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9 暴言
しおりを挟む時は流れ、セレナがアルファーロ侯爵家に嫁いで9年が経った。セレナは29歳になっていた。夫ルーベンは34歳である。長男ルシオは8歳、次男ファビオは6歳の生意気盛りだ。
セレナは2年前からルシオに家庭教師をつけている。そして今年からはファビオも同じ教師に指導を受けるようになった。
ところが子供たちは二人とも口を揃えて「先生が厳し過ぎる」と不満を漏らすのだ。けれど、よくよく話を聞いてみれば、子供たちが我が儘を言って家庭教師から当たり前の注意をされているに過ぎない。セレナは二人を諭した。
「それはルシオとファビオがいけないわ。先生が注意なさるのは当然だと思うわよ。確か、以前にも同じ事で注意されたのではなくて?」
ルシオが口を尖らせて言い返す。
「母上は先生の味方をするのですか?」
「ルシオ。敵とか味方とかいう話ではないでしょう? 先生のおっしゃることが道理だと言っているのよ」
セレナの言葉にルシオは不満そうだ。ファビオも口を開く。
「クラーラは、僕たちは悪くないって言ってたよ! 先生の頭が固過ぎるんだって言ってた!」
全く、あの女は――セレナは心の中で舌打ちをする。
「ファビオ。『クラーラさん』でしょう? あの方は貴方たちの教育に何の関係も責任もない赤の他人なのよ? 家庭教師の先生は、我が侯爵家よりルシオとファビオの教育を任されて、責任を持って仕事をなさってるの。ここでクラーラさんの名前を出すのはナンセンスだわ」
子供相手についムキになってしまうセレナ。「クラーラ」という名が、我が子の口から出て来ること自体が忌々しいのだ。膨れっ面のルシオとファビオを、セレナは忸怩たる思いで見つめた。
「クラーラさん、貴女また来ていらっしゃるの?」
いつものように図々しく屋敷に入り込んでいるクラーラを見つけて、セレナは声を掛けた。
「あら、セレナ様。こんにちは」
何が「あら、こんにちは」だ。女主人である自分に一言の挨拶もなく屋敷に上がっておいて、よくも平然としていられるものだ。毎回の事ながら、ふてぶてしいクラーラの態度に苛立つセレナ。
「クラーラさん、子供たちに家庭教師の悪口を吹き込むのは、やめて下さる?」
「そんな……悪口なんて言ってません。ただ、ルシィちゃんやファビちゃんの気持ちに寄り添ってあげたくて……」
はいはい、「ルシィちゃん」に「ファビちゃん」ね。勝手に付けた愛称で我が子を呼ぶクラーラに虫唾が走る。セレナはクラーラを睨みつけた。
「貴女は子供たちに関わらないで下さい。教育上、そして躾上、大変良くありませんから」
「そんな……酷いわ」
また泣くのか。セレナはウンザリしていた。セレナが少し強く言うと、泣きながらルーベンに助けを求める。それがクラーラのいつものパターン。ただし、クラーラは少女ではない。現在33歳のトウの立った令嬢なのである。
案の定、その後クラーラに泣きつかれたルーベンがセレナの元へやって来た。クラーラはルーベンの背中に隠れている。うん、10代の少女なら可愛いかもしれない。でも33歳なのよね――セレナは心の中で嗤った。
「セレナ。いつも言ってるけど、クラーラに悪気はないんだ。あまりキツく当たらないでくれ。クラーラは私の妹同然なのだから、仲良くしてくれよ」
夫のその台詞はもう聞き飽きた。この9年間、幾度となく繰り返された台詞に、セレナは辟易していた。
「悪気はない? 仮にそうだとしても子供たちに明らかに悪影響を及ぼしていますわ」
「クラーラはルシオとファビオを可愛がっているだけなんだ」
「ルーベン様は、クラーラさんのことになると急に話が通じなくなりますわね」
「どういう意味だ?」
「そのままの意味です。何をどう言っても通じない方と、これ以上お話しするつもりはございません。時間の無駄ですわ」
セレナの言葉に気色ばんだのは、言われたルーベンではなくクラーラだった。ルーベンの背中の陰から飛び出してきたクラーラは、目を吊り上げてセレナに言い放った。
「どうしてそんなに偉そうなの?! 貴女なんか……貴女なんか、陛下のお古のくせに!!」
セレナは唖然とした。今更、何を言い出すのだ、この女は――
「クラーラ! やめろ! 何てことを言うんだ!?」
ルーベンが声を荒げた。怒鳴られたことが余程意外だったのか、クラーラは驚いた顔をしてルーベンを見る。
セレナの側に控えていた侍女が、いきなり部屋の扉を開け、怒りのこもった低い声でクラーラに告げた。
「お帰りはこちらでございます」
「な、何よ!?」
狼狽えるクラーラ。
「お帰りはこちらでございます」
侍女はもう一度言った。クラーラは動かない。どうしていいか分からない様子だ。他の使用人達も扉の近くに集まって来て、声を揃えた。
「「「「お帰りはこちらでございます」」」」
クラーラは顔を引き攣らせて部屋を出て行った。
ルーベンは、何とも言えない表情でセレナの顔を見た。
「セレナ……すまない。クラーラが酷い言い方を……」
力なく謝るルーベンにセレナは何も言わず、自室に戻った。侍女も使用人達もセレナに付き従う。
「奥様。あの女、どうしてやりましょう?」 「ホントに忌々しい女!」
「奥様! 王都湾に沈めましょう!」 「地獄へ落ちればいいのに!」
セレナ付きの侍女を始めとした使用人達が、口々にクラーラへの呪詛を吐く。
「皆、落ち着いて。私は気にしていないから」
「「「「奥様ー!!!」」」」
「私はね、陛下の側妃だった過去を悔やんだことなど一度もないの。陛下は高潔で立派な方よ。あの方の側妃だったことは、とても名誉なことだと思っているわ」
「そうでございますよ、奥様。我が国の国王陛下の側妃様でいらした奥様に、あのような物言いをするなんて、クラーラ様はとんだ恥知らずにございます」
侍女の言葉にセレナは静かに頷く。
「そうね。私もそう思うわ」
今回は、さすがのクラーラも相当懲りただろう、とセレナも使用人達も思っていた。だが、あれから1週間も経たぬうちに、クラーラはまた平然とアルファーロ侯爵家に出入りし始めたのだ。セレナはその厚かましさに呆れ返った。
ところが、ルーベンの様子が何かオカシイ。今までと違うのだ。クラーラがルーベンの執務室を訪ねても「今は仕事中だから」と、彼女を中に入れずにバタンと扉を閉めたり、甘えるようにルーベンに話しかけてくるクラーラに素っ気ない態度を取ったり――セレナは訝しく思ったが、特にルーベンに問うことはしなかった。
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