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第三章 冬の休暇、別荘合宿
十一
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ご飯が終われば勉強だ。課題を一つ終えたとき、レルヒが口を開いた。
「アルシャさんをお招きしたのは私なのです。君のウタを聞いていただきたいと思いましてね」
意外な事実におれは目を丸くする。
「おれのウタって…」
「私には、発音のことしかわかりません。アルシャさんのお墨付きがあれば、君ももっと自信が持てるでしょう?」
これまで、講義で教師のウタを聞き、ああ合っていたと実感していた。いや、聞かないようにはしていたが、それでも多少なりとも、答え合わせに本当のところを知りたいという気持ちがあった。聖紋から予想したウタが確実に合っているかは、わからないから。
「アルシャさんにも課題やら何やらありますからね。手が空いたときに来られるそうです」
おれの気持ちを察していたらしいレルヒは穏やかに笑む。いつもホワホワしているが、レルヒは意外と鋭く、気がつく人である。
「……どーも」
「いえ、私もウタができればよいのですが」
いつかラルジュが、レルヒの音感は壊滅的だと話していた。歌のほうも凄まじい威力らしい。おれはさりげなくレルヒから視線を外し、復習にと作ってくれた問題用紙に手を伸ばした。
お昼は各自適当な時間に。ということで、おれはレルヒと二人でのんびり食べる。
「君は、やろうと思えば丁寧な言葉遣いもできるのですか?」
ふと問われ、小首を傾げた。
「ちゃんとしてるかは微妙だけど」
するとレルヒは頷いて話しだす。
「カムナギは公の場では丁寧に話します。教師と同じです。できそうですか?」
おれは眉根を寄せた。
「練習に、丁寧な言葉遣いでお話ししてみましょう」
微笑を浮かべるレルヒは慣れたものだ。その時になって上手くできなかったらと思うと嫌な想像が湧いたので、おれは素直に頷く。
「ここでの生活はどうですか?」
「……学び舎にいるようです」
「不便はありませんか?」
「……はい、特には」
教師というより、いつものレルヒを頭に浮かべて言葉を返した。
「相部屋になってしまってすみません」
「いや、……寮より広い部屋で、一人で使うには、もったいないと思ってました」
そこでレルヒが指を顎に当てた。
「次は、私を年輩の方だと思って敬語を交えて話してください」
もともとそうなので、微妙な気分で頷いてしまう。
「何か、要望はありますか?」
それはここでの生活についてか、色々教えてくれるレルヒについてか。別荘での生活は至れり尽くせりだ。お手伝いさんのおかげで不便はない。レルヒのことも。懸命におれをカムナギにしようとしているのが伝わってくる。
「特にありません」
「尋ねたいことがありましたら、遠慮なくおっしゃってくださいね」
レルヒは微笑んで言う。おれは少し考えて、口を開いた。
「なん……どうして、そこまでお兄さんを慕ってらっしゃるのですか」
使い慣れない敬語はこそばゆい。
レルヒは目を瞬いて、穏やかに微笑んだ。
「兄上は私と異なり、器用で何でもできます。その上、鍛練を怠らないのです。何にでも真剣で…、料理や裁縫までお手のものなのですよ」
できないことはできるまでやる。できても終わりにせず、やり続けて質を高めてゆく。それがカイトだ。
「私には到底真似できません」
レルヒには、上手くできないことはたくさんある。そういう個性なのだと捉え、やりたいと思わないかぎり追求しない。カイトは、そんなレルヒに自分のやり方を強制したりはしなかった。
「兄上は立派な方です」
カイトや両親が微笑んで受け入れてくれたから、レルヒはできないことがあっても自分を卑下せずにいられた。
「……私ばかり話していては、意味がありませんね」
レルヒは苦笑する。
「こうして、たまにお話ししていきましょう」
おれはこくりと頷いた。
――二人がそんな会話していたとき、ダイニングの外の廊下にはカイトとアルシャがいた。
「レルヒの兄上は立派だね」
アルシャがコソリと言うと、カイトはダイニングには入らずに、バルコニーへ向け歩きだす。
風を感じるところまで来て、カイトはひたと歩みを止めた。
「そうしないと、私は自信が持てなかった」
出来の良い弟と、いつも自分を比べていた。自分にはできてレルヒにできないことがある。それを知るたび、安心した。
「立派なのではありません。狭量で臆病なだけですよ」
レルヒはできないままでいい。がんばって、あれもこれもできてしまったら、自分の立つ瀬がない。そんな思いでいたカイトは、己を鼻で笑った。
「それは昔の話だろう?」
水色の髪が風に揺れるのを眺め、アルシャが言う。
「見ていればわかるよ」
「……レルヒは強かな子です。辛抱強くて…、決して諦めない」
カイトは遠くの木々へ目をやったまま語った。
「きっと、私の思いを知っていたのでしょう。それでも、私がいつか心を開くのを信じて待っていた」
ずっと心を開いたまま、レルヒはそんな日が来ることを信じ続けた。そうしてついにカイトが真心でレルヒを思えるようになった時、彼は本当に嬉しそうに笑ったのだ。
「フィリァは優しく強いもの。純粋で美しい…。それらを教えてくれたのはレルヒです」
世界の美しさをカイトに気づかせた。
「レルヒはフィリァそのものですよ」
先にありのままを受け入れていたのはレルヒの方だった。レルヒがそれを見せてくれたから、カイトもそうすることができた。全力でカイトと向き合って――逃げることも恐縮することもなく、思い一つでやり遂げた。
あの純粋さには敵わない。
「感謝しています。いっそ、尊敬しますよ」
「たしかに、君の弟への接し方は、単なる兄弟というふうではないね」
アルシャは肩をすくめる。
「昔の分まで、愛しもうと思いましてね」
カイトはカチリと眼鏡を上げて、クッと口角を持ち上げた。そこでアルシャは悪戯に問う。
「オルキとレルヒ、どちらの方が大切なんだい?」
「どちらか一方しか助けられないとなったら、迷わずレルヒを取ります。私がその選択をすることを、オルキもわかっていると思います」
真顔でサラリと即答するので、アルシャはくつくつ笑ってしまった。
「アルシャさんをお招きしたのは私なのです。君のウタを聞いていただきたいと思いましてね」
意外な事実におれは目を丸くする。
「おれのウタって…」
「私には、発音のことしかわかりません。アルシャさんのお墨付きがあれば、君ももっと自信が持てるでしょう?」
これまで、講義で教師のウタを聞き、ああ合っていたと実感していた。いや、聞かないようにはしていたが、それでも多少なりとも、答え合わせに本当のところを知りたいという気持ちがあった。聖紋から予想したウタが確実に合っているかは、わからないから。
「アルシャさんにも課題やら何やらありますからね。手が空いたときに来られるそうです」
おれの気持ちを察していたらしいレルヒは穏やかに笑む。いつもホワホワしているが、レルヒは意外と鋭く、気がつく人である。
「……どーも」
「いえ、私もウタができればよいのですが」
いつかラルジュが、レルヒの音感は壊滅的だと話していた。歌のほうも凄まじい威力らしい。おれはさりげなくレルヒから視線を外し、復習にと作ってくれた問題用紙に手を伸ばした。
お昼は各自適当な時間に。ということで、おれはレルヒと二人でのんびり食べる。
「君は、やろうと思えば丁寧な言葉遣いもできるのですか?」
ふと問われ、小首を傾げた。
「ちゃんとしてるかは微妙だけど」
するとレルヒは頷いて話しだす。
「カムナギは公の場では丁寧に話します。教師と同じです。できそうですか?」
おれは眉根を寄せた。
「練習に、丁寧な言葉遣いでお話ししてみましょう」
微笑を浮かべるレルヒは慣れたものだ。その時になって上手くできなかったらと思うと嫌な想像が湧いたので、おれは素直に頷く。
「ここでの生活はどうですか?」
「……学び舎にいるようです」
「不便はありませんか?」
「……はい、特には」
教師というより、いつものレルヒを頭に浮かべて言葉を返した。
「相部屋になってしまってすみません」
「いや、……寮より広い部屋で、一人で使うには、もったいないと思ってました」
そこでレルヒが指を顎に当てた。
「次は、私を年輩の方だと思って敬語を交えて話してください」
もともとそうなので、微妙な気分で頷いてしまう。
「何か、要望はありますか?」
それはここでの生活についてか、色々教えてくれるレルヒについてか。別荘での生活は至れり尽くせりだ。お手伝いさんのおかげで不便はない。レルヒのことも。懸命におれをカムナギにしようとしているのが伝わってくる。
「特にありません」
「尋ねたいことがありましたら、遠慮なくおっしゃってくださいね」
レルヒは微笑んで言う。おれは少し考えて、口を開いた。
「なん……どうして、そこまでお兄さんを慕ってらっしゃるのですか」
使い慣れない敬語はこそばゆい。
レルヒは目を瞬いて、穏やかに微笑んだ。
「兄上は私と異なり、器用で何でもできます。その上、鍛練を怠らないのです。何にでも真剣で…、料理や裁縫までお手のものなのですよ」
できないことはできるまでやる。できても終わりにせず、やり続けて質を高めてゆく。それがカイトだ。
「私には到底真似できません」
レルヒには、上手くできないことはたくさんある。そういう個性なのだと捉え、やりたいと思わないかぎり追求しない。カイトは、そんなレルヒに自分のやり方を強制したりはしなかった。
「兄上は立派な方です」
カイトや両親が微笑んで受け入れてくれたから、レルヒはできないことがあっても自分を卑下せずにいられた。
「……私ばかり話していては、意味がありませんね」
レルヒは苦笑する。
「こうして、たまにお話ししていきましょう」
おれはこくりと頷いた。
――二人がそんな会話していたとき、ダイニングの外の廊下にはカイトとアルシャがいた。
「レルヒの兄上は立派だね」
アルシャがコソリと言うと、カイトはダイニングには入らずに、バルコニーへ向け歩きだす。
風を感じるところまで来て、カイトはひたと歩みを止めた。
「そうしないと、私は自信が持てなかった」
出来の良い弟と、いつも自分を比べていた。自分にはできてレルヒにできないことがある。それを知るたび、安心した。
「立派なのではありません。狭量で臆病なだけですよ」
レルヒはできないままでいい。がんばって、あれもこれもできてしまったら、自分の立つ瀬がない。そんな思いでいたカイトは、己を鼻で笑った。
「それは昔の話だろう?」
水色の髪が風に揺れるのを眺め、アルシャが言う。
「見ていればわかるよ」
「……レルヒは強かな子です。辛抱強くて…、決して諦めない」
カイトは遠くの木々へ目をやったまま語った。
「きっと、私の思いを知っていたのでしょう。それでも、私がいつか心を開くのを信じて待っていた」
ずっと心を開いたまま、レルヒはそんな日が来ることを信じ続けた。そうしてついにカイトが真心でレルヒを思えるようになった時、彼は本当に嬉しそうに笑ったのだ。
「フィリァは優しく強いもの。純粋で美しい…。それらを教えてくれたのはレルヒです」
世界の美しさをカイトに気づかせた。
「レルヒはフィリァそのものですよ」
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「たしかに、君の弟への接し方は、単なる兄弟というふうではないね」
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カイトはカチリと眼鏡を上げて、クッと口角を持ち上げた。そこでアルシャは悪戯に問う。
「オルキとレルヒ、どちらの方が大切なんだい?」
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