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第98話 『毒蜘蛛』の出現

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 気配は複数あったのに、姿を見せたのは、たった一人だけ。
 暗殺者というのが相応しい、血の臭いと黒衣をまとった死神のような男だった。

 男、と感じたのは、その肩幅の広さや胸板を衣服越しに見た結果だ。ひょっとしたら服の下に何かを仕込んでいて、性別を偽っている可能性もある。

(ま、レイルの前例もあるしな……)

 だが、男が女の振りをするならともかく、女が男の振りをするメリットは、盗賊にとって少ないように思う。なぜなら油断を誘えないから。

 ゆらりと別室の柱の陰から現れた暗殺者に、俺達はとっさに身構えた。

「えっと……その……、助けてくださって、ありがとう?」

 俺はやや疑問形で話しかけてみた。
 「ぶっは」と吹き出すような音がして、レイルが唇をひくつかせて小言を言った。

「やめてくれ。シリアスなシーンで笑わせるのは」

「いや。別に笑わせるつもりは」

 俺とレイルのコントのようなやり取りを見ていた暗殺者は、中性的な声を投げかけてきた。
 ――ルナリアに。

「ルナリア・フォージュン殿だな?」

「……え?」

 まっすぐ目元だけが露出したフード姿の暗殺者に見つめられ、ルナリアは戸惑ったように声を発した。

「ルナリア・フォージュンだな?」

 再び、先程より強い口調で暗殺者は問いかける。
 その声は問いかけのようだが、確信に満ちていた。
 明らかにルナリアを、フォージュン家の一人娘であるルナリア・フォージュンだと知っている態度だった。

「え、あ、……はい」

「――危ないところだった」

 暗殺者の何気なく呟いた一言。
 普通に捉えるなら、ルナリアの先程のピンチに対する呟きのはずだ。

(けど……なんだ、この違和感……?)

 『心眼』がまるで強風に煽られた松明のように瞬く。
 殺意ではない。

(だが、悪意は……ある?)

 微弱な反応に、俺の『心眼』は上手く働かないようだった。

(微弱な理由も、ひょっとしたら、職業的に殺気とか悪意とかを抑え込めるから――とかありそうなんだよな)

 暗殺者の力強い声がルナリアに飛んだ。

「国王陛下がお呼びです。一緒に来ていただけますね?」

 暗殺者の予想外のセリフ。
 それに俺はとっさに「何かの罠か?」と思った。

(だが、罠にしても、この状況で国王陛下だのなんだの言うか? 子供でも騙せないぞ)

 そういえば、と俺はベルトラントが嘘を見抜く能力があるのを思い出した。

「ベルトラントさん」

「…………」

「ベルトラントさん?」

「はっ――ヨシュア様……? 何か?」

 むしろこちらが「どうしたのか」と問いかけたい気分になったが、それよりも、

「あの」俺は小声になり、ベルトラントに近づいて耳打ちする。「奴の言ってることは本当ですか?」

 怪しい格好に、毒物で詐欺師集団を殲滅したような連中だ。

「えぇ……」

 どこか強張った様子だが、ベルトラントは頷いた。

「人殺しが……っ」

 クオンが低く小声で罵った。
 暗殺者は気づいたようだったが、意に介した様子はない。
 クオンにしても、先程まで詐欺師集団を殺す気満々だったように見えたのだが……。

(それにさっきの「人殺し」と罵った感じは、先程の大立ち回りのことを言っているわけじゃなさそうだし……)

 何か、この暗殺者――もしくは盗賊ギルドの暗殺部門と因縁があるのだろうか。

「国王陛下が?」

 ルナリアは一歩近づき、暗殺者に問いかけた。
 なぜ呼ばれたのかわからない、とその顔には書いてあった。

「ええ」

 暗殺者の返答は短い。

「理由をお聞かせ願えませんか?」

「理由は聞かされていない。これは正式な依頼だ」

「……お呼びとあれば、馳せ参じるのが臣下の務めです。しかし、それならば書状なり何なりで知らせることもできたのでは?」

「事情は聞かされていない。ただ、邪魔が入れば、殺せ、とだけ命じられた」

 まともじゃない。
 そう判断したのは、俺だけではない様子だった。
 ベルトラントとカエデは、膝が震え、まるで全身ががくがくと揺れているように見える酷い有り様なのに、ルナリアとクオンを庇うように前に出た。

 その怯えようは、先程の詐欺師集団を前にした時の比ではない。

 俺は素早く、彼女らの前に立った。

「どんな因縁があるのか知らないが――」

 俺は刀を静かに抜き放つ。
 その銀光が『孔雀』の『劇場』に差し込む日差しによって煌めく。

「――無理やり攫うような真似をするというのであれば、抵抗させてもらう」
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