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終章 余寒、運命の後期
二
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ところで、すっかり忘れていたのだが、ここは学び舎で今は朝である。
「ヤバッ」
全力で駆け、教室に戻ったところ、
「……初日から遅刻未遂とは、大層気が緩んでいるようですねリュエル・フラム」
すでにダリヌが壇上におり、神経質そうな声のバックで鐘の音が鳴っていた。
「すみませんでした」
おれはすっと腰を折り、空いている席へ着く。未遂なんだからいいじゃないかという内心はすっかり押し込んでいた。ダリヌは厄介な相手だ。大人しくしているに限る。
――その落ち着いた対応に、ダリヌの頬がヒクリと動いた。オホンと咳をして、気持ちを落ち着かせる。
「さて、今日から後期の始まりです。後期の最後には―――」
真面目に耳を傾けているように見えるリュエルの姿に、苛立ちが募るダリヌだった。
朝のホームルームが終わると、ブリランテがやって来た。腕を組み、あいかわらず偉そうな態度でいる。
「少しは、カムナギを目指す者としての自覚が出てきたようだな」
「後期の終わりには学年トップにならなきゃいけないんでね」
片眉を上げて答えると、ブリランテは妙なものを見るような顔をした。おれは小首を傾げる。
「……いや。学年トップは渡さない」
ブリランテは困惑したような顔で言葉を返し、くるりと踵を返して行ってしまった。
さて、午後には式典がある。カムナギのアルシャを久々に見る機会だ。
「ねえリュエル、リュエルは新しい保健の先生とお知り合いなの?」
聖堂へ向かう途中、メルから朝のことを思い出したように問われた。おれは肩をすくめてしまう。
「合宿中に出会った。あの人、隣の別荘にいたんだよ」
「そうなんだ」
「同じ銀髪で驚いたぜ」
――そんなこともあるんだなぁと、目を丸くするメルだった。
鐘が鳴り、式典が始まる。
新任の保健医の紹介になると、聖堂内がざわめきに満ちた。初老の紳士に替わって十代に見える若い人が来たというだけでも盛り上るのに、それがハンサムな銀髪なのだから話題は尽きない。なんとなくリュエルに似ている。その上、彼は心を掴むのが上手かった。
「皆さんと顔を合わせないことを祈りましょう」
イヴオンがひょいと眉を上げて挨拶の言葉を締め括ると、笑いとともに拍手が湧いた。
「では、最後にカムナギのアルシャさんからウタをお聞かせ願います」
~~ビェナテェシ゚~タァユ~トャペタァユヲ~~
締めのアルシャは慣れたものだ。どこか浮かれた雰囲気だったのを、すっかり自分のものにしてしまう。
(おれもこんなふうになるんだ)
おれはアルシャのウタに満たされた心地で、決意を新たにした。
「リュエル、帰りましょう」
「おう」
終わればレルヒとラルジュがやって来て、並んで寮部屋へ向かう。
「あの方ですか? 合宿中、君が会いに行っていたお相手は」
「ああ」
おれは肩をすくめる。
「聖堂内は、彼と君の話題で持ちきりだったね」
ラルジュがひょいと眉を上げた。
――雰囲気が変わったリュエルと、彼に似た新任の若い先生。血縁関係があるのではと、早くも噂になっている。
「あの人は人気が出そうだから、君にもいい影響があるかもしれない」
フッと笑ったラルジュに、おれは目を瞬いた。
後期が始まってからというもの、前期に感じていた居心地の悪さがだいぶ和らぎ、嫌な気分になることもあまりない。おれは不思議な気分で変わらぬ日々を送っている。いや、変わったことといえば――。
「よう、リュエル。今日も元気そうだな」
「……あんたは保健医だろ。保健室で大人しく待機してろよ」
わざわざ顔を見に出向いてくるイヴオンの存在だ。
「みんな健康だし、怪我人もそう出ない。館に閉じ込められていたときより退屈だ」
暇だ暇だと言いながら、おれの肩に腕を回して髪を撫でてくるイヴオン。
「おれは忙しいんだ、よっ」
頭突きをかましてやった。しかしイヴオンにはあまり効いた気がしない。
「なぁ、君も遊びに来いよ。せっかくフィーデルまで来たのに、会えないんじゃ意味がない」
勝手にここまで来たのはイヴオンである。しかしながら、会えて嬉しかったのは事実なので、おれは眉根を寄せて口を開いた。
「たまにだからな」
保健室で聖紋でも書く練習をしよう。まだ覚えねばならないものはたくさんある。するとイヴオンは、心を読んだかのように肩をすくめる。
「息抜きは大切だぜ?」
――イヴオンには、リュエルが側にいるだけでよかった。本人が望んでいるのでカムナギになれたらいいねとは思うが、カムナギになってほしいという強い気持ちはない。
それを感じたおれは、肩の力を抜いて言う。
「……あんたが普通にしててくれれば、息抜きになるよ」
いちいち、ちょっかいをかけに来なければ。
「たまには、それもいいかもな」
イヴオンはおれの髪をさらりと撫でて、クッと口角を上げていた。
その日、夕方の勉強を終えた頃、レルヒが微笑を浮かべて口を開いた。
「今日はアルシャさんのお部屋でお泊まりしますか?」
いきなり言われ、肩が跳ねてしまう。思わずレルヒの方を向いていた。
「……アルシャがいいなら」
「では、後ほどラルジュに連れて行ってもらいましょう」
「寝る頃に迎えに来るよ」
この寮生活でアルシャと共に夜を過ごせる。周りには秘密ということもありドキドキだ。おれは落ち着かない気分でその時を待った。
「なにソワソワしてるんだ?」
シャワーを浴びて戻ったグランが首を傾げる。そうだ、グランには話しておかなければ。おれは努めて冷静な声が出るよう意識して口を開く。
「おれ、今日はアルシャんとこ泊まるから」
「ああ。……なに?」
グランはくるりとこちらへ首を回した。おれは眉根を寄せて繰り返す。
「だから、今日はアルシャのところに」
「それはわかった。なにか? おまえ、アルシャさんとデキてるのか」
「わるいかよ」
熱くなった耳を感じつつ、ムッと睨んでしまう。するとグランは、動揺を露に前髪を掻き上げた。
「いや、べつに悪かないが」
――リュエルがアルシャにそういう思いを抱いていたとを、グランは知らなかった。合宿中にくっついたのだろうか。
(感慨深いな)
グランはなんだか父親のような心境でリュエルを眺める。この頃は凛々しい顔をよく見ていたので、どこか恥じらうような表情にふっと笑ってしまった。
リュエルは耳を赤くして口を尖らせる。
「何がおかしいんだよ」
「おかしかない。よかったな」
グランが柔らかな笑みを浮かべて言うと、リュエルは口を噤んだ。
「ヤバッ」
全力で駆け、教室に戻ったところ、
「……初日から遅刻未遂とは、大層気が緩んでいるようですねリュエル・フラム」
すでにダリヌが壇上におり、神経質そうな声のバックで鐘の音が鳴っていた。
「すみませんでした」
おれはすっと腰を折り、空いている席へ着く。未遂なんだからいいじゃないかという内心はすっかり押し込んでいた。ダリヌは厄介な相手だ。大人しくしているに限る。
――その落ち着いた対応に、ダリヌの頬がヒクリと動いた。オホンと咳をして、気持ちを落ち着かせる。
「さて、今日から後期の始まりです。後期の最後には―――」
真面目に耳を傾けているように見えるリュエルの姿に、苛立ちが募るダリヌだった。
朝のホームルームが終わると、ブリランテがやって来た。腕を組み、あいかわらず偉そうな態度でいる。
「少しは、カムナギを目指す者としての自覚が出てきたようだな」
「後期の終わりには学年トップにならなきゃいけないんでね」
片眉を上げて答えると、ブリランテは妙なものを見るような顔をした。おれは小首を傾げる。
「……いや。学年トップは渡さない」
ブリランテは困惑したような顔で言葉を返し、くるりと踵を返して行ってしまった。
さて、午後には式典がある。カムナギのアルシャを久々に見る機会だ。
「ねえリュエル、リュエルは新しい保健の先生とお知り合いなの?」
聖堂へ向かう途中、メルから朝のことを思い出したように問われた。おれは肩をすくめてしまう。
「合宿中に出会った。あの人、隣の別荘にいたんだよ」
「そうなんだ」
「同じ銀髪で驚いたぜ」
――そんなこともあるんだなぁと、目を丸くするメルだった。
鐘が鳴り、式典が始まる。
新任の保健医の紹介になると、聖堂内がざわめきに満ちた。初老の紳士に替わって十代に見える若い人が来たというだけでも盛り上るのに、それがハンサムな銀髪なのだから話題は尽きない。なんとなくリュエルに似ている。その上、彼は心を掴むのが上手かった。
「皆さんと顔を合わせないことを祈りましょう」
イヴオンがひょいと眉を上げて挨拶の言葉を締め括ると、笑いとともに拍手が湧いた。
「では、最後にカムナギのアルシャさんからウタをお聞かせ願います」
~~ビェナテェシ゚~タァユ~トャペタァユヲ~~
締めのアルシャは慣れたものだ。どこか浮かれた雰囲気だったのを、すっかり自分のものにしてしまう。
(おれもこんなふうになるんだ)
おれはアルシャのウタに満たされた心地で、決意を新たにした。
「リュエル、帰りましょう」
「おう」
終わればレルヒとラルジュがやって来て、並んで寮部屋へ向かう。
「あの方ですか? 合宿中、君が会いに行っていたお相手は」
「ああ」
おれは肩をすくめる。
「聖堂内は、彼と君の話題で持ちきりだったね」
ラルジュがひょいと眉を上げた。
――雰囲気が変わったリュエルと、彼に似た新任の若い先生。血縁関係があるのではと、早くも噂になっている。
「あの人は人気が出そうだから、君にもいい影響があるかもしれない」
フッと笑ったラルジュに、おれは目を瞬いた。
後期が始まってからというもの、前期に感じていた居心地の悪さがだいぶ和らぎ、嫌な気分になることもあまりない。おれは不思議な気分で変わらぬ日々を送っている。いや、変わったことといえば――。
「よう、リュエル。今日も元気そうだな」
「……あんたは保健医だろ。保健室で大人しく待機してろよ」
わざわざ顔を見に出向いてくるイヴオンの存在だ。
「みんな健康だし、怪我人もそう出ない。館に閉じ込められていたときより退屈だ」
暇だ暇だと言いながら、おれの肩に腕を回して髪を撫でてくるイヴオン。
「おれは忙しいんだ、よっ」
頭突きをかましてやった。しかしイヴオンにはあまり効いた気がしない。
「なぁ、君も遊びに来いよ。せっかくフィーデルまで来たのに、会えないんじゃ意味がない」
勝手にここまで来たのはイヴオンである。しかしながら、会えて嬉しかったのは事実なので、おれは眉根を寄せて口を開いた。
「たまにだからな」
保健室で聖紋でも書く練習をしよう。まだ覚えねばならないものはたくさんある。するとイヴオンは、心を読んだかのように肩をすくめる。
「息抜きは大切だぜ?」
――イヴオンには、リュエルが側にいるだけでよかった。本人が望んでいるのでカムナギになれたらいいねとは思うが、カムナギになってほしいという強い気持ちはない。
それを感じたおれは、肩の力を抜いて言う。
「……あんたが普通にしててくれれば、息抜きになるよ」
いちいち、ちょっかいをかけに来なければ。
「たまには、それもいいかもな」
イヴオンはおれの髪をさらりと撫でて、クッと口角を上げていた。
その日、夕方の勉強を終えた頃、レルヒが微笑を浮かべて口を開いた。
「今日はアルシャさんのお部屋でお泊まりしますか?」
いきなり言われ、肩が跳ねてしまう。思わずレルヒの方を向いていた。
「……アルシャがいいなら」
「では、後ほどラルジュに連れて行ってもらいましょう」
「寝る頃に迎えに来るよ」
この寮生活でアルシャと共に夜を過ごせる。周りには秘密ということもありドキドキだ。おれは落ち着かない気分でその時を待った。
「なにソワソワしてるんだ?」
シャワーを浴びて戻ったグランが首を傾げる。そうだ、グランには話しておかなければ。おれは努めて冷静な声が出るよう意識して口を開く。
「おれ、今日はアルシャんとこ泊まるから」
「ああ。……なに?」
グランはくるりとこちらへ首を回した。おれは眉根を寄せて繰り返す。
「だから、今日はアルシャのところに」
「それはわかった。なにか? おまえ、アルシャさんとデキてるのか」
「わるいかよ」
熱くなった耳を感じつつ、ムッと睨んでしまう。するとグランは、動揺を露に前髪を掻き上げた。
「いや、べつに悪かないが」
――リュエルがアルシャにそういう思いを抱いていたとを、グランは知らなかった。合宿中にくっついたのだろうか。
(感慨深いな)
グランはなんだか父親のような心境でリュエルを眺める。この頃は凛々しい顔をよく見ていたので、どこか恥じらうような表情にふっと笑ってしまった。
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