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「おい、黒夜……」
「ちょっと待ってろ」
 白坂が声を掛けた時、阿知波は三人目を締め上げている最中だった。わずかに苦しそうな声が聞こえてくる。
 そして、さらに聞こえたのは、嫌になるほど何度も聞いた台詞だった。
 「あ、あなたが指示したのでは……? 望月を潰せと……」
「誰が言った?」
「舞が……あなたの恋人が……ぐ……!」
 舞という言葉を聞いた瞬間、男の鳩尾に蹴りが入った。男は目を見開いて痛みに悶えている。うずくまったその身体を蹴飛ばし、踏みつけながら阿知波が言った。
「そのさあ、舞って何?」
「う゛……?」
「勝手に俺の恋人とかふざけた事言ってるみてえだけど、舞ってどこのどいつだ? それに俺は何も指示してねえ」
 男は聞こえた言葉の意味が分からず、何度も阿知波と仲間を交互に見ている。
「早く言えよ。舞ってのはどこから来た? なぜ望月を狙う?」
 蹴られた場所をもう一度踏みつけられ、痛みに耐えながら男が言葉を絞り出した。
「ま、舞は、突然俺達の前に現れて……望月が阿知波さんの女を騙っているから、阿知波さんが困ってるって……だから望月を潰すのに協力しろと……自分も迷惑してるって……本当に、あなたの恋人では無いのですか……?」
「……蒼ちゃんが、自分で俺の女だと言ってた……?」
「阿知波さん……?」
 なぜか力を緩めた阿知波だったが、男の声に頭を振ると、再び足に力を入れた。
「あ゛……!」
「舞は俺の恋人じゃねえ。なぜ信じた? BLACKの奴じゃねえだろ?」
「それが……舞は阿知波さんのプライベートの事まで知っていたんです。何が好きで何が嫌いとか、自分に何て言ってくれたとか、そばにいなきゃ分からねえような事まで……それに、BLUEの事も詳しくて。だから、全部阿知波さんに聞いたものだと……」
「なんだそれ……知らねえぞ……気持ち悪……」
 男の上から足をどかし、阿知波は自分の腕をさすっている。身に覚えのない行動に加え、知らないうちに自分が見られ、調べられていた事実に何とも言えない気持ち悪さを覚えたようだった。
「黒夜」
 すると、ずっと見守っていた白坂が再び声を掛けた。
「あ? いたのか白坂」
「ああ、ちょうど聞き出せそうだったから待ってた。蒼ちゃんが話があるってさ」
「蒼ちゃんが?」
 阿知波がこちらを見るなり顔色を変えた。蒼の涙に気付いたらしい。慌てて顔を背けたが、すぐに蒼のそばにやって来た。
「蒼ちゃん! どうしたの? 大丈夫? 痛いの?」
「……」
 俯いたまま黙る蒼に何かを感じたのか、目の前で白坂に聞き始めた。
「おい……何で蒼ちゃんが泣いてんだ」
「悪い。ちょっと言い過ぎたかも」
 いつものように無表情で謝る白坂に、阿知波は呆れているようだった。
「てめえ……何を言った?」
「お前がどんだけ蒼ちゃんにハマって変わったかを」
「例えば?」
「お前が居なくなったら黒夜が荒れるから逃げるなって。そしたら泣いた、痛っ」
「余計な事すんじゃねえよ。やっと心を開いてくれたってのに……ったく……」
 白坂を殴りながらため息を吐いた阿知波は、蒼の前にしゃがみ込んだ。
「蒼ちゃんごめんね? こいつの言った事は気にしなくていいから」
「ん……」
 笑顔で蒼に話し掛ける男は、自分が知っているいつも通りの姿だった。さっきまで仲間に暴力を振るい、怒鳴っていた人物とは思えない。
 本当に、この姿は自分の前でだけなのだと、これが阿知波の二面性なのだと実感してしまう。
(これがもし、自分に向かったら……?)
 今は好意を持たれているからいいかもしれない。自分の前ではふざけてばかりで、殴っても怒らず笑っている。
 だが、さっきの阿知波は絶対的支配者そのもので、その圧倒的な力で彼らを支配していた。もしかしたら、実際の阿知波は自分よりも強いのかもしれない。
 もし、自分から気持ちが離れて、あいつらに対するものと同じ態度を取られたとしたら?
 あれだけ他人に容赦の無い男だ。自分などBLUE共々潰されてしまうだろう。
「……っ、」
 そう思った途端、全身に凍りつくような恐怖が駆け抜けた。
 怖い。
 自分はとんでもない男を敵に回していたのではないか。どうして平然としていられたのだ。
 そして、そんな男が自分に本気だなんて、本当にどうすればいいのか分からない。
 そう思ったら再び涙が溢れ出し、みるみるうちに頬を濡らしていった。
「蒼ちゃん!?大丈……」
「さ、触るな……」
 そして、自分に伸ばされた阿知波の手を、強く払いのけてしまった。
「あ……」 
 阿知波は傷ついたような顔をしている。
 すると、横から声がした。
「黒夜、望月はあいつらへの仕打ちにドン引きしてたんだ。しょうがない」
 顔を上げると、白坂が苦笑していた。
「あいつらへの? ああ、殴ったからか……まあ……こればっかりはなあ……蒼ちゃん、怖かったの?」
「……うちとはずいぶん違ったから……いつものお前とも違った……」
 思わずそう零すと、阿知波は少し困った顔をした。
「まあ、あれがうちのやり方だから。慣れてもらうしか無いんだけど……蒼ちゃんにはあんな事しないよ?」
 そうはっきりと言った阿知波は、白坂と全く同じだ。それが自分のやり方だと納得していて、あいつらへ対する少しの罪悪感も無いようだ。
 チームの違いでこんなにも意識は違うものなのかと、ただただ驚くしかできなかった。
「ところでさ、蒼ちゃんの話って何?」
「あ……」
 阿知波が思い出したように聞いてくるが、さっきまであんなに言わなければと思っていた言葉がなかなか出てこなかった。
 今言って、あいつらのように阿知波の怒りを買ったらどうなってしまうのか。
動けない身体で抵抗出来るはずもない。
考えただけで震えが走った。
「……」
「蒼ちゃん?」
 再び黙ってしまうと阿知波が心配そうに顔を寄せた。だが、どうしていいか分からない。
 今まで何度も阿知波とぶつかり、何度も拳を交わした。だが、こんなに恐怖に駆られる事は一度も無かった。自分の中でも何かが起こっているような気がして怖くなる。一体どうしたというのか。
 すると、悩む蒼を見かねたのか上原が助け舟を出した。
「一度、蒼の家に行きませんか。蒼も休ませたいですし、ここでする話では無さそうですから」
「上原……」
「そうだ……具合悪かったんだよな。ごめんね蒼ちゃん……」
「いや……」
 本気で自分を心配してくれる阿知波に申し訳なさが募っていく。そして、自分をよそにどんどん話は進んでしまう。
「ちょっと待ってて。あいつらに言い聞かせてくる」
「もういいんじゃないのか……あれだけやればあいつらだって分かるだろ……?」
 抵抗する意志のない人間に、さらに追い討ちをかけようとする阿知波。思わず止めに入ってしまった。
「蒼ちゃんはそれでいいの?」
「……ああ」
「じゃあ、今回だけね」
 そう言った阿知波は、こちらを呆然と見つめる仲間の元へと歩いて行くとこう言い放った。
「いいかお前ら。舞は俺とは何の関係もないし、一連の事件は舞が勝手にやった事だ。二度と俺の恋人を騙らせるな」
「あ……阿知波さ……」
「今日は蒼ちゃんに免じて許してやる。また蒼ちゃんを襲ったらこれだけで済むと思うな。いいな?」
「「……はい」」
 ドスの利いた威圧的な声に、仲間達はもう逆らう気力が無くなったらしい。がっくりとうなだれていた。
 だが、少し気になった事があるのか阿知波に何かを言おうともしている。
「阿知波さん、あの……」
「何だ?」
「蒼ちゃんて……もしかして望月の事ですか?」
「そうだけど?」
 恐る恐る口にした男達だが、あっさりと肯定した阿知波に驚いているようだった。
「その、どういう関係……」
「まあ、俺の恋人候補ってとこ? 今口説いてんだから邪魔すんじゃねえよ。舞やてめえらのせいで振られたら殺す」
「は……?」
「だから、俺の方が蒼ちゃんを追いかけてんだ。蒼ちゃんが俺の女だって自分から言ってくれたらすげえ嬉しいけどな……」
「嘘……じゃあ、舞は……」
「だから舞なんて知らねーよ。俺は一年前から蒼ちゃんだけ」
「そんな……」
 男達は阿知波から直接聞いても信じられないらしい。ずっと信じていた人間が嘘をついていた……その真実を受け入れるのはなかなか難しいだろう。
「つーか、舞を溜まり場に連れて来るのは無理なのか?」
「……いつも、向こうから連絡が来るのですぐには無理です。こっちから連絡しても反応が無くて。それに、舞はこの街の人間では無いみたいでなかなか偶然には会えません」
 仲間の言葉に阿知波がため息を吐く。
「マジで使えねえなあお前ら。じゃあ、俺が会いたいって言ってるって舞に言え。興味があるってな。それでもダメか?」
 その提案に、少し考えた男達は頷いた。
「……分かりました。俺達も舞から真実を聞きたい。次に連絡が入り次第言ってみます」
「絶対逃がすなよ。分かったな?」
「は、はいっ!」
 阿知波が睨みつけると男達は勢いよく返事をした。
「後は頼んだ」
 そして阿知波は、白坂が連れて来た数人の仲間に連れて行くよう指示を出していた。
 それを遠目で眺めていた蒼は、本当にBLACKのメンバーは躾られているのだと感心してしまった。
「蒼ちゃんお待たせ~」
 そう言いながら歩いてくる男は、本当にさっきの人間と同一人物とは思えない。二重人格なのかと疑ってしまう。
 思わずじっと見つめてしまうと、嬉しいのか笑顔を浮かべていた。
「さて、どうしましょうか?抱えるにしても力が入らないのでは……」
 上原がそう零すと白坂がポンと手を叩いた。
「黒夜がおぶって行けば? 一番体力あんだろ」
「なるほど。じゃあ、はい」
 白坂の言葉を受けて、阿知波が蒼の前に背を向けてしゃがんだ。
「ちょっと待……」
「蒼ちゃん、早く」
「まあ、仕方ないでしょうね。俺と吉光では無理そうですし。運んで貰いなさい」
「こいつにおんぶして貰えるなんてお前くらいだぞ?」
 戸惑う蒼をみんなが急かすが、大の男が背負われるという構図に抵抗があった。
「う……でも……」
「おんぶが嫌ならお姫様抱っこしてあげようか?」
「は!?」
「無理やりお姫様抱っこで運ぶけど?」
 冗談かと思ったが、阿知波の目は真剣だった。こいつならやりかねない。
「いいなあ、それ。面白い」
「蒼は素直じゃないから、その方がいいかもしれませんね」
「……姫抱きは嫌だ」
「なら、早くして下さい」
「蒼ちゃん、早く」
「うう……」
 二人まで姫抱きに便乗してきた。こうなったらもう従うしかない。最悪だ。
 上原に助けられながら阿知波の背中へ体重を預けると、嬉しそうな声が聞こえてきた。
「ふふ、蒼ちゃんから抱きついて貰ったの初めてだね」
「抱きついたのとは違うだろ」
「まあ、そう言う事にしとく。よっと」
「うわっ」
 いきなり立ち上がった阿知波について行けず、バランスを崩して落ちそうになってしまった。とっさに首にしがみつくと、またもや嬉しそうな声がした。
「あ~、いつもこのくらい素直だといいのに……幸せ」
 蒼を抱え直して歩き始めた男は何かを呟いている。気にしたらいけないような気がして、何も言えなくなってしまった。
 阿知波の背中から見る景色は、いつもより視界が高くて新鮮だった。十センチ違うだけで、こうも違うものなのか。
「……幸せ、か」
 何の変化もない毎日。
 ありふれた日常。
 刺激なんて必要ない。
 それが、自分にとっての幸せだった。
 蒼に触れて幸せと豪語する男にしてみれば、これから話そうとしている事は残酷かもしれない。それは手に入る寸前で逃げられるようなものだから。
 だが、自分を守る為には必要な事だ。
早く離れなければ、取り返しがつかなくなる。
「阿知波、ごめんな……」
「え? いいよこのくらい。蒼ちゃん思ったより軽いし。ちゃんと食べてる?」
 今運んでいる事だと思っているらしい阿知波は、ごく自然に言葉を返してくれる。それがより罪悪感を募らせ、責められているような気まずさを感じてしまった。
「本当に、ごめん……」
「「……」」
 上原と白坂はそれが何を指しているのか気づいたらしく、何も言わず、静かに二人を見守っていた。






 皆が黙々と歩いていく。
 それは、これから起こる嵐の前触れのような静けさだった。
 蒼の自宅付近まで近づくと、上原と白坂の二人が足を止めた。
「俺達は買い物してきますから、二人でゆっくり話して下さい。その方が話しやすいでしょ?」
「どうせ湿布とか家に無いんだろ?」
「あ……ありがとう……」 
 二人は気を利かせて席を外してくれるらしい。
「しばらく帰ってくんなよ」
「はいはい」
「じゃあ、お願いしますね。蒼に絶対無理させないように」
 二人は心配そうな顔をしたが、蒼が頷くと、背を向けて歩いていった。



「ちょっと見せてね」
 家に入ってから部屋に蒼を降ろすと、阿知波は足を見せるように言ってきた。怪我がどの程度か確認する為だ。
 靴下を脱いで見てみると、右足首から甲にかけて青く痣になっていた。僅かだが腫れている。思っていたよりは軽傷かもしれない。
「折れてないみたいだけど、一応冷やそうか」
 しばらく触って確かめた後、蒼の首に巻いていた冷却タオルを外し、足に巻いてくれた。
「……ありがとう」
「どういたしまして。で、話って? 二人じゃないと気まずい話?」
 そう聞いてくる阿知波は、まだ何の事か分かっていないようだった。
「……」
 本当に言ってもいいのだろうか。さっきのように態度を変えられたら……。
 でも、このままではきっと同じ事の繰り返しで、また舞の仲間に狙われる。そして、迷惑をかけてしまう。自分がそばにいる限り、ずっと。
「あのさ……」
「うん」
 ゴクリと息を飲み込み、深呼吸をする。
『あいつから逃げないでくれ』
 白坂の言葉が頭の中に浮かんだが、ここまで来たらもう戻れない。
「俺達、しばらく会うのをやめないか?」
 自分はどんな扱いを受けてもいい。
 きっと、離れた方がいいのだ。

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