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第4話 Ad-lib: 想定外のアドリブ
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連日のハードな撮影(と雨天ロケのアレルギー)の代償は大きかった。
私は本当に体調を崩してしまった。
体温計の数字は38.5度。
視界が揺れる。関節が痛い。
それでも、現場は止まらない。
今日のスケジュールは「体育の授業で仮病を使ってサボるシーン」だ。
……笑えない。
役作り不要で、リアルに死にそうだ。
保健室のセット。
私は白いカーテンの中で、簡易ベッドに横たわっていた。
照明が眩しい。
普段なら気にならない機材の駆動音が、熱に浮かせた頭にはガンガン響く。
設定では、ここで湊が入ってきて、「サボりかよ」と呆れつつも、少し会話をしてイベントが進むはずだ。
それで終わり。簡単なシーンだ。
さっさと終わらせて帰ろう。
ガラッ。
保健室のドアが開く。
「姫宮、大丈夫か?」
湊の声だ。
保健室の先生役(エキストラ)が、「少し顔色が悪いみたいで休んでいるの」と台詞を言う。
シャッ。
カーテンが開けられる。
湊の顔がヌッと現れる。
心配そうな顔。
……演技?
いや、あいつは知らないはずだ。私が本当に熱があるなんて。
「……おい、すげぇ顔赤いぞ」
湊が私を覗き込む。
彼の手が伸びてくる。
「……触らないで。仮病ですわ……」
台本通りのセリフ。
でも、声が掠れて、自分でも驚くほど弱々しい。
「嘘つけ。こんなに汗かいて」
湊の手のひらが、私の額に触れる。
ひんやりして、気持ちいい。
大きな手。
熱い肌に、その冷たさが染み渡るようで、つい目を閉じてしまいそうになる。
「先生、こいつ帰らせた方がいいですよ。……俺、家まで送ります」
……はい?
意識が朦朧とする中で、その言葉だけがクリアに聞こえた。
待て待て。
台本にない。
そんなセリフ、どこにも書いてない。
今日はここで会話して、「ふん、お節介ね」で終わりの予定だ。
「家まで送る」なんて、そんなシーン、セットが組まれてない!
耳元のイヤモニから、スタッフの悲鳴に近い声が聞こえる。
『ヤバい、アドリブだ!』
『おい、姫宮邸のセットどうなってる!?』
『まだ大道具さんがペンキ塗ってる途中だ! 玄関がない!』
『リムジンの手配もできてねえぞ!』
現場は大混乱だ。
私は必死で抵抗しようとする。
「け、結構ですわ! 迎えの車を呼びますから……」
「いいから。お前一人じゃ歩けないだろ」
湊が私を背負おうとする。
強引な優しさ。
普段なら突き飛ばせるけど、今の体力じゃ無理だ。
抵抗する力が入らない。
「……っ」
身体が宙に浮く。
私は湊の背中に預けられた。
広い背中。
洗剤の清潔な匂い。
制服越しに伝わる、彼の体温と心音。
……悔しいけど、すごく安心する。
このまま、どこかへ連れて行ってほしいと思ってしまう。
イヤモニから監督の怒号が飛ぶ。
『プランBに変更! 校門前で「執事」に引き渡せ! 絶対に湊をセットの外に出すな! 家に近づけるな!』
了解。
でも、声が出せない。
湊におぶられて、長い廊下を行く。
すれ違うエキストラたちが、ギョッとした顔で道を開ける。
彼らも困惑している。「これ、どうすればいいの?」という目で私を見ている。
でも、湊だけは迷いがない。
「お前、意外と軽いな」
湊が背越しに呟く。
声が振動となって胸に響く。
「……うるさいですわね。セクハラですわ」
「はいはい。……ほんと、無理すんなよ、姫宮」
その声色が、あまりにも優しくて。
熱で緩んだ涙腺が決壊しそうになる。
こいつ、本当にいい奴だな。
私がどんなに冷たくしても、悪態をついても、こいつだけは私を見捨てない。
騙してるのが、どんどん苦しくなる。
胸の奥が、熱とは別の熱さで焼かれるようだ。
校門には、急遽手配された黒塗りの車と、慌てて衣装を着た執事役のおっさん(大部屋俳優の佐藤さん)が立っていた。
まだカツラがズレている。
「お、お嬢様! ご無事で!」
佐藤さんの大根演技。焦りすぎだ。
「……離しなさい、篠崎。迎えが来ましたわ」
私は湊の背中から降りる。
足が地についた瞬間、ふらついた。
視界が回る。
「っと!」
湊がとっさに支えてくれる。
強い腕。
「……ありがとう」
小声で、アドリブで言ってしまった。
役(姫宮麗華)としてじゃない。
私(田中花子)としての、心からの感謝。
湊が驚いた顔をする。
きょとんとして、それから、見たこともないくらい嬉しそうにニカっと笑った。
「おう。お大事にな」
車に乗り込み、ドアが閉まる。
スモークガラス越しに見える湊の笑顔が、遠ざかっていく。
私はシートに沈み込み、深く深くため息をついた。
……バカなことした。
あんな顔されたら。
あんな風に笑われたら。
明日から、悪役に戻りづらくなるじゃないか。
熱のせいだ。絶対そうだ。
私は熱い頬を冷たい窓ガラスに押し付け、目を閉じた。
(つづく)
私は本当に体調を崩してしまった。
体温計の数字は38.5度。
視界が揺れる。関節が痛い。
それでも、現場は止まらない。
今日のスケジュールは「体育の授業で仮病を使ってサボるシーン」だ。
……笑えない。
役作り不要で、リアルに死にそうだ。
保健室のセット。
私は白いカーテンの中で、簡易ベッドに横たわっていた。
照明が眩しい。
普段なら気にならない機材の駆動音が、熱に浮かせた頭にはガンガン響く。
設定では、ここで湊が入ってきて、「サボりかよ」と呆れつつも、少し会話をしてイベントが進むはずだ。
それで終わり。簡単なシーンだ。
さっさと終わらせて帰ろう。
ガラッ。
保健室のドアが開く。
「姫宮、大丈夫か?」
湊の声だ。
保健室の先生役(エキストラ)が、「少し顔色が悪いみたいで休んでいるの」と台詞を言う。
シャッ。
カーテンが開けられる。
湊の顔がヌッと現れる。
心配そうな顔。
……演技?
いや、あいつは知らないはずだ。私が本当に熱があるなんて。
「……おい、すげぇ顔赤いぞ」
湊が私を覗き込む。
彼の手が伸びてくる。
「……触らないで。仮病ですわ……」
台本通りのセリフ。
でも、声が掠れて、自分でも驚くほど弱々しい。
「嘘つけ。こんなに汗かいて」
湊の手のひらが、私の額に触れる。
ひんやりして、気持ちいい。
大きな手。
熱い肌に、その冷たさが染み渡るようで、つい目を閉じてしまいそうになる。
「先生、こいつ帰らせた方がいいですよ。……俺、家まで送ります」
……はい?
意識が朦朧とする中で、その言葉だけがクリアに聞こえた。
待て待て。
台本にない。
そんなセリフ、どこにも書いてない。
今日はここで会話して、「ふん、お節介ね」で終わりの予定だ。
「家まで送る」なんて、そんなシーン、セットが組まれてない!
耳元のイヤモニから、スタッフの悲鳴に近い声が聞こえる。
『ヤバい、アドリブだ!』
『おい、姫宮邸のセットどうなってる!?』
『まだ大道具さんがペンキ塗ってる途中だ! 玄関がない!』
『リムジンの手配もできてねえぞ!』
現場は大混乱だ。
私は必死で抵抗しようとする。
「け、結構ですわ! 迎えの車を呼びますから……」
「いいから。お前一人じゃ歩けないだろ」
湊が私を背負おうとする。
強引な優しさ。
普段なら突き飛ばせるけど、今の体力じゃ無理だ。
抵抗する力が入らない。
「……っ」
身体が宙に浮く。
私は湊の背中に預けられた。
広い背中。
洗剤の清潔な匂い。
制服越しに伝わる、彼の体温と心音。
……悔しいけど、すごく安心する。
このまま、どこかへ連れて行ってほしいと思ってしまう。
イヤモニから監督の怒号が飛ぶ。
『プランBに変更! 校門前で「執事」に引き渡せ! 絶対に湊をセットの外に出すな! 家に近づけるな!』
了解。
でも、声が出せない。
湊におぶられて、長い廊下を行く。
すれ違うエキストラたちが、ギョッとした顔で道を開ける。
彼らも困惑している。「これ、どうすればいいの?」という目で私を見ている。
でも、湊だけは迷いがない。
「お前、意外と軽いな」
湊が背越しに呟く。
声が振動となって胸に響く。
「……うるさいですわね。セクハラですわ」
「はいはい。……ほんと、無理すんなよ、姫宮」
その声色が、あまりにも優しくて。
熱で緩んだ涙腺が決壊しそうになる。
こいつ、本当にいい奴だな。
私がどんなに冷たくしても、悪態をついても、こいつだけは私を見捨てない。
騙してるのが、どんどん苦しくなる。
胸の奥が、熱とは別の熱さで焼かれるようだ。
校門には、急遽手配された黒塗りの車と、慌てて衣装を着た執事役のおっさん(大部屋俳優の佐藤さん)が立っていた。
まだカツラがズレている。
「お、お嬢様! ご無事で!」
佐藤さんの大根演技。焦りすぎだ。
「……離しなさい、篠崎。迎えが来ましたわ」
私は湊の背中から降りる。
足が地についた瞬間、ふらついた。
視界が回る。
「っと!」
湊がとっさに支えてくれる。
強い腕。
「……ありがとう」
小声で、アドリブで言ってしまった。
役(姫宮麗華)としてじゃない。
私(田中花子)としての、心からの感謝。
湊が驚いた顔をする。
きょとんとして、それから、見たこともないくらい嬉しそうにニカっと笑った。
「おう。お大事にな」
車に乗り込み、ドアが閉まる。
スモークガラス越しに見える湊の笑顔が、遠ざかっていく。
私はシートに沈み込み、深く深くため息をついた。
……バカなことした。
あんな顔されたら。
あんな風に笑われたら。
明日から、悪役に戻りづらくなるじゃないか。
熱のせいだ。絶対そうだ。
私は熱い頬を冷たい窓ガラスに押し付け、目を閉じた。
(つづく)
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