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ふたりのくちがくっつくまえに
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夜中に突然、生理がきた。
それがはじまる30分前にフトンの中で目がさめたとき、
(くる)
と、世良は人生初経験ながら、持ち前のカンのよさで察知できた。
あとは、あわてない。
部屋にあった美玖の生理用品をパッととってトイレにスッといって、おりてきたものをサッと処理するのみ。
とても〈男〉とは思えない、洗練された動きだった。
これは、世良が三姉妹とともに育ったということが大きいだろう。
長女、次女がその前後でどういう状態になるのかを見てきたし、一番下の妹の初潮のときはたまたま家にいるのが自分だけだったので、世良みずからが品物をあつかって妹をたすけたりもした。
(ふぃーっ)
トイレのドアをあけると、すぐそばに人の気配。
「……美玖さん」
「おまえか」
「大丈夫ですか? おなか、こわしたとかですか?」
「そんなんじゃねぇ」世良はフッと笑った。「わるいな。物音をたてたから、起こしちまったんだろ?」
「それもあるけど」
ブルーのパジャマ姿の美玖の弟、太一が手をうしろで結んで、もじもじしている。
「なんだよ」
と、世良は便器にすわりこんで大股をひらき、弟にきく。なお当然ながら、ピンクのパジャマのズボンは腰のところまでしっかりとあげていて、無防備ではない。
「あ、あのさ、ぼくが頭を殴られたことだけど……」
「おう。それについては絶賛追跡中――」
「やめて、ほしいんだ」
「あん?」
太一が廊下に正座ですわる。
そこまでかしこまらなくてもいいじゃねぇか、と思ったが、
(おれに言いたいことがあるんだな)
真剣な目をしていたので、そのまま話をきくことにした。
「美玖さん……わるい連中に狙われてますよ」
「上等」
一瞬、世良の好戦的な目つきに〈姉ではない何か〉を感じ取って、太一は背筋が寒くなった。
「わるい連中ってのは誰だ?」
「あの……いろんな中学や高校の不良があつまったグループがあって」
「はっ。弱いヤツほど、よく群れやがるぜ」
「そいつらの間で、美玖さんの画像が回ってるらしいんだ」
よっ、と世良は立ち上がった。
そして、弟の頭をポンポンとさわる。
「気にすんな。おまえの姉ちゃんは強い。はっきり言って無敵だ」
「えっ」
「だから、おまえはおまえの心配だけしとけ。くれぐれもワルには近づくなよ。わかったな?」
世良がそんなアドバイスをしなくても、もう太一は不良たちとつきあう気はなかった。
すこし茶色だった髪も、今ではすっかり真っ黒にもどしている。
「うん。わかったよ」
「よし」
「あ。それと……」
「まだあんのかよ」
背中を向けていた世良がふりかえる。
「ぼく、彼女ができたんだ。だから、もう美玖さんに前みたいなことは絶対にしないから……」
「そうだな」世良はニヤリとくちびるを曲げた。「それが健全なきょうだいってモンだ」
かかっ、と笑って世良は弟と肩を組んだ。
そして自分の部屋のベッドに寝転んで、考える。
(……ここ数日のイヤな視線の正体はそれだったか。きっと、モカといたときに声をかけてきた野郎がらみだな。あーあ、めんどくせーなー…………)
朝になって、昼になった。
ほぅ、とあくびがでる。美玖は中庭を散歩していた。
「ねえ」
大口をあけたまま、声がしたほうに向く。
そこには、メガネの優等生の宮入がいた。
彼女のセミロングのつややかな髪に、午後の陽射しが反射している。
「永次くん、最近おとなしいようだけど」
「いや、おれはもともとこうじゃねぇか。おヒナよ」
天才的。
自分でもホレボレするような、新名美玖から世良永次へのスイッチの切り替えだった。
すばやすぎ。
イッツ、エクセレント。
「ん?」
「え?」
「ヘンな手つきね……まるで長い髪をさらっと手櫛で流したような……永次くんって髪を長くしたい願望でもあるの?」
「が、がはは、耳のうしろがカユかっただけよ」
「顔のつくりはいいのよね~」おヒナこと宮入が背伸びしてぐーっと顔を接近させる。「母親似だからロングもわるくないかも」
「よせやい」
とん、と宮入があげたカカトを地面におとす。
「やっぱり、おかしい」
「なっ、なにが?」
「言葉づかいよ。なんだか微妙に永次くんらしくない」宮入はメガネの横の端にそろえた指先をあてる。「そういえば、最近、急に仲良くなった女の子がいたよね。二年生の、ほら、ふわっとした髪のきれいな女の子」
ききたい。
その〈きれい〉は〈髪〉なのか〈女の子〉なのか、どっち⁉ と。
だがそれどころではない。
ものすごくピンチの予感がしている。
「『ありえねーぜ』って言われるかもしれないけど、もしかして……あなたたちって体が入れ替わってるんじゃないの?」
ありえねーぜ!!!
洞察力えぐ……この人ったら見た目どおりでキレキレの名探偵キャラだ。
待って。
もうマキって人にはバレてるんだし、いっそこの人にもほんとのことをいって、いろいろと援助してもらったほうがよくない?
「まさか、だけどね」
斜め下を向いて、うふふ、と微笑しているその表情。
(いやダメよ……この先輩って真面目だから)
きっと筋道はこう。
・学校の先生に報告する(だって、男子の中に女子が、女子の中に男子がいるわけだから)
↓
・学校から親に連絡する
↓
・周囲にバレる
↓
・マスコミがやってくる
↓
・研究所的なところにつれていかれる
↓
・電気ショックをためしてみましょうとかいわれる
↓
💀💀 DEATH 💀💀
(ひ~~~~~~っ!)
やばすぎ。
死んじゃう。
死なないにしても、今後の人生がハードモードになるのはほぼ確。
だったら、この秘密は―――ぜったいにバレちゃ、いけないのっ!
「頭痛? どうしたの? 急に両手で頭をおさえたりして……」
「お、おう……」思い出せ。世良永次を。彼が、どういう言葉を好んでつかっていたかを。「おヒナ。おまえは昔からそうだなぁ。思いこみがはげしいっつーか」
「はぁ?」
「おまえがな、あまりにもお花畑なことを口走ったから、頭が痛くなったってワケだよ」
「あら。言うじゃない」
そこで宮入は左手の腕時計をみた。
「捨て置けないけど反論はまた今度ね。次の授業、体育だから。じゃあね」
手をふってきたが応じず、美玖は不敵な笑みを口元に浮かべるだけ。
それが世良のキャラだと思ったからだ。
事実をいえば、その読みはちがっていた。ふだんの世良ならこういうとき、ふつうに「おう」とか「じゃあな」と言う。
(なによ返事もせずに――でも、ちょっとカッコいいじゃない)
きゅん。
世良のあずかり知らないところで、またひとつ宮入の彼に対する好感度が上がった。
その一方、美玖の経験値も上がった。またひとつ世良という男に近づいた。
やれやれ、とベンチに座る。
すると、
「しよーよぉ」
と甘えるような声。
となりのベンチからだ。
「やめろって」
「ほら、ちゅぅーーー」
美玖(体は世良)は、すぐに目がクギづけになった。
大好きな悠馬がいる。
で、密着させるように横にすわっているのは――
「んもう、逃げないでよォ」
男子人気の高い女子。
ゴリ押しで悠馬をオとそうとしている(美玖にはそう見える)、バストEカップのギャル系。
あごを上げてくちびるをつきだして、片手は彼のひざにおいて、片手は彼の肩において、強引に迫りまくっている。
(悠馬っ! そんな子の色仕掛けなんかに負けないで!)
にぎりこぶしをつくって、心の中で応援する美玖。
そこで「わぁ」と奇妙な歓声があがった。
中庭には校舎の一階から四階までの窓が面していて、それぞれの階にそこそこのギャラリーがいた。お目当ては当然、イケメン男子の悠馬である。
くやしさ半分好奇心半分で悠馬を見守っていた女子たちが、いっせいに声をあげたのだ。
「あん」
「ヘンな声だすんじゃねー。手ぇひいただけだろ」
世良が、悠馬のベンチの前にいた。
理由はわからないが、髪をポニーテールにしている。結び目には赤いリボン。一糸のみだれもないきれいなセットだった。私がやるより上手じゃない、と美玖はおどろきをかくせない。
つまかれていた手を、ばっ、と不愉快な顔でふりはらって、
「いったーい。なーに、あなたぁ」
「わるいな。こいつはおれのエモノだ。あきらめてくれや」
ギン! とおそろしいほどの殺気をこめた目で、ギャル系の女子をにらんだ。
同じく悠馬を狙う女子たちをひそかに蹴落としてきた彼女だったが、このときばかりは
(相手がわるい)
と秒で悟った。
あはは……と愛想笑いしながら去ってゆく。
どす、と大股でベンチに腰をおろす世良。
「なあ悠馬。おまえ、あの女のこと、好きなんか?」
「えっ? なんだよ美玖……いきなりあらわれたかと思ったら……」
「好きかってきいてんだよ」
「べつに……あいつが、どうしてもっていったからさ」
「ふーん」
悠馬のサラサラの髪が、そよ風でゆれた。
月並みな表現だが、まるで俳優のようなととのったフェイス。
やっぱかっこいい……と、この瞬間、美玖も彼にみとれていた。
世良は納得しつつも、納得できない。
(美玖ってのは、顔だけで男をみるような女なのかよ)
悠馬の良さがわからない。
男ってのは漢であるべきだ。それが最低条件だ。漢は女に惑わされない。好きでもない女と、ベンチでベタベタしたりしない。
「おれはおまえが嫌いだよ」
目をみつめながら、はっきりとそう告げた。
「嫌いじゃない‼」
ベンチから起立しながら大声でさけんだ美玖。
ギャラリーは、このカオスについていけなかった。
なんの前ぶれもなく、唐突に学校一の不良が、意味不明のひとりごとを言った――見守っている彼女たちにはそうとしか受け取れなかった。
「きけよ」
世良が美玖(もちろん世良の体)に向かって言った。
「おまえには、もっとふさわしい男がいるはずだ」
「バカ! バカバカ! アンタ知らないでしょ! 私がどれだけ悠馬のことが好きかっっっ‼」
悠馬の頭脳はホワイトアウトしていた。
現実逃避したといってもいい。
せっかく、ハートマークの高架下での出来事を忘れかけていたのに……と悠馬はうすれゆく意識で考える。
「わるいが……おれはこの野郎を好きになれねぇ。今日、ムリヤリにでもくちびるを奪いとって、美玖のモノにしてやろうと思っていたんだが、その気が失せた」
「そんな!」
美玖は怒りで我を失っていた。
それもそうだ。自分の体に入っている世良が「嫌いだ」という逆告白をしてしまったのだから。最愛の幼なじみの彼に。
「いくじなし! ムリでもいいからキスしてよっ!」
「できねー」世良は首をふる。ポニテの先も連動して左右にふられる。「ミが入らねーよ。このケンカは、なかったことにしてくれ」
「おい、美玖……」
立ち去ろうとする世良を、悠馬は呼び止めた。
反射的に伸ばした手で、彼女のスカートをつかんだ。
「悠馬よ。もちっと漢をみがいて、出直しな」
フッた。
あきらかにフッた。
美玖(中身は世良)が悠馬を……。
ここから先はスローモーション。
スカートの手をたたき落として、背中を向けた世良。
追おうと、たちあがる悠馬。
それを追おうと、寄っていく美玖。
近くのイチョウから落ちる一枚の葉っぱ。
世良の肩に手をおく悠馬。
悠馬の肩に手をおく美玖。
空中をただよう葉っぱ。
力ずくでこっちを向かせる美玖。おびえた表情の悠馬。その表情に、思いっきり母性本能をくすぐられた美玖。
「悠馬……私……どんなことがあっても、私は――」
接近する両者の口。
接触する二人の口。
言葉をうしなうギャラリー。
接地する葉っぱ。
こんなことしてごめんなさい、と美玖はそーっと目をあける。
「悠馬」
「…………悠馬じゃ……ねーよ」
目の前には、女の子がいた。
ずっと鏡でみてきた、かわいいかわいい、自分の顔が。
美玖のキスの相手は、美玖だった。
そんなはずは……と困惑する。
世良が目にもとまらぬ早業で、体の位置を入れ替えたのだ。
自分を男とキスさせないために。
数秒おくれて、美玖は顔が真っ赤になった。
猛ダッシュで、ポニーテールの自分の目の前から逃げる。
そして男子トイレにいった。
自分の口を洗うために。
(この人と、私が)
鏡をみた。
そこには自分でも悠馬でもない、ただの不良が映っていた。
「おまえには、もっとふさわしい男がいるはずだ」
美玖はセンサーの位置に手をもっていって、水をだそうとする。
(なによ……「おまえ」とか、なれなれしく言って……)
ずいぶん迷ったが、美玖はその手をとめて口を洗わず、そのまま男子トイレをあとにした。
彼女がこのとき迷った理由の正体は、もっとあとで判明することになるだろう。
それがはじまる30分前にフトンの中で目がさめたとき、
(くる)
と、世良は人生初経験ながら、持ち前のカンのよさで察知できた。
あとは、あわてない。
部屋にあった美玖の生理用品をパッととってトイレにスッといって、おりてきたものをサッと処理するのみ。
とても〈男〉とは思えない、洗練された動きだった。
これは、世良が三姉妹とともに育ったということが大きいだろう。
長女、次女がその前後でどういう状態になるのかを見てきたし、一番下の妹の初潮のときはたまたま家にいるのが自分だけだったので、世良みずからが品物をあつかって妹をたすけたりもした。
(ふぃーっ)
トイレのドアをあけると、すぐそばに人の気配。
「……美玖さん」
「おまえか」
「大丈夫ですか? おなか、こわしたとかですか?」
「そんなんじゃねぇ」世良はフッと笑った。「わるいな。物音をたてたから、起こしちまったんだろ?」
「それもあるけど」
ブルーのパジャマ姿の美玖の弟、太一が手をうしろで結んで、もじもじしている。
「なんだよ」
と、世良は便器にすわりこんで大股をひらき、弟にきく。なお当然ながら、ピンクのパジャマのズボンは腰のところまでしっかりとあげていて、無防備ではない。
「あ、あのさ、ぼくが頭を殴られたことだけど……」
「おう。それについては絶賛追跡中――」
「やめて、ほしいんだ」
「あん?」
太一が廊下に正座ですわる。
そこまでかしこまらなくてもいいじゃねぇか、と思ったが、
(おれに言いたいことがあるんだな)
真剣な目をしていたので、そのまま話をきくことにした。
「美玖さん……わるい連中に狙われてますよ」
「上等」
一瞬、世良の好戦的な目つきに〈姉ではない何か〉を感じ取って、太一は背筋が寒くなった。
「わるい連中ってのは誰だ?」
「あの……いろんな中学や高校の不良があつまったグループがあって」
「はっ。弱いヤツほど、よく群れやがるぜ」
「そいつらの間で、美玖さんの画像が回ってるらしいんだ」
よっ、と世良は立ち上がった。
そして、弟の頭をポンポンとさわる。
「気にすんな。おまえの姉ちゃんは強い。はっきり言って無敵だ」
「えっ」
「だから、おまえはおまえの心配だけしとけ。くれぐれもワルには近づくなよ。わかったな?」
世良がそんなアドバイスをしなくても、もう太一は不良たちとつきあう気はなかった。
すこし茶色だった髪も、今ではすっかり真っ黒にもどしている。
「うん。わかったよ」
「よし」
「あ。それと……」
「まだあんのかよ」
背中を向けていた世良がふりかえる。
「ぼく、彼女ができたんだ。だから、もう美玖さんに前みたいなことは絶対にしないから……」
「そうだな」世良はニヤリとくちびるを曲げた。「それが健全なきょうだいってモンだ」
かかっ、と笑って世良は弟と肩を組んだ。
そして自分の部屋のベッドに寝転んで、考える。
(……ここ数日のイヤな視線の正体はそれだったか。きっと、モカといたときに声をかけてきた野郎がらみだな。あーあ、めんどくせーなー…………)
朝になって、昼になった。
ほぅ、とあくびがでる。美玖は中庭を散歩していた。
「ねえ」
大口をあけたまま、声がしたほうに向く。
そこには、メガネの優等生の宮入がいた。
彼女のセミロングのつややかな髪に、午後の陽射しが反射している。
「永次くん、最近おとなしいようだけど」
「いや、おれはもともとこうじゃねぇか。おヒナよ」
天才的。
自分でもホレボレするような、新名美玖から世良永次へのスイッチの切り替えだった。
すばやすぎ。
イッツ、エクセレント。
「ん?」
「え?」
「ヘンな手つきね……まるで長い髪をさらっと手櫛で流したような……永次くんって髪を長くしたい願望でもあるの?」
「が、がはは、耳のうしろがカユかっただけよ」
「顔のつくりはいいのよね~」おヒナこと宮入が背伸びしてぐーっと顔を接近させる。「母親似だからロングもわるくないかも」
「よせやい」
とん、と宮入があげたカカトを地面におとす。
「やっぱり、おかしい」
「なっ、なにが?」
「言葉づかいよ。なんだか微妙に永次くんらしくない」宮入はメガネの横の端にそろえた指先をあてる。「そういえば、最近、急に仲良くなった女の子がいたよね。二年生の、ほら、ふわっとした髪のきれいな女の子」
ききたい。
その〈きれい〉は〈髪〉なのか〈女の子〉なのか、どっち⁉ と。
だがそれどころではない。
ものすごくピンチの予感がしている。
「『ありえねーぜ』って言われるかもしれないけど、もしかして……あなたたちって体が入れ替わってるんじゃないの?」
ありえねーぜ!!!
洞察力えぐ……この人ったら見た目どおりでキレキレの名探偵キャラだ。
待って。
もうマキって人にはバレてるんだし、いっそこの人にもほんとのことをいって、いろいろと援助してもらったほうがよくない?
「まさか、だけどね」
斜め下を向いて、うふふ、と微笑しているその表情。
(いやダメよ……この先輩って真面目だから)
きっと筋道はこう。
・学校の先生に報告する(だって、男子の中に女子が、女子の中に男子がいるわけだから)
↓
・学校から親に連絡する
↓
・周囲にバレる
↓
・マスコミがやってくる
↓
・研究所的なところにつれていかれる
↓
・電気ショックをためしてみましょうとかいわれる
↓
💀💀 DEATH 💀💀
(ひ~~~~~~っ!)
やばすぎ。
死んじゃう。
死なないにしても、今後の人生がハードモードになるのはほぼ確。
だったら、この秘密は―――ぜったいにバレちゃ、いけないのっ!
「頭痛? どうしたの? 急に両手で頭をおさえたりして……」
「お、おう……」思い出せ。世良永次を。彼が、どういう言葉を好んでつかっていたかを。「おヒナ。おまえは昔からそうだなぁ。思いこみがはげしいっつーか」
「はぁ?」
「おまえがな、あまりにもお花畑なことを口走ったから、頭が痛くなったってワケだよ」
「あら。言うじゃない」
そこで宮入は左手の腕時計をみた。
「捨て置けないけど反論はまた今度ね。次の授業、体育だから。じゃあね」
手をふってきたが応じず、美玖は不敵な笑みを口元に浮かべるだけ。
それが世良のキャラだと思ったからだ。
事実をいえば、その読みはちがっていた。ふだんの世良ならこういうとき、ふつうに「おう」とか「じゃあな」と言う。
(なによ返事もせずに――でも、ちょっとカッコいいじゃない)
きゅん。
世良のあずかり知らないところで、またひとつ宮入の彼に対する好感度が上がった。
その一方、美玖の経験値も上がった。またひとつ世良という男に近づいた。
やれやれ、とベンチに座る。
すると、
「しよーよぉ」
と甘えるような声。
となりのベンチからだ。
「やめろって」
「ほら、ちゅぅーーー」
美玖(体は世良)は、すぐに目がクギづけになった。
大好きな悠馬がいる。
で、密着させるように横にすわっているのは――
「んもう、逃げないでよォ」
男子人気の高い女子。
ゴリ押しで悠馬をオとそうとしている(美玖にはそう見える)、バストEカップのギャル系。
あごを上げてくちびるをつきだして、片手は彼のひざにおいて、片手は彼の肩において、強引に迫りまくっている。
(悠馬っ! そんな子の色仕掛けなんかに負けないで!)
にぎりこぶしをつくって、心の中で応援する美玖。
そこで「わぁ」と奇妙な歓声があがった。
中庭には校舎の一階から四階までの窓が面していて、それぞれの階にそこそこのギャラリーがいた。お目当ては当然、イケメン男子の悠馬である。
くやしさ半分好奇心半分で悠馬を見守っていた女子たちが、いっせいに声をあげたのだ。
「あん」
「ヘンな声だすんじゃねー。手ぇひいただけだろ」
世良が、悠馬のベンチの前にいた。
理由はわからないが、髪をポニーテールにしている。結び目には赤いリボン。一糸のみだれもないきれいなセットだった。私がやるより上手じゃない、と美玖はおどろきをかくせない。
つまかれていた手を、ばっ、と不愉快な顔でふりはらって、
「いったーい。なーに、あなたぁ」
「わるいな。こいつはおれのエモノだ。あきらめてくれや」
ギン! とおそろしいほどの殺気をこめた目で、ギャル系の女子をにらんだ。
同じく悠馬を狙う女子たちをひそかに蹴落としてきた彼女だったが、このときばかりは
(相手がわるい)
と秒で悟った。
あはは……と愛想笑いしながら去ってゆく。
どす、と大股でベンチに腰をおろす世良。
「なあ悠馬。おまえ、あの女のこと、好きなんか?」
「えっ? なんだよ美玖……いきなりあらわれたかと思ったら……」
「好きかってきいてんだよ」
「べつに……あいつが、どうしてもっていったからさ」
「ふーん」
悠馬のサラサラの髪が、そよ風でゆれた。
月並みな表現だが、まるで俳優のようなととのったフェイス。
やっぱかっこいい……と、この瞬間、美玖も彼にみとれていた。
世良は納得しつつも、納得できない。
(美玖ってのは、顔だけで男をみるような女なのかよ)
悠馬の良さがわからない。
男ってのは漢であるべきだ。それが最低条件だ。漢は女に惑わされない。好きでもない女と、ベンチでベタベタしたりしない。
「おれはおまえが嫌いだよ」
目をみつめながら、はっきりとそう告げた。
「嫌いじゃない‼」
ベンチから起立しながら大声でさけんだ美玖。
ギャラリーは、このカオスについていけなかった。
なんの前ぶれもなく、唐突に学校一の不良が、意味不明のひとりごとを言った――見守っている彼女たちにはそうとしか受け取れなかった。
「きけよ」
世良が美玖(もちろん世良の体)に向かって言った。
「おまえには、もっとふさわしい男がいるはずだ」
「バカ! バカバカ! アンタ知らないでしょ! 私がどれだけ悠馬のことが好きかっっっ‼」
悠馬の頭脳はホワイトアウトしていた。
現実逃避したといってもいい。
せっかく、ハートマークの高架下での出来事を忘れかけていたのに……と悠馬はうすれゆく意識で考える。
「わるいが……おれはこの野郎を好きになれねぇ。今日、ムリヤリにでもくちびるを奪いとって、美玖のモノにしてやろうと思っていたんだが、その気が失せた」
「そんな!」
美玖は怒りで我を失っていた。
それもそうだ。自分の体に入っている世良が「嫌いだ」という逆告白をしてしまったのだから。最愛の幼なじみの彼に。
「いくじなし! ムリでもいいからキスしてよっ!」
「できねー」世良は首をふる。ポニテの先も連動して左右にふられる。「ミが入らねーよ。このケンカは、なかったことにしてくれ」
「おい、美玖……」
立ち去ろうとする世良を、悠馬は呼び止めた。
反射的に伸ばした手で、彼女のスカートをつかんだ。
「悠馬よ。もちっと漢をみがいて、出直しな」
フッた。
あきらかにフッた。
美玖(中身は世良)が悠馬を……。
ここから先はスローモーション。
スカートの手をたたき落として、背中を向けた世良。
追おうと、たちあがる悠馬。
それを追おうと、寄っていく美玖。
近くのイチョウから落ちる一枚の葉っぱ。
世良の肩に手をおく悠馬。
悠馬の肩に手をおく美玖。
空中をただよう葉っぱ。
力ずくでこっちを向かせる美玖。おびえた表情の悠馬。その表情に、思いっきり母性本能をくすぐられた美玖。
「悠馬……私……どんなことがあっても、私は――」
接近する両者の口。
接触する二人の口。
言葉をうしなうギャラリー。
接地する葉っぱ。
こんなことしてごめんなさい、と美玖はそーっと目をあける。
「悠馬」
「…………悠馬じゃ……ねーよ」
目の前には、女の子がいた。
ずっと鏡でみてきた、かわいいかわいい、自分の顔が。
美玖のキスの相手は、美玖だった。
そんなはずは……と困惑する。
世良が目にもとまらぬ早業で、体の位置を入れ替えたのだ。
自分を男とキスさせないために。
数秒おくれて、美玖は顔が真っ赤になった。
猛ダッシュで、ポニーテールの自分の目の前から逃げる。
そして男子トイレにいった。
自分の口を洗うために。
(この人と、私が)
鏡をみた。
そこには自分でも悠馬でもない、ただの不良が映っていた。
「おまえには、もっとふさわしい男がいるはずだ」
美玖はセンサーの位置に手をもっていって、水をだそうとする。
(なによ……「おまえ」とか、なれなれしく言って……)
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