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第15章 想世のルーグ・ルー

第362話:グリフォンは飛んでいく

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 ――四神同盟の代表者によるうたげ

 これと同時に開催されたのが幹部たちによる宴会だった。

 親睦会しんぼくかい懇親会こんしんかいも兼ねており、成人しておらずとも一人前と認められた面子めんつ(アハウ陣営のカズトラやクロウ陣営のヨイチ)も参加を許されていた。

 同盟に属しながら、まだ互いの顔を知らぬ者も少なくない。

 今後はより協力体制を強化していくので、初対面同士では連携するのにも一苦労になりかねない。最低限の交流はしておくべきという配慮はいりょでもあった。

 要するに――顔見せを兼ねた一席を設けたのだ。

 宴の席で意気投合してもらえれば良し、多少なりとも相性に難があると判明したら、それはそれで人員配置の検討材料となる。

 こちらの宴に参加する者は、人間関係の機微きびさとい者もいる。

 彼ら彼女らには予め「誰と誰はいい感じ」とか「あいつとこいつは磁石の同極」といった相性を調べておくよう頼んでおいた。

 ほとんどフミカとアキの情報処理姉妹の仕事なのだが――。

 フミカはデキる娘なので察していたが、アキは「そんなもんフィーリングッスよ。その時の気分でいいんスよ」と適当に流そうとした。

 本当、愚姉ぐねえ賢妹けんまいな姉妹である。

 この幹部会には同盟から多くの者が招待されていた。

 主戦力がハトホル国に集まるので、各同盟の防衛力にやや不安なところがあるものの、そこは各陣営の余剰戦力を取り回して補っている。

 水聖国家のエンオウやモミジはその代表格だ。

 彼らにも後日、ちゃんと宴会の席を設ける約束していた。

 今日の宴席には参加者が多い。

 ハトホル陣営からは――長男ダイン次女フミカ横綱ドンカイ剣豪セイメイ起源龍ジョカド変態クロコ
 イシュタル陣営からは――婚約者ハルカ変態ジン引き籠もりアキ
 ククルカン陣営からは――妻君マヤム懐刀カズトラ拳銃使いバリー偵察隊長ケイラ
 タイザンフクン陣営からは――女中頭ホクト女騎士カンナ執事ヨイチ

 穂村組からは――番頭レイジ、若頭補佐マリ、精鋭筆頭セイコ。
 日之出工務店からは――女房ネネコ、愚弟ランマル。

 水聖国家オクトアードからは――姫君ライヤ、将軍イムト、大臣タフクの3名。

 既に四神同盟の幹部クラスは家族ぐるみで交流しているが、ご新規である穂村組、日之出工務店、水聖国家はまだ日が浅い。

 そこで幹部だらけの宴会と相成った。

 この宴は親睦会にして懇親会であり、歓迎会でもあるわけだ。

 セイコやランマルのように、誰とでも仲良くなれる友達作りの才能がある者は別として、誰もがそう簡単にひざを突き合わせられるわけではない。

 まずは互いを知ることこそが肝要かんようなのだ。

 このうたげでそれぞれが縁を結んでくれれば幸いである。

 ところで――今日の宴に出席する招待客はこれで全員ではない。

 スプリガン族と妖人衆ようじんしゅうの代表も招かれていた。

 スプリガン族からは――総司令官ダグ、その補佐を務めるブリジット姉妹。
 妖人衆からは――巫女姫みこひめイヨ、彼女を支える乙将おつしょうオリベ。

 彼らもまた顔見せである。

 ダグは亜神族あじんぞくの代表にして神族の血を引く灰色の御子、イヨとオリベはツバサの眷族化によって昇格したとはいえ神族のはしくれ。

 今後、他陣営と行き来することもあるとの判断からだ。

 しかし、この五名はちょっと遅刻した。

 四神同盟による会議が終わり――それぞれの宴席が始まる刻限。

 その少し前の出来事である。

   ~~~~~~~~~~~~

 移動要塞――ハトホルベース。

 ハトホル国の上空に浮かび、時には雲の中に隠れて領空を警戒しつつ、時に領地のへりまで出向いて周辺状況を窺う前線基地でもある。

 いわゆる“空に浮く島”を拠点として使えるようにしたものだ。

 ここにはスプリガン族が一族の運命を賭して守ってきた天梯てんていこと、この世界最後の世界樹が保護されている。同時に、その世界樹を守護するためにスプリガン族が常駐する移動要塞でもあった。

 移動要塞であり、空中要塞であり、飛行艦の母港も兼ねている。

 ツバサたちの“足”として駆られる飛行母艦ハトホルフリートを初め、スプリガン族の旗艦きかんでもある方舟クロムレック等々……。

 ハトホル国が要する飛行艦が停泊する空中母港でもあるのだ。

 この移動要塞の最重要ポイント――。

 それは「島ごと逃げられる」という点にある。

 代表者たちの宴会でも話題にされているが、蕃神ばんしんはどんな方法で攻め入ってくるかわからない怖さがある。おまけに次元の裂け目を使えば、地中だろうが海中だろうが上空だろうが、どこからでも襲撃してくる恐れがある。

 最悪、都市のど真ん中に現れることも……。

 そこまで追い込まれた最悪の事態を見越して、今ある国を捨ててでも国民を逃がすために用意されたのが、このハトホルベースである。

 石橋を壊して、鉄筋製の橋を架け直さなければ川を渡らない慎重派のツバサにしてみれば「第四とまでは言わないまでも第三拠点くらいまで欲しい」と主張したのだが、「さすがに心配性が過ぎる」と却下されてしまった。

 ツバサの本音では第五拠点まで欲しい。

 バックアップはいくらあっても足らない、心配性のさがみたいなものだ。

 願望はともかく、ハトホルベースの備えも怠らない。

 ハトホル国の全国民を収容保護する面積と施設を有しており、いざとなれば国を捨てて避難できる備蓄びちくも抜かりはない。

 移動速度を瞬間的に加速させる機能もダインが増設してくれた。

 緊急避難システムとして準備万端である。

 浮く島のエネルギーはツバサとミロ由来のものだ。

 そこから電力などを融通ゆうづうされた最新鋭防衛基地の管理運営は、スプリガン族に任せていた。責任者はスプリガン総司令官のダグである。

 その防衛基地の一角に、新しい施設が設けられていた。

 一見するとモニタールームである。

 ダグがいることの多い中央司令室にも大型モニターはあるが、こちらの部屋は小型とはいえモニターの数が尋常ではない。

 大きな部屋の壁一面を埋めるモニターの数は120はあるだろう。

 それらの画面を管理するコンソールデスクも数があり、まだ戦場に立つことを許されないスプリガン族の幼年組ようねんぐみがキーボードを叩いている。

 外見こそ小学校低学年くらいの幼女たち。

 だが、そのブラインドタッチは大人顔負けである。

 いくつかのモニターはどこかの風景を映しているが、まだほとんどのモニターが砂嵐を流していたり、画面をブラックアウトさせたままだった。

「う~ん、通信状況が安定しないな……」

 作業用のつなぎを着たダグは、困ったように頭をポリポリ掻いた。

 深緑の大地を忍ばせる、地母神ははおや譲りの緑色の髪が揺れる。

 スプリガンの男はメカニカルなロボット風の外見になりがちだが、ダグは人間寄り風貌をしていた。姉たちは「美青年イケメン」と褒めるが信じていない。

 ダグ自身は「普通」と評している。

 身長やスタイルもスプリガン族にしてはスラッと細身だ。しかし、つなぎの下はスプリガン族らしく機械の身体が仕上がっていた。

 工具を握る指先までしっかりはがねである。

 ダグの母親は生身の肉体を持った神族の地母神だったので、その影響なのか顔から首、そして胸部くらいまでは人間味が強い。

 肉体構造もサイボーグやアンドロイドに近いのかも知れない。

 ダグは神族と多種族スプリガンの間に生まれた灰色の御子。

 そして、スプリガン族を率いる若き総司令官でもある。

 スプリガン族の代表として、ダグも夕方の宴席には招かれていた。もうすぐ時間を迎えるというのに、着替えもせずある作業・・・・に熱中している。

 わかっているが――やめられなかった。

 どうしても今日中に完成させたくて仕方ないのだ。

「やっぱりHラインの電線とIラインの電線を交換してみようか。どうしても遠距離からの通信はエネルギーを食うからね。Hラインに使っていたものの方が出力は高いから……いや、電線を増やした方がいいかな?」

 ダグはあごに指を当てて首を傾げる。

 現状できそうな対処をダグが並べていると、モニタールームのあちこちから似たようなつなぎを着たスプリガンの娘たちが這い出てくる。

 デスクの下や床下に通じる扉、壁裏や天井裏の配線を点検するためのメンテナンスハッチ、そういったところから次々とメカ美少女が顔を覗かせる。

 彼女たちは口々に自分の案を言う。

「やり過ぎるとまたブレーカー落ちちまうぜ若様?」

「若様、いっそブレーカーの制限も取っ払っちゃいませんか?」

「電力やらブレーカーの上げ下げって問題じゃないよきっと。偵察機の送受信設定とこちらの送受信設定に相性があるんじゃないかな、若様?」

「偵察機本体のコントロールはできてるわけだしね。映像の送受信だけがネックになってるとこを見ると、やっぱ相性じゃないかな若様?」

 部屋のあちこちで作業をしていたスプリガンの娘たちが、それぞれの意見を代わる代わる総司令官ダグに口頭で伝えてくる。

 どれも相談に乗るような軽い口調ばかり。

 総司令官と敬われているが、ダグもまだまだ若造で彼女たちとも年が近いため、学級委員長ぐらいにしか思っていない気安さがあった。

 距離感を置かれるよりマシかな、とダグは割り切っていた。

 彼女たちはスプリガンの中でも電子工学や機械工作を得意とする面々だ。最近ではダイン様の指導のおかげで、技術力も飛躍的に向上している。

 無論、機械いじり大好きなダグを筆頭にだ。

 ダグは彼女たちとともに新システムの構築に取り組んでいた。

「……そうだね、出力は足りているはずだが、ブレーカーの懸念けねんもあるから配電盤を追加して電力を高めてみようか。送受信機器の相性の可能性も捨てきれないから、コンソール担当のたちは差し替えを試してみてくれ」

 ダグはそれらの意見を参考にして、各自に指示を飛ばしていく。

 もう少し、あと少し――これで新システムが完成する。

 そうダグは意気込いきごむのだが……。

「いい加減にせんかダグ! 早く顔を洗って礼服に着替えろ!」
「ダグ君、気持ちはわかるけど……皆さんをお待たせしちゃ駄目よ?」

 2人の姉からダメ出しを受けてしまった。

 勝ち気な女将軍を思わせる姉ブリカから怒鳴りつけられ、しとやかなご令嬢を思わせる姉ディアからは物静かな怒気を孕んだ声でたしなめられてしまった。

 ダメ出しというなら、小一時間前から食らっている。

 ――神族が集まるパーティーからの招待。

 これにブリジット姉妹は浮かれ気味のようだった。

 ブリカは女将軍らしく軍服だがいつもより上等なものを選んでおり、珍しくアクセサリーのたぐいまで身に付けている。ドレスを普段着としているディアもいつもより派手なもの、豪華絢爛と評すべきドレスで着飾っていた。

 2人とも目いっぱいお洒落しゃれを楽しんでいる。

 姉たちの晴れ姿を、ダグは横目で見遣みやるのが精一杯だった。

 ブリカとディアは「ダグ命!」と明け透けなく公言できるブラコンだが、ダグもまた姉2人を愛してやまないシスコンなのだ。

 姉たちの美しい艶姿あですがたを直視できない。

 真正面から捉えたら最後、蒸気が立ち上るほど顔を真っ赤にしたまま数分は彼女たちに見蕩みとれてしまうという情けない自信があった。

 なので、照れ隠しの意味も込めて仕事に熱を入れてしまう。

「工作の続きは帰ってきてからににしろ! ほら、早く着替えるのだ!」
「そうよダグ君。もうほとんど完成してるんでしょ?」

 愛する弟にもお洒落させたいのか、この日のために特注したらしい特別製の制服をダグに着せようと待ち構えていた。

 ブリカが上着でディアがズボン、それぞれ手にしてにじり寄ってくる。

「も、もうちょっとだから! 通信が安定したらすぐ……」

 たじろぐダグに姉妹は説教を上掛けする。

「そんな台詞は聞き飽きたわ! もう二時間前からそれだぞ!?」

「ちゃんと準備して、三十分前には会場に入って待っているべきだと姉さんは思うのだけれど……もう開宴まで三十分を切ってるのよ?」

 彼女たちの方が正論を説いている。名誉あるパーティーに招待されているというのに、限界ギリギリまで粘るダグが悪いのだ。

 ちょっと熱中しすぎたか、とさしものダグも反省せざるを得ない。

 そんな時――モニタールームの自動ドアが開いた。

「若大将ないをなさっちょっとな? もうすぐうたげが始まってしまうど?」

「ほう、これは……四方八方の景色を見られそうな部屋ですな」

 自動ドアを潜って現れたのは防衛総隊長のガンザブロンと、妖人衆の束ね役を務める乙将のオリベだった。

 ガンザブロンは防衛に携わる者らしく警備服を着込んでいる。スプリガン族でも大柄な2mを超える彼の風体には迫力があった。

 防衛基地の統括とうかつを引き継ぐため、ガンザブロンはやってきた。

 オリベはダグや姉妹を呼びに来たのだろう。

 イヨとオリベも妖人衆の代表として宴に招待されている。

 しかし、共に出席するはずのブリジット姉弟が姿を現せないことを心配して、ガンザブロンについてハトホルベースまで昇ってきたらしい。

 現にオリベは余所行よそいきに着替えている。

 グリーンをベースとした着物という装束はいつも通りだが、頭を飾る烏帽子えぼし頭巾ずきんという帽子や衣装のすべてが常ならぬ輝きを帯びていた。恐らく、煌びやかな繊維をふんだんに用いた高級品なのだろう。

 彼のような御仁ごじん洒落者しゃれものというに違いない。

 オリベの姿を認めたブリカとディアは、背筋を正して彼に小声で「申し訳ありません……」と謝罪した。それから愚弟へ一瞥いちべつをくれる。

 2人の姉は「それ見たことか」と無言の圧力をぶつけてきた。

「もうすぐ宴席の刻限だというのに、姉弟きょうだいお三方がなかなか姿をお見せにならぬので何事かと案じましたが……なんぞ作事さくじに熱を入れておいであったか?」

 好々爺こうこうやな笑顔でオリベはカラカラ笑う。

 オリベは心配したから様子を見に来ただけのようだが、ブリジット姉妹は「面倒をお掛けしました」と恐縮している。

 ブリジット姉弟はオリベに一目置いていた。

 先日――穂村組と抗争した一件。

 あの時、オリベが軍師として采配してくれたおかげで、スプリガン族は首尾よく効率よく戦うことができた。蕃神から方舟を守る防衛戦こそ慣れているが、あのような迎撃戦はみんな初めての経験だった。

 以来、ダグはオリベに軍学の講義を受けている。

 このためブリジット姉妹の認識では「オリベ殿はダグの先生」という位置づけになっており、普段から礼儀を忘れないのだ。

 姉妹はダグの両脇に並び、左右から掴んだ弟の頭を下げさせる。

 これにはダグも逆らえない。

 時間を忘れて作業に没頭した自分に非があるからだ。

「すいませんオリベ殿、わざわざご足労そくろういただいて……」
「ご覧の通り、ウチの弟は機械をいじらせると時間を忘れてしまい……」

 なんのなんの、とオリベは恐れ入る姉妹を手で制した。

 むしろダグの仕事ぶりを褒めてくれる。

作事さくじにしろ趣味にしろ、男は一度やり始めると止まらぬものなのです。それが世のため国のためとなるならば、褒めこそすれ叱るなどとんでもない……何を隠そう、それがしもそこそこやらかして・・・・・おりますでな」

 自嘲するオリベは照れ隠しにチョビ髭を摘まんだ。

「茶会の席であろうと褒められた品が気になると現地まで出向いて愛でてきたり、細工に用いるには最上の竹があると聞けばいくさの最中でも採りに行ったり、より良き器の作り方が敵地にあると知れば危険を承知で乗り込んでみたり……」

 己が面白きことに邁進まいしんするのが――男のさがというもの。

「それを大目に見るのも女の甲斐性かいしょうですぞ」

 自分だけじゃないのか、とダグは安心する。

 なにせ男の比較対象が物心ついた頃からガンザブロンしかいなかったので、同性の者が持っている共感覚にダグはうとかった。

 オリベが味方してくれたのをいいことに、ダグは両側から押さえつける姉妹の手をはねのけると、釈明しゃくめいするようにもう一押ししてみた。

「すいませんオリベさん! もうちょっと……あとちょっとなんです!」

 もうすぐ完成……とダグが言いかけた時だった。

 ブウゥ……ン、と部屋全体に振動音が鳴り響き、一瞬だが室内の照明が明滅するように消えかけた。電圧が急激に上がった証拠である。

 すると、何重もあるモニターが花開くように映像を紡いでいった。

 コンソール担当の少女が喜色満面で振り返る。

「や、やった……若様成功です! 全偵察機の映像と繋がりました!」

 わぁ! とスプリガンの娘たちが歓声を上げた。

 これまでの苦労が報われた瞬間に、思わずダグも相好そうごうを崩してガッツポーズを決めてしまう。よしっ! と成功を祝う声まで漏らしてしまった。

 無数のモニターに映るのは――真なる世界ファンタジアの風景。

 ガンザブロンとオリベは室内へ歩を勧めると、120ものモニターに映し出される風景を目で追いながら感心する。

「こんた……各地ん風景が映っちょっとな?」

「ハトホル国周辺だけではありませんな。あの密林はアハウ殿の領地、あの御殿はイシュタルランド、こちらは還らずの都……それ以外にも見慣れぬ土地や自然が次から次へと……ダグ殿、これは一体どのような絡繰カラクリですかな?」

 オリベに問われたダグは誇らしげに胸を張った。

「これらの映像はすべて、無人偵察機がリアルタイムで撮影しています」

 スプリガン族はある任務を恒常化こうじょうかさせていた。

 6隻ある高速艦メンヒルⅠからメンヒルⅦまでを交代で派遣し、遠方にある世界樹の痕跡に異変が起きてないか確認したり、前人未踏の地域へ赴いて調査したり、路頭に迷う現地種族がいないか探したり……。

 真なる世界ファンタジアの測量も兼ねて、各地の偵察を行ってきたのだ。

 スプリガンの間では「遠征」と呼ばれている。

 まだ旅したことのない場所へ行けるとあって、好奇心旺盛で冒険心を持て余している一部のスプリガンたちには人気の任務でもあった。

 しかし、ツバサ様の命により一時停止を余儀よぎなくされている。

 理由は――最悪にしてバッド・絶死をもたらデッド・す終焉エンズだ。

 彼らとの敵対関係が確定した頃、偵察に出たスプリガン族が奴らの兇行きょうこううかも知れないと懸念したツバサ様から、「バッドデッドエンズとの戦いが終わるまで遠征は自粛すること」と下知されたためである。

 現在、ハトホル国周辺の哨戒しょうかい任務にんむしか許されていない。
(※それもツバサ様たちの張る結界内から出ることを許されていない)

 だが、スプリガン族は任務を怠りたくはない。

 骨の髄まで……いや、歯車の髄まで軍属気質なスプリガン族は、仕えるべき御方から与えられた仕事を途中で投げ出すような真似をできないのだ。

 偵察に行きたい! でもツバサ様に怒られる!

 それがスプリガン族の身を案じるツバサ様の優しさだとわかっていても、与えられた任務を遂行すいこうしたくて堪らなかった。

「そこでこの無人偵察機によるモニタリングシステムの出番です」

 ダグは完成したばかりの新システムについて説明する。

 まず小型の無人偵察機を開発した。

「超々遠距離を離れても中継基地を介して操作できるもので、撮影した映像をご覧の通りリアルタイムで視聴することができます」

 偵察機の中継基地は、各陣営に許可をいただいて設営済みだ。

 おかげでハトホル国にいながら各陣営の領地周辺を見廻ることが可能となり、更に遠くの僻地へきちにまで偵察機を飛ばすことができる、

「それら偵察機のコントロールをこのモニタールームで行い、オペレーター役のたちに随時ずいじチェックしてもらいます。勿論、映像記録も残します」

 これならバッドデッドエンズを恐れず偵察できる。

「あくまでも視ることに徹しているため、現地へ出向く遠征任務ほど融通ゆうづうが利きませんが……少なくとも、各地の状況は把握できます」

 システムの概要がいようを聞いたガンザブロンは手放しで褒め称える。

「こんた大したもんじゃあ……さっすが若様じゃ!」

「遠征に劣るなど卑下ひげなさいますな。この装置にはそれ上回る価値がありますぞ。人をやらずとも遠くの地を調べられるなど……」

 利用価値は計り知れませんな、とオリベも絶賛した。

 確かに自慢できるものを開発したという自信はあったが、こうして面と向かって褒めちぎられるとこそばゆい照れ臭さがあった。

 いやそれほどでも、とダグは頬を赤らめて首をすくめてしまう。

「おや、そういえば――」

 オリベは前置きしてから、ほんの少し話題をらした。

「バッドデッドエンズとやらから正式に宣戦布告は受けたので、奴らとの開戦日時は改めて知らされる……とツバサ殿より承ったのです。スプリガンの衆も遠方への偵察任務を始めてもよろしいのではありませんかな?」

 その上で、この無人偵察機も活用する。

「あの空飛ぶ高速艦とも連絡を取れるようにされれば、各地で行う調査の能率が更にはかどることでしょう。いかがですかな?」

「いや、それなんですが……」

 オリベの提案にダグが言葉を濁すと、ブリカとディアが代弁する。

「我々もツバサ様に申し出てみたのですが……」
「『まだ駄目だ!』とキツく申し渡されてしまって……」

 開戦の時期はバッドデッドエンズから追って通達する。それまで不要な破壊活動や殺戮行為はしない。彼らのおさであるロンドはそう約束したと聞く。

 ならば――偵察任務を再開してもいいのではないか?

 ツバサ様にそう具申ぐしんしたのだが……。

『バッドデッドエンズとの決着がつくまで絶対に駄目だ』

 眉を怒らせたツバサ様に反対されてしまった。

『ロンドは仁義を通すタイプと見た。宣戦布告は本物に違いない』
『しかし、ロンドが約束を守っても他が守るとは限らない』
『ああいう悪党の集まりには、ボスの命令を無視するはねっ返り・・・・・が必ずいる』
『俺もよく知るグレン・・・という男は、その最たる例だ』
『そういうのが偵察任務に出た高速艦を標的にしないとも限らない』

 組織の長が確約しても、その部下が何かを為出しでかすかも知れない。

 石橋を叩き壊して鉄橋を造るほど慎重なツバサ様は、そこを警戒されていた。

『だから……まだ駄目だ。絶対に駄目だからな!』

 過保護なお母さんのように、何度も念を押してきたくらいだ。

『――誰がお母さんだ!?』
『『『いいえ、そこまで申しておりませんから!?』』』

 何故か母親呼ばわりされたと勘違いするツバサから理不尽に怒鳴られたため、思わず姉弟で異口同音にそう返してしまった。

 偵察は当分無理、そう悟ったダグは代替案だいたいあんを出してみた。

「そこでこの無人偵察機をご相談したら、こちらは了承を得られたんです。ダイン様とフミカ様ご協力の下、こうして開発にけました」

 ダイン様とフミカ様――工作と文化の夫婦神めおとがみ

 工作と技術に秀でた神族が技術の粋を集めた結果、動力源としてこの上なく有能な鉱石、龍宝石ドラゴンティアの生成に成功していた。

 まだ小型サイズだが量産化まで達成している。

 その量産型龍宝石をわけてもらうことで偵察機は完成した。

 超々遠距離にいても遠隔操作できるほど強力な電波を送受信させられる通信機の開発に成功し、その通信機を介することで無人機が撮影した映像もほぼリアルタイムで確認できるシステムも構築することができた。

 当初は遠方への偵察任務、その穴埋めとしか考えていなかった。

 しかし、オリベが褒めてくれたように偵察任務を再開できれば、そちらと併用へいようすることで調査の精度が格段にアップするはずだ。

 これからの展望を考えていると――不意に警告音が鳴った。

「若様、人為的な痕跡を発見しました!」

 コンソールを受け持つ少女の1人が、何者かの存在を教えてくれるような痕跡を見付けたと報告してくる。これにダグは即座に反応した。

 期待は高鳴るが落ち着いて指示を出す。

「わかった、メインモニターに映してくれるかな」

 天井の一部がスライドするように下がってくると、大型のモニターとなって問題の映像をクローズアップさせる。詳細を確認するために用意された大型モニターは天井と左右に合計5枚まで格納されていた。

 メインモニターに映し出されたのは、砂漠のような荒野だった。

 ここも蕃神ばんしんに栄養を奪い取られたのか、ろくに草も木も生えていない不毛の大地なのだが、そこに2本の線がくっきり刻まれている。

「車輪……わだちに見ゆっな」

「馬車や荷車とは違いますな。もっと大きく長い……そう、縦長の箱のような車が延々と走った跡のように見えますぞ」

 ガンザブロンとオリベは、それぞれの感想を述べる。

 だとしたら――大きい。

 ダグはダイン様から地球テラ産の乗物である『電車』や『汽車』の資料を見せてもらったことがあった。この轍はそれらのものに似ている。

 しかし、車輪の間隔からかなりの大きさだと推察できた。

 地球で使われていた『電車』や『汽車』より横幅が2倍はある。それに伴って車両の全高も相当な高さに達するはずだ。

 何より、その手の車両にしては不自然である。

 電車や汽車という乗物は『列車』とも呼ばれ、敷かれたレールの上を走るものと聞いている。しかし、これは道なき荒野を走破していた。

 もうひとつ、ダグはある点が気になった。

「もうちょっと引きの映像で撮れるかな? この轍が気になるけれど、画面の端にも何か気になるものが……うん、見えてきた。これだこれ」

 これも車輪の跡かな? とダグは訝しむ。

 深く刻まれた轍――その周りにも複数の車輪の跡があった。

 こちらは二本線をどこまでも刻むものではなく、いくつもの太めの車輪が入り乱れている。四輪駆動車のタイヤこんを連想させるものだった。

「大きな車両と、そいを取り巻っ無数ん車……とな?」

「まるで大人数で旅をする旅団のようですな」

 ガンザブロンとオリベは車輪の痕跡から正体を思い描いているが、度々偵察任務に出掛けているブリカは別の観点から推測する。

「しかし、これらの痕跡は馬車や荷車のものではありません。そういうたぐいの乗物ならば、動力を生物に頼らざるを得ない。どうしても車を牽引けんいんする生物の足跡も残ります。それがないということは……」

「機械的な動力を用いている――ということになりますな」

 ブリカの言葉を継いでオリベが結論付けた。

 真なる世界ファンタジアに生き残った現地住民のほとんどは、蕃神によって引き起こされた大戦争のせいで築いてきた文明を滅ぼされている。

 スプリガン族やキサラギ族のように、最低限の文化を引き継いでこれた種族など指折り数えるくらいしかいない。スプリガン族にしても、自ら機械的動力を発明や生産する技術力は失われかけたくらいだ。

「今日まで技術を維持してきた種族……あるいは」

 ディアが言いにくいことをオリベは遠慮なく口にする。

「ツバサ殿のような日本ひのもとから転移されてきたぷれいやあ・・・・・……神族や魔族に成り上がられた方々、という線もありそうですな」

 バッドデッドエンズの可能性は低いと思われる。

 バッドデッドエンズは徒党を組んで破壊活動に励むものの、その移動手段は飛行系技能か、彼らの幹部が持つ空間操作能力に頼っているらしい。

「どちらにせよ、ツバサ様へ報告すべき案件ですね」

 新システムを起動して早々、幸先のいい発見にダグは手応えを感じた。

 その時、ブリカが何かに気付いたらしい。

「……ん? もっとアングルを引いて上空に向けることはできるか?」

「はい、ブリカ様。空も見えるように映しますね」

 ブリカの指示を受けたコンソール担当の少女がキーボードを操作すると、無人機が後退しながらカメラを上に向けていく。

 モニターは謎のわだちを捉えたまま、地平線の彼方も映し出す。

 ――もうすぐ夕暮れ時だ。

 沈みかけた太陽に染められた茜色の空がモニターの上半分を埋め尽くす。ブリカは轍ではなく、その真っ赤に染まった上空に目を凝らしていた。

 双子の妹であるディアもモニターに注視する。

「……ブリカ、何か見たのね?」

「ああ、目の錯覚かも知れないが……轍を見ていた時、画面の端に薄い影が横切った気がしたんだ。何かが空を飛んで…………ッ!」

 いたっ! とブリカは鋭い声で叫んだ。

 ブリカがモニターの右端を指すと、コンソール担当の少女は待ってましたとばかりにカメラの望遠機能を最大にして未確認飛行物体を補足する。

 それは中世日本人オリベの知らない生物だった。

 しかし、奇抜なものを好むオリベの美的センスを刺激するフォルムをしており、一目見るなり怪獣を目にした少年のように瞳を輝かせる。

「な、なんでござるか……あの“シャギッ!”と格好いい獣は?」

「あやぁ……グリフォンじゃな」

 ガンザブロンを初めとした真なる世界ファンタジア暮らしの長いスプリガン族は、それなりに知っているモンスターだ。しかし、遭遇率はレアだった。

 グリフォン――鷲獅子しゅうししとも呼ばれる。

 わしの頭と翼を持った空を飛ぶ大型の獣だ。前脚は鷲由来の鉤爪かぎつめなのだが、後ろ脚はライオンものとよく似た四足獣となっている。

 たった一匹で牛や馬を数頭まとめて持ち上げる力を有し、鳥の王ともいうべき鷲と獣の王というべき獅子の特徴を併せ持つことから、王家を象徴する獣として神族の王たちに愛された獣でもある。

 一部の神王は車をかせるためグリフォンを飼い慣らしたそうな。

「野生んグリフォンは気性が激しゅう孤高を愛すっちゅうで、飼い慣らすどころか近付っとも危険じゃっどん……よう討伐に挑ん者はおっのど」

「グリフォンに勝てれば戦士として一流ですからね」

 ガンザブロンとダグの解説に、オリベは「ほうほう」と興味津々だった。

 ブリカとディアも注目する。

「グリフォンにしてはデカいな……時折見掛ける個体の倍はあるぞ」

「というか、このグリフォン……背中に誰か乗せてませんか?」

 茜色の空のせいでわかりにくかったが、グリフォンが羽ばたく度に大きな翼の陰に隠れていた人影がシルエットとなって浮かび上がる。

 グリフォンが通常のものより一回り大きいこともあるが、背中に乗る人は小柄に見えた。子供、あるいは線の細い女性の雰囲気がある。

 そして、西日を浴びて輝く切っ先が垣間見えた。

「大振りな剣を構えている……のか?」

 神族? 魔族? 多種族? それとも……。

 眼を細めたブリカが正体を見極めようとした瞬間。

 ブツン! と音を立ててモニター画面がブラックアウトした。

 なんだ!? と疑問を呈する前にコンソール担当のスプリガン娘たちが慌てふためいた。混乱に陥りそうな悲鳴が連鎖する。

「メインモニターに映していた映像の偵察機、通信途絶とぜつしました!」

「映像だけじゃありません! 本体も消失ロストです!」

「付近を飛んでいた偵察機も通信途絶! 数は……えっと、えーっと」

「一機や二機じゃありません! その地域にいた偵察機がすべて消失しちゃいましたぁ……わ、若様ぁ! どうしましょう!?」

 ――地域全体の無人偵察機が全滅?

「……あの、グリフォンに乗った奴の仕業か!?」

 努力の結晶である無人偵察機を何台も壊された怒りもあるが、それよりも先立つのは襲撃を受けたという焦燥感しょうそうかんだった。

 敵襲か!? とダグは意識を総司令官モードに切り替える。

 偵察機を撃ち落としたと思われる正体不明の敵に対処しようと――。



「慌てめされるな――焦りは迷妄めいもうおちいりますぞ」



 指揮を執る前に、オリベの穏やかな声で制された。

 シャリ、シャリ、と雪駄せったという独特な履き物の足音をさせて、オリベはモニタールームの中を歩くと、ダグの隣へ並ぶように立った。

「まずは落ち着きなされ」

 オリベは両手を広げ、ゆっくり制するような動きで抑えつけた。

 不測の事態に狼狽するスプリガンの少女たちは、戸惑いながらもオリベに言われるがまま騒ぐことをやめて、浮かしかけた腰を落ち着かせた。

 それでも、不安げにこちらを振り向いたままだ。

 オリベは扇子を取り出すと、一人の少女を指し示した。

「そこなお嬢さん。先ほどこの大画面に映った画像を担当しておりましたな? 映し出された場所がどこか見当はつきますかな?」

「は、はい……偵察機には座標ざひょうを観測する機能もついてますので」

 訊かれたスプリガンの少女はコンソールに向き直ると、偵察機の送ってきた位置情報を確認して、オリベとダグへ報告してくれる。

「還らずの都より北東、イシュタルランドからは北北西、かつて穂村組の拠点があったとされる北の溶岩地帯からだとやや西寄りの南ですね」

 メインモニターが切り替わり、真なる世界ファンタジアの中央大陸が映る。

 そこに複数の偵察機が撃墜をされた地点に、大まかなマークが付けられる。地図の大きさに比例した円が描かれた。

 この円の内側が――問題の起きた場所だ。

 モニターを見上げたオリベは扇子を広げると明るい声で言った。

「ならば重畳ちょうじょう、ここまでわかれば十分ですな」

 ダグ殿、とオリベは広げた扇子で口元を隠したまま声をかけた。

 扇子に描かれた花鳥かちょう風月ふうげつを見せつけたまま告げる。

「この一件を報告して手柄となされるが良い。さすればツバサ殿はそなたにお褒めの言葉を下さり、現地の調査へは自ら赴かれることでしょう」

 オリベの勧めにダグは困惑してしまった。

「ほ、報告はしますが……手柄になりますかこれ? しかも、現地の調査に俺たちが向かうのではなく、ツバサ様にお任せするなんて……」

「ツバサ様をあごで使うような感じに……なりませんか?」
「私たちが神王しんおうと奉るツバサ様に使い走りをさせるような……」

 自分たちの仕事を――ツバサ様にお任せする。

 これにはダグのみならず、ブリカとディアの姉妹も罪悪感に絞め殺されるような表情で青ざめた。何もしていないのに冷却水ひやあせが止まらない。

 前述の通り、スプリガン族は生粋の軍属気質。

 自分の任務を上官にやらせるなど以ての外もってのほか、言語道断である。

 しかしスプリガン族は現在、遠征任務を自粛するようツバサ様に命じられているので、偵察機が撃墜された地点を調べに行くことはできない。

 すると、オリベは不敵は笑みで説き伏せてくる。

「そんな顔をしなさるな……ツバサ殿の世界をも受け入れる度量どりょうを侮ってはいけませんぞ。それがしたちの願いを鼻であしらう狭量きょうりょうな御方ではありませぬ」

 大丈夫――手柄になるし、ツバサ殿は現地に向かわれる。

 オリベにはそう断言できる確信があった。

「バッドデッドエンズを各個撃破するための討伐の旅は、彼奴らからの宣戦布告によって意味をなさなくなりましたが……四神同盟とこころざしを同じくするぷれいやあ・・・・・を訪ねる旅は続ける、とツバサ殿は仰っていられましたからな」

 ああ、とダグは得心とくしんするように手を打った。

 日之出工務店のヒデヨシ様、ネネコ様、ランマル様……のように新たな出会いとなる可能性があるのなら、ツバサ様は喜んで現地に赴くはずだ。

 この発見も「ダグ大手柄だ!」と褒めてくれるだろう。

 そう考えると、数十機の偵察機を失ったことも報われそうだ。

 だが、ブリカはやや懐疑的かいぎてきな面持ちである。

「……この、偵察機を撃ち落とした何者かが味方になるかも知れないと?」

「無論、顔を合わせるまでは断定しかねますがな」

 バッドデッドエンズの可能性こそ低そうだが、この撃墜犯が必ずしも善人とは限らない。同盟に敵対する危惧きぐも捨てることはできない。

 問答無用で偵察機を撃ち落とされたから尚更だろう。

 唐突に――オリベは謎かけをしてくる。

「これはもしもの話、スプリガン族の駆る飛行艦が正体不明の空飛ぶ機械に見張られていると気付いたなら……さて、そななたちはどう出るかな?」

 噛んで含めるようなオリベの問いにブリカが即答する。

「――その場で撃ち落としますね」
「ブリカ、素振りでもいいから様子見くらいはして……」

 すぐさま撃墜するという短気なブリカに、ディアは眉を八の字にして「せめて調べるくらいはしなさい」とお小言を囁いている。

「……だから偵察機は撃ち落とされたと?」

 ダグは察したようだが、オリベは頷かずに話を続けた。

「あの偵察機は遠くの風景をつぶさに見ることができましたが、惜しむらく音が拾えませなんだ。もしかすると、あのグリフォンに乗った何者かが声をかけたり、警告を発していたやも知れませぬが……」

 言葉尻をぼやかすオリベに、ダグは素直に頭を下げる

「すいません、超々長距離間でやり取りするには映像が精一杯で……」

「なに、ダグ殿が謝ることではありませんぞ」

 そこは今後の課題となるのです、とオリベは励ました。

「改善すべき点があれば前進することができる。まだ進歩することができるのですからな……して、あの偵察機でこちらから話し掛けたり、相手の声を聞き取るようなことは難しいのですかな?」

「今のところ、偵察機本体の操作と映像をこちらのモニターへ転送するので精一杯で……通信機能まで搭載するのは難題なんです」

 無人偵察機はどれも最小最軽量を目指してデザインされており、目立たないことと隠密製を最重視した設計を元に作られているという

「通信機能を乗せると、かなり大型の機体になってしまって……」

「ふむ、悪目立ちしてしまうわけですな」

 乱波らっぱ透波すっぱしのびの者、とオリベはいんを踏んで口ずさむ。

「人目につかず隠れながら調べ物のために暗躍するのが忍の宿命、それが悪目立ちしてしまっては忍たる意味がない……では、こうされてはどうですかな?」

 織部の提案は――役割分担だった。

「ひとつの区画へ派遣する偵察機を取りまとめる、隊長格の大型機を追加するのです。その大型機にのみ通信機能をせればよろしい」

 この大型機はあまり動かさず、潜めさせておく。

 先ほどのように偵察機に異変が生じた場合のみ稼働させればいい。

「その時こそ現場に赴かせ、話の通じる相手かどうか確かめるためにも通信で会話を試みるのです。おお、せっかく大型化させるのですから、他にもいくつかの作業をできるような機能を付け加えてやればいい」

 できますかな? とオリベは試すように問い掛ける。

 ダグは最初こそポカンとした表情でオリベの話に耳を傾けていたが、一通りの案を聞き終えると真剣な眼差しで考え始めた。

 腕を組んで顎に手を当て、俯いたダグは呟いている。

「偵察にばかり気を取られすぎてた……そうだ、通信機能を始めとした各種機能を搭載した隊長機がいれば、調査の質がグッと上がる。作業用のマニピュレーターも追加して、小さなものなら持ち帰る格納スペースも作って……小型機が見つけた気になるものを持ち帰るようにさせればいい。それだけじゃない、地質調査や水質調査もできるようになるし……ッ!」

 持ち上がったダグの両眼に知恵の光が目映まばゆく閃いた。

「それ――ナイスアイデアですよオリベ様!」

 ありがとうございます! とダグは感謝の礼をして絶賛した。

 オリベは満足げな笑顔で「うむ」と頷くのみだった。

「よーし! さっそく試作機の設計に取り掛かるぞ! 大型機といえど偵察機だからステルス性能は高めに……そうだ! 小型機の母艦にしても……」

「――それよりも宴会に出席だろうが!?」
「――それよりも宴会に出席でしょう!?」

 さすがのブリジット姉妹も、作業机に向かって試作機の図面を引こうとしたダグを見過ごすわけにはいかなかった。

 ダグの両腕を両脇からガッチリ押さえて拘束。

 そのままドレッシングルームへと力任せに引き摺っていく。

「なんだかんだやってる間に開宴の時刻まで二十分を切ってるんだぞ! すぐに着替えて大急ぎでツバサ様の我が家マイ・ホームへ出向かねば間に合わん!」

「無人偵察機の完成と、グリフォンを駆る何者か、そして撃ち落とされた偵察機、これらもツバサ様へ報告に行かないと!」

「わ、わかった! わかったから姉さんたち!」

 ちゃんと着替えるから離して! とダグは悲鳴を上げる。

 これまでのダグの素行そこうから「力尽くでやらなきゃダメね!」と痛感したブリカとディアは、愚弟が言い訳しようと聞く耳を持たなかった。

「オ、オリベ様! すいませ……ちょ、着替えて……ああああ~ッ!?」

 情けない声を漏らしたまま、姉2人によってダグは連行される。

「ご安心めされよ。ダグ殿が着替え終わるまで、こちらでお待ちしておりますでな。共に宴席の会場へと参りましょうぞ」

 オリベは扇子をはためかせて見送った。

 ブリジット三姉弟が自動ドアを潜り、廊下を歩き去っていく。

 ダグの声が遠くなったところでガンザブロンも前に出てくると、オリベの横に並んで姿勢を正した。そして、深々とお辞儀をしてくる。

 2m超えの背丈を屈めて、オリベの顔より下まで頭を下げてきた。

あいがとごわすありがとうございます――オリベ殿」

「いやいや、礼を言われるようなことは何一つしておりませぬぞ?」

 オリベはとぼけた口調で謙遜けんそんする。

「若大将に的確な助言……彼ん自尊心プライドを傷つけっことなっ、それどころかより良か成長を促すごつ導いてくれたじゃらせんか……」

 感謝しもっそ、とガンザブロンは改めて礼を述べた。

 ダグへの気遣いに感謝するガンザブロンの肩をオリベは「頭を上げられよ」と柔らかく言い、孫の成長を見守る老爺ろうやの心持ちを明かした。

「子供という芽が生長して、若者という苗木となり、やがて立派な大樹へと生長していく……それを見守るのはしがない年寄りの楽しみですぞ」

 オリベも幾多の若者に指導してきた経験がある。

 誰もが己の持ち味を活かして大樹へと育っていったものだ。それを思い返せば、懸命に精進しょうじんを重ねるダグにも手助けしてやりたくなるのは道理。

 フヒヒ、とオリベは下卑た思い出し笑いをする。

「……もっとも、『ハゲジジイの助言など大きなお世話だ!』と突っぱねる若者もたんとおりましたがな。それはそれ、若気の至りというもの……ダグ殿のように素直にこちらの言葉を受け取ってくれると拍子抜けしてしまいますな」

「ウチん若大将はあん実直さが売りじゃっでな」

 生真面目が過ぎるが、とガンザブロンも苦笑いを浮かべる。

「それにダグ殿ほど才覚さいかくある若人わこうどならば、それがしが教えずとも同じ結論に辿り着いたことでしょう。いや、余計なことを申しましたかな」

 いやいや、とガンザブロンは首を左右に振った。

「若か頃は血ん気ん多さに気がはやって、簡単なことに気付けんこっがどしこでもあっと。じゃっでこそ若者はつまずいてしまうとじゃ」

 そこを指し示してくれる老賢人ろうけんじんはなかなかそばにおらぬもの。

「若大将と御姉妹に成り代わり、重ねて礼を言わせていただっ……」

 ガンザブロンは重ねて礼を述べてきた。

 オリベは安堵の表情を浮かべ、ガンザブロンに頷いた。そして、今もモニタールームで熱心に働くスプリガンたちを見回してもう一度頷いた。

「……ダグ殿は良き家臣らに恵まれましたな」

 スプリガン族の未来は安泰あんたいだ、とオリベは心の内で呟いた。

 気掛かりなのは――先ほどの一件である。

 ダグやブリカは無数の偵察機を撃ち落としたのは、グリフォンを騎馬きばのように乗りこなす大剣を振るう謎の人物と仮定していた。

 だが、オリベは「違う」と思っている。

 オリベの見立てでは、あのグリフォンとそれに騎乗きじょうする者は何もしていなかった。むしろ、何か別のことに従事じゅうじしていたように感じた。

 偵察機を撃墜した犯人は別にいる。

 その犯人は――恐るべき狙撃能力を持っていると考えていい。

 消失が確認された偵察機が飛んでいたのは地域は広い。下手をすれば日本の蝦夷えぞから琉球りゅうきゅうまでスッポリ収まってしまう範囲だろう。

 映像を映していたモニターこそ順々に消えていたが、コンソールを受け持っていた少女たちはほぼ同時に「通信途絶」と騒いでいたはずだ。

 即ち、ほぼ同時に撃ち落とされたに違いない。

 とてつもない範囲内を飛び交う小型の偵察機を、超々遠距離から一機も漏らすことなく一瞬かつ一遍いっぺんに撃ち落とした腕前。

 はっきり言って人間業ではない。

 間違いなく神族か魔族――そして過大能力オーバードゥーイングを駆使した狙撃能力だ。

 オリベも戦国時代を生き抜いた武人。

 銃による狙撃の恐ろしさは身に染みている。実際に狙われたこともあるが、たまたまハゲ頭の輝きに救われて九死に一生を得た。

 あの不意打ちで訪れる衝撃は味わわないとわからない。

 神族や魔族が行う狙撃となれば、その威力はあらゆる面で計り知れないはずだ。

 精密を極めた命中率、途方もない射程距離、一撃で仕留める破壊力。

 同時に無数のまと射貫いぬく時点で人知を超えている。

「……まだ情報が足りないようですな」

 軽々けいけいに判断しない方が良い、とオリベは自らを戒めた。

 それでもダグ殿の報告とは別ルートで、それとなくツバサ殿に耳に入れておいた方が良いだろう。オリベは心の片隅に書き留めておいた。

 まずは一座いちざ建立こんりゅううたげ――話はそれからだ。

   ~~~~~~~~~~~~

 ――スプリガンの無人偵察機が消息を絶った地域。

 この一帯は大昔から乾燥した大地が広がり、お世辞にも肥沃ひよくとはいえないが立派な植生があった。それを頼りに生の営みを繰り広げる多種族、生物、モンスターの生態系がしっかり息づいた世界があった。

 蕃神によって土地の滋養じようを奪われ、今では不毛の大地である。

 砂漠の一歩手前で踏み止まっているのは、この地を収めた神族や魔族が滅び去る直前まで蕃神に抵抗を続けた、せめてもの成果なのだろう。

 時刻は夕暮れ間近、西の山脈に日が沈んでいく。

 その西日を浴びながら、大空を力強く飛ぶ一匹のグリフォンがいた。

 グリフォンは声高らかにいなないている。

 いや――人語でへんてこりんな歌を歌っていた。

「グリフォンは飛ぶよ~♪ ぴぃ~ひょろろろろろ~♪」

 アンズ・・・の間抜けな歌声が風に流れていく。

「グリフォンは飛ぶよ~♪ ぴぃ~ひょろろろろろ~♪」

 人が米粒にしか見えない上空を、轟々と耳鳴りしか聞こえない速度で飛んでいるにも関わらず、素っ頓狂すっとんきょうな歌声はレン・・鼓膜こまくを震わせる。

 レンは少し眉を揺らすと苦情をぶつけてやる。

「……アンズ、うるさい」

 さっきからそれの繰り返しだ、とレンはローテンションに言った。

 アンズと呼ばれたグリフォンは、空を高速で飛ぶために羽ばたきながらわしの頭を振り向かせると「ごめんね~」と気の抜けた返事をする。

 気高きグリフォンとは思えない、音程の高い少女の声だった。

「もうちょっとで思い出せそうなんだよね。レンちゃんも学校で歌った覚えない? ほら、グリフォンは飛ぶよ~♪ って感じの歌」

「何それ、初耳すぎて知らない」

 アンズとは小中高と一緒に通っていたから、学校で歌ったといえばどこかの音楽の時間で合唱でもしたのだろうが、グリフォンのことを歌った音楽なんて見たことはおろか聞いたことも歌ったことさえない。

 そんな歌があったら、このシチュエーションで思い出すはずだ。

 幼馴染みの親友が巨大なグリフォンになって、自分を乗せて大空を飛んでいるという、このファンタジーな状況で連想しないわけがない。

 その時――レンの頭上に閃きのLED電球が灯る。

「……それ、『コンドルは飛んでいく』じゃね?」

「それだそれ! グリフォンじゃなかった! やっと思い出せたよ~!」

 ありがとレンちゃん! とグリフォンのアンズは羽ばたく。

 高度を上げて更に上昇していき、見晴らしが良くて遠くまで電波が届きそうな高さまで上り詰めていく。グリフォンならではの芸当である。

 再びアンズは振り返り、今度はいてきた。

「レンちゃん、反応あった? えーっと……なんだっけ、あの人たち?」

 バッドバッドバッド? とアンズはうろ覚えの名前を呟く。

 違うだろ、とレンは呆れながら口を尖らせる。

「バッドデッドエンズだろ。バッドバッドバッドってなんだよ、スリーバッドでどんだけ最悪なんだよ。まあ、あいつらも最悪なんだけどさ」

 割と口は悪いが、レンはローテンションなので嫌味が足らない。

 おまけにレンは「愛らしい声」らしいので、レンが毒舌を振るっても人によっては「もっとお願いします!」とせがんでくるほど耳が心地いいという。

 渡る世間はマゾばかりか、と嘆いたものだ。

 そして、付き合いの長いアンズはレンの毒舌など意にも介さない。

「そうそう、そのバッドバッドバッドのスリーバッド。昨日から見つからないっていうから、ちょっと遠出してみたけど……どう? 見つかりそう?」

「全然ダメ――まったく反応がない」

 レンは愛剣ナナシチを軽く振ってみた。

 小柄なレンに似つかわしくない、大振りの大剣というべきサイズだ。

 まっすぐな直剣だが日本刀のような片刃で、背には分厚いみねがある。大剣に相応しい厚みがある幅広の刀身だが、その刀身に特徴的なものが並んでいた。

 刀身には――七枚の結晶板がはめ込まれている。

 水晶を二枚貝みたいな厚さのレンズに仕立てたもので、大きさもちょっとした鏡くらいはある。色は赤橙黄色緑青藍紫……と上から順に虹色だ。

 レンはグリフォンと化したアンズの背に座っている。

 大きな背中で遠慮なくあぐらをかくと、背なの鞘から抜いた愛剣を両手にしっかと握り締めている。切っ先は空へと立てていた。

 愛剣を刀を構えるレンも、仲間から「サムライガール」と呼ばれるような格好をしている。はたから見れば女侍おんなざむらいが身の丈にそぐわない大太刀を構えているように見えるのだろう。男の子に間違われたことがないのは、密かな自慢だった。

 アンズも「レンちゃん可愛い!」と褒めてくれるし……。

 いかんいかん、集中しなければ!

 レンは愛剣を構えて念を凝らす。すると七枚の結晶板のうち、その一番上にある赤い結晶板がゆっくり光を灯すように煌めいた。

 力がみなぎ駆動音くどうおんも発している。

 淡い光を瞬かせる赤い結晶板には『探』の一文字が浮かんでいた。フォントなんてあるのか知らないが、綺麗な明朝体みんちょうたいで記されている。

 その『探』の一文字を見上げてレンはぼやく。

「1週間くらい前はバッドデッドエンズで検索したら、そこにもここにもあそこにもって感じの入れ食いで、四方八方にいたのを釣れたんだけど……」

 ここんとこサッパリだ、とレンは釣果ちょうかゼロを強調した。

雑魚ざこの一匹もかかりゃしない」

 嘆息たんそくするレンに、アンズは不安げな言葉を口にする。

「やっぱりアレかな……ジェイク・・・・さんがやっつけすぎちゃったから?」

「かもな。かれこれ30人はってるし」

 バッドデッドエンズが何人いるかは知らないが、連中は108人がどうとかほざいていたので、三桁を数えるくらいの人数はいるのだろう。

 そのうち30人をジェイクは1人で始末している。

「仲間を殺されすぎて警戒するあまり、あたしの探知能力に引っ掛からないように結界の中にでも隠れた……って線はあるかもね」

 30人じゃ足りない、とジェイクは言うだろう。

 バッドデッドエンズを皆殺しにせねば、ジェイクの恨みは晴れないのだ。

 復讐鬼と化したジェイクをアンズたちは止められなかった。

 止める気もなかった、と訂正してもいい。

 バッドデッドエンズに怒りを覚えるのはジェイクだけではない。

 レンもアンズも、ソージ部長も、マルミさんも、それにドラコノート族やノッカー族にリザードマン族、そしてスプリガン・・・・・族も……。

 みんなバッドデッドエンズには酷い目にわされたのだ。

 特にジェイクは――大切な人を奪われていた。

 いつも仲間の前では剽軽ひょうきんに振る舞い、人の和を尊ぶジェイクさんが、彼女を失ったせいで随分ずいぶんと暗い性格になってしまった。話しかければ笑顔を浮かべてくれるが、痛々しい作り笑いが胸に突き刺さる。

 思い詰めて、思い悩んで……ドス黒い憎悪を抑えられないのだろう。

 バッドデッドエンズと相対した時のジェイクは、神族とは思えないほど猛り荒ぶり、破壊神といっても遜色そんしょくない悪鬼羅刹あっきらせつの如き奮戦振りだった。

 本来、神族としての彼の戦い振りはスマートなものだ。

 伊達に『銃神』ガンゴッドと呼ばれて…………。

 タァァァン! と一発の銃声が鳴り響き、レンは我に返った。

 バッドデッドエンズの気配を探っているつもりが、これまでの経緯けいいを振り返りながらジェイクの胸中きょうちゅうおもんぱかるように、物思いにふけっていたらしい。

 銃声にアンズも慌てている。翼が小刻みに震えていた。

「レ、レンちゃん! 今の鉄砲の音って……!」

「騒ぐな。今調べる……うん、敵じゃない」

 ジェイクさんだ、と教えてやるとアンズは安心する。

「そっか、ジェイクさんなら大丈夫だね。でも、いきなりどうしたんだろ? それに今の鉄砲の音、なんか間延びしたように聞こえたけど……?」

「何十㎞も離れてたし、一瞬で何十発も撃ってたからな」

 二丁拳銃使いとはいえ、30発が一発に聞こえるほどの早撃ちだ。おまけに射程距離もスナイパーライフルを遙かに上回っている。

 ジェイクが『銃神』と呼ばれる理由――これはその一端いったんでしかない。

「どうもここら辺を探っている変な機械……ドローンかな? それに勘付いて、目障りだからと全部撃ち落としたみたいだね」

「偵察ドローンってやつ? バッドバッドバッドの仕業かな?」

 さあね、とレンは曖昧に相槌を打った。

 ドローンとはいえ、もしもバッドデッドエンズの誰かが手掛けた機械ならばレンの愛剣が反応を拾うはずだ。それがなかったということは別口だろう。

「いつものジェイクさんなら……撃ち落とさなかった」

 すぐマルミさんとソージ部長に相談して、ドローンの出所を探り当て、平和的に話のできる相手ならば、平和的な解決を望んだはずだ。

 そこへ思い至る余裕もないのだろう。

 彼はバッドデッドエンズを殺し尽くすまで、そしてかたきである“リード・K・バロール”という男の息の根を止めるまで、決して止まろうとしない。

 ジェイクについていくレンたちの戦いも終わらない。

 いつまでも戦い続けることに、悪人とはいえその命を奪うことに、ほんの一年前まで一般的な女子高生だったレンは躊躇ためらいを覚える時がある。

 でも――立ち止まっている暇はない。

 この世界に逃げ場なんてない。悪党と怪物が入り乱れる混沌の坩堝るつぼだ。

「……ッ! レンちゃん、何かいるよ!」

 行く先の空を見つめていたアンズが、いつになく鋭い声で注意を促してきた。グリフォンなのに優しげだった眼差しに野獣の獰猛さが宿る。

 ああ……レンは短く答えて立ち上がった。

 行く手に雲が湧いたかと思えば、急激に膨張する。

 瞬く間に見渡す限りの黒雲へと変わり、絶え間ない稲妻が閃いた。

 雷雲は大きな獣の顔を形作ると、雷鳴の雄叫びを上げながら颶風ぐふうの牙を剥き出しにして、レンとアンズを一呑みにしようと押し寄せてくる。

「――嵐雲獣ストーム・ビーストだ! こんなとこにもいるの!?」

 アンズは驚きの声を上げた。

 VRMMORPGアルマゲドン時代にもいたモンスターだが、あまりにも強すぎて単騎たんき決戦けっせんを挑むことは不可能な、レイドボスとして設定されていた強敵だ。

 しかし、レンは「はん」と鬱陶うっとうしそうに鼻を鳴らす。

 手にした愛剣ナナシチを肩に背負しょうと、一足先に向かうようにアンズの背中から飛び立つ。その際、短くアンズに伝達事項を伝えておく。

「あたしが切り払う――あんたは核」

 了解らじゃ! とアンズの返事を聞いてからレンは飛行系技能を使った。

 レンは初速で音速の壁を突き破り、迫り来る嵐雲獣の鼻っ柱をへし折るべく距離を詰めていく。初撃で決めるべく十全じゅうぜんの準備も忘れない。

 愛剣ナナシチを構え直すと、刀身に変化が現れる。

 一番上の赤い結晶板に『探』の一文字。

 二番目の橙の結晶板に『炎』の一文字、三番目の黄色の結晶板に『剛』の一文字、これらも『探』と同様に整えられた明朝体で浮かぶ。

 新たな文字を現した愛剣の切っ先が――おもいっきり伸びた。

 グングン伸びるのは先端のみ、刃渡りは数百mを超えようとしている。

 おまけに伸びた刀身は刃元から剣先に向かって、溶接機ようせつきのガスバーナーみたいな勢いで炎を噴射していた。触れた大気が燃える熱量は計り知れない。

 炎を噴き上げる長い刀身を、レンは軽やかに振り回す。

 瞬間的な取り回しから繰り出された斬撃は、優に数百を超えたことだろう。面倒臭いのでレンは数えてないが、大体そのくらいだと思っている。

 空を覆い尽くす大きさを誇る嵐雲獣。

 その途方もない巨体が、炎熱の剣によって一瞬で切り払われた。

 悲鳴を上げる暇さえ与えない斬撃によって、自身の肉体でもある黒雲を祓われてしまった嵐雲獣は、そのちっぽけな本体を無防備にさらしている。

 油膜ゆまくを張ったような水晶――大きさはビーチボール大。

 あれこそが嵐雲獣の核、脳と心臓を兼ねたものだ。

「はい、パッカーン!」

 レンが愛剣を振り回している間に、速度を上げたアンズは雷雲獣に特攻を仕掛けており、そのまま核へ突っ込む頭突きをかました。

 グリフォンの突進により、嵐雲獣ストーム・ビーストの核は木っ端微塵に砕け散る。

 かつてレイドボスと恐れられた敵も瞬殺だった。

「そう、あたしたちは強くなった……」

 旋回してきたアンズの背に降り立ち、レンは独りごちる。



 銃神ガンゴッド――ジェイク・ルーグ・ルー。



 彼とともに生きていくため……彼とともに復讐を果たすため……。

 レンもアンズも、この強さをつちかってきたのだ。


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