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第25話:病室のベッドで、君の手を握った
しおりを挟む彼女の名前は結衣。
一ヶ月前、交通事故に遭った。
軽い脳震盪と、右足の骨折。医者は「二週間で退院できる」と言った。
だが、退院予定日を過ぎても、結衣は目を覚まさなかった。
病室。個室。
彼女は白いシーツの上に、静かに眠っていた。
右足はギプスで固定されている。
顔色は悪い。呼吸は浅い。
脳波は異常を示していないが、原因不明の昏睡が続いていた。
医者も、はっきりした原因を特定できない。
その日から、僕は毎日、病室に通った。
結衣の手を握った。
「目を覚ましてくれ」
その言葉を、何度も何度も繰り返した。
三週間目。
結衣の両親が帰った深夜。
僕は彼女の手を握ったまま、眠りについていた。
その時。
彼女の手が、僕の手を握り返した。
最初は、反射的な動作だと思った。
だが、違った。
確実に、意思を持った圧力だった。
「結衣?」
僕は起き上がった。
彼女の瞼が、かすかに揺れている。
「結衣!」
声をかけた。
彼女の瞼が、ゆっくり開いた。
焦点が定まらない瞳。だが、確実に僕を探している。
「うーん……」
か細い呻き声が口から漏れた。
「大丈夫。医者を呼ぶから」
僕はナースコールを押した。
医者の検査が終わった。
「意識は戻ったようだ。あとは安静にして様子を見よう。数日で完全に目覚めるだろう」
その言葉を聞いた時、初めて、僕は涙が出た。
翌日。
結衣は完全に目覚めていた。
「拓哉さん」
彼女が、か細い声で呼んだ。
「結衣」
僕は彼女のベッドの横に座った。
「どのくらい眠ってた?」
「三週間」
結衣の目に、涙が溜まった。
「三週間も?」
「ああ」
僕は彼女の手を握った。
「怖かった。君が目を覚まさなくて」
結衣は何も言わず、僕の手をぎゅっと握った。
「私は……夢を見てた」
「夢?」
「暗いトンネル。その先に、光が見える。でも、進めない」
結衣の声が震えている。
「その時、聞こえた。拓哉さんの声。『目を覚ましてくれ』って」
僕は何も言えなかった。
「それで、目を覚ましたかった。でも、身体が動かなくて。ずっと、その暗いトンネルの中で、拓哉さんの声を待ってた」
結衣の目から、涙が流れた。
「君は、僕の声で目を覚ましたんだ」
「はい」
結衣は、僕を見つめた。
「拓哉さん」
「何だ?」
「私のこと、好きですか?」
その質問に、僕は答えた。
「好きだ。本当に好きだ」
「本当ですか?」
「本当だ。三週間、毎日毎日、君を見つめて、何度も何度も君に『目を覚ましてくれ』って言った。それは、君のことが好きだからだ」
結衣は泣いた。
「私も。目を覚ましたい気持ちと同じくらい、拓哉さんが好きでした」
僕は彼女の手をぎゅっと握った。
白いシーツの上で。
病室の蛍光灯の下で。
二人は、手を握ったまま、ずっと沈黙していた。
その沈黙の中に、全ての想いが詰まっていた。
一ヶ月後。
結衣は退院した。
右足はまだ松葉杖が必要だったが、歩くことができるようになった。
病院を出る時。
結衣が立ち止まった。
「拓哉さん」
「何だ?」
「あの病室で、つながった手を……もう離したくない」
その言葉に、僕は膝を落とした。
「結衣。結婚してくれ」
結衣の顔が、驚きで満ちた。
だが、すぐに笑顔に変わった。
「はい」
小さな、でも確かな返事。
病院の前で。
青空の下で。
僕たちは手を握ったまま、新しい人生へ歩み始めた。
病室のベッドで握った手。
その手は、二度と離れることがないだろう。
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