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2話 籠に入る
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意識がゆっくりと浮上する。
最初に感じたのは、柔らかなシーツの感触と、嗅いだことのない香り。
静かで、落ち着くような、それでいてどこか心をざわめかせる、深い森のような香り。
……ん
重いまぶたをこじ開けると、視界に飛び込んできたのは豪奢なシャンデリアだった。
驚いて身を起こすと、そこは信じられないほど広い部屋の、キングサイズのベッドの上だった。
シルクのシーツ、彫刻の施されたアンティーク家具、床にはふかふかの絨毯。
窓の外には、きらめく東京の夜景が宝石のように広がっている。
(どこ……ここ……?)
パニックが心臓を鷲掴みにする。
自分の服装は、あの安っぽいバイト用の制服のままだった。
ということは、これは夢じゃない。
私は、あの男に――。
「目が覚めたか」
低い、静かな声が部屋に響いた。
びくりと振り返ると、窓際にあの男が立っていた。
黒いシャツを纏い、夜景を背にしたその姿は、まるで一枚の絵画のようだった。
男――一条蒼真は、ゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。
一歩近づくごとに、彼のαとしてのフェロモンが濃くなっていく。
体が強張り、呼吸が浅くなる。
「ここはどこなんですか?私、帰らないと……」
「俺の家だ。心配しなくていい、もう君はどこにも行く必要はない」
「何を言ってるの!?帰らせて!私には帰る場所が……」
ある、と言いかけて言葉に詰まる。
私に帰る場所なんて、本当にあるのだろうか。
薄暗いワンルームの、薬の匂いが染み付いたあの部屋が?私を捨てた家族が?
その一瞬の迷いを、蒼真は見逃さなかった。
彼はベッドサイドまで来ると、私の隣に腰を下ろした。
逃げようと身を引くが、いとも簡単に手首を掴まれる。
華奢に見えるのに、その力は抗いようもなかった。
「君の名前は?」
「……っ」
「言いなさい。いいこだから」
そう言いながら頭を撫でた。しかしその声色は恐ろしく命令の様だった。
αが、自分より劣る存在に下す、絶対的な命令。
本能が逆らえない。
「……宮下、柚羽です」
「柚羽か。いい名前だね」
蒼真は満足げに頷くと、私の手首を掴んだまま、自分の名前を告げた。
「俺は一条蒼真。君がずっと探していた、君は僕の運命の番だ」
「ちがう!」
思わず叫んでいた。
恐怖が理性を上回る。
「私はベータです!人違いです!だから、お願い、離して……!」
この嘘だけが、私の最後の砦だった。
これを突破されたら、私は本当に終わってしまう。
だが、蒼真は静かに首を振った。
その瞳には、憐れみと、そしてどうしようもないほどの渇望が宿っていた。
「嘘はよせ、柚羽。
君のその香りだけは、何を使っても隠しきれない。俺には分かるんだ。他の誰でもない、君が俺のΩだと。君もわかっているんだろう?」
彼は私の手を取り、その甲にそっと唇を寄せた。
びくっ、と体が跳ねる。
触れられた部分から、熱が広がっていく。
「君は今まで、辛かっただろう。たった一人でヒートの恐怖に耐え、薬で自分を偽って……。
だが、もうその必要はない。俺が君を全てから守ってやる」
甘い、囁きだった。
悪魔の誘惑。
その言葉は、私の心の最も柔らかい場所を的確に抉った。
孤独、恐怖、誰にも理解されない痛み。
その全てを、この男は肯定しようとしている。
「いや……やめて……」
涙が滲む。
怖い。
この男は怖い。
私の全てを見透かして、心の奥に土足で踏み込んでくる。
でも、それと同時に、心のどこかで安堵している自分もいた。
もう、一人で戦わなくていいのかもしれない、と。
「柚羽。選択肢をあげよう」
蒼真は私の涙を指で拭うと、まっすぐに瞳を覗き込んできた。
「一つは、ここから出ていくこと。ただし、君はまだ誰とも番っていない。だけど運命の番である私のフェロモンに当てられてしまっているから、君のその極上のフェロモンは、抑制剤ごときではすぐに効かなくなる。」
「街を歩けば、理性を失ったαどもにいつ襲われるか分からない。君が忌み嫌う『運命』に、もっと惨めな形で屈することになるだろう」
ぞわり、と背筋が凍る。
それは、私が最も恐れていた未来そのものだった。
もう一つは、ここにいることだ
彼は続けた。
「俺の番になれ。そうすれば、俺が君の全てを保障する。金も、安全も、ヒートの苦痛からの解放も。」
「俺以外の誰にも、指一本触れさせないと誓う。君は、ただ俺の腕の中で、安らかに過ごせばいい」
それは、契約の言葉。
甘美な響きを持った、紛れもない監禁の宣告。
「そんなの……まるで、籠の中の鳥じゃない……」
「そうだな」
蒼真はあっさりと認めた。
「だが、外の世界もお前は自由かもしれないがお前を苦しめるものばかりだよ、柚羽。もうつらい思いはしたくないだろう?だけど籠の中の世界は狭いかもしれないけどお前に優しいよ」
「飢えた獣がうろつく世界か、それともお前だけを愛する俺という、俺の腕の中か」
「どっちの世界がいい?答えて、柚羽。」
返す言葉もなかった。
彼の言う通りだった。
私は今までも、『Ω』だとゆうということが広い世界で生きる柚羽を苦しめた。
抑制薬という鎖に繋がれ、αに襲われるかもしれないと常に怯えながら。
「どうして……私なんですか……」
愚問だ。私にもわかっていたそれでも聞かずにはいられないのだ。
「言っただろう。運命だからだ」
蒼真は恍惚とした表情で、私の首筋に顔を寄せた。
直接香りを吸い込まないように、ギリギリのところで留めている。
彼の理性が、まだかろうじて機能している証拠だった。
この香りを嗅いだ瞬間、俺の世界は君一色に染まった。
「もう君なしでは生きられない。分かるか?俺も、君に囚われたんだ」
彼もまた、私とゆうΩの香りに囚われている。
その事実に、柚羽はめまいがした。
共依存。それは、あまりにも歪で、危険な関係。
「少し、頭を冷やしなさい。答えは急がないよ」
蒼真はそう言って立ち上がると、ドアの方へ向かった。
「食事は後で運ばせる。何か欲しいものがあれば、インターホンで言え。なんでも用意させる」
(待って!行かないで……!)
違う。そうじゃない。
行かないで、と口走りそうになって、慌てて言葉を飲み込んだ。
何を言っているの、私。
引き止めてどうする。
一人になるのが怖い?
この男がそばにいないと、不安で死んでしまいそう?
私の心の揺らぎを、蒼真は見逃さなかった。
彼はドアノブに手をかけたまま、振り返って悪魔のように微笑んだ。
「ほらな、柚羽。君の体は、もう答えを知っているんだよ」
カチャリ、と無機質な音が響く。
鍵が、かけられた。
一人残された部屋で、柚羽はベッドの上に崩れ落ちた。
静かすぎるこの部屋が、豪華であればあるほど、鉄格子のない監獄なのだと突きつけられる。
(番を閉じ込めるための、檻じゃない……)
その言葉が、頭の中で何度も反響する。
恐怖と、ほんの少しの甘い期待が混ざり合った、毒のような響き。
もう、逃げられないのかもしれない。
いや、心のどこかで、もう逃げたくない、と願ってしまっているのかもしれない。
最初に感じたのは、柔らかなシーツの感触と、嗅いだことのない香り。
静かで、落ち着くような、それでいてどこか心をざわめかせる、深い森のような香り。
……ん
重いまぶたをこじ開けると、視界に飛び込んできたのは豪奢なシャンデリアだった。
驚いて身を起こすと、そこは信じられないほど広い部屋の、キングサイズのベッドの上だった。
シルクのシーツ、彫刻の施されたアンティーク家具、床にはふかふかの絨毯。
窓の外には、きらめく東京の夜景が宝石のように広がっている。
(どこ……ここ……?)
パニックが心臓を鷲掴みにする。
自分の服装は、あの安っぽいバイト用の制服のままだった。
ということは、これは夢じゃない。
私は、あの男に――。
「目が覚めたか」
低い、静かな声が部屋に響いた。
びくりと振り返ると、窓際にあの男が立っていた。
黒いシャツを纏い、夜景を背にしたその姿は、まるで一枚の絵画のようだった。
男――一条蒼真は、ゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。
一歩近づくごとに、彼のαとしてのフェロモンが濃くなっていく。
体が強張り、呼吸が浅くなる。
「ここはどこなんですか?私、帰らないと……」
「俺の家だ。心配しなくていい、もう君はどこにも行く必要はない」
「何を言ってるの!?帰らせて!私には帰る場所が……」
ある、と言いかけて言葉に詰まる。
私に帰る場所なんて、本当にあるのだろうか。
薄暗いワンルームの、薬の匂いが染み付いたあの部屋が?私を捨てた家族が?
その一瞬の迷いを、蒼真は見逃さなかった。
彼はベッドサイドまで来ると、私の隣に腰を下ろした。
逃げようと身を引くが、いとも簡単に手首を掴まれる。
華奢に見えるのに、その力は抗いようもなかった。
「君の名前は?」
「……っ」
「言いなさい。いいこだから」
そう言いながら頭を撫でた。しかしその声色は恐ろしく命令の様だった。
αが、自分より劣る存在に下す、絶対的な命令。
本能が逆らえない。
「……宮下、柚羽です」
「柚羽か。いい名前だね」
蒼真は満足げに頷くと、私の手首を掴んだまま、自分の名前を告げた。
「俺は一条蒼真。君がずっと探していた、君は僕の運命の番だ」
「ちがう!」
思わず叫んでいた。
恐怖が理性を上回る。
「私はベータです!人違いです!だから、お願い、離して……!」
この嘘だけが、私の最後の砦だった。
これを突破されたら、私は本当に終わってしまう。
だが、蒼真は静かに首を振った。
その瞳には、憐れみと、そしてどうしようもないほどの渇望が宿っていた。
「嘘はよせ、柚羽。
君のその香りだけは、何を使っても隠しきれない。俺には分かるんだ。他の誰でもない、君が俺のΩだと。君もわかっているんだろう?」
彼は私の手を取り、その甲にそっと唇を寄せた。
びくっ、と体が跳ねる。
触れられた部分から、熱が広がっていく。
「君は今まで、辛かっただろう。たった一人でヒートの恐怖に耐え、薬で自分を偽って……。
だが、もうその必要はない。俺が君を全てから守ってやる」
甘い、囁きだった。
悪魔の誘惑。
その言葉は、私の心の最も柔らかい場所を的確に抉った。
孤独、恐怖、誰にも理解されない痛み。
その全てを、この男は肯定しようとしている。
「いや……やめて……」
涙が滲む。
怖い。
この男は怖い。
私の全てを見透かして、心の奥に土足で踏み込んでくる。
でも、それと同時に、心のどこかで安堵している自分もいた。
もう、一人で戦わなくていいのかもしれない、と。
「柚羽。選択肢をあげよう」
蒼真は私の涙を指で拭うと、まっすぐに瞳を覗き込んできた。
「一つは、ここから出ていくこと。ただし、君はまだ誰とも番っていない。だけど運命の番である私のフェロモンに当てられてしまっているから、君のその極上のフェロモンは、抑制剤ごときではすぐに効かなくなる。」
「街を歩けば、理性を失ったαどもにいつ襲われるか分からない。君が忌み嫌う『運命』に、もっと惨めな形で屈することになるだろう」
ぞわり、と背筋が凍る。
それは、私が最も恐れていた未来そのものだった。
もう一つは、ここにいることだ
彼は続けた。
「俺の番になれ。そうすれば、俺が君の全てを保障する。金も、安全も、ヒートの苦痛からの解放も。」
「俺以外の誰にも、指一本触れさせないと誓う。君は、ただ俺の腕の中で、安らかに過ごせばいい」
それは、契約の言葉。
甘美な響きを持った、紛れもない監禁の宣告。
「そんなの……まるで、籠の中の鳥じゃない……」
「そうだな」
蒼真はあっさりと認めた。
「だが、外の世界もお前は自由かもしれないがお前を苦しめるものばかりだよ、柚羽。もうつらい思いはしたくないだろう?だけど籠の中の世界は狭いかもしれないけどお前に優しいよ」
「飢えた獣がうろつく世界か、それともお前だけを愛する俺という、俺の腕の中か」
「どっちの世界がいい?答えて、柚羽。」
返す言葉もなかった。
彼の言う通りだった。
私は今までも、『Ω』だとゆうということが広い世界で生きる柚羽を苦しめた。
抑制薬という鎖に繋がれ、αに襲われるかもしれないと常に怯えながら。
「どうして……私なんですか……」
愚問だ。私にもわかっていたそれでも聞かずにはいられないのだ。
「言っただろう。運命だからだ」
蒼真は恍惚とした表情で、私の首筋に顔を寄せた。
直接香りを吸い込まないように、ギリギリのところで留めている。
彼の理性が、まだかろうじて機能している証拠だった。
この香りを嗅いだ瞬間、俺の世界は君一色に染まった。
「もう君なしでは生きられない。分かるか?俺も、君に囚われたんだ」
彼もまた、私とゆうΩの香りに囚われている。
その事実に、柚羽はめまいがした。
共依存。それは、あまりにも歪で、危険な関係。
「少し、頭を冷やしなさい。答えは急がないよ」
蒼真はそう言って立ち上がると、ドアの方へ向かった。
「食事は後で運ばせる。何か欲しいものがあれば、インターホンで言え。なんでも用意させる」
(待って!行かないで……!)
違う。そうじゃない。
行かないで、と口走りそうになって、慌てて言葉を飲み込んだ。
何を言っているの、私。
引き止めてどうする。
一人になるのが怖い?
この男がそばにいないと、不安で死んでしまいそう?
私の心の揺らぎを、蒼真は見逃さなかった。
彼はドアノブに手をかけたまま、振り返って悪魔のように微笑んだ。
「ほらな、柚羽。君の体は、もう答えを知っているんだよ」
カチャリ、と無機質な音が響く。
鍵が、かけられた。
一人残された部屋で、柚羽はベッドの上に崩れ落ちた。
静かすぎるこの部屋が、豪華であればあるほど、鉄格子のない監獄なのだと突きつけられる。
(番を閉じ込めるための、檻じゃない……)
その言葉が、頭の中で何度も反響する。
恐怖と、ほんの少しの甘い期待が混ざり合った、毒のような響き。
もう、逃げられないのかもしれない。
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