美しい世界を紡ぐウタ

日燈

文字の大きさ
98 / 110
終章 余寒、運命の後期

十五

しおりを挟む
 聖道は今日も満員御礼。試験開始まで、ざわめきは止まない。試験を受ける生徒たちは声出しをしたり深呼吸をしたり。試験までのわずかな時間の過ごし方も慣れたものだ。

(前のときは、やたら意気込んでたな)

 前期の終わりを思い出し、おれは小さく笑った。あの頃ようやく、カムナギを目指す者としての実感が湧いてきたのだ。共に歩んでくれる二人のために、自分のために、精一杯やろうと思っていた。
 ステンドグラスから差し込む色とりどりの光へ目をやる。
 ラルジュとレルヒ。シュネーやネージュ、イヴオンやメル、グラン、クラスメイトたち。エレミア、オルキデにカイト、アルシャ――。声が出ない間、そこまで悲観的にならずに済んだのは、普通に接してくれた周りのおかげだ。妙な気遣いも同情も、重荷にしかならなかっただろう。

「では次。リュエル・フラム、前へどうぞ」
「はい、先生」

 立ち上がり、祭壇前に立つ。今や担任ということで、ほんの近くにシュネーがいた。少年のように瞳を輝かせ、自分を落ち着かせるためか、両手を胸の前で強く握りしめている。
 声が出ない間、自分が関わった事件がきっかけで担任を任されてしまったシュネーに、おれは少し負い目を感じていた。図書館奥に引きこもっていられなくなり、さぞや不満だろうと思ったのだ。
 声が出るようになってから、おれは放課後に図書館奥を訪れた。瞳を煌めかせてウタに聞き惚れていたシュネーは、紡ぎ終えると全力で拍手してくれた。そうして、言ったのだ。

『生徒を受け持つなど、想像したこともなかった。要請を受けた際、二度も聞き返してしまったよ』

 眉を上げて首を振るシュネーは、本当に予想外だったらしい。

『しかし、夢に溢れる少年たちの成長を見守るのも悪くない。今ではそう思うのだ』

 おれは無意識のうちに下がっていた視線を上げる。

『そう、これでも楽しくやっているのだな。こんな機会でもないと、やらなかっただろうから』
『……そうですか』

 彼の教師には感謝すら覚えると、見透かすような目でシュネーは言った。おれはまだ、思い出すと胸が重くなる。それよりも今、シュネーが担任であるという喜びを感じるように心がけていた。

『そうとも』

 穏やかな眼差しを見れば、慰めではないとわかる。大きな手にさらりと髪を撫でられ、ようやく肩の力が抜けたのだった。

 おれは小さく息を吐き、視線を上へ向ける。いつもの観覧席にラルジュとレルヒの姿を見つけた。二人とも、寮部屋でおれの勉強を見ている時のような気楽な雰囲気だ。

 ~~ゼィプディ~ヨボァエリ~ヲ~ドァスゼィ~プ゙ヌュッ゙~~

 ――もう、なんの心配もいらない。
 セレストの瞳が映す世界は優しく美しい。繊細な声音には親しみが感じられる。まるで世界を自分の一部と捉えているみたいに――。最後の音色が白い壁に飲み込まれた頃、アルシャはすっと聖堂を後にした。

「よいのですか」

 首を傾げたカイトに、アルシャは振り返ってフッと笑む。それから、視界の端に映った花の蕾に目を細めた。

「もう膨らんできてる」

 迫る春祭りの時。瞳を揺らしたオルキデに気づかぬフリをして、アルシャは足を進ませた。


 紡ぎ終えたおれが目蓋を上げると、聖堂は割れんばかりの拍手に包まれた。それはまるで、全校集会のカムナギのアルシャに贈られるような拍手だった。

「これにて一年聖音科の実技試験を終わります。ご清聴、ありがとうございました」

 おれはすぐさま聖堂の裏手へ向かう。しかし、そこに待ち人の姿はなかった。ウタを紡いでいるとき、確かにその姿を目にしたのに。
 胸がざわめく。ふと、二人分の足音が後ろから近づいた。

「お見事でしたね、リュエル」
「もう君の成功を疑う人はいないようだ」

 レルヒとラルジュだ。アルシャと会っているときは、木々の向こうで待っていてくれる。
 おれは振り返って彼らを見上げた。この漠然とした不安を話してしまいたい。そう思うのに、穏やかな微笑を見ていると言葉が出なかった。

「リュエル?」

 レルヒが小首を傾げる。おれはそっと視線を外した。

「……メシ」
「ええ、行きましょう」

 レルヒは目を瞬いて笑みを浮かべると、おれに並んで歩き始める。

「今日の手応えはどうです?」
「まぁまぁ。前よりできた気がする」
「微妙な反応ですね」
「……わかんねぇ問題とかあったから」

 ――後ろから二人を見守り歩くラルジュは、そんなリュエルをじっと見ていた。


 この頃、リュエルはなんだか元気がない。
 講義中にふと目をやるとぼーーっとしていたり、話しかけたとき、反応が遅かったりする。いつかのように浮わついた様子ではなく、心配事があるような雰囲気だ。
 先頃受けた定期試験で、リュエルは総合二位だった。

『……どれだけレルヒさんの的中率が上がってもぼくには勝てない。勝てるはずがない。トップはこのぼくだ』

 一位まであと一歩。さすがのブリランテも心の余裕があまりないようだった。

「リュエル、何かあったの?」

 メルは小首を傾げる。この頃はめっきりリュエルの悪口など聞かなくなった。順位だって順調に上がっている。心を煩わせるようなことは何もないはずなのに――。

「……いや、べつに」

 かすかな間の後、リュエルは口角をクッと上げ答えた。
 メルは眉尻を下げる。

「お、ラルジュだ。じゃあお先」

 教室に顔を覗かせたラルジュを発見すると、リュエルはすっと席を立った。

「うん、また明日ね」

 ふわりと笑む。メルにできることは、それくらいだった。


「ちょっと保健室、寄りたいんだけど」

 教室を出たおれは、ラルジュに目をやる。

「後でまた迎えに行くよ」
「おう」

 気分転換は重要だ。ラルジュもそう思っているらしく、一つ返事で了解してくれた。
 保健室前で別れる。

「よぅ、兄弟」
 
 やる気なく迎えてくれた妙に親近感を覚える顔に、肩の力が抜けた。

「なんだ、寝不足か?」

 イヴオンはよいせと立ち上がり、ココアを淹れにかかる。

「ちゃんと寝てる」

 おれは適当に答え、開かれた窓の方へ歩いていった。
 頬を撫でる冷たい風が心地好い。ぼうっと外を眺めてしまう。

「浮かねぇ顔して、どうしたよ」

 ――そこは一応、保健医のイヴオン。ちゃんと相手を慮る心はある。
 「ほれ」とほど良い熱さのココアを渡され一息ついたおれは、少し口が緩んでいた。

「アルシャ、なんかヘンなんだ。その理由をラルジュたちは知ってるような…、知らないフリしてるような、感じで」

 茶色い水面に目を落として語っていたおれは、そこまで言って、好きな人の話をサラリとしていることに気がついた。にわかに恥ずかしくなる。もともと自分のことを語ることもほぼないので尚更だ。

「いやその、」

 こんな話をいきなりされて、イヴオンも戸惑っているのでは? 絶賛戸惑い中の頭で顔を上げたおれの目に飛び込んできたのは、変わらずのんびり構えるイヴオンの姿だった。

「それ、本人に聞いてみたか?」
「、え?」
「だから、ラルジュたちにさ。気になるなら聞けばいいだろう」

 そうなの、だけど。
 イヴオンは視線をそらしたおれの頭をポンポン撫でる。

「一人で悩んでたって、答えは出ねぇよ」

 ラルジュたちは、聞けば話してくれるかもしれないし、杞憂かもしれない。

「聞いてスッキリした方がいいんじゃね?」

 イヴオンの気楽な口調の通り、それはとても簡単なことなのに、どうしてか気が重い。おれは小さく息を吐く。気は進まないが、この胸に居座るモヤモヤをどうにかしたいという気持ちの方が勝った。

「そうするよ」

 いい加減、覚悟を決めよう。

「さんきゅ、イヴせんせ」
「なに、保健医として当然のことをしたまでさ」

 口角を上げたものの、顔が少し強張ってしまった。イヴオンは気づかぬフリでひょいと眉を上げてくれる。
 おれは鼻で笑って、幾分穏やかな表情で窓の外へ目をやった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【WEB版】監視が厳しすぎた嫁入り生活から解放されました~冷徹無慈悲と呼ばれた隻眼の伯爵様と呪いの首輪~【BL・オメガバース】

古森きり
BL
【書籍化決定しました!】 詳細が決まりましたら改めてお知らせにあがります! たくさんの閲覧、お気に入り、しおり、感想ありがとうございました! アルファポリス様の規約に従い発売日にURL登録に変更、こちらは引き下げ削除させていただきます。 政略結婚で嫁いだ先は、女狂いの伯爵家。 男のΩである僕には一切興味を示さず、しかし不貞をさせまいと常に監視される生活。 自分ではどうすることもできない生活に疲れ果てて諦めた時、夫の不正が暴かれて失脚した。 行く当てがなくなった僕を保護してくれたのは、元夫が口を開けば罵っていた政敵ヘルムート・カウフマン。 冷徹無慈悲と呼び声高い彼だが、共に食事を摂ってくれたりやりたいことを応援してくれたり、決して冷たいだけの人ではなさそうで――。 カクヨムに書き溜め。 小説家になろう、アルファポリス、BLoveにそのうち掲載します。

閉ざされた森の秘宝

はちのす
BL
街外れにある<閉ざされた森>に住むアルベールが拾ったのは、今にも息絶えそうな瘦せこけた子供だった。 保護することになった子供に、残酷な世を生きる手立てを教え込むうちに「師匠」として慕われることになるが、その慕情の形は次第に執着に変わっていく──

前世が教師だった少年は辺境で愛される

結衣可
BL
雪深い帝国北端の地で、傷つき行き倒れていた少年ミカを拾ったのは、寡黙な辺境伯ダリウスだった。妻を亡くし、幼い息子リアムと静かに暮らしていた彼は、ミカの知識と優しさに驚きつつも、次第にその穏やかな笑顔に心を癒されていく。 ミカは実は異世界からの転生者。前世の記憶を抱え、この世界でどう生きるべきか迷っていたが、リアムの教育係として過ごすうちに、“誰かに必要とされる”温もりを思い出していく。 雪の館で共に過ごす日々は、やがてお互いにとってかけがえのない時間となり、新しい日々へと続いていく――。

【新版】転生悪役モブは溺愛されんでいいので死にたくない!

煮卵
BL
ゲーム会社に勤めていた俺はゲームの世界の『婚約破棄』イベントの混乱で殺されてしまうモブに転生した。 処刑の原因となる婚約破棄を避けるべく王子に友人として接近。 なんか数ヶ月おきに繰り返される「恋人や出会いのためのお祭り」をできる限り第二皇子と過ごし、 婚約破棄の原因となる主人公と出会うきっかけを徹底的に排除する。 最近では監視をつけるまでもなくいつも一緒にいたいと言い出すようになった・・・ やんごとなき血筋のハンサムな王子様を淑女たちから遠ざけ男の俺とばかり過ごすように 仕向けるのはちょっと申し訳ない気もしたが、俺の運命のためだ。仕方あるまい。 クレバーな立ち振る舞いにより、俺の死亡フラグは完全に回避された・・・ と思ったら、婚約の儀の当日、「私には思い人がいるのです」 と言いやがる!一体誰だ!? その日の夜、俺はゲームの告白イベントがある薔薇園に呼び出されて・・・ ーーーーーーーー この作品は以前投稿した「転生悪役モブは溺愛されんで良いので死にたくない!」に 加筆修正を加えたものです。 リュシアンの転生前の設定や主人公二人の出会いのシーンを追加し、 あまり描けていなかったキャラクターのシーンを追加しています。 展開が少し変わっていますので新しい小説として投稿しています。 続編出ました 転生悪役令嬢は溺愛されんでいいので推しカプを見守りたい! https://www.alphapolis.co.jp/novel/687110240/826989668 ーーーー 校正・文体の調整に生成AIを利用しています。

【蒼き月の輪舞】 モブにいきなりモテ期がきました。そもそもコレ、BLゲームじゃなかったよな?!

黒木  鳴
BL
「これが人生に三回訪れるモテ期とかいうものなのか……?そもそもコレ、BLゲームじゃなかったよな?!そして俺はモブっ!!」アクションゲームの世界に転生した主人公ラファエル。ゲームのキャラでもない彼は清く正しいモブ人生を謳歌していた。なのにうっかりゲームキャラのイケメン様方とお近づきになってしまい……。実は有能な無自覚系お色気包容主人公が年下イケメンに懐かれ、最強隊長には迫られ、しかも王子や戦闘部隊の面々にスカウトされます。受け、攻め、人材としても色んな意味で突然のモテ期を迎えたラファエル。生態系トップのイケメン様たちに狙われたモブの運命は……?!固定CPは主人公×年下侯爵子息。くっついてからは甘めの溺愛。

マリオネットが、糸を断つ時。

せんぷう
BL
 異世界に転生したが、かなり不遇な第二の人生待ったなし。  オレの前世は地球は日本国、先進国の裕福な場所に産まれたおかげで何不自由なく育った。確かその終わりは何かの事故だった気がするが、よく覚えていない。若くして死んだはずが……気付けばそこはビックリ、異世界だった。  第二生は前世とは正反対。魔法というとんでもない歴史によって構築され、貧富の差がアホみたいに激しい世界。オレを産んだせいで母は体調を崩して亡くなったらしくその後は孤児院にいたが、あまりに酷い暮らしに嫌気がさして逃亡。スラムで前世では絶対やらなかったような悪さもしながら、なんとか生きていた。  そんな暮らしの終わりは、とある富裕層らしき連中の騒ぎに関わってしまったこと。不敬罪でとっ捕まらないために背を向けて逃げ出したオレに、彼はこう叫んだ。 『待て、そこの下民っ!! そうだ、そこの少し小綺麗な黒い容姿の、お前だお前!』  金髪縦ロールにド派手な紫色の服。装飾品をジャラジャラと身に付け、靴なんて全然汚れてないし擦り減ってもいない。まさにお貴族様……そう、貴族やら王族がこの世界にも存在した。 『貴様のような虫ケラ、本来なら僕に背を向けるなどと斬首ものだ。しかし、僕は寛大だ!!  許す。喜べ、貴様を今日から王族である僕の傍に置いてやろう!』  そいつはバカだった。しかし、なんと王族でもあった。  王族という権力を振り翳し、盾にするヤバい奴。嫌味ったらしい口調に人をすぐにバカにする。気に入らない奴は全員斬首。 『ぼ、僕に向かってなんたる失礼な態度っ……!! 今すぐ首をっ』 『殿下ったら大変です、向こうで殿下のお好きな竜種が飛んでいた気がします。すぐに外に出て見に行きませんとー』 『なにっ!? 本当か、タタラ! こうしては居られぬ、すぐに連れて行け!』  しかし、オレは彼に拾われた。  どんなに嫌な奴でも、どんなに周りに嫌われていっても、彼はどうしようもない恩人だった。だからせめて多少の恩を返してから逃げ出そうと思っていたのに、事態はどんどん最悪な展開を迎えて行く。  気に入らなければ即断罪。意中の騎士に全く好かれずよく暴走するバカ王子。果ては王都にまで及ぶ危険。命の危機など日常的に!  しかし、一緒にいればいるほど惹かれてしまう気持ちは……ただの忠誠心なのか?  スラム出身、第十一王子の守護魔導師。  これは運命によってもたらされた出会い。唯一の魔法を駆使しながら、タタラは今日も今日とてワガママ王子の手綱を引きながら平凡な生活に焦がれている。 ※BL作品 恋愛要素は前半皆無。戦闘描写等多数。健全すぎる、健全すぎて怪しいけどこれはBLです。 .

【完結済】虚な森の主と、世界から逃げた僕〜転生したら甘すぎる独占欲に囚われました〜

キノア9g
BL
「貴族の僕が異世界で出会ったのは、愛が重すぎる“森の主”でした。」 平凡なサラリーマンだった蓮は、気づけばひ弱で美しい貴族の青年として異世界に転生していた。しかし、待ち受けていたのは窮屈な貴族社会と、政略結婚という重すぎる現実。 そんな日常から逃げ出すように迷い込んだ「禁忌の森」で、蓮が出会ったのは──全てが虚ろで無感情な“森の主”ゼルフィードだった。 彼の周囲は生命を吸い尽くし、あらゆるものを枯らすという。だけど、蓮だけはなぜかゼルフィードの影響を受けない、唯一の存在。 「お前だけが、俺の世界に色をくれた」 蓮の存在が、ゼルフィードにとってかけがえのない「特異点」だと気づいた瞬間、無感情だった主の瞳に、激しいまでの独占欲と溺愛が宿る。 甘く、そしてどこまでも深い溺愛に包まれる、異世界ファンタジー

今世はメシウマ召喚獣

片里 狛
BL
オーバーワークが原因でうっかり命を落としたはずの最上春伊25歳。召喚獣として呼び出された世界で、娼館の料理人として働くことになって!?的なBL小説です。 最終的に溺愛系娼館主人様×全般的にふつーの日本人青年。 ※女の子もゴリゴリ出てきます。 ※設定ふんわりとしか考えてないので穴があってもスルーしてください。お約束等には疎いので優しい気持ちで読んでくださると幸い。 ※誤字脱字の報告は不要です。いつか直したい。 ※なるべくさくさく更新したい。

処理中です...