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第7話:コンビニのレジで、君の笑顔を買った
しおりを挟む深夜2時。
私は、また来てしまった。
会社での失敗の連続。親からの「このままだと婚期が遅れる」という圧力。友人たちの結婚ラッシュ。そして、何より、自分自身への失望。
夜遅く帰宅した後、眠ろうとしても眠れない。心が、どこか浮遊している。そんな時、私の足は自動的に、駅前のコンビニに向かっていた。
初めてこの店に来たのは、三ヶ月前だ。
その時も、深夜だった。疲れた体で、ただ歩いていた。そして、ふらりとこの店に入った。
「いらっしゃいませ」
レジに立つ女性の笑顔を見た時、私は、何かが変わるのを感じた。
彼女の名札には「葉月」と書いてあった。
その笑顔は、教科書に載っているような「完璧な笑顔」ではなかった。むしろ、ぎこちないほどだった。でも、それが、良かった。
その不完全さの中に、何か真摯なものを感じた。
それ以来、私は毎晩ここに来るようになった。
最初は、適当に商品を選んでいた。だが、次第に私の来店パターンは固定化した。おにぎり一個。缶コーヒー一本。これだけ。
なぜ、その商品なのか。もう、自分でもわからない。
ただ、その商品を持って、レジに並ぶ。そして、葉月さんの顔を見る。その笑顔を、見る。
それだけが、私の夜を支えていた。
ある日、私は気づいた。
葉月さんも、私に気づいている。
毎晩、同じ時間に来る客。毎晩、同じ商品を買う客。最初は「この変な客か」程度だったかもしれない。だが、やがて彼女の対応が変わった。
「こんにちは。お疲れ様です」
いつもより丁寧な敬語。いつもより温かい声。
私は、心の中で叫んでいた。(もっと話したい。この人のことを知りたい。この人の笑顔の理由を知りたい)
その晩も、私はコンビニに向かった。
いつものおにぎり。いつもの缶コーヒー。
だが、その日は、他の客がいなかった。
深夜2時。誰も来ない時間帯。レジは、葉月さんと私だけだった。
「いつも、この時間に来られるんですね」
彼女が、話しかけてきた。
(来た。遂に来た。この瞬間が来た)
「はい……」
私の声は、上ずっていた。
「何か、理由があるんですか?」
その質問に、私は、正直に答えることにした。
「……あなたの、笑顔を、見たくて」
言った後、私は後悔した。完全に、セクハラだ。気持ち悪い。逮捕される。
だが、葉月さんは、微かに赤くなった。
「……そう、ですか」
か細い声。その声は、震えていた。
「実は、私も……毎晩、あなたを待ってたんです」
時間は止まった。
「私も、この時間が好きで。だから、シフトをこの時間に合わせてもらってるんです」
葉月さんは、顔を上げた。
「毎晩、あなたが来るのを、待ってました」
レジの上。お釣りを数えるはずの手が、止まった。
「もしかして……」
「はい」
彼女は、小さく頷いた。
「私も、あなたのことが、好きです」
その言葉は、宣言ではなく、告白だった。
その後、何を話したのか、もう覚えていない。
ただ、私たちは、深夜2時のコンビニで、お互いの気持ちを確認し合った。
営業時間外に、私たちは手を握った。
蛍光灯の白い光が、私たちを照らしていた。
だが、その光は、もう冷たくなく、温かく感じられた。
朝の4時。
店長からの指摘で、葉月さんは仕事に戻らなければならなかった。
彼女は、レジに戻った。私は、店を出た。
出る前に、彼女を振り返った。
彼女は、私に向かって手を振った。
その手の動きは、いつもとは違った。それは、ただの「ありがとうございます」ではなく、「また明日ね」という、約束だった。
深夜2時のコンビニは、私の「避難所」から、「約束の場所」に変わった。
毎晩、彼女と会う。その度に、蛍光灯は、もっと温かく感じられるようになっていった。
もう、何も怖くない。
ここには、私を待ってくれる人がいるから。
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