈んでしまった。

「散々笑ってスッキリしたろう」

 無言でアルシャの方を向く。
 その頭がまだおかしなことになっていて、思わず視線をそらした。けれどもすぐに、自分がしたのだから元に戻さなくてはと思い直して手を伸ばす。アルシャはやりやすいように屈んでくれた。

「わるかった」
「べつに怒ってないよ」

 アルシャはニコリと笑う。ようやくおれの呼吸が整ってきたところで、重ねられた唇。

「!?」

 未知なる感覚と息ができなくてクラクラする中、いや、怒ってるだろうと思うおれだった。


 夕方、アルシャと交代にやって来たレルヒとの勉強タイムを終えたおれは、レルヒと風呂に向かった。
 風呂場で裸になったところを、いきなり裸のレルヒに抱きつかれたのは驚いた。「一度してみたかったんです」 とのこと。相手がレルヒだと大抵のことは許せてしまう不思議。
 それから、晩飯は全員で。
 アルシャがカイトとやって来て、風呂上がり感ムンムンなオルキデとラルジュが一緒に来た。

「おまえの母君のクッキーはやっぱり最高だな。今度レシピ教えてほしいぜ」
「料理するのか?」
「おう。おれじゃなくてカイトがな。カイトのクッキーも上手いんだぜ」

 オルキデはニッと笑う。少年のような笑顔だ。

「へえ」

 日々新たな発見がある。そんな合宿生活。


「おやすみなさい」
「おやすみ」

 晩飯が終われば、各自、割り当てられた部屋へと戻ってゆく。カイトと話をしているアルシャを横目に、おれも引き上げた。
 まだ寝るには早い。本日習った聖紋のおさらいでもしよう。

 ~~クェシ゚ジゥシビェナ~ホィス クェシ゚ズァ~シォファ~~

 アルシャに聞いてもらったので、ウタも自信を持って紡げた。レルヒのスパルタ度が徐々に増している気がする今日この頃、自分の精神を守るためにこうした復習は必須だ。

(はぁ)

 そろそろ寝ようかなと思ったときである。

「精が出るね」
「、」

 後ろから耳許で囁かれ、おれはビクリと振り返った。アルシャは風呂上がりでホカホカしている。

「そろそろ寝る時間かな?」
「おう…」

 同じ部屋をアルシャと使うのが未だに信じられない。並んだベッドで寝るなんて。

「ここのベッドは大きいから、二人でくっついて寝て、ちょうどいいかもね」

 温かな手に頬を撫でられる。

(同じベッドで寝る?)

 同じ部屋を使うというだけで、こんなにそわそわするのに。そんなおれの内心を悟ったかのように、アルシャは肩をすくめた。

「僕は、君のことを恋人と思っていいのかな」

 息を呑む。いつかもそのようなことを言われたが、思えば、ちゃんとした返事をしていない。
 恋人というのは、どうにもロマンチックな響きである。おとぎ話に出てくる空想上の生き物くらいふわっとしたものだ。けれども、よくよく考えてみると、そのように浮ついたものではない。

(おれがアルシャの恋人で、おれの恋人がアルシャ…)

 すでにキスする仲でありながら、おれはアルシャのことをそのように捉えていなかった。アルシャの恋人というたった一人に自分がなることを、考えていなかったから。
 アルシャが自分の恋人になるというのもそうだ。まるで彼を一人占めするみたいな感覚を抱いてしまう。

「恋人って、窮屈じゃないのか?」
「どうして?」
「一人だけだし、なんか、相手を縛っちまうみたいで…」

 アルシャは大きな存在だと思う。それに、自由だ。窺うように見上げたおれに、アルシャは目を瞬いた。

「たしかにそうだね。まさしくそのために、恋人にしたいって思うのかも」
「え、」
「大好きな人を一人占めしたい、自分だけのものにしたいって。君は思わない?」
「おれは…、そんなのムリだし、あんたにはカムナギをやって、みんなにあの世界を見せてほしいと思う」

 アルシャはかすかに目を丸くする。それから、苦笑した。

「君は純心だね。僕も君に見合うような清らかさを身に着けないとな」

 そうして前髪を掻き上げ、奥のベッドへ向かう。

「僕よりずっと、君のほうが綺麗で貴重な存在だって思うよ」
「は?」

 おれは椅子に座ったまま振り返って首を傾げる。
 ベッドで足を組んだアルシャが、肩をすくめて言った。

「それじゃあ、僕らの間の恋人って認識を、もっとオープンなものにしよう」
「オープン…?」
「友だちには、縛りみたいに感じないよね」
「まぁ」
「恋人もそのくらいのものにしよう」

 あっけらかんと言われ、目を瞬いてしまう。

「ただ、僕たちは互いに特別な好きって感情を抱いてる。だから、友だちとはしないようなこともする」

 昼間にしたキスが頭を過り、顔が熱くなるのを感じた。

「それだけの違いさ。それなら、気負わなくていいだろう」
「……おう」
「それじゃあ、そういうことで。僕はもう寝るよ。君も根を詰めすぎないようにね」
「っおやすみ」
「おやすみ、リュエル」

 少しして、アルシャが眠りに就いたらしいのを感じた。
 おれはそっと息を吐く。静かに椅子から立ち上がり、部屋の明かりを落とすと、空いているベッドに入って目蓋を閉じた。何かを思考していたはずが、気づけば眠りに落ちていた。
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