【告白短編集】~どこにでもある日常の中に、最高の愛が隠れている~

月下花音

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第6話:電車内の揺れで、君の肩に寄りかかった

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満員電車が、嫌いだった。

毎晩、帰路は地獄だ。会社の疲労をそのまま体に詰めたサラリーマンたちが、身動きも取れないほどぎゅうぎゅうに詰め込まれる。僕は、そういう日常が苦手だった。口下手で、女性との距離感もつかめず、営業成績も同期より劣る。

何度も転職を考えた。けれど、何も変わらないだろうと思い、毎日同じ電車に乗っていた。



その日も、残業を終えて丸の内線に乗った。いつもより一本遅い。だから、いつもより混んでいた。

「すみません、失礼します」

前に立つ女性の声。営業部の同期、椿だ。

彼女は、部内でも有名な美人だ。営業成績も良く、男性からも女性からも好かれている。そういう人と同じ電車に乗ることなんて、これまで何度もあった。だが、僕は彼女に話しかけたことはない。何を話していいか、分からなかったから。

彼女がこっち側に来るまで、僕は視線を下に落とした。



車両は、ぎゅうぎゅうだった。

椿の体が、僕の腕に触れる。彼女は、ゆっくり奥に進もうとしていた。群衆の中で、彼女は不安定に揺らいでいる。

思わず、僕は身を乗り出した。「こっち、つかまりやすいですよ」と、吊り革を指差した。

「あ、ありがとうございます」

彼女の視線が、僕に向いた。その瞬間、僕の心臓が激しく鼓動した。彼女は、僕のことを認識してくれたのか。それだけで十分だった。



電車が、急に揺れた。

「あっ!」

椿が、思わず身を崩す。とっさに、僕は彼女の肩に手を当てた。彼女の体が、僕の胸に寄りかかってくる。

その瞬間、僕の思考は停止した。

彼女の髪の香り。柔らかさ。温もり。それが、すべて僕の中に流れ込んできた。心臓が、高鳴る。手の震えを隠すために、僕は呼吸を深くした。

「ご、ごめんなさい。大丈夫ですか?」

椿が、顔を上げた。その距離は、ほんの数センチ。彼女の瞳が、僕を映していた。

「……大丈夫です」

僕の声が、どうにか出た。

彼女は、もう一度「ありがとうございます」と言って、身体をそっと離した。ただし、微かに、彼女の肩は僕の腕に寄り添ったままだった。



その後、電車は何度も揺れた。

その度に、椿は僕に寄りかかってきた。最初は申し訳なさそうに。やがて、自然に。

駅から駅へ。停車するたびに、彼女は身体の位置をわずかに調整した。その調整のたびに、僕は彼女の体温を感じた。

(この電車、どこまで行くんだろう。日本の端まで行ったらいい。そしたら、ずっと、こうしていられるんじゃないか)

馬鹿な思いだ。でも、その馬鹿さが、心地よかった。



両国駅。

椿が、身体を起こした。

「そろそろ、降ります」

その言葉に、僕の現実が戻ってきた。

どれだけ経ったのか、もう分からなかった。ただ、その短い時間が、僕の人生で最も長く、最も濃密な時間に感じられた。

「あ、待ってください」

僕は、思わず声をかけた。

彼女が、振り返った。

「……この電車の揺れ。その中で、君の肩に寄りかかることができて。本当に……」

何を言ってるんだ。頭がおかしくなったんじゃないか。直訳すれば「君の肩に寄りかかることができて嬉しい」なんて、セクハラだ。

だが、止められなかった。

「本当に、よかった」



椿は、黙っていた。

群衆に押し流される時間。その中で、彼女の表情は、困惑から、やさしさへと変わった。

「……私も」

か細い声。

「私も……」

彼女は、視線を落とした。そして、もう一度、僕を見た。

「あなたの肩、寄りかかっていて……心地よかった」



電車が、到着を告げるアナウンスを流した。

椿は、群衆に押し流されながら、ドアの方へ向かった。ドアが開く。彼女は、降りていく。

ただし、その一瞬。

彼女は、僕を振り返り、笑った。

その笑顔は、すべてを物語っていた。

(明日も、この電車に乗ろう。そして、また君に会おう)

僕は、そう決めた。

電車の揺れは、もう嫌ではなかった。
それは、君への距離を、毎日ちょっとずつ縮めるための、最高の舞台だから。
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