卒業式で「悪役令嬢の役目は終了です」と告げたら

月下花音

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第3話 Scene 12: 雨の日の捨て猫

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 放課後。
 スタジオ(学校)の外では、大型の散水車と業務用の扇風機による、人工的な嵐が吹き荒れていた。
 今日の撮影は、ラブコメの定番イベント「雨の日の捨て猫」だ。
 だが、その環境は過酷を極める。

 私はビニール傘をさし、校門近くの茂みにしゃがみ込んでいた。
 視界が白くなるほどの豪雨(設定では小雨のはずだが、監督が「画作り」のために水量を倍にしたらしい)。
 靴の中までぐしょ濡れだ。
 そして目の前には、湿ったダンボール箱に入った一匹の子猫。
 プロダクション所属のタレント猫、「ミケちゃん(3歳)」だ。
 プロ意識が高く、カメラが回ると「ミー……」とか細く、哀れっぽく鳴く名優である。

「……よしよし、可哀想に。寒いですわね」

 私はミケちゃんを撫でる演技をする。
 顔は慈愛に満ちた聖母のように。
 だが、心の中では般若のような形相で毒づいている。

 (触りたくねえ……マジで無理……)

 私は重度の猫アレルギーだ。
 近づくだけで目が痒くなり、鼻水が止まらなくなる。
 すでに鼻の奥がムズムズして、爆発寸前だ。
 ミケちゃんの毛が濡れて束になり、そこから発せられる獣臭が雨の匂いと混じって、私の粘膜を直接攻撃してくる。

 早く。
 早く来てくれ、篠崎湊。
 私のライフ(抗ヒスタミン剤の効果)はもうゼロよ。

「……姫宮?」

 来た!
 雨音に混じって、待ちわびた声が聞こえた。
 傘を持った篠崎湊だ。
 部活(設定)帰りの彼が、偶然ここを通りかかるシナリオ。
 私はゆっくりと振り返る。
 計算された角度で、雨に濡れた髪が頬に張り付くように。

「……篠崎様」
「なにして……あ、猫」
 湊が目を丸くして駆け寄ってくる。
 ここでの私の役目は、「悪役令嬢にも優しい一面がある……と見せかけて、実は冷酷無比」という二段構えのギャップを見せつけることだ。
 湊を一度天国(希望)に上げてから、地獄(絶望)に落とす。

「……勘違いしないでくださいまし」
 私は冷たい目で湊を見上げる。
 鼻水をすするのを必死で堪えながら(これが逆に、泣いているように見えるという計算だ)。
「この猫、今度の生物の実験に使おうと思いましてよ。カエルの解剖には飽きましたから」

 どうだ。
 最低だろ。
 動物愛護団体からクレームが来るレベルの、極悪非道な台詞だ。
 さあ、軽蔑しろ。
 「なんて酷い奴だ!」と罵倒して、私から離れろ。
 そうすれば私は即座にこの現場から撤収できる。

「……嘘だろ」
 湊が近づいてくる。
 そして次の瞬間、私の予想を裏切る行動に出た。
 彼は自分の傘を放り投げ、私の傘の中に強引に入ってきたのだ。

 近い。
 雨に濡れた制服の匂い。
 そして、彼の体温が伝わってくるほどの至近距離。

「だってお前、泣いてるじゃないか」

 湊が私の頬に手を伸ばす。
 指先が、私の目尻に溜まった滴を拭う。

 ……は?
 泣いてない。
 断じて泣いてない。
 これはアレルギー性結膜炎による生理現象だ。
 ヒスタミンが暴走してるだけだ。
 感動的なBGM流すな、音響スタッフ!

「やっぱりお前は、本当は優しい奴なんだよ。無理して悪ぶってるだけなんだろ? 実験なんて嘘だ。この子を助けようとしてたんだろ?」
 湊が勝手な解釈をして、熱い眼差しを向けてくる。
 瞳がキラキラしている。
 違う。
 お前の目は節穴か。
 私は今、痒みと寒さと理不尽な労働環境への怒りで震えてるんだよ!

「……っ、ふん! 馬鹿なことを!」
 私は限界だった。
 これ以上ここにいたら、クシャミでNGを出してしまう。
 私はミケちゃんを抱きかかえる(ブワッと濡れた毛が舞う。地獄の粉塵爆発)。

「どきなさい! この子は私が連れて帰ります!」
 
 私は湊を突き飛ばし、土砂降りの中へと走り出した。
 泥水が靴を汚すが、構っていられない。
 逃げろ。
 物理的にも、心理的にも、彼から逃げるんだ。

「姫宮! 俺、信じてるからな! お前の優しさ、俺には見えてるからな!」
 背後から湊の叫び声。
 雨音さえも切り裂くような、真っ直ぐな声。

 うるさい。
 信じるな。
 私はただの、猫アレルギーのバイト女優だ。
 優しさなんて、これっぽっちも持ち合わせてない。

 路地裏に入った瞬間、待機していた黒塗りの高級車(ロケバス)が滑り込んでくる。
 ドアが開く。
 私は車内に飛び込み、ミケちゃんをマネージャーに押し付けた。
 そして、ティッシュ箱をひっつかむ。

「……ハックション!! ズズーーッ!!」

 盛大なクシャミ。
 鼻をかむ音。
 涙でメイクはぐしゃぐしゃだ。
 あー、最悪。目が赤い。痒い。

 スマホが震える。
 監督からのメールだ。
『素晴らしい! あの去り際の涙、実に美しかった。湊の心を強烈に揺さぶったぞ。ボーナス査定+10%だ』

 ……金のためだ。
 私は充血した目で画面を睨みつけながら、自分に言い聞かせた。
 これは全部、金のため。
 でも。
 最後に見た湊のあの顔。
 雨に打たれながら、私を信じ切っていたあの表情。
 あれが脳裏に焼き付いて離れない。
 胸の奥のムズムズが、アレルギーのせいだけじゃない気がして、私は思い切り鼻をかんだ。

(つづく)
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