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おれのかていとおまえのかてい
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病院おくり、と聞いても世良はうろたえない。
むしろ「元気があっていいじゃねぇか」ぐらいの感想だ。
が、美玖の顔面は蒼白だった。
「弟が病院に……? どういうことよっ!」
「知らねーよ」つかみかかる世良のゴツい手を、か弱い乙女の美玖の手が弾く。「心配すんな。もう自宅にもどってるってさ。よかったな」
「よくないでしょ!」
「何か騒がしいと思ったら……めずらしい組み合わせね」
今、世良と美玖がいるのは学校の中庭の噴水前。
そこに、メガネをかけた利発そうな女子が歩いてくる。
「永次くん」と、世良(中は美玖)に話しかけた。「まさか、この子に悪さしてるんじゃないでしょうね?」
「なにを言いやがる」話しかけられていない世良(美玖の中)が、つい反応してしまった。「おまえは昔っから、そうやって決めつけでモノを言うよな」
「おまえ? 決めつけ?」そして、ギラッと彼女のメガネの奥の目が光った。「昔から……?」
美玖はいったん弟のトラブルを棚に上げて、目の前の状況に対応することにした。
彼女の頭の回転は早い。
「が、がはは。ほんとに失礼きわまりねーヤツだ。な? わかっただろ?」と、親しげにメガネの女子の肩にさわって、もう片方の手の親指で美玖の体をさす。「この女ぁ、クチのききかたがなってなくてよー。ちょっと、お説教をしてたところさ」
「たしかに、初対面の人間に『おまえ』っていうのは、あんまり良くないけど……」
だろ? と言いつつ、美玖は世良に目くばせした。
これでオッケーだと思ったのだ。あとは調子を合わせてくれればやり過ごせる。
しかし、世良は彼女の思うとおりには動かなかった。
「おヒナ」犬猫をはらうように手で〈しっしっ〉とする。「いま、取り込み中だ。あっち行ってな」
「え?」
「だから、あっちに…………」そこで世良はやっとミスに気づいた。「そっか、おれは体が」
あわてて、美玖が世良の口をおさえた。
「『おれは体に自信がある』! ねっ、そう言いたかったんでしょ……だろ? ほんと自信が鼻につくヤツだぜ。女子のくせに『おれ』とか言うし」
口をおさえていた手をひきはがす世良。
「自信だとぉ~? いや、そうじゃなくて体が入れ――」
くるっ、と細身の美玖の体を、世良の中の美玖が回転させた。
メガネの女子からは、二人の背中しかみえない。
以下、小声。
「……かくさなきゃダメでしょ!」
「あん?」
「話が大きくなって、ウワサが広まったらどーすんのよっ!」
「気にしなきゃいいだろ」
「すーるーのっ! 第一、こんな体じゃ悠馬と……」
「べつに男同士でもできなくはないぞ?」
「は、はぁ⁉ どどど、どういう誤解してんのよ! 悠馬と顔を合わせられないって言いたかったのっ!」
ちょっと、とうしろから声がかかる。
宮入雛子は、しびれを切らしていた。腕を組んで、指先をトントンとタップしている。
「仲が良さそうで何よりね。私の早合点だったのかな」
「そういうことだ、おヒナ」と、美玖は先ほどの世良が彼女をそう呼んでいたので、そう呼んだ。「い、行こうぜ、新名」
逃げるような形になっているのが、世良は釈然としない。
でもまあいいか、と美玖に背中を押されるまま、中庭を出ていく。
「ふう……先が思いやられるんだから、まったく」
「ははっ。まー気楽にいこうや」
すこし内股気味に歩く大柄な男子と、頭のうしろに両手を回してガニ股ぎみに歩く女子。
「で、さっきの人は誰?」
ああ、あいつは――と彼女のフルネームを伝える世良。
「おれのハトコなんだよ」
「ハトコ? イトコじゃなくて?」
「イトコじゃねーよ。わかりやすくいうと、おれの親父の親父の妹の娘の娘だ」
「全然わかりやすくないでしょ……それ……」
なるべく人目のない場所をさがして、二人は校舎の中を歩く。
「ちょっと。もっとはなれてよ。つきあってるように見えるじゃない」
「へいへい」
美玖の手にはスクールバッグがあったが、世良は手ぶらだった。
何も持たずに登校&下校。これが入学時以来の彼のスタイルだった。
「このへんで、いいんじゃねぇか?」
つきあたりに校長室がある廊下。静かで、まわりには誰もいない。
横に窓があって、外の空は夕焼けで真っ赤に染まっている。
「美玖。さっきも言ったが、おれはあの男への告白を成功させる。絶対にだ。そこんところは、いいな?」
「いいけど……私の体なんだから、あまりムチャしないでよね」
「体といえば――」世良は、なんでもないことのように言った。「おまえ、いい体してるよな」
一瞬で、美玖はフリーズした。
喜怒哀楽のどの感情になればいいか、わからなくなったためだ。
「細っちーけどバネがある。なんか運動部とか入ってたり……ん? 美玖、どうした?」
「……そうだ……お風呂に入ったら、みられて当然じゃん……私、お父さん以外の男の人には誰にも、みせたことがないのに……」
「どうしたんだよ、ブツブツ言って。おれがハダカみたこと、気にしてんのか?」
当たり前でしょ、と美玖が絶叫しようとした寸前、
「きゃっ!」
廊下の窓枠の下から、何者かがヌッとあらわれた。
「……」
「おー、マキじゃねぇか」
髪の色が赤い男子。長い前髪で両目がかくれていて見えない。
「この人……」美玖は昨日の河川敷でのことを思い出した。「あっ! バイクの人だ!」
「……」
「今から〈おれの体〉の配達、よろしくたのむわ」
「配達って何よ」
「美玖。あのな、男には家を出たら七人の敵がいるんだ」
「はぁ?」
「あっちこっちに、スキあらばおれにリベンジしようってヤローがいるんだよ。それとも美玖、おれのかわりにケンカしてくれるのか?」
「バカいわないで。絶対いやよ、そんなの」
「なら、帰りはこいつのバイクに乗って帰ったほうがいい。朝はともかく、夕方から不良どもは活発にうごきだすからな」
「……」
「ほれみろ。マキも、『そうしろ』って言ってるぜ?」
ん? と美玖は首をかしげた。
赤い髪の男子――名前は真木という――は、なんにもしゃべってなかったはずだ、と。
彼の声が小さすぎて、聞こえなかっただけ?
「……」
「はは。『はやく来い』ってさ。そう急かすなよ、マキちゃん」
「え? この人、なにも言ってなくない?」
世良は美玖の耳元でささやいた。
「こいつ、クチがきけねーんだ。察してやってくれ」
「えっ」
真木はふだん声を発することがない。
原因は、幼児のころの親からの虐待にある。
世良と出会ったときも無言だったが、いつのまにか二人は親友になっていた。ひとつも言葉を交わすことなくである。
「うーん、見た目ほどあぶなそうな感じじゃないから、お願いしても……」はっ、と美玖の目が見開いた。「なんでこの人、ナチュラルに私とあなたの入れ替わりを受け入れてるの!」
「朝イチで、こいつには全部話した」そして世良は胸をはって言う。「心配すんな。信頼できる男だ」
駐輪場に移動。
ヘルメットをかぶってバイクのうしろにのった美玖に声をかける。
「気をつけてな。んじゃ、たのんだぜ」
「……」こくり、と真木はうなずいた。
走り出したバイクは思ったよりも安全運転。
風景を楽しむ余裕すらあった。
(バタバタして忘れてたけど、私、フラれたんだよね…………)
ヘルメットの中で、美玖は顔をくしゃくしゃにして泣いていた。
世良は口笛を吹きながら悠々とバスに乗って、二人は問題なく帰宅できた。
(さーて)
現在ふたつある問題のひとつ。
美玖の弟のケンカの件だ。
「おう、邪魔するぜ」
レバー状のノブを動かそうとすると、がしゃっ、と抵抗があった。カギがかかっている。
「おーい、かわいいお姉ちゃんだぞー。あけてくれーぃ」
「……うるさいな。どっか行けよ」
ここで実の姉の美玖なら「うっ」と心が折れただろう。
しかし、今の美玖の中身は世良である。
弟からは見えないが、ドアごしに満面の笑みを浮かべていた。
反抗的な少年、は彼の大好物なのだ。もっと言えば、反抗的な少年の性根をたたき直すことが、である。
「意外と度胸ねーんだな」
「え?」
「姉ちゃんと顔を合わすのすらビクついてたんじゃ、そりゃケンカにも負けるぜ」
2秒後。
ドアがあいた。
(ご対面)
世良は内心ニヤニヤしながら、その弟を観察した。
身長は160後半。体重は軽め。格闘技の経験なし。体幹は弱そう――ま、わるいがワンパンで終いだな……って、ケンカするんじゃねーんだよ。
髪はうっすら茶髪にしてるが、ま、ただグレにあこがれてるだけの中坊ってトコだな。
「なんだよ急に男言葉なんか使ったりして……どういうつもりだよ」
「まーまー」と、強引に部屋に押し入る。「で、どんなケンカだったんだ? お姉ちゃんに教えてみな?」
がちゃり、と無言でカギをかける弟。
ドアのネームプレートにはひらがなで〈たいち〉とかかっていたのを世良は確認している。
弟の名前は新名太一。
美玖より年が3つ下の14才。中学二年生。
まだ学校の制服を着たままで、部屋着に着替えていなかった。
ちなみに、今の世良の格好は白Tにピンクのショートパンツ。一応、胸には水色のブラもつけている。
太一は机の前のイスにすわり、世良はフローリングに置かれた座椅子にすわった。
「だまってんなよ。おまえのターンだぜ?」
「美玖さんには関係ないだろ」
姉を「美玖さん」と呼んだことに違和感があったが、とりあえずスルーする。
先に結果をいえば、このスルーはすべきでなかった。
新名家の事情がわかってさえいれば、今みたいに世良はショートパンツであぐらをかくという行為は控えていただろう。
「まあな」ゆるふわの黒髪に手をさしいれ、ダルそうに首をもむ。「説教とかじゃなくてよ~、単純に知りたいだけなんだ。今日のおまえのケンカを」
「知りたい?」
「みたとこ、あんまケガはねーな。骨もいってねーし。なんでこれで病院おくりになったんだ?」
「……ゲーセンで……」
「男だろ。もっと大きな声でしゃべれ」
「だから、ゲーセンで高校生にカツアゲされそうになったんだよ。イヤだって断ってたら、いきなり後頭部をなぐられて」
「へー」
「あっというまに店員がきて、警察もきて、救急車も呼ばれて……ってわけだよ。これで納得しただろ」
世良は納得して、納得してなかった。
世良の目は〈ある部分〉を見逃していなかった。その変化を。
(ミョーに盛り上がってるような……)
美玖の弟の太一の体の下のほう。
イスに座っているが、ズボンのジッパーを〈ぐん〉と押す何かがあるのがわかる。
いやいや、と世良は心の中で首をふる。
きょうだいの体でコーフンするわきゃねぇ。
もしコーフンすんなら、こいつは変態だ。
少なくともおれは、ハダカの姉キをみても妹をみても、ピクリとも反応しないからな。
(あ! そうかそうか……カギかけてたり呼びかけに反応わるかったりって、そっちだったか)
世良は苦笑した。
なるほど、14かそこらといえば、男なら誰でもサルになる時期だ。
こいつもサルになってたわけだ。
邪魔をして、わるかったな。
「納得したよ。だがな、お姉ちゃんひとつだけ気になるんだ。カツアゲしたヤツって、どんなヤツだ? 知ってるヤツか?」
「知らない……でも……たぶん有名なヒトだよ」
「あ?」
「髪がアフロのヤンキー」
世良の目が険しくなった。
アフロだと?
この界隈でそんなおかしな髪型の不良は、あいつしかいねぇ。
倉敷だ。
(あいつは中坊からカツアゲするような男だったか?)
何度もケンカをした中で、多少はわかりあえたと思っていた。
そんなチンケなことはしない男だと思っていたが。
しかし世良の頭の中の不良のリストには、アフロヘアーはその男しかいない。
(まったく……)
世良はやるせない思いで、ゆっくりと立ち上がった。
(倉敷め。きょうだいがやられたケジメは、しっかりとつけさせるからな!)
決意をかためて部屋を出ていこうとするも、カギがかけられていてレバーが動かない。その刹那、
「美玖さん!」
背後から抱きつかれた。
「ぼく、我慢できない!」
「あ? わかってるよ。だから出てってやろうとしてんだろ。一人になったら好きなだけ―――」
「美玖さん!」
あたってる。
世良の臀部に、太一の勃ったモノが。
さらに、弟は姉の胸に手をまわしてきたが、
「ぐっ‼」
世良の肘うちのほうが速かった。
うずくまる太一。
「おまえ……血がつながった姉キに、何しようとしてんだ? もしかして変態か? あ?」
「つながってないよ……ぼくは、母さんの連れ子だから……」
「なんだと?」
そんな事情があったのか、と世良は美玖が抱えていた悩みを一つ知った。
知った以上、なんとかしてやらないといけない。
「美玖さん……」
「太一」世良は床にひざ立ちして、彼の両肩をつかんだ。「おれ……じゃない、私には好きな男がいる。そいつのことを思えば涙を流すぐらい好きな男なんだ」
「……うん」
「姉キの幸せを願うのが弟ってもんだろ? だから明日からは、ほかの女のケツを追え。いいな?」
世良は部屋を出た。
(女のケツか)
自分で言っておきながら、自分はそんなものを追ったことがない。
(アレがたたないおれが、誰かを好きになってもよ……)
廊下の壁にかけられた大きな鏡をみる。
そこには美玖の顔が映っている。
ニカッと笑う。いい笑顔だ。愛嬌のある女だぜ。こいつ、あの悠馬ってヤローと、幸せになれるといいな。
いっぽう、そのころ――
「ちょっ、さわるなって!」
「兄キ、もっかい、あのギンギンをみせてくれ! たのむっ!」
「くるなー‼ 変態ーっ‼」
家のリビングで中学生の妹に、美玖はケツを追い回されていた。
むしろ「元気があっていいじゃねぇか」ぐらいの感想だ。
が、美玖の顔面は蒼白だった。
「弟が病院に……? どういうことよっ!」
「知らねーよ」つかみかかる世良のゴツい手を、か弱い乙女の美玖の手が弾く。「心配すんな。もう自宅にもどってるってさ。よかったな」
「よくないでしょ!」
「何か騒がしいと思ったら……めずらしい組み合わせね」
今、世良と美玖がいるのは学校の中庭の噴水前。
そこに、メガネをかけた利発そうな女子が歩いてくる。
「永次くん」と、世良(中は美玖)に話しかけた。「まさか、この子に悪さしてるんじゃないでしょうね?」
「なにを言いやがる」話しかけられていない世良(美玖の中)が、つい反応してしまった。「おまえは昔っから、そうやって決めつけでモノを言うよな」
「おまえ? 決めつけ?」そして、ギラッと彼女のメガネの奥の目が光った。「昔から……?」
美玖はいったん弟のトラブルを棚に上げて、目の前の状況に対応することにした。
彼女の頭の回転は早い。
「が、がはは。ほんとに失礼きわまりねーヤツだ。な? わかっただろ?」と、親しげにメガネの女子の肩にさわって、もう片方の手の親指で美玖の体をさす。「この女ぁ、クチのききかたがなってなくてよー。ちょっと、お説教をしてたところさ」
「たしかに、初対面の人間に『おまえ』っていうのは、あんまり良くないけど……」
だろ? と言いつつ、美玖は世良に目くばせした。
これでオッケーだと思ったのだ。あとは調子を合わせてくれればやり過ごせる。
しかし、世良は彼女の思うとおりには動かなかった。
「おヒナ」犬猫をはらうように手で〈しっしっ〉とする。「いま、取り込み中だ。あっち行ってな」
「え?」
「だから、あっちに…………」そこで世良はやっとミスに気づいた。「そっか、おれは体が」
あわてて、美玖が世良の口をおさえた。
「『おれは体に自信がある』! ねっ、そう言いたかったんでしょ……だろ? ほんと自信が鼻につくヤツだぜ。女子のくせに『おれ』とか言うし」
口をおさえていた手をひきはがす世良。
「自信だとぉ~? いや、そうじゃなくて体が入れ――」
くるっ、と細身の美玖の体を、世良の中の美玖が回転させた。
メガネの女子からは、二人の背中しかみえない。
以下、小声。
「……かくさなきゃダメでしょ!」
「あん?」
「話が大きくなって、ウワサが広まったらどーすんのよっ!」
「気にしなきゃいいだろ」
「すーるーのっ! 第一、こんな体じゃ悠馬と……」
「べつに男同士でもできなくはないぞ?」
「は、はぁ⁉ どどど、どういう誤解してんのよ! 悠馬と顔を合わせられないって言いたかったのっ!」
ちょっと、とうしろから声がかかる。
宮入雛子は、しびれを切らしていた。腕を組んで、指先をトントンとタップしている。
「仲が良さそうで何よりね。私の早合点だったのかな」
「そういうことだ、おヒナ」と、美玖は先ほどの世良が彼女をそう呼んでいたので、そう呼んだ。「い、行こうぜ、新名」
逃げるような形になっているのが、世良は釈然としない。
でもまあいいか、と美玖に背中を押されるまま、中庭を出ていく。
「ふう……先が思いやられるんだから、まったく」
「ははっ。まー気楽にいこうや」
すこし内股気味に歩く大柄な男子と、頭のうしろに両手を回してガニ股ぎみに歩く女子。
「で、さっきの人は誰?」
ああ、あいつは――と彼女のフルネームを伝える世良。
「おれのハトコなんだよ」
「ハトコ? イトコじゃなくて?」
「イトコじゃねーよ。わかりやすくいうと、おれの親父の親父の妹の娘の娘だ」
「全然わかりやすくないでしょ……それ……」
なるべく人目のない場所をさがして、二人は校舎の中を歩く。
「ちょっと。もっとはなれてよ。つきあってるように見えるじゃない」
「へいへい」
美玖の手にはスクールバッグがあったが、世良は手ぶらだった。
何も持たずに登校&下校。これが入学時以来の彼のスタイルだった。
「このへんで、いいんじゃねぇか?」
つきあたりに校長室がある廊下。静かで、まわりには誰もいない。
横に窓があって、外の空は夕焼けで真っ赤に染まっている。
「美玖。さっきも言ったが、おれはあの男への告白を成功させる。絶対にだ。そこんところは、いいな?」
「いいけど……私の体なんだから、あまりムチャしないでよね」
「体といえば――」世良は、なんでもないことのように言った。「おまえ、いい体してるよな」
一瞬で、美玖はフリーズした。
喜怒哀楽のどの感情になればいいか、わからなくなったためだ。
「細っちーけどバネがある。なんか運動部とか入ってたり……ん? 美玖、どうした?」
「……そうだ……お風呂に入ったら、みられて当然じゃん……私、お父さん以外の男の人には誰にも、みせたことがないのに……」
「どうしたんだよ、ブツブツ言って。おれがハダカみたこと、気にしてんのか?」
当たり前でしょ、と美玖が絶叫しようとした寸前、
「きゃっ!」
廊下の窓枠の下から、何者かがヌッとあらわれた。
「……」
「おー、マキじゃねぇか」
髪の色が赤い男子。長い前髪で両目がかくれていて見えない。
「この人……」美玖は昨日の河川敷でのことを思い出した。「あっ! バイクの人だ!」
「……」
「今から〈おれの体〉の配達、よろしくたのむわ」
「配達って何よ」
「美玖。あのな、男には家を出たら七人の敵がいるんだ」
「はぁ?」
「あっちこっちに、スキあらばおれにリベンジしようってヤローがいるんだよ。それとも美玖、おれのかわりにケンカしてくれるのか?」
「バカいわないで。絶対いやよ、そんなの」
「なら、帰りはこいつのバイクに乗って帰ったほうがいい。朝はともかく、夕方から不良どもは活発にうごきだすからな」
「……」
「ほれみろ。マキも、『そうしろ』って言ってるぜ?」
ん? と美玖は首をかしげた。
赤い髪の男子――名前は真木という――は、なんにもしゃべってなかったはずだ、と。
彼の声が小さすぎて、聞こえなかっただけ?
「……」
「はは。『はやく来い』ってさ。そう急かすなよ、マキちゃん」
「え? この人、なにも言ってなくない?」
世良は美玖の耳元でささやいた。
「こいつ、クチがきけねーんだ。察してやってくれ」
「えっ」
真木はふだん声を発することがない。
原因は、幼児のころの親からの虐待にある。
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「うーん、見た目ほどあぶなそうな感じじゃないから、お願いしても……」はっ、と美玖の目が見開いた。「なんでこの人、ナチュラルに私とあなたの入れ替わりを受け入れてるの!」
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「気をつけてな。んじゃ、たのんだぜ」
「……」こくり、と真木はうなずいた。
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弟からは見えないが、ドアごしに満面の笑みを浮かべていた。
反抗的な少年、は彼の大好物なのだ。もっと言えば、反抗的な少年の性根をたたき直すことが、である。
「意外と度胸ねーんだな」
「え?」
「姉ちゃんと顔を合わすのすらビクついてたんじゃ、そりゃケンカにも負けるぜ」
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身長は160後半。体重は軽め。格闘技の経験なし。体幹は弱そう――ま、わるいがワンパンで終いだな……って、ケンカするんじゃねーんだよ。
髪はうっすら茶髪にしてるが、ま、ただグレにあこがれてるだけの中坊ってトコだな。
「なんだよ急に男言葉なんか使ったりして……どういうつもりだよ」
「まーまー」と、強引に部屋に押し入る。「で、どんなケンカだったんだ? お姉ちゃんに教えてみな?」
がちゃり、と無言でカギをかける弟。
ドアのネームプレートにはひらがなで〈たいち〉とかかっていたのを世良は確認している。
弟の名前は新名太一。
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ちなみに、今の世良の格好は白Tにピンクのショートパンツ。一応、胸には水色のブラもつけている。
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「だまってんなよ。おまえのターンだぜ?」
「美玖さんには関係ないだろ」
姉を「美玖さん」と呼んだことに違和感があったが、とりあえずスルーする。
先に結果をいえば、このスルーはすべきでなかった。
新名家の事情がわかってさえいれば、今みたいに世良はショートパンツであぐらをかくという行為は控えていただろう。
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「知りたい?」
「みたとこ、あんまケガはねーな。骨もいってねーし。なんでこれで病院おくりになったんだ?」
「……ゲーセンで……」
「男だろ。もっと大きな声でしゃべれ」
「だから、ゲーセンで高校生にカツアゲされそうになったんだよ。イヤだって断ってたら、いきなり後頭部をなぐられて」
「へー」
「あっというまに店員がきて、警察もきて、救急車も呼ばれて……ってわけだよ。これで納得しただろ」
世良は納得して、納得してなかった。
世良の目は〈ある部分〉を見逃していなかった。その変化を。
(ミョーに盛り上がってるような……)
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いやいや、と世良は心の中で首をふる。
きょうだいの体でコーフンするわきゃねぇ。
もしコーフンすんなら、こいつは変態だ。
少なくともおれは、ハダカの姉キをみても妹をみても、ピクリとも反応しないからな。
(あ! そうかそうか……カギかけてたり呼びかけに反応わるかったりって、そっちだったか)
世良は苦笑した。
なるほど、14かそこらといえば、男なら誰でもサルになる時期だ。
こいつもサルになってたわけだ。
邪魔をして、わるかったな。
「納得したよ。だがな、お姉ちゃんひとつだけ気になるんだ。カツアゲしたヤツって、どんなヤツだ? 知ってるヤツか?」
「知らない……でも……たぶん有名なヒトだよ」
「あ?」
「髪がアフロのヤンキー」
世良の目が険しくなった。
アフロだと?
この界隈でそんなおかしな髪型の不良は、あいつしかいねぇ。
倉敷だ。
(あいつは中坊からカツアゲするような男だったか?)
何度もケンカをした中で、多少はわかりあえたと思っていた。
そんなチンケなことはしない男だと思っていたが。
しかし世良の頭の中の不良のリストには、アフロヘアーはその男しかいない。
(まったく……)
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(倉敷め。きょうだいがやられたケジメは、しっかりとつけさせるからな!)
決意をかためて部屋を出ていこうとするも、カギがかけられていてレバーが動かない。その刹那、
「美玖さん!」
背後から抱きつかれた。
「ぼく、我慢できない!」
「あ? わかってるよ。だから出てってやろうとしてんだろ。一人になったら好きなだけ―――」
「美玖さん!」
あたってる。
世良の臀部に、太一の勃ったモノが。
さらに、弟は姉の胸に手をまわしてきたが、
「ぐっ‼」
世良の肘うちのほうが速かった。
うずくまる太一。
「おまえ……血がつながった姉キに、何しようとしてんだ? もしかして変態か? あ?」
「つながってないよ……ぼくは、母さんの連れ子だから……」
「なんだと?」
そんな事情があったのか、と世良は美玖が抱えていた悩みを一つ知った。
知った以上、なんとかしてやらないといけない。
「美玖さん……」
「太一」世良は床にひざ立ちして、彼の両肩をつかんだ。「おれ……じゃない、私には好きな男がいる。そいつのことを思えば涙を流すぐらい好きな男なんだ」
「……うん」
「姉キの幸せを願うのが弟ってもんだろ? だから明日からは、ほかの女のケツを追え。いいな?」
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(女のケツか)
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いっぽう、そのころ――
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それでも構わず、恋人となった二人は今まで出来なかった事を少しずつ取り戻していく。
他愛の無い会話や一緒にお弁当を食べたり、宿題をしたり、ゲームで遊び、デートをして互いが好きだという事を改めて自覚していく。
存分にイチャイチャし、時には異性と意識して葛藤する事もあった。
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