正しい恋はどこだ?

嵯峨野広秋

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乙女は瞳をそらさない

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 昼休み。
 弁当を食べ終えると、

「ナシってなにが?」

 と児玉こだまがきいてきた。ツンツン短髪と黒ぶちメガネのモテおとこ
 どきっとする、おれ。

「おい。急になんの話だよ」

 と紺野こんのがききかえす。サラッとした髪を清潔感のある長さでキープした、どこか上品な感じの男子。実際、実家はそうとうお金持ちらしい。
 おれの席を真ん中に、児玉が右、紺野が左に立っている。おれは椅子に座ってる。

「聞いた話だけどよぉ、おまえが『ナシー! ナシー!』ってさけんでたって言ってたぞ? 下校の途中で」
「ほんとか?」と、児玉に向いていた紺野の顔がおれに向く。

 昨日のアレ、やっぱりウワサになってるみたいだ。
 いや待て待て。
 あの大声でさけんだことだけじゃ、他のヤツには意味はわからないはずだ。
 そ、そうさ。
 アセることはない。

「児玉。あれはな――」
「どうせゆうちゃんのことだべ」

 ぶっふぅぅぅー、と脳内イメージのおれが口から何かを霧状きりじょうにはきだした。
 バレとる……なんで……

(そうか! さけんだ〈相手〉か! あいつと勇がつきあってるってのは、みんな知ってるからな)

 幼なじみの勇と野球部の彼は、運動部のベストカップルとして校内でも評判だ。
 すなわち彼から勇を連想しても、なんらフシギじゃないってことだ。
 んー……。
 もはやウソをついてもしょうがない、正直にいくか。

「おっ! それ、まじかよ正‼」
「おお……」

 と、ふだん冷静な紺野まで、どこか興奮ぎみだ。
 ありのままを説明しただけなのに。

「ついにやるか! なぁ! NTRがえしだぜ!」
「えぬ……なんだそれ?」
「正は知らなくていンだよ。それよか、さっさと勇ちゃんとくっつけって! なっ?」
「バカが大声だしてる」

 ふわっ、と女子のいいにおいがした。
 児玉のとなりに、スカートのポケットに左手をつっこんだ女の子がいる。
 男子ならともかく、女子はあまりしないポーズだ。
 この子がこういうポーズをよくやるせいで、おれはスカートにもポケットがあることを知り、それが左側だけにしかないことも知った。

「はぁ? 大声だとぉ? そんなもん休み時間なんだから、みんな出してっだろーが」
「だまれカス」

 こんな感じで、彼女は口がわるい。
 ときどきこうやっておれたちの会話に入ってくるんだ。
 国府田こうださん。
 このクラスの女子のリーダー格。セミロングの髪に、ちょっと茶色がはいってる。

「それより……NTRってなによ。くわしく教えなさいよ」
「おほっ! おまえ、そういうの好きなクチだったのかよ!」

 あん? とポケットに手をつっこんだ姿勢で、ななめ下から児玉を見上げる。
 まるでヤンキーだ。

「さっき勇って言ってたの、伊良部いらぶのことでしょ。あの子、野球部とつきあってるんじゃなかったっけ?」
「それをよぉ……これから正がうばうって話よ」と、児玉はなぜかほこらしげに語る。
「正クンは、伊良部の幼なじみでしょ?」
「そうだよ」
児玉こいつの話、まじ?」

 フリーズした。
 まじ、と断言できるほど、まだ覚悟はきまっていない。
 こういう優柔不断なトコも、おれが〈中身が0点〉たるゆえんなんだろうな……。
 アイマイにだまっていると、

「私、あの子とおフロはいったことがあってさ」

 と、会話があらぬ方向にすすんだ。

「すっ~~~ごいキレーだったんだよ」
「どこが?」と、真っ先に質問したのは、この中でいちばん真面目な紺野だった。おれと児玉の視線に気づき、こほん、と白々しいセキをする。「いや会話のリズムだろ。たまたまだ、たまたま」
「そういうことにすっか」児玉は声をひそめ「で、どこが?」

 ばしん、と、両手をつかって、二人同時に頭にチョップされた。
 おれはされていない。
 が、当然、おれだって知りたい。
 国府田はひとつため息をついて、

「おかしな想像すんなよ……。キレーっていったのは、おしりだよ。ツルッツルのプリップリでさ。みとれたね。まじで感動した。あれはすごかったなー」
「どこで見たの?」と、おれが質問。
「夏の合宿。あのね、じょバスとバド部が合同だったから」
「コーちゃんよぉ、そんなこと勝手にいっていいのかよ。本人いねーのに。いくらほめ言葉っつっても、プライバシーってもんがあんじゃね?」

 児玉の頭に、またチョップが入った。かけているメガネがすこし下にずれる。
 言わせておいて何をいう、という意味でやったんだろう。

「おまえが心配せんでいい。私、伊良部とは仲いいもんね~。ガールズトークもけっこうするよ?」

 へえ、とおれがつぶやいた数秒後、
 疑惑の事件はおこった。

「信じられないよね。あれだけいい体しといて、まだバ…………」

 キラン、と児玉の目元が光った気がした。たんにレンズの反射かもしれない。

「バ」と、児玉がその重要な一文字をくりかえす。
「うう……口がすべってしまった……不覚ふかく
「いや国府田。まだ間に合うぞ」紺野がおちついた口調でいう。「バ……なんだ?」
「ま、まだバ……ドミントンがうまくないなんて……とか?」
「インターハイでてるだろ」
「う……冷静につっこまないでよ」とん、とかるく紺野の肩をおす。頭にチョップはしなかった。どうやら児玉よりは、紺野のほうに好意があるようだ。

 ――とか、ブンセキしている場合じゃない。

 勇から直接はきいてないけど、つきあって一年以上になるから、さすがにそういうことは〈してる〉と思っていた。
 でも心のどこかでは、〈してない〉でくれとも思ってた。
 だから、おれはそういう話題になっても、ふかくつっこまないようにしてたんだ。
 なんか胸からへそにかけて、体がくすぐったい。
 うれしいことがあると、よくこうなるんだ。

(うれしい?)

 その事実におどろくよ。
 ってことは、おれはやっぱり勇のことが……

「正。ちょっといいか?」

 紺野が親指の先を、廊下のほうに向けている。
 おれは立ち上がって、ついていった。
 同じくついてこようとする児玉は、手のひらでストップさせた。

「ほかでもない。妹のことなんだが」
ゆうちゃん? どうかしたのか?」

 廊下のつきあたりで立ち止まった。
 正面には白い壁しかない。

「おまえにしつこく言い寄ってるみたいだな。わるいな」
「いいよ。べつに」
「どうもな……原因は浮気らしいんだ。それもよくよく聞いたら、ただのあいつの誤解だった。男のほうがパーティーっぽいのに出たっていうだけでな。完全にシロだ。いまはヒステリックになってるけど、じきに元のサヤにおさまるはずだから……まあ、うまくかわしてやってくれ」

 わかった、とおれが言い、話は終わるものと思ったが、

「幼なじみってのは、むずかしいんだよ」

 紺野がおれの肩に手をおいた。

「正。おれはおまえのことを、最高にいいヤツだと思ってる」
「よせよ。まさか、このまま告白でもする気か?」
「きいてくれ。優たちを見ていたら、幼なじみ同士の恋愛が一筋縄じゃいかないのがよーくわかったんだ。ガキのころから知り合ってて、いざ思春期とかになって、そのままおつきあいしましょうとは、なかなかならない。ハードルがあるんだよ」
「ハードル……」
「おまえはいいヤツで、おまけに顔もいい。背も高い。なのに、なんで伊良部さんがおまえを〈選ばなかった〉と思う?」

 わからない。
 授業5分前の予鈴よれいが鳴った。

「きっとそこが重要なんだ。思い出すんだ。むかし、彼女によけいな一言とか言ってないか?」
「よけいって?」
「つきあいが長すぎて恋人として見れない、とかそんなやつだよ」
「おれ……記憶力わるいから」

 そこまでで、おれたちは教室にもどった。
 紺野は「幼なじみの恋愛はムズい」って言った。
 ハードルがあるって。
 そっから放課後になって、部活して、家に帰った。

(よけいな一言か)

 どこかで口にしたかもな。おれバカだから。
 湯舟につかったまま、もの思いにふける。
 はー、これからどうしようか。
 思いきって勇に告白するか――って、おれは彼氏もちの女子には告白しないんだよ。
 ん?
 このルール、いつから実行してるんだっけ?
 あえて勇を恋愛対象のそとにするかのような、このルール。
 これ、自分で考えたのか……

「長いぞ」

 すりガラスごしに、あいつが見える。
 いつものように白Tに黒いショーパン。

「さっさと出てくれる? こっちは部活でめっちゃ汗かいてるんだから」

 あいつは、おれに背中を向けてる。
 つまり、ガラスごしに、ぼやぁ~っと勇のおしりが確認できた。
 国府田さんに「きれい」と言わせた、おしりが。

「勇」
「なぁに? おにいちゃん」
「……それ誰の声?」
「ただのアニメごえ

 勇のおしりが、ガラスに押しつけられてる。おしり〈だけ〉がだ。

「おれたちの間の、ハードルってなんだ?」

 おしりが、すーっと下にさがっていく。
 床についた。すりガラスを背にして、座っているようだ。

「……なにそれ」
「幼なじみから恋愛関係に発展できない理由っていうか、そういうヤツ」
「そんなの、いっぱいあるよ」
「たとえば?」
「成長して格差がグーンとひらくパターンとかね。かたや学園一のスーパーイケメン君になって、かたや内気で地味な女の子のままで、みたいな」
「勇のことじゃないよな?」
「さ・て・ね」

 勇はそのまま出ていってしまった。
 おれもフロからあがり、更衣室で鏡をみる。
 ぬれた髪。
 シャープなあご回り。ひきしまった口元。ベストな形の眉毛に、りりしさも愛くるしさも合わせ持つ目。
 ため息がでるほどかっこいい。ここまでレベルが高けりゃ、べつにナルシストって言われてもいいぜ。

(……これがハードルか?)

 ふと考えた。
 もしおれがこんなにカッコよくなかったら、勇は、おれと……つきあって、とっくに一線を……あいつのバ、バージンを――
 いかん。
 いま、めっちゃなまなましい想像をしてしまった。
 下半身のほうで、ムクムクとたちあがる感覚が。

「まだいるの?」

 がちゃ、っとドアをあけて勇が入ってきた。

「……!」

 視線が下に向く。
 まずい。
 おれ、まだ服を着てないし、なにより、状態が――

(ええぃっ‼)

 おれは両手を広げた。
 もうかくしても遅いんだ。遅すぎる。
 なら堂々とすればいい。

「勇」
「……ヘンタイ‼」

 洗面器が飛んできた。
 勇がむかしから使ってるやつだ。チョコレートの色で、側面に「ゆう」と白いペンで大きく書かれている。
 みごとにヒットした。
〈どこに〉とはいわない。
 ただただ、大ダメージ。

「アンタ、おフロでなにしてたのよ、バカっ!」
「…………し、してないって、何も」
「最低!」

 紺野は正しかった。
 たしかに幼なじみはむずかしいよ。
 こんなにつきあいが長いのに、こんなふうに一瞬でキラわれるんだから。

(でも――意外と、しっかり見やがったな)

 時間にして10秒くらい。
 勇のヤツには、口がさけても言えないけど。
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