美しい世界を紡ぐウタ

日燈

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終章 余寒、運命の後期

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 冷たく澄んだ風に頬を撫でられる。麗らかなその日、おれは大きなリュックを背負い、バック片手に繊細な彫刻が施された優美な門の前に立っていた。
 初めてこの門を目にしたときは、半ば意地で足を進ませたものだった。色づく葉の美しさに目を細めたあの日が遠い過去のように感じられる。
 おれは白い息を吐き、妙な感慨を胸に足を踏みだした。

「なんかあいつ、雰囲気変わったよな」
「そういえば庶民なんだっけ…?」
「ちょっとカッコイイかも」

 耳に届く声の多くに、驚きや戸惑いが感じられる。

「後期もよい学生生活を」
「どうも」

 寮のエントランスにて、すっかりお馴染みになった初老の管理人から鍵を受け取り、階段へ足を進ませた。
 見慣れた廊下を進んで二〇八号室のドアを開くと、部屋には誰もいなかった。まだグランは着いていないらしい。おれはさっさと荷物を仕舞い、さっそく休暇中にレルヒから習った聖紋を書き始めた。

 ~~ドァスコゥエ~ルトャペ゙トィ~エラ~~

 結局、目標に掲げていた教科書の半分を無事達成し、レルヒは上機嫌だった。
 紡ぎながら数個書いたところで、おれはふと振り返る。すると、開かれた部屋の境目で、壁に寄りかかるようにして腕を組んだグランが立っていた。かち合う視線。紺色の瞳が、眩しそうにおれを捉えている。

「……ふつうに声かけろよ」

 黙って突っ立って、いつからいたのか。おれは眉根を寄せてしまった。

「綺麗な音色に満たされた美しい空間を、壊したくなかったんだ」

 グランは肩をすくめて机へ向かう。

「それもフラムのウタなのか?」
「いや、これから習うやつだ。一年のうちにはやらないらしいけど」

 たしかレルヒが、二学年で習うと言っていた。

「ほお。カムナギに向けた準備は順調そうだ」
「ああ。レルヒのスケジュール通りだ」

 ひょいと眉を上げると、グランはにわかに驚いたような顔をした。

「なんだよ」

 おれは小首を傾げる。

「いや、なんというか…」

 ――たくさん勉学に励み、自信がついたのだろうか。どっしりと構えている感じ。余裕すら感じられる雰囲気は、どこか男前ですらある。

「おまえ、頼もしくなったな」

 繊細なやつだと思っていたグランは、初めてリュエルにそんな気持ちを抱いていた。

「なんだそれ」

 リュエルはふっと笑っている。
 なんだろう。今のリュエルには、外見だけでなく、何か惹きつけられるものがある。グランはツンな友人の変貌ぶりに唖然としつつ、目が離せないでいた。
 それはやはり、周りも感じていることらしい。共に晩餐へ向かった折りには、リュエルはたくさんの視線を釘付けにしていた。それは前期もそうだったのだが、そこに含まれる感情が異なる。嫌悪や敵対心から始まって、徐々に純粋な好奇心が増えた前期の終わり。
 今はどうだ。驚き、困惑し、最終的に魅了され、目が離せなくなっている。それはそう、グランと同じように――。


「レルヒの別荘で出された食事はまんまこんなふうだった」
「……ほお」
「お手伝いさんまでいたぞ」
「……ほお」

 グランがぼんやりしたまま同じような声しか出さないので、おれは片眉を上げる。

「おまえはフキュロウか」
「……ほお」

 ダメだこりゃ。周りから感じる視線もおかしい。一体みんな、どうしてしまったのだろう? おれは首を傾げながら美味しい食事を堪能したのだった。
 食事を終えれば復習をして、シャワーを浴びてベッドに入る。再び学び舎での日常が始まった。寝るとき傍に感じていた体温は、ここにはない。

「おやすみ」

(アルシャ)

 おれは囁くように言う。

「、おやすみ」

 動揺露に帰ってきた声にキョトリとした。頭にアルシャしかなかった自分に笑い、目を閉じた夜だった。


 ぱっぽう ぱっぽう

 ああ、いつもの朝が呼んでいる。目蓋を開ければ、眼前にぱっぽう鳥が。毎日のようにアルシャや三年生組と挨拶を交わしていた。そんな朝を思い、おれは口を開く。

「おはよう」
「おはよう」
「おはようございます」

 当たり前に応えたラルジュとレルヒは制服を着ていた。

「さぁリュエル、君がやることは?」

 こんなやり取りもあったな、と。おれは糸目を見上げる。こんなふうにラルジュはいつも、夢に向けて進む足を促してくれた。
 ふっと口角を上げて言う。

「おれはカムナギになる。それで、あんたらを侍人にするんだ」

 差し出してくれた手を掴んだ自分。彼らに引っ張られてここまでやって来た。これからは、並んで歩きたい。

「……もう、このやり取りも不要なようだね」

 ラルジュは息を吐くように言い、かすかに笑ったようだった。

「頼もしくなりましたね、リュエル」

 レルヒなどは感激してハンカチーフを涙で濡らしている。

「それ、グランにも言われたぞ」

 目をぱちくりするおれだった。


 教室に入ると、弾んだ声が迎えてくれる。

「おはようっ、リュエル」
「おはよう、メル」

 おれは柔らかな檸檬色をふわりと撫でる。これぞ朝の癒し。
 ふと海色の瞳が見開かれているのに気づいた。メルは頬を染め、ただただ見上げてくる。おれは小首を傾げてしまった。

「う、ううんっ。スゴく久しぶりに会ったからかな。ドキドキしちゃった」

 ――見間違いなんかじゃない。リュエルはたしかに、柔らかな微笑を浮かべてメルに挨拶を返してくれたのだ。まだ胸がドキドキしている。

「えっと、リュエルはレルヒさんのお家で合宿してたんだよね」

 メルはごまかすように言葉を紡いだ。

「別荘でな。毎日、勉強勉強。だけどけっこう、楽しかったぜ」

 枕投げや誰かと入る風呂。アルシャと過ごす時。兄貴のような人にも会えた。リュエルは脳裏に煌めいた鮮やかな記憶を大切に抱くように言う。

「……そっか」

 その大人っぽい表情に、メルは目を奪われた。リュエルはどんどん先へ行ってしまう。なんとなく寂しい気持ちになって、胸の前でぎゅっと手を握りしめた。


「あ、そういえば、保健の先生が変わったんだって」

 メルがふと思い出したように言う。

「へえ?」
「それがね、リュエルと同じ銀髪だって」

 銀髪。おれはは目を丸くする。次の瞬間、駆け出していた。

「あっ、リュエルっ」

 別荘を後にした日からずっと気になっていた。挨拶もなしに会えなくなってしまったから。

『なぁ、兄弟?』

 まったく、ふざけた人だった。同じような胸の痛みを知る、同じ銀髪の、兄貴のような人。
 ガチャリと保健室のドアを開く。奥の机にいた白衣の銀髪が振り返った。荒い息で佇むおれに目を丸くして、次には悪戯に微笑む。

「朝っぱらからサボりか? リュエル」
「なんで、」

 なぜここにいるのか。保健医って。意味がわからない。

「暇潰しに教員免許取っておいてよかったぜ。これでも、ちゃんと医療の知識もあるんだぜ?」

 彼、イヴオンはくつくつ笑う。

「……年齢、幾つだよ?」
「二十一。なに、十代だと思ってたわけ」

 イヴオンはわざとらしく言って椅子から立ち上がり、こちらへやって来た。おれが唖然としたままなのをいいことに、ぬっと顔を寄せてきて、髪にキスを落とされる。

「、なんで言ってくれなかったんだよ」

 おれは我に返ってイヴオンを睨み付けた。

「年齢のことか?」
「フィーデルに来るってことだ」

 空とぼけた顔を張り倒したい。もう簡単には会えないと思って、あんなに寂しく感じたのに。

「へえ。悪かったな、ツラい思いをさせて。その分、可愛がってやるから」
「いらねえっつの!」

 伸ばされた手をパシリと叩く。まったく、この人は。

「遠慮するなって。俺が保健医引き受けたのは、君に会うためなんだぜ」

 おれはピタリと動きを止めた。じっと翡翠を見上げる。

「また会えてよかった」

 柔らかに細められた瞳。イヴオンもまた会いたいと思ってくれていたのが嬉しかった。そのために、こうして保健医なんてやってくれたのも。

「いつでも会いに来い。俺は大抵、ここにいるから」

 頭を撫でられ、コクリと頷く。

「ありがと、イヴせんせ」

 くっと口角を上げると、彼は一瞬固まって、フッと笑った。

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