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第一章 失くした鍵
第四節
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マミが朝起きて、一番に気付いたのは違和感だった。
昨日は疲れ果てて椅子で寝ていたはずだ。しかし今自分がいるのはベッド。何故か、と考える前にベッドから転がり落ちた。マミは人より朝に弱い。起きようと思っても身体が言うことを聞かないのだ。こればっかりは仕方がない。
私は悪くない。悪いのはこの身体だ。
落ちてしまったせいで冷える前に身体を布団に滑り込ませる。そしてそのまま首を捻ったり、腕を伸ばしたりする。それからゆっくりと身体を起き上がらせる。そうしてしまえばあとはこっちのものだ。慎重に、しかし大胆に布団から出てしまえば、勝手に意識がはっきりしてくるというものなのだ。
ベッドから下りて捲れた布団はそのままに枕の位置をいつもの定位置に戻す。これがマミの習慣だった。「よし、いつも通り」
部屋を出てリビングへと向かう。狭いリビングには食べ物のいい匂いが充満しており、そこには昨日待ちわびていた人が、笑って出迎えてくれていた。
「ただいま、マミ」
「……遅いよ」
マミの言葉にモミジは苦笑する。
「美味しかったよ、マミのご飯。また腕を上げたね」
モミジの言葉にマミは嬉しそうに口をすぼめた。「ルミは?」とマミが聞くとモミジは笑いながら答える。
「ルミもすっかり大きくなったね。朝おつかいを頼んだらすぐ出かけてしまったよ」
「おつかい?」
「そう、おつかい」
「何を頼んだの? 食材は昨日買い足したばかりだし、消耗品は定期的に配達されてくるから買う必要があるものなんて何もないと思うけど」
「生活必需品は、そうだろうね」
モミジの言葉にマミは首をかしげる。小学生とはいえ、一人でおつかいをさせるものなのだろうか? そもそも何を頼んだのか? マミの表情は感情に揺さぶられ、コロコロと変わる。そんなマミにモミジは朝の食事を促した。誘導通りに席に着き、そして食事を口にする。昨日自分で作った料理の方が美味しかったと、マミは素直にそう思った。生きるために仕方なくといった感じの食事は、時間もかからず食べきることができた。マミは食事を楽しんだことがないのだ。食への興味がないともいえる。
マミは食後のコーヒーにこれでもかという風に砂糖を入れながら聞く。
「お父さん、ルミに何を頼んだの?」
「探偵さんを、ちょっとね」
探偵。マミは首を傾げた。
「探偵? そんな人いた?」
「ここは江ノだから」
それはそうだけど、と口をとがらせてマミはコーヒーを啜る。甘さと苦さのちょうど間の味がする。コーヒーは大人になれた気がして、マミは好きなのだ。その隣で何かしらの書類を見ながらかぼちゃジュースを飲むモミジの姿は、マミには映っていない。
「ただいま!」
「お邪魔します」
帰ってきたようだ。コーヒーを置いて、玄関に向かう。途中で狭い廊下をより狭めているシェルフに足をぶつけてしまい、イライラとした目でシェルフを睨んだ。モミジには伝えたことがないが、マミはこの家にある木目調の家具がそろって好きではないのだ。
最近の流行はモノトーンの家具たち。断捨離が趣味であるマミはいつしかこの家にある家具全てを処分、もしくは塗装したいと思っていた。
「おかえ、り……?」
「昨日ぶりだね、マミちゃん」
昨日の不審者が、いる。しかもルミと手を繋いで。
「あ! マミただいま。いつもよりはやおきだね」
ルミの表情は心なしか明るい。駆け寄ってきたルミを腕に抱きしめ、ムムを睨む。ムムは苦笑してから手を大げさに上げる。
「あれ? お父さんから聞いてない? 探偵が来る、って」
探偵。まさか。
「じゃあ、あなたが探偵……?」
「ご紹介が遅れて申し訳ない。初めまして、私立探偵の赤下ムムと申します」
そういってムムは優雅にひざを折り、マミに一礼した。
*
「この家の調査?」
ムムの言葉に、モミジたち三人は目を丸くした。そっくりなその顔に親子を感じながらムムは三人に理解を求める。
「はい。ここには何かあると、そう思っています。ぜひ、お願いしたい。勿論ご都合が悪いもの等ありましたら、おっしゃってくれれば触りません。私が望むのは秘密ではなく過去です。過去、ここで何があったか、その歴史を知りたいのです」
「そういわれましても……引っ越してきて五年もたっていませんし、そんなに古いものはないですが」
「古い? ……あぁ、違いますよ。歴史といってもそんな何百年と遡ろうとしているのではありません。歴史とは大げさすぎましたね、藍沢家の歴史、という方が分かりやすいですか、まぁ、そう言った感じです」
「まぁ、なるほど。はい。言いたい意味は分かりました。しかし本当に必要なのでしょうか?」
「必要かは私が決めます。そして断言しますが、必要なことなのです。……幸い今日は学校が休みのようですし、娘さんにも手伝っていただきたい。子供の手も借りたい、ですから」
ムムの唐突な提案にモミジは顔を歪めた。
「……マミとルミが良いなら」
そう言ってモミジはマミとルミを見た。マミは控えめに、ルミは大げさに、首を縦に振る。
「ありがとうございます。……モミジさんは今日健康診断があるとまっつー、いえ、松葉医師に聞いています。」
「そうでした。さっきまでその書類を見ていたんです。忘れそうでした」
モミジは忘れっぽいからと何度も松葉が通知していた健康診断は、そのかいあって無事に始められそうだとムムは安堵した。「その間の娘さんたちの世話はお任せください」
子供などちっとも得意そうではないムムの言葉に、モミジは頷くことなく苦笑した。モミジの予想通り、ムムはあまり子供が得意ではなかった。しかし、報酬のためなら無茶を請け負う覚悟すらあるのだ。それほどまでに仕事熱心だとも、心がないとも言える。どう表現してもムムには適切だと言えそうだ。
「お父さん、大丈夫だよ。もうすっかり大きくなったでしょ?」
マミの言葉に、モミジは驚く。昔と変わらずユズにそっくりなマミの冷たい瞳が、どういうわけかその奥は赤い何かが確かに燃えていた。あの人一倍警戒心の強いマミがなんの気まぐれか、ムムに信頼を置いている。成長を喜ぶ半面、複雑な思いのままモミジは渋々頷いた。
「よろしくお願いします」
「はい。命を懸けて約束しますよ」
ムムの言葉に、モミジは目を開いた。しかし何か否定の言葉を見つけることもできず、唇を噛む。モミジにはそれをすることしかできなくなってしまったからだ。
「わかり、ました」
モミジは、自身には肯定以外の選択肢が用意されていないことを悟った。
昨日は疲れ果てて椅子で寝ていたはずだ。しかし今自分がいるのはベッド。何故か、と考える前にベッドから転がり落ちた。マミは人より朝に弱い。起きようと思っても身体が言うことを聞かないのだ。こればっかりは仕方がない。
私は悪くない。悪いのはこの身体だ。
落ちてしまったせいで冷える前に身体を布団に滑り込ませる。そしてそのまま首を捻ったり、腕を伸ばしたりする。それからゆっくりと身体を起き上がらせる。そうしてしまえばあとはこっちのものだ。慎重に、しかし大胆に布団から出てしまえば、勝手に意識がはっきりしてくるというものなのだ。
ベッドから下りて捲れた布団はそのままに枕の位置をいつもの定位置に戻す。これがマミの習慣だった。「よし、いつも通り」
部屋を出てリビングへと向かう。狭いリビングには食べ物のいい匂いが充満しており、そこには昨日待ちわびていた人が、笑って出迎えてくれていた。
「ただいま、マミ」
「……遅いよ」
マミの言葉にモミジは苦笑する。
「美味しかったよ、マミのご飯。また腕を上げたね」
モミジの言葉にマミは嬉しそうに口をすぼめた。「ルミは?」とマミが聞くとモミジは笑いながら答える。
「ルミもすっかり大きくなったね。朝おつかいを頼んだらすぐ出かけてしまったよ」
「おつかい?」
「そう、おつかい」
「何を頼んだの? 食材は昨日買い足したばかりだし、消耗品は定期的に配達されてくるから買う必要があるものなんて何もないと思うけど」
「生活必需品は、そうだろうね」
モミジの言葉にマミは首をかしげる。小学生とはいえ、一人でおつかいをさせるものなのだろうか? そもそも何を頼んだのか? マミの表情は感情に揺さぶられ、コロコロと変わる。そんなマミにモミジは朝の食事を促した。誘導通りに席に着き、そして食事を口にする。昨日自分で作った料理の方が美味しかったと、マミは素直にそう思った。生きるために仕方なくといった感じの食事は、時間もかからず食べきることができた。マミは食事を楽しんだことがないのだ。食への興味がないともいえる。
マミは食後のコーヒーにこれでもかという風に砂糖を入れながら聞く。
「お父さん、ルミに何を頼んだの?」
「探偵さんを、ちょっとね」
探偵。マミは首を傾げた。
「探偵? そんな人いた?」
「ここは江ノだから」
それはそうだけど、と口をとがらせてマミはコーヒーを啜る。甘さと苦さのちょうど間の味がする。コーヒーは大人になれた気がして、マミは好きなのだ。その隣で何かしらの書類を見ながらかぼちゃジュースを飲むモミジの姿は、マミには映っていない。
「ただいま!」
「お邪魔します」
帰ってきたようだ。コーヒーを置いて、玄関に向かう。途中で狭い廊下をより狭めているシェルフに足をぶつけてしまい、イライラとした目でシェルフを睨んだ。モミジには伝えたことがないが、マミはこの家にある木目調の家具がそろって好きではないのだ。
最近の流行はモノトーンの家具たち。断捨離が趣味であるマミはいつしかこの家にある家具全てを処分、もしくは塗装したいと思っていた。
「おかえ、り……?」
「昨日ぶりだね、マミちゃん」
昨日の不審者が、いる。しかもルミと手を繋いで。
「あ! マミただいま。いつもよりはやおきだね」
ルミの表情は心なしか明るい。駆け寄ってきたルミを腕に抱きしめ、ムムを睨む。ムムは苦笑してから手を大げさに上げる。
「あれ? お父さんから聞いてない? 探偵が来る、って」
探偵。まさか。
「じゃあ、あなたが探偵……?」
「ご紹介が遅れて申し訳ない。初めまして、私立探偵の赤下ムムと申します」
そういってムムは優雅にひざを折り、マミに一礼した。
*
「この家の調査?」
ムムの言葉に、モミジたち三人は目を丸くした。そっくりなその顔に親子を感じながらムムは三人に理解を求める。
「はい。ここには何かあると、そう思っています。ぜひ、お願いしたい。勿論ご都合が悪いもの等ありましたら、おっしゃってくれれば触りません。私が望むのは秘密ではなく過去です。過去、ここで何があったか、その歴史を知りたいのです」
「そういわれましても……引っ越してきて五年もたっていませんし、そんなに古いものはないですが」
「古い? ……あぁ、違いますよ。歴史といってもそんな何百年と遡ろうとしているのではありません。歴史とは大げさすぎましたね、藍沢家の歴史、という方が分かりやすいですか、まぁ、そう言った感じです」
「まぁ、なるほど。はい。言いたい意味は分かりました。しかし本当に必要なのでしょうか?」
「必要かは私が決めます。そして断言しますが、必要なことなのです。……幸い今日は学校が休みのようですし、娘さんにも手伝っていただきたい。子供の手も借りたい、ですから」
ムムの唐突な提案にモミジは顔を歪めた。
「……マミとルミが良いなら」
そう言ってモミジはマミとルミを見た。マミは控えめに、ルミは大げさに、首を縦に振る。
「ありがとうございます。……モミジさんは今日健康診断があるとまっつー、いえ、松葉医師に聞いています。」
「そうでした。さっきまでその書類を見ていたんです。忘れそうでした」
モミジは忘れっぽいからと何度も松葉が通知していた健康診断は、そのかいあって無事に始められそうだとムムは安堵した。「その間の娘さんたちの世話はお任せください」
子供などちっとも得意そうではないムムの言葉に、モミジは頷くことなく苦笑した。モミジの予想通り、ムムはあまり子供が得意ではなかった。しかし、報酬のためなら無茶を請け負う覚悟すらあるのだ。それほどまでに仕事熱心だとも、心がないとも言える。どう表現してもムムには適切だと言えそうだ。
「お父さん、大丈夫だよ。もうすっかり大きくなったでしょ?」
マミの言葉に、モミジは驚く。昔と変わらずユズにそっくりなマミの冷たい瞳が、どういうわけかその奥は赤い何かが確かに燃えていた。あの人一倍警戒心の強いマミがなんの気まぐれか、ムムに信頼を置いている。成長を喜ぶ半面、複雑な思いのままモミジは渋々頷いた。
「よろしくお願いします」
「はい。命を懸けて約束しますよ」
ムムの言葉に、モミジは目を開いた。しかし何か否定の言葉を見つけることもできず、唇を噛む。モミジにはそれをすることしかできなくなってしまったからだ。
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モミジは、自身には肯定以外の選択肢が用意されていないことを悟った。
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