美しい世界を紡ぐウタ

日燈

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終章 余寒、運命の後期

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 二人に挟まれてソファに座ってイヴオンを待つ間、おれはソワソワと落ち着かない気分でいた。

(話ってなんだろう?)

 ここでするのだから、この声のことだろうが――。ふと、ラルジュが口を開いた。

「思い返してみれば、君はあまりしゃべるタイプじゃないから、そんなに違和感がないね」
「そうですね。顔を見れば、思っていることは大抵わかりますし」

 そんなにわかりやすいだろうか。おれは心なし後ろに身体を引いた。思っていることがバレバレなんて、ちょっとイヤだ。

「君はわかりやすい」

 ぬっと顔を寄せてきた糸目が、いい声で落として笑みを深める。ヒクリと動く頬。早くイヴオンが来るよう全力で祈ってしまう。
 はたして、その祈りは通じたらしい。

「君も狙ってんのか? リュエルのこと」

 甘い香りと共にイヴオンがやって来た。問われたラルジュは肩をすくめている。

「関係性を変えたいとは思いません。ただ、新たな関係がそこに加わるのも悪くないなと」

 サラリと言った。
 そんなことを思っていたのか。おれはレルヒ側に身体を寄せる。

「気持ちはわかるぜ」

 よいせと正面に腰を下ろし、イヴオンはクッと口角を上げた。

「それでも襲ったりしねえあたり、君は立派だな」
「信頼を失うようなことはしませんよ」

 朝に何度か襲われている気がしないでもないおれは、ジト…っとラルジュを見てしまうのだった。
 ココアを飲んで一服すると、話題は例の呪言についてに移る。

「呪言なぁ。リュエル、心当たりはあるか?」

 イヴオンにマッタリ尋ねられ、おれは微妙に頷いた。

「もしそうなら、それを伝えられれば第一関門突破だな」

 自分でそのことを受け止め、冷静に捉えられれば回復は早いという。早く声を取り戻したかったので、さっそく紙とペンを取り出した。

「身体が拒絶反応を起こすかもしれねえ。そうなっても、身体のことを怒るなよ。呪言の影響なんだから」

 レルヒが勇気づけるように背中に手を合ててくれる。おれは息をゆっくり吐いて、心を落ち着けた。
 あのときダリヌに言われたことを紙に書いてゆく。そうしてついに、意識を失う直前の言葉に辿り着いた。

「っ、ハァッ、ハッ」

 そうだ、いつもその言葉を思い出すと呼吸がおかしくなる。
 背中を撫でてくれる優しい手。ゆっくり息を吐くことを意識する。

「リュエル、冷静に。心を落ち着けて…。その言葉、書けるか?」

 身体の反応に意識がいってしまう。しかし、それを伝えられればよくなるかもしれないと思えば、やるしかない。おれは苦しさに滲む視界で紙に向き合い、揺れる字でなんとか書ききった。
 ほどなくして、呼吸が整う。

「教師がひでえこと言うなぁ」

 書かれた字を読んだイヴオンの感想はそんなものだった。

「そのようにマッタリおっしゃることですか」

 低い声に、一瞬誰だと思ったが。おれの背中に添えられた手が震えている。
 レルヒが本気で怒るのを初めて見た。怒ると冷めるタイプなのだろう。冴えた瞳が刺すようにイヴオンを捉えている。それを真っ向から受けているはずのイヴオンは、意に介した様子なく肩をすくめた。

「わるいわるい。俺には聞き慣れた言葉だったからさ」

 そうして皮肉に笑う。

「挨拶のように『おまえなど産まれてこなければ』と言われて育った。俺がちょっと気に入らねえことすると、『死ねばいいのに』だ」

 ――改めて考えてみると酷い環境だったなとイヴオンは一人ごちる。そんな日常だったため、今さらそのような言葉を聞いたところで、怒りも悲しみも湧きやしない。昔はそれでも胸が苦しくなったりしていたと、レルヒを見て思い出したくらいである。

「そんな顔するなって」

 眉尻を下げたおれに、イヴオンは苦笑する。

「それよりどうだ? この言葉、今でも思うと苦しいか?」

 自分の書いた紙を手渡され、おれは改めて読んでみた。同時にあのときのダリヌの声や表情が甦り、気分が悪くなる。しかし、それだけだ。もう呼吸が乱れたりはしない。

「よし、一つ解決だな」

 イヴオンはよくやったとばかりにおれの頭を撫でた。静かに成り行きを見守っていたラルジュがホッと息を吐く。

「先ほどは申し訳ありませんでした」

 レルヒがペコリと頭を下げた。

「いいさ。それだけリュエルを思ってるんだろう」

 イヴオンはふっと笑う。それから幾分真剣な表情で、こちらに向きなおった。

「呪言に込められた怨念のようなエネルギーは、そう簡単にはなくならねえ。たぶん、それが君の声を奪ったんだ」

 声が出ないのは怨念のせいと言われても、一体どうすれば良いのか。おれは途方に暮れる。

「方法はある。正反対の感情で、エネルギーを相殺すればいい」

(正反対の感情?)

 小首を傾げると、イヴオンは頷いてニッと笑った。

「たくさん愛しんでもらえ」

(な、)

「怨念は重たい感情だ。慈しみなんかは軽い。受けた分より多く、軽い感情を感じればいいってことだ。君にはいい人がいるし、好意を抱いているやつも多そうだ。けっこう早く治るんじゃねえか?」

 イヴオンが気楽に言うので、おれもそんな気がしてきた。
 そこでおもむろに、レルヒに抱きしめられる。

「私たちもお力添えしますよ」
「君の部屋で迎える朝には、俺が目覚めのキスでも贈ろう」

 レルヒもラルジュもいい笑顔だ。「いや、いらねえから」 というおれの声なき声は届かない。

「では、おやすみのキスは私が」

(だから、いらねえっつの!)

 わかりやすいと話していた彼らに伝わっていないはずがない。確信犯で楽しげに会話を続ける二人に、おれは握りしめた拳をプルプル震わせた。
 ラルジュがふと首を傾げる。

「リュエル、もう少しここにいたいかい?」

 用は済ませたが、イヴオンに伝えたいことがあったので頷く。

「では、また後ほど来ましょう」

 二人が去ると、保健室にはおれとイヴオンだけになった。

「すっかり静かだな」

 イヴオンはヨッと立ち上がり、おれの隣に移動する。

「俺はどんなふうに君を慈しもうか」

 言いながら肩を抱かれ、髪に口づけられた。おれは上体を捻ってイヴオンを抱きしめる。イヴオンの身体が固まった。
 イヴオンの話したことやその態度が心に引っ掛かっていたのだ。酷い言葉を言われても、なんとも思っていないふうだった。慣れる。それは心が麻痺するということ。

「君が慈しんでくれんの?」

 イヴオンはおかしそうに片眉を上げる。

(それが必要なのは、おれよりあんただろ)

 おれは声なき声で言うとイヴオンの後頭部へ手を添えて、綺麗な銀髪を胸元へ抱き寄せた。

「さっきの話、気にしてくれるんだ」

 くぐもった声が言う。

「あらぬ誤解を生まないために話しただけさ。人それぞれ、言葉の受け止め方は異なるからな。同情されたくて話したんじゃねえよ」

 それでも、抱き寄せる腕に力が籠ってしまう。するとイヴオンは肩をすくめた。

「もう過去の話だ。君のおかげでな」

 ――リュエルの存在があり、イヴオンへの周りの態度はガラリと変わった。しかしイヴオンはそれを喜んでいるわけではない。家族から酷い扱いを受けなくなったことより、町の人々の態度が変わった衝撃の方が強かった。
 そんなイヴオンの心中を、おれは察してしまった。だからこの腕をほどけない。湧き上がる気持ちを止められない。

「なぁ、今度は俺が慈しんでいい?」

 顔を上げたイヴオンから頬にキスされた。

「君が気にすることはない。全部、もうどうでもいいことさ」

 ああイヴオンは、楽しいだけではない過去を受け入れたおれと違って、全部切り捨ててここにいる。
 声が出たなら伝えたい。イヴオンに会えて、兄貴みたいな存在になって、こうして親しくなって。それをどんなに嬉しく思うか。自分にとってイヴオンは、かけがえのない存在であることを。

「俺はさ、いつ死んでもいいと思ってるけど、決して自分を蔑ろにしてるわけじゃねえよ」

 おれの髪に指を通してイヴオンは言う。

「今だって、すげえ大切に思うぜ」

 耳許で真摯な声に囁かれ、胸が震えた。

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