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終章 余寒、運命の後期
十三
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再び口を開くより前に、ガバリとレルヒに抱きつかれた。
「声が戻ったのですね…! もう一度、もう一度言ってみてください! おはようございます、リュエル」
レルヒは怒涛の勢いで言い、高揚した表情で顔を覗き込んでくる。まるで何事もなかったかのように声が出たことに戸惑いながら、おれは口を開いた。
「……おはよ、っ」
「よかった!!」
容赦のない抱擁。頭を抱くようにして顔面を胸元に押し付けられ、地味に痛苦しい。
「レルヒ、」
「ああ、本当によかった」
ラルジュがしみじみとこぼして頭を撫でてきたためそれ以上抵抗できず、おれは息苦しさに必死で耐えた。
「もうじき中間試験です。それまでに治らなかったらと、ハラハラしましたよ」
ようやく解かれた抱擁のあと、レルヒは心底ホッとしたような顔をしていた。まったくそのような素振りは見られなかったため目を丸くしてしまう。
「レルヒは毎晩、流れ星を探しては祈祷師のごとくお祈りしていたよ」
「そろそろ一位を取りに行かねばなりませんからね。実技を落とすなんてええ、あってはならないことです」
レルヒが取り憑かれたように星を拝む姿が頭に浮かび、ヒクリと頬が動いた。いや、そこまで思ってくれていたのは嬉しいのだが、なんだろうこの純粋に喜べない感じ。
「それじゃ、」
「ええ」
ラルジュ&レルヒと別れ、教室へ足を踏み入れる。おれはにわかに緊張していた。今はもう、まるで声が出なかった日々が嘘のように普通に話せる。それがどうしてか落ち着かない。
「おはようっ、リュエル」
いつものように海のような瞳を輝かせ、メルがテテッとやって来た。その瞳に向かって口を開く。
「おはよう」
途端に零れそうなほど見開かれる瞳。
辺りがシンと静まりかえる。
次の瞬間、思いっきりメルに抱き着かれた。
「、」
「リュエル、声が戻ったんだね!」
「ああ、」
なんとか受け止め頷くと、教室中がどっと沸き立った。
「よかった~!」
彼らは同じ道を行くライバルでもあるのに、目を輝かせ、本当に嬉しそうな顔をしている。おれは唖然とその光景を目に映していた。心のどこかに抱いていた不安は吹っ飛んで、胸がじんわりと温かくなる。
「当てられないからといって講義中に気を抜くことはもうできないぞ」
こちらへやって来きたブレランテが腰に手を当て、クッと口角を上げた。そういえば、このほど彼を見ても憎たらしいと思うことがとんとない。
「声が出るんだから、言いたいことは言えばいいだろう」
おれがその顔をじっと見ていたからだろう。ブリランテは戸惑いがちにこちらを睨む。威勢のいい口調のわりに、その目は何を言われるのかと身構えて落ち着かない。おれはそこに自分を見た気がした。フッと笑い、空いている席へと向かう。
「、なんだその反応はっ。何がおかしい!」
ブリランテは動揺露に口を開いた。おれは口角を上げるだけで何も言わない。
「おいっ」
仕舞いにブリランテは耳を赤くして眉をつり上げ、後を追ってきた。おれはおもむろに振り返り、その顔に手を伸ばす。思わず目を瞑ったブリランテの眉間を、指でトンと押した。
「そんな顔ばかりしてると痕になるぞ」
ブリランテはハッとして目を開く。
「っそんな顔ばかりしていたのはおまえだろ!」
「そうだったか?」
おれは涼しい顔で首を傾げた。
「そうだっただろう! 小生意気な顔した、すかしたヤツだった」
ブリランテ、興奮して声が引っくり返っている。
(ああ、そうだった)
そんな自分が遠い過去のようだ。ふと、ラルジュの言葉が頭に浮かんだ。
『君が変わったから、周りが変わったんだ』
なるほど、確かにそうかもしれない。内心に浸っているうちに、メルが側にいた。おれとブリランテを交互に見上げ、海のような瞳を瞬いて口を開く。
「リュエル、背、伸びたね」
そういえば、見下ろされていると感じていた視線も今では同じくらいになっている。
「いいなぁ。ぼくももっと大きくなりたい」
メルがほんわり落とすので、開きかけたブリランテの口から出る言葉が変わった。
「メルはこれからぐんと伸びるんだろう」
それにしても微妙な顔をしている。
「そうだといいな」
それも、きらきらな瞳に浚われた。
鐘が鳴る頃、担任のシュネーがやって来る。
「おはようございます、みなさん」
「シュネー先生、おはようございます」
おれがこの挨拶をできたのは初めてだ。耳聡くおれの声を聞きつけたシュネーはカッと目を見開いた。
「リュエル、声が戻ったのですか!?」
「はい、先生。もう平気です」
おれはシュネーに合わせてよい子の返事だ。
「っそれは、よかった…!」
シュネーは懸命に涙を耐えたような顔でなんとか応える。ここが図書館奥の部屋だったなら、きっとハンカチーフが手放せなかっただろう。
(今度また、図書館奥を訪ねてフラムのウタを紡ごう)
おれはひっそり決めていた。
それから、移動教室へ向かう途中にイヴオンがふらりと現れた。美しい翡翠の瞳を細めて笑みを浮かべる。
「よぅ。声、出るようになったんだって?」
耳が早い。おれはなんだか気が抜けた。
「昼にでも行こうと思ってた」
「そりゃ嬉しいね」
やたら甘い声で言うので眉根を寄せる。
「報告のためだからな」
するとイヴオンはクッと笑った。
「ムキになるなよ、かわいこちゃん」
言い返そうと口を開きかけたが、その目が優しく煌めくので勢いをなくしてしまう。
「イヴオン先生、このような所で何を?」
ふと、通りがかったシュネーが足を止めた。長らく図書館奥に引きこもっていたシュネーは、フラフラ出歩く保健医を見慣れていない。イヴオンはおれの頭にポンと手を乗せ、テキトーな雰囲気で口を開いた。
「出張診察ですよ」
実にやる気のない声である。しかしシュネーときたら感心したように頷き、ぺこりと頭を下げた。
「それはそれは、ご苦労様です」
「……どーも」
――これにはイヴオンも間が抜けた。イヴオンは生徒からは人気だが、教師陣にはあまり良い印象を持たれていない。また何か小言を言われるのでは、と思ったのに。去りゆく長い黒髪をぼんやり眺めてしまう。
「イヴ…?」
おれが声をかけると、何事もなかったかのように振り返る。
「不調なんてなくたって、またいつでも来いよ、保健室」
「ああ…」
思わずその顔を見詰めてしまった。
その後、昼休憩の時間にはネージュと遭遇し、心底ホッとしたような顔をされた。ネージュのもとへも、こちらから会いに行こうと思っていたのに。まったく彼らは、行動が速い。
「この間のマフィン、美味しかった。ありがと、ネージュさん」
「それはよかった。君はわかりやすいけど、やっぱり、こうして会話ができるといいね」
優しい眼差しで頭を撫でられると、口を開きかけた言葉もどこかへ行ってしまう。ネージュには大人の魅力があるのだ。イヴオンとは正反対。だからこそ、イヴオンは突っかかりたくなるのかもしれない。
「それじゃあ、また」
「……おう」
おれは艶やかな長髪を見送って、ラルジュとレルヒと食堂へ向かった。
「声が戻ったのですね…! もう一度、もう一度言ってみてください! おはようございます、リュエル」
レルヒは怒涛の勢いで言い、高揚した表情で顔を覗き込んでくる。まるで何事もなかったかのように声が出たことに戸惑いながら、おれは口を開いた。
「……おはよ、っ」
「よかった!!」
容赦のない抱擁。頭を抱くようにして顔面を胸元に押し付けられ、地味に痛苦しい。
「レルヒ、」
「ああ、本当によかった」
ラルジュがしみじみとこぼして頭を撫でてきたためそれ以上抵抗できず、おれは息苦しさに必死で耐えた。
「もうじき中間試験です。それまでに治らなかったらと、ハラハラしましたよ」
ようやく解かれた抱擁のあと、レルヒは心底ホッとしたような顔をしていた。まったくそのような素振りは見られなかったため目を丸くしてしまう。
「レルヒは毎晩、流れ星を探しては祈祷師のごとくお祈りしていたよ」
「そろそろ一位を取りに行かねばなりませんからね。実技を落とすなんてええ、あってはならないことです」
レルヒが取り憑かれたように星を拝む姿が頭に浮かび、ヒクリと頬が動いた。いや、そこまで思ってくれていたのは嬉しいのだが、なんだろうこの純粋に喜べない感じ。
「それじゃ、」
「ええ」
ラルジュ&レルヒと別れ、教室へ足を踏み入れる。おれはにわかに緊張していた。今はもう、まるで声が出なかった日々が嘘のように普通に話せる。それがどうしてか落ち着かない。
「おはようっ、リュエル」
いつものように海のような瞳を輝かせ、メルがテテッとやって来た。その瞳に向かって口を開く。
「おはよう」
途端に零れそうなほど見開かれる瞳。
辺りがシンと静まりかえる。
次の瞬間、思いっきりメルに抱き着かれた。
「、」
「リュエル、声が戻ったんだね!」
「ああ、」
なんとか受け止め頷くと、教室中がどっと沸き立った。
「よかった~!」
彼らは同じ道を行くライバルでもあるのに、目を輝かせ、本当に嬉しそうな顔をしている。おれは唖然とその光景を目に映していた。心のどこかに抱いていた不安は吹っ飛んで、胸がじんわりと温かくなる。
「当てられないからといって講義中に気を抜くことはもうできないぞ」
こちらへやって来きたブレランテが腰に手を当て、クッと口角を上げた。そういえば、このほど彼を見ても憎たらしいと思うことがとんとない。
「声が出るんだから、言いたいことは言えばいいだろう」
おれがその顔をじっと見ていたからだろう。ブリランテは戸惑いがちにこちらを睨む。威勢のいい口調のわりに、その目は何を言われるのかと身構えて落ち着かない。おれはそこに自分を見た気がした。フッと笑い、空いている席へと向かう。
「、なんだその反応はっ。何がおかしい!」
ブリランテは動揺露に口を開いた。おれは口角を上げるだけで何も言わない。
「おいっ」
仕舞いにブリランテは耳を赤くして眉をつり上げ、後を追ってきた。おれはおもむろに振り返り、その顔に手を伸ばす。思わず目を瞑ったブリランテの眉間を、指でトンと押した。
「そんな顔ばかりしてると痕になるぞ」
ブリランテはハッとして目を開く。
「っそんな顔ばかりしていたのはおまえだろ!」
「そうだったか?」
おれは涼しい顔で首を傾げた。
「そうだっただろう! 小生意気な顔した、すかしたヤツだった」
ブリランテ、興奮して声が引っくり返っている。
(ああ、そうだった)
そんな自分が遠い過去のようだ。ふと、ラルジュの言葉が頭に浮かんだ。
『君が変わったから、周りが変わったんだ』
なるほど、確かにそうかもしれない。内心に浸っているうちに、メルが側にいた。おれとブリランテを交互に見上げ、海のような瞳を瞬いて口を開く。
「リュエル、背、伸びたね」
そういえば、見下ろされていると感じていた視線も今では同じくらいになっている。
「いいなぁ。ぼくももっと大きくなりたい」
メルがほんわり落とすので、開きかけたブリランテの口から出る言葉が変わった。
「メルはこれからぐんと伸びるんだろう」
それにしても微妙な顔をしている。
「そうだといいな」
それも、きらきらな瞳に浚われた。
鐘が鳴る頃、担任のシュネーがやって来る。
「おはようございます、みなさん」
「シュネー先生、おはようございます」
おれがこの挨拶をできたのは初めてだ。耳聡くおれの声を聞きつけたシュネーはカッと目を見開いた。
「リュエル、声が戻ったのですか!?」
「はい、先生。もう平気です」
おれはシュネーに合わせてよい子の返事だ。
「っそれは、よかった…!」
シュネーは懸命に涙を耐えたような顔でなんとか応える。ここが図書館奥の部屋だったなら、きっとハンカチーフが手放せなかっただろう。
(今度また、図書館奥を訪ねてフラムのウタを紡ごう)
おれはひっそり決めていた。
それから、移動教室へ向かう途中にイヴオンがふらりと現れた。美しい翡翠の瞳を細めて笑みを浮かべる。
「よぅ。声、出るようになったんだって?」
耳が早い。おれはなんだか気が抜けた。
「昼にでも行こうと思ってた」
「そりゃ嬉しいね」
やたら甘い声で言うので眉根を寄せる。
「報告のためだからな」
するとイヴオンはクッと笑った。
「ムキになるなよ、かわいこちゃん」
言い返そうと口を開きかけたが、その目が優しく煌めくので勢いをなくしてしまう。
「イヴオン先生、このような所で何を?」
ふと、通りがかったシュネーが足を止めた。長らく図書館奥に引きこもっていたシュネーは、フラフラ出歩く保健医を見慣れていない。イヴオンはおれの頭にポンと手を乗せ、テキトーな雰囲気で口を開いた。
「出張診察ですよ」
実にやる気のない声である。しかしシュネーときたら感心したように頷き、ぺこりと頭を下げた。
「それはそれは、ご苦労様です」
「……どーも」
――これにはイヴオンも間が抜けた。イヴオンは生徒からは人気だが、教師陣にはあまり良い印象を持たれていない。また何か小言を言われるのでは、と思ったのに。去りゆく長い黒髪をぼんやり眺めてしまう。
「イヴ…?」
おれが声をかけると、何事もなかったかのように振り返る。
「不調なんてなくたって、またいつでも来いよ、保健室」
「ああ…」
思わずその顔を見詰めてしまった。
その後、昼休憩の時間にはネージュと遭遇し、心底ホッとしたような顔をされた。ネージュのもとへも、こちらから会いに行こうと思っていたのに。まったく彼らは、行動が速い。
「この間のマフィン、美味しかった。ありがと、ネージュさん」
「それはよかった。君はわかりやすいけど、やっぱり、こうして会話ができるといいね」
優しい眼差しで頭を撫でられると、口を開きかけた言葉もどこかへ行ってしまう。ネージュには大人の魅力があるのだ。イヴオンとは正反対。だからこそ、イヴオンは突っかかりたくなるのかもしれない。
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