美しい世界を紡ぐウタ

日燈

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終章 余寒、運命の後期

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 遠くから聞こえる小鳥の囀ずり。髪を撫でられる心地好さの中、ふわりと意識が戻った。

「おはよう、リュエル」
「……おはよ」

 美しい群青色をぼんやり眺めていると、チュッとキスが降ってくる。

「さぁ、起きて。支度しよう。ここはあの素敵な別荘じゃない」

 そうだ、ここは学び舎なのだった。おれはむくりと起き上がる。アルシャはいい子だねと言わんばかりにおれの髪にキスをして、ベッドから降り立った。

「着るものはレルヒが届けてくれたよ」
「どーも」

 制服一式を渡され、色々と手際がいいなぁと思うおれだった。

「レルヒ、朝来たのか?」
「昨夜だよ。彼はよくカイトのところへ来ているから」

 ラルジュと異なり、レルヒにはこの階は来慣れた場所らしい。

「そうか」

 おれはベッドの上でポフッとシャツから頭を出した。


 準備が整うと、一緒に行くのは避けた方がいいということで、先に一人で部屋を出ることに。

「それじゃ、いってらっしゃい」
「……いってきます」

 この挨拶は新鮮だ。キスと共に送り出され、照れてしまったおれである。

「おはようございます」
「おはよう」

 昇降機のところでレルヒと合流した。一緒といると、いつもの朝だなと感じる。

「いい夜だったようですね」

 にこりと笑まれ、耳が熱くなった。
 二人で乗り込んだ昇降機は、気づけば生徒でいっぱいになっている。レルヒといたからか、朝で寝惚けているからか、おれを見ても特段反応する人はいなかった。

「おはよう、リュエル」
「おはよう」

 エントランスでラルジュと落ち合えば、いよいよいつもの朝だ。

「今日の君は色気が増してるね」

 おれは聞かなかったことにして、ツンと足を進ませた。
 教室が見えてくると、思いだしてラルジュを振り返る。

「今日は放課後、保健室に行きたいんだけど」
「例の保健医に会うためかい」
「おう」

 たまには自分から会いに行くのもいいだろう。

「俺も一度、話してみたいと思ってたんだ」
「私も、お会いするのが楽しみです」

 ラルジュは笑みを深め、レルヒは微笑を浮かべていた。


 あっという間に放課後となり、ラルジュとレルヒが教室にやって来る。

「じゃあね、リュエル」
「ああ」

 おれは柔らかな檸檬色を撫で、二人のところへ向かった。

「行こうか」

 三人揃って保健室へ足を進める。

「私、保健室に伺うのは初めてです」

 たまにレルヒが転けている姿を見ていたので、首を傾げてしまう。

「そうなのか?」
「兄上特製の治癒クリームを塗れば、すっかり治りますからね」

 懐から取りだし、見せてくれたそれ。やたらと高級で効きそうに見えるが、カイトのお手製だと言う。

「私の使用しているリップクリームやコロンも、兄上の特製ですよ」
「……あの人、本当になんでもできるのな」

 おれは感心を通り越して呆れてしまった。
 そうしてやって来た保健室。三回ノックで開いてみれば――。

「っ」
「リュエルじゃねえか」

 イヴオンは、ベッドの上で生徒と戯れていた。おれの額に青筋が浮く。

「……おい保健医、こんな真っ昼間から何やってんだ」

 スタスタとイヴオンのもとへ行き、思いきり耳を引っ張った。

「イタタッ! あのな、俺は誘われたから乗っただけで」
「乗るなバカ! 今は一応、教師だろっ」

 イヴオンは保健医だ。関係を迫る生徒は、損得勘定からではないだろう。

「し、失礼しました」

 おれがイヴオンと言い合っている間に、渦中の生徒はこそこそと帰っていった。

「妬くなよ。俺が自分から誘うのは君くらいだって」
「妬、い、て、ね、え」

 おれはようやくイヴオンの耳を解放し、ツンとそっぽを向いた。頭を撫でられても、視線を合わせてやらない。

「俺はこういうやつだって知ってたろ」

 こめかみにキスをされ、眉根を寄せた。けっこう遊んでいるようなことは聞いていたが、実際に見てしまうと、どうにもイライラしてしまう。

「もうこの時間帯はしないから」
「……べつに、何しようとあんたの勝手だし」

 先ほどは衝動的に怒鳴ってしまったが、少し冷静になってみるとそう思う。そう思うのに、胸のざわめきは収まらなかった。
 イヴオンは目許を和らげ、膨れっ面のおれの頭を撫でてくる。

「あの二人がいなかったら襲ってるところだぜ」

 あの二人? おれはハッとして首を巡らせる。

「噂通りの仲の良さだね」
「想像以上の良さでした」

 ラルジュとレルヒは部屋の片隅に堂々と佇み、のんびり落とした。おれが固まっているうちにこちらへやって来る。

「君たちは?」
「リュエルの侍人候補のラルジュです」
「同じく、レルヒと申します」

 レルヒはペコリとお辞儀する。ふと、イヴオンが首を傾げた。

「君、うちの隣の別荘の坊やだな」
「リュエルから聞きました。そちらの別荘は長らく使われていない様子でしたが…」
「うちの者はすっかり忘れていたらしい」

 イヴオンはひょいと肩をすくめる。

「館に閉じ込められてウンザリしてたんだ。そんなときに別荘の存在を知ったのさ」

 イヴオンは窮屈な日々から逃れてあの別荘にいた。町へ繰り出すのをよく思っていない家族は、別荘ならと外出を許したわけである。

「保健医になられたのは、フラム家とお近づきになるためですか」

 ラルジュが淡々と問う。おれはハッとしてイヴオンの方を向いた。

「家の者はそう考えているようだ。話を持ちかけたのは、俺だけどな」

 イヴオンは穏やかな表情でおれの頬を撫でる。

「俺はただリュエルの側へ行きたかった。君の言ったことは、外面的な理由にすぎない」

 イヴオンには家の都合などどうでもいいことらしい。

「リュエルに絶対カムナギになってほしいとも思わねえ」

 おれが息を潜めて見守る中、イヴオンはラルジュたちに向け、ニッと笑う。

「こうして俺の側にいてくれればいい」

 そうしておれの肩に腕を回すと、髪に口づけた。

「ずいぶん執着されてるようですね」

 ラルジュは見極めるようにイヴオンをじっと捉えている。

「ああ。すっかり “ぞっこん” だ。安心しろよ。俺はリュエルを悲しませるようなことはしねえから」

 すかした翡翠が煌めく。
 ――そこに滲んだ感情に、ラルジュは親近感を覚えた。ああ彼は、何を敵に回しても、己の命を落としても、リュエルを裏切ることはないだろう。

「心強い味方だね」

 ラルジュはフッと笑っておれに目をやる。

「……ああ…」

 おれはボンヤリと頷いた。


 ――ところで、その日保健室を訪れたのは彼らだけではない。リュエルたちが帰ってからしばらく。軽いノックの後にドアを開いたのはアルシャだった。

「怪我……じゃなさそうだな」

 意外な訪問者にイヴオンは肩をすくめる。

「リュエルと親しいという噂を聞いて、ぜひお会いしたいと思いましてね」

 その言葉に、イヴオンは片眉を上げた。しかしすぐに察する。

「もしかして、リュエルといい仲なのは君か?」

 アルシャは目を閉じて肩をすくめた。

「へえ…。それで、そんな君がなんの用だ?」
「興味が湧いて来てしまっただけですよ」

 嘘ではない。リュエルと兄弟のようだと言われている彼を、アルシャは間近で見てみたかった。式典のときは舞台裏にいたため、よく見られなかったのだ。

「興味ねえ。この銀髪にか?」
「あなたにです」

 もしかして、自分がいなくなった後、同じような関係性でリュエルの支えになるのは彼かもしれない。アルシャは漠然とそんなことを思っていた。

「それ、口説いてるつもり?」

 イヴオンは悪戯に笑みを浮かべる。

「リュエル以外を口説く気になんて、なれませんよ」

 アルシャは苦笑した。耳にした通り、イヴオンは顔立ちや雰囲気がなんとなくリュエルと似ている。兄弟といわれるのも納得だ。しかしその中身ときたら、似ても似つかない。リュエルは彼のどこに惹かれたのだろう。

「てっきり、“俺のもんに手ぇ出すな!” とか言われると思ったぜ」

 そんな雰囲気がまったくないアルシャに、イヴオンは首を傾げる。

「僕は彼を縛るつもりはありません。第一、彼は物ではない」

 リュエルはアルシャとは異なる意識を持つ存在だ。全てのものが、尊厳ある存在なのである。誰かのものになるなど無理なこと。そう振る舞うことはできるだろうが、それは本人の選択だ。
 リュエルはリュエル。アルシャはアルシャ。別々の存在であるが故、心が共鳴する喜びを感じられる。

「君は本当に彼を想っているんだな」

 イヴオンは穏やかに笑む。

「……あなたも」

 リュエルの全てを受け入れているような達観した眼差しだ。

「俺はフラれたけどな」

 イヴオンは肩をすくめた。それからふと、思いついたような顔をする。

「あ、なぁ、三人でやりたくなったら俺を呼べよ」
「しませんから」

 にこりと笑って即答したアルシャだった。
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