美しい世界を紡ぐウタ

日燈

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終章 余寒、運命の後期

十六

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 そのうち、ラルジュとレルヒが迎えに来た。

「失礼します。リュエル、もういいかい?」
「おう」

 ――イヴオンは二人を気だるげに見やり、注意深く観察する。なんの違和感もない。だからこその不自然さを感じた。

「それじゃ」
「失礼しました」
「おー、またな」

 特にあの糸目。リュエルが何か悩んでいるようだと気づかないわけがない。だとしたら、話したくないことでもあるのか。

「リュエルに隠し事ねぇ」

 一人になった部屋でイヴオンはボヤく。あの二人のことだ。そうであるならきっと、“カムナギを目指すリュエル” のために話さないのに違いない。
 窓の向こう、リュエルが眺めていた方を見やる。丸々とした蕾をたくさんつけた木に咲いた一輪の花を捉え、イヴオンは目を細めた。


 さてさて、寮部屋へ戻ったおれは、保健室で意思を固めたのはいいものの、どう切り出すべきか迷っていた。冷静に考えると、アルシャに関することをラルジュたちが知っているのもなんだか妙だ。

(カムナギの務めに関することだから?)

 それなら、この世界に詳しい彼らなら知っていてもおかしくない。

「カムナギって、この時期何か特別な役目でもあるのか?」

 考えに考えた挙げ句、おれはレルヒに目をやった。レルヒは目を瞬く。

「はて、この時期の行事といえば春祭りですが…」

 それから、小首を傾げた。

「特別というのは、例えばどのようなものです?」
「いや、わかんねぇけど」

 おれは眉根を寄せる。レルヒの反応を見るに、別段、変わった役目はないように思われた。それならどうして、アルシャを思うと不安になるのだろう。

「リュエル…」

 落とされた声はまるで全てを把握しているようで、おれはつい、レルヒを睨み上げていた。

「知ってるのか」
「、何をです」
「アルシャのことだ!」

 どうして何も話してくれない?

「あんたも…!」

 クワッとラルジュを見上げると、相変わらずの糸目で口を開く。

「俺たちが、彼の何を知っているというんだい?」

 なに食わぬ顔が実に憎たらしい。

「だからッ」

 わからないから聞いているのに。

「リュエル、アルシャさんのことはアルシャさんに聞くべきだ」

 会えたら聞いているだろう。この頃はめっきり会えない。まるで会わないようにしているかのように。けれども、まったくの道理だったので、おれは深く息を吐いて自分を落ち着けた。

「アルシャに会いたいって伝えてくれ」

 糸目は駄目だ。レルヒの方を向く。目に力が入ってしまうのは仕方がない。

「……兄上にお話ししてみます」

 応えたレルヒは、珍しくも睫毛を伏せていた。


「おやすみなさい」
「おやすみ」

 ――ガチャリと閉まるドア。
 リュエルの部屋から出たレルヒは重たい息を吐く。ラルジュにそっと背中を押され、足を進ませた。

「成り行きに任せよう」
「……ええ」

 審判者の件について内緒にしているのは心苦しい。けれど――。

(知ってほしくない)

 レルヒはリュエルに知ってほしくなかった。知ってしまったら、リュエルはどうするだろう。これまでと変わらず、まっすぐにカムナギを目指す道を歩んでくれるだろうか。リュエルを失うことなど考えられない。ああきっと、兄カイトもそう思っただろう。
 それでもアルシャの定めは変えられない。受け入れるしかないのだ。受け入れるしか。

「……兄上」

 気づけばレルヒは一人、最上階のカイトの部屋の前にいた。ちょうど帰ってきた兄にひっしと抱きつく。

「レルヒ?」
「兄上っ」

 ただ事ではないと察したカイトは、そっと線の細い身体を抱きしめた。あやすように頭を撫でる。レルヒはいつまでも腕を緩めず、そればかりか額を押しつけるようにして強く抱きついてくる。
 このままではらちが明かない。カイトはその腕を一旦外させ、細い顎を持ち上げた。泣きそうな顔だ。揺れる菫色の瞳に目を細める。

「私の可愛いレルヒ。……何があった?」

 レルヒにこんな顔をさせるとは何事だろう。ラルジュか、リュエルか。この落とし前はしっかりつけさせてやらねばなるまい。

「部屋でゆっくり聞く」

 カイトは短くなった愛しい弟の髪を耳にかけ、露になった耳許で囁いた。そうして頼りない肩を優しく抱き、部屋へと招き入れたのだった。
 一方、オルキデ。部屋の前で佇むレルヒを発見したカイトがそちらへ向かったため、一人取り残されていた。なんとなく、アルシャの部屋へ行く。

「レルヒでも訪ねてきたのかい?」
「まぁな」

 出迎えたアルシャはサラリと言い当てる。オルキデはそれに肩をすくめて、彼の部屋に上がり込んだ。
 ソファで二人、紅茶片手にマッタリ寛ぐ。今やオルキデにとって、それはとても大切な時間になっていた。

(季節が巡らなければいいのに)

 新学期が始まって、気づけば中間試験も終わり、花の季節が来てしまった。
 ふと、アルシャが思い出したように言う。

「君が武官の道に変更したとき、ちょっと残念だなと思ったよ。気持ち良さそうに紡ぐ君を見るのが好きだった」

 オルキデが声の方を向くと、アルシャは眉を上げた。オルキデはかすかに眉根を寄せる。

「……オレはこれでよかったと思ってる」

 アルシャは、ふっと息を吐くように笑った。

「あの頃は…、僕も君も、ウタが好きって思いだけで紡いでた」

 今がとても楽しく、それだけでよかった。未来のことなどこれっぽっちも頭になくて。

「……全部が楽しかったさ。新しいウタを知るのも、芸術的な文字について学ぶのも」

 いつからだろう。その道がカムナギへと繋がっていることを意識し始めたのは。

「君は器用で、すぐに美しく書けるようになったんだ」
「あの時おまえ、むくれてたな」

 覚えたての字を二人で書きっこした。お互い上手にできて喜んだオルキデと異なり、アルシャは頬を膨らませ、ちょっと悔しそうだった。

「僕がどれだけ白い砂板とにらめっこしていたか知ったら、君は同情して思わずクッキーを差し出すだろうさ」
「そんなにかよ」

 澄ました顔でカップを傾けるアルシャに、オルキデは苦笑する。

「自信作をらくがきと間違えられる衝撃ときたら! 僕は三日間、家庭教師と口をきかなかったね」

 厳しい人で、もともとあまり好きではなかった。

『なんですかこれは。遊んでないでカムナの練習をなさい』

 心底呆れたような顔。それにどれほど傷ついたことか。アルシャの反応からようやくそこに書かれたものを理解した家庭教師は、それ以降、ちょっと優しくなったように思う。

「そういやおまえ、よく抜け出してたな」
「ああ、そんな時期もあったね」
「オレまで一緒に怒られた。そんな時にかぎってカイトはいないんだ」

 アルシャが家庭教師と勉強中だったとは知らず無邪気に遊んでいたところ、巻き添えを食ったオルキデである。ちなみに、二人は親戚関係だ。年齢が同じということで、ほんの小さな頃から一緒に遊ばせてもらっていた。

「家の造りに関しては、両親より詳しい自信があるよ」

 一時期、かくれんぼがブームだったアルシャである。もちろん、鬼は例の家庭教師。手伝いの者が多く味方になってくれたので、勝率はアルシャの方が高かった。

「今となっては、いい思い出さ」

 アルシャは澄んだ琥珀色の水面に目を落とす。

(この頃、昔のことをよく思い出す)

 審判の時のことは、早いうちから聞いていた。もしかして、カムナギになった途端に定めの時が来るかもしれない。そんな可能性も考えた。
 覚悟はできているつもりだった。

「……君にはカイトがいるし、家族もみんな覚悟はできていると思う。だから僕にはなんの気がかりもなくて、“もし” が現実になっても、スムーズにやれる自信があったんだ」

 リュエルと再会して、ここまで来てくれて、心が通じて。初めて揺らいだ。

「ねぇ、オルキ。君たちの考えた結末もいいなって、今はスゴく思う」
「アルシャ…」
「リュエルを想うと、僕は――」

 カップを持つ手に力がこもる。それは口にしてはいけない思いだ。それくらい、わかっている。

「オレは構わないけどな」

 ふと耳に届いた声。アルシャは自分を取り戻すように息を吐く。

「さすがに、そんな覚悟はないよ」

 自分の願望のために、この世界の未来を奪うなんて。

「なぁ、オレは、オレたちは、おまえが望むなら、一緒に行ってもいいんだぜ?」

 見なくてもわかる。緑の目はどこまでもまっすぐ真剣で、凛とアルシャを捉えているに違いない。
 アルシャは小さく笑う。一人で逝くのが怖いわけでも、寂しいわけでもなかった。それに、彼らにはもっと幸せな時を満喫してほしいから。

「いらないよ」

 瞳を閉じて落とされた言葉は、ひどく優しかった。
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