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番外編
『尽くす』前編
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「うぅっ……んっ、はぁあっ、あっあっ…ぅあっ……」
枕元にある油灯の灯り。
その暖色の光が照らすのは滑らかな素肌をさらした2本の足と、その間にあるものを覆い隠すようにしている 色の髪だ。
足を開いている男は眉根を寄せ、寝具を固く握りしめながら喉の奥からこらえきれない喘ぎ声を漏らしている。
「う、あっ……樫……やめ、やめろ……」
「ん…止めていいのか?うん?蔦…」
「やっ……ひ、いぃっいっ……ん………」
樫はモゾモゾと動きたがる蔦の太ももを寝具に押さえつけながら、口内にある蔦の肉棒の先端をわざとらしく音を立てて啜ったり、舌の上を滑らせるようにして喉奥まで呑み込んだり、唇を窄めて激しく頭を前後したりと、ありとあらゆる手を尽くして奉仕していた。
時折、樫が先端から溢れ出してくる白濁と自身の唾液とを飲み込むようにすると、蔦は激しく腰回りを痙攣させて苦しげにする。
すでに数え切れないほどの夜を抱き合って過ごし、互いに奉仕をしてきた間柄なのだ。
樫はもはや蔦のそれを扱うのに最適な術を1つ残らず習得していて、その術を披露するのにもまったく躊躇がない。
激しさと緩やかさを交えた絶妙なその口技。
それはもちろん蔦を絶頂に至らしめるのに時間は取らせないものだが、そこに関しても樫は非常に巧みな技を持っている。
決して絶頂には至らせず、常にそこに至るまでの一歩手前、半歩手前を長く彷徨わせるのだ。
蔦は射精することを許されず、ただただ先端から白濁をとろりと1滴ずつ滲ませては寝具を握る手に力を込め続けている。
それは苦痛と快感を絶えず与え続けていて…蔦から一切の拒む力を失わさせていた。
「うっ……た、たのむよ、樫……俺ほんと…もう………おかしくなる、って……」
「出したいか?」
「う、ん…っ」
「出したい?」
「だ、だしたい……もう…たのむから、これ……やめ…っ…」
そのあまりにも苦しげに懇願する様にいよいよ満足したのか、樫は蔦の腹や太もも、足の付け根などの至る所に口づけをしてから「いいよ、蔦。出させてやる」と言って蔦の肉棒を咥え、さらに素早くジュポジュポと音を立てて攻め始めた。
蔦は激しく身をよがらせながら、その逃げようのない強烈な快楽に酔いしれる。
「あっ、あっ、イ…イク……イ、イク イク、イク……かし…ぅ……っあ……」
「………」
間もなく、蔦は背を浮かせるほど体全体をビクビクと痙攣させながら樫の口内に精液を放出した。
それはまるで水のようにサラサラとしていて、濃厚さは一切感じられない。
樫は一呼吸おいてから口の中のそれらを飲み込むと、自らの下で顔を隠すようにしながら大きく胸を上下させている蔦をじっと見た。
長く焦らされた末に最大限の絶頂を迎え、力を無くしてぐったりとしたその様子は上衣を着ていたとしても非常に淫らなものだ。
樫はすっかり満ち足りた気分になり、傍らに あらかじめ用意しておいた手巾を湯桶に浸すと、固く絞ったそれで蔦の下腹部を拭い始める。
感覚が過敏になっている蔦は手巾が触れると無意識的に体をはねらせてしまうため、慌てて樫の腕を掴みながら「樫…やめろ……」と拭うのを止めさせた。
「今、イッたばかりだろ……触るな…」
「でも拭わないと」
「いいから…それよりこっち来て、樫……」
催促するように手を伸ばす蔦に従い、樫は蔦に腕枕をするように横になって寄り添う。
汗ばんだ額と潤んだ熱っぽい瞳。
それを間近で眺めた樫は蔦が愛らしくてたまらず、しっとりとした前髪を撫でるようにして払い除けてやりながら額に口づける。
その口づけには蔦を散々焦らし、苦しませたことへの詫びも込められていたようだ。
「…俺、樫がこうして抱き寄せてくれんの…ほんと好き」
樫の頬や首筋を手のひらで撫でながら呟く蔦。
「俺って…甘ったれだろ。面倒なところも沢山あってさ…一緒にいて楽じゃないことは、俺もよく分かってるんだ。なのに樫がこうやってそばにいてくれて…しかもこんな俺を……」
「なぁ蔦。おまえ、俺を買いかぶりすぎてないか」
「そんなことない」
「いいや、随分 美化してるぞ俺を。今さっきまであんなことされてたくせに。止めろって言っても止めなかった俺にそんなこと言うのは変じゃないか?」
「……でも好きなんだ」
至近距離で目が合い、蔦は目を伏せながら唇を突き出してきた。
樫が「いいのか?俺は今おまえのを飲んだばっかりだけど」といたずらっぽく言うと、蔦は「今さら…なんだよ」と伸び上がって唇を合わせる。
ただ唇を触れ合わせるだけで満足するはずもなく、すぐに2人は互いの舌を絡め、貪るように口づけだした。
蔦は樫の口内のどこかにまだ少し残っていた自身の白濁までもを味わったに違いない。
だが、もっと恥ずかしい部分に舌を差し込まれた後でも数え切れないほどの口づけをしてきたため、もはやそれも関係ないらしい。
蔦は樫の胸元を握る手に力を込め、さらに口づけを激しくしていく。
「…おい、蔦」
「ん…」
「今日はヤらないって約束だったろ」
「俺は承知してない」
「だめだ」
「なんで」
「連日はよそうって決めただろ」
「知らない」
「知らない、じゃないだろ蔦。おまえの負担が大きいから言ってるんだぞ、俺は。さっきだって出したやつが薄かったし…」
「樫…飽きたのか?」
「は…?」
「俺に飽きたんだろ」
唐突な蔦の言葉に目を丸くする樫。
蔦は樫から顔を隠すように俯いて「飽きたんだろ…」と繰り返した。
「俺は別に、樫みたいに色々技を持ってるわけでもないし……」
「なんでそうなるんだよ」
「…なら緩んでんだ、俺」
「あのなぁ…昨日ヤッたから今日は休ませようって言ってるだけだろ」
「そんなこと言って…本当はこんなにヤりたがる俺が嫌なんだろ?前だけじゃ満足できない俺なんか、相手してらんないんだろ。お前みたいに理性を保てない俺なんか……」
「違う、そうじゃない」
「何が違うんだよ」
「おまえ…俺が理性を保ってると本気で思ってんのか」
「だってそうだろ」
「…人の気も知らないで」
「へぇ?じゃあ、そうじゃないって証明してみせろよ…今すぐに」
蔦の挑発的な言い方に触発され、ついに樫は蔦に覆いかぶさって首筋に吸い付く。
そのくすぐったいような感覚と共に、蔦は樫の下半身の変化にも気づいて軽く笑い声をあげた。
「ははっ…やっと本気になったな、樫……」
「………」
「お前を『その気』にさせるのも、なかなか骨が折れるよ……」
この展開は何から何まで蔦の思い通り、仕組んだ通りになっているものなのだが、樫はそうとは知らずにいる。
技を持っていないから云々と言ってはいたものの、結局蔦も樫に対する有効なこの手の術を知り尽くしているらしい。
一度火をつけてしまいさえすれば、後は簡単だった。
樫が蔦の首筋から鎖骨を辿り、胸まで唇を滑らせていく一連の動きは2人が行為を始める時の合図でもある。
毎回同じ感触、香り、熱を感じた後に信じられない絶頂を得ると教え込まされ続けた2人の体は、一連の動きを辿っただけでひどく興奮し始めるのだ。
上衣を剥き、そこにある尖りを一舐めすればその後は流れのままになる。
…だが、今夜は樫が蔦の上衣の合わせ目に手をかけた時になって、ふいに家の戸が叩かれる音が鳴り響いた。
心臓が飛び出そうなほど驚いた蔦はすぐさま体を隠そうとするが、樫は《放っておけばいい》と とりあわずに続けようとする。
蔦は《な、何言ってんの!》と樫の肩を押しのけた。
《聴いたでしょ今の!人が来たって…!》
《…前に作業場で来客に構わずヤッたのは誰だ?》
《そ、それとこれとは話が違う…!!》
声を潜めて話す2人。
樫は《放っておけばいい》と再び言いながらため息をつく。
《大体、こんな時間に訪ねてくる方がおかしいだろ。寝てるってことにしとけばいいんだよ、実際『寝てる』んだから》
《な、何言ってんだよ、もう……こんな時間に来たからこそ出なきゃだめだろ!それだけ急ぎの用ってことなんだから!》
《はぁ……》
それでもなお渋る樫。
蔦は《樫が出ないなら俺が行くからな》と本当に起き上がろうとしたが、その前に腕を掴んで止められた。
《分かったよ…俺が行く。そんな姿のおまえに出させるなんて ありえない》
寝台に手をついて起き上がる樫の耳に再び戸の叩かれる音が響いてきた。
樫はすっかり余所行きの、『司書』としてのかしこまった声で「はい、少々お待ちください」と応えると、衣を整えて羽織に袖を通し、一口水を飲んでから戸の鍵を外す。
「…はい」
「司書様、お休みのところ夜分にすみません」
「あぁ、いえ…どうなさいましたか」
来訪者となにやら話している樫の声を聞きながら、蔦は音を立てないよう慎重に掛け具をかぶって体を隠している。
戸のすぐそばには室内とを隔てる壁のような大きい衝立がある上、そもそもこの寝台は部屋のずっと端にあり、相当中に踏み入ってこなければ蔦の姿が見られることはないのだが…だからといって むき出しの下半身を露出させたままでいるわけにはいかないだろう。
全身をすっぽりと掛け具で覆っていた蔦がいくつか静かに呼吸を繰り返したところで戸に再び鍵のかけられる音が聞こえてきた。
来訪者が帰ったらしいとみた蔦が掛け具の中から顔を出すと、羽織を脱ぎ、手洗いうがいを終えた樫が寝台に戻ってきた。
「何の用だったの?」
蔦が訊ねると、樫は寝台に腰掛け、掛け具の端を掴んでめくろうとしながら「ま、大した用じゃなかったな」と肩を竦める。
「親父が倒れたって、それだけだ」
「え」
「蔦…汚れるから掛け具はなしでっていつも言うけど、そうやって隠されると余計ヤラシイんだよ」
「ちょ…ちょっと、樫!」
「うん?」
何食わぬ顔で上衣を脱ぎながら寝台に入ってこようとする樫。
蔦は起き上がってそれを止める。
「な、何やってんの!」
「何って?」
「いや、今はっきり言ったろ『親父が倒れた』って!」
「あぁ」
「『あぁ』じゃないだろ!実家行かなきゃ!」
「いや、別にその必要は……」
寝台から慌てて降りようとする蔦を引き止めた樫は「蔦、『倒れた』っていうのは別にそんな深刻なことじゃないんだ」と安心させるように言う。
「親父は昔から疲れがたまるとすぐ具合悪くなったりするんだよ。どうせまたなんか無理したんだろ、昔からそうだ。離れて暮らす俺のとこにいちいち報せることもないんだよ」
「でも…だからこそだろ?わざわざ報せに来るなんてよっぽど悪いに違いないよ、ましてやこんな時間に…」
「いや、今来たのはかかりつけの医者のところで見習いやってる人だってさ。家に帰る途中でチラッと灯りが見えたから一応言っておこうと思って来たんだと。それだけだ」
「それだけって……」
「心配いらないって。どうせ明日にはピンピンしてるんだし」
まったく心配する素振りのない樫。
しかし蔦はじっと押し黙った後で「…やっぱり、実家に行った方がいいよ」と切り出した。
「行ってみて、何もなければそれで良いんだから」
「いや、だから別にそんなのは……」
「樫」
樫の言葉を真っ直ぐな声で遮った蔦は「行った方がいい」と再びはっきり言う。
「樫は親父さんのことをよく知ってて、『いつものことだ』って慣れてるかもしれない。様子を見に行く必要はないって思ってるでしょ。でも、今もっと具合が悪くなってたとしたらどうする?『明日』『次会ったら』って思ってても未来のことは誰にも分らないんだよ。親父さんに何かあってから後悔するんじゃ遅いよ、樫。こういうのは慣れちゃいけない、慣れちゃいけないんだ」
真剣な眼差しで訴えてくるその姿に心を動かされない者などいるのだろうか。
「実家に行かなきゃ」とさらに促す蔦に、樫はさらに大きなため息をついて「…おまえがその気にさせたくせに」と不満げな視線を向ける。
「その気にさせておいて追い出すのか……なかなかやるな」
「樫」
「分かったよ、分かったって。顔を見てくるよ、それでいいだろ?」
樫が再び衣を整えて外出の支度を始めると、蔦も寝台から降りて支度を始めようとしだした。
蔦も共に向かおうというつもりのようだ。
「蔦はここで待ってろよ」
「いや…真夜中じゃないにせよ夜の独り歩きは良くないから。実家の外で待つようにする、俺もついて行くよ」
「あのなぁ…俺、とっくに成人した男だぞ」
「でも途中で何があるか分かんないだろ」
「大丈夫だって」
樫は蔦の頬を撫でながら「ちょっと様子を見たらすぐに帰ってくる」と口角を上げる。
「おまえと夜道を歩くのも悪くないけど…どうせ今は足腰立たなくなってるだろうしな」
「そ、れは……」
「無理して隠そうったって、そうはいかないぞ。足腰立たなくさせたのは俺なんだから」
ははっ、と軽く笑う樫。
蔦は「もう…分かったから、早く親父さんとこに行きなよ」と樫の手を取った。
「気をつけてね」
「あぁ、おまえもな。鍵はかけていくよ」
「うん」
ちゅっと軽く口づけを交わし、樫は外套をまとって家を出た。
主に夕方から深夜にかけて開いているいくつかの食堂からはまだ酒呑み達の明るい声がしているが、それ以外の家々はほとんどが1つだ、2つの油灯だけを灯してしんと静まり返っている。
所々にある街灯の炎に手持ちの灯りを加えながら、樫はそう遠くない実家へと向かった。
案の定、実家にはいつも通りの穏やかな時が流れていて、樫が訪ねてきたことに父も母も、そして一回り年下である樫の弟も驚き、そして「こんな時間に悪かったな」と申し訳無さそうにまでされる始末だった。
母は蔦が実家に向かった方が良いと言ってくれたことにも感謝し、いくつか日持ちのする食材や調味料などを手土産にと樫に手渡す。
樫は蔦との約束通り、父親の様子を見て無事なことを確認するとすぐさま帰途についた。
家に帰って時にはすでに蔦はよく眠っていて、わざわざ起こして報告する必要もないかと考えた樫は道中急ぎ足をしてきたことによって若干汗ばんだ体を湯で流し、寝間着を着直して蔦との寝台に潜り込んだ。
蔦も樫が家を出た後に軽く湯を浴びて汗などを流していたらしい。
家を出る前には薄らいでいた洗い粉の良い香りが再びふんわりと漂っていた。
「…ありがとうな、蔦」
樫は眠る蔦の頬にそっと唇をつけると、そのまま寄り添って眠りについた。
ーーーーーーーーー
翌朝、目を覚ました樫は寝台から体を起こし、しばしの間ぼぅっとして完全に目が冴えてくるのを待つ。
大体 いつもそうしていると蔦がモゾモゾと起きだしてくるのだが…
「蔦?」
今朝は樫が声をかけてみても、蔦は瞳を閉じたまま身じろぎ一つしない。
珍しく寝過ごしているんだな、と思った樫だったのだが、着替えなどの朝の支度をそばでしていても、蔦は一向に起きる気配がなかった。
「蔦…蔦?」
樫が肩を揺さぶってみても状況はまったく変わらない。
ただ規則正しく胸を上下させ続ける蔦。
蔦は深く眠り続けてしまっていた。
ーーーーーーーー
樫が蔦の兄に宛てた手紙を届けさせると、蔦の兄はすぐさま様子を見にやってきて、一通り様子を確かめてから「うん…前と同じだ」と眉をひそめる。
「弟は眠り続けています。前に話したことがありましたよね?朝起きれるようにしようとして、丸一日寝ずにいた後のことを」
「え、えぇ…そして夜眠ったのに、結局それから丸一日半眠り続けて…起きたのは朝ではなく夕方だったと」
「そうです、その時と同じです。何か病に罹っているといったことではなく、ただ単に眠り続けているんです。でも樫君と暮らし始めてこんなことはなかったのに……昨夜、なにかいつもと変わったことでもありましたか?」
今までどれだけ激しく絡み合ったあとでもこんなことにはならなかったため、疲れとは一切関係がないように思える。
となると、思い当たることといえば1つだ。
それは昨夜、蔦が眠るその瞬間に樫がそばにいなかったこと。
もしやと思いながらそのことを蔦の兄に話してみると、「たしかに…それはあるかもしれませんね」という答えが返ってきた。
「おそらく弟は…蔦は、隣で眠るあなたをきっかけとして寝起きしているんでしょう。それが崩れたことで『起きるきっかけ』を失い、今こうして眠り続けているんです。そうだとはっきり言えるわけではありませんが…でもそれ以外にないと思います。私達は病に関してはいくらでも研究を重ねて対処することができますが、体質というものに関しては個人による ものばかりで不確かなことも多く、どうしても尽くす手には限りがあるんです。そしてこれは蔦の体質によるものなので…現状、蔦が自分で目を覚ますのを待つしかないでしょう」
それから蔦の兄は樫に対して眠っている蔦の体の向きを時々変えることなどといった基本的な世話の仕方を教えると、「また後で様子を見に来ますね」と言って家を出ていった。
眠り続ける蔦の姿を見るのは、樫にとって初めてのことだった。
話には聞いていたものの、いざそれを間近にしてみると ひどく不安になってしまう。
声をかけてもなんの反応も示さない蔦。
寝具が昨夜のままであることが少し気になった樫は、もう1つの寝台(元々樫のために用意されていたもの)を整え直し、蔦を抱きかかえて移してやったのだが、やはりそれでも蔦は指先1つ動かさずにされるがままになっていた。
昨夜の汚れもない寝具だったため無理に寝台を変える必要もなかったのだが、こうして移すことが刺激になって目を覚ますのではないかと思っていた樫。
しかし、その僅かな希望も完全に打ち砕かれてしまう。
樫は家に持ち帰ってきていた分の仕事をしながらも蔦のことが気になって仕方なく、何度もそばへ行っては手を握り、少しでも反応がないかと待ち続けた。
夕方になり、蔦の兄が両親を伴って家を訪ねてきたが…それでも蔦は目を覚まさない。
樫は蔦がこうなったのも自分のせいだと思うと申し訳なくてたまらず、顔をあげられずにいたが、蔦の両親はそんな樫に「きっとすぐに目を覚ますから」と優しく慰めの言葉をかけて励ました。
「驚くでしょう?でも…この子は本当に小さい頃からこうなの」
「私達は皆医者だ、この子がどんな状態なのかは把握しているよ。本当にただ眠っているだけなんだ」
「あなたが気に病むことはないのよ、樫君。大丈夫だから」
だが、そんな慰めの言葉も樫を落ち着かせるには至らなかった。
蔦の家族が帰った後の家はいやに静かで、樫は一人で暮らしていた時でさえ感じていなかった孤独というものをひしひしと感じる。
自身の食事のことなども忘れ、樫は湯に浸した手巾で蔦の額や手を拭いながらひたすら蔦に話しかけた。
そばを離れるのも恐ろしいが、隣で眠るのには清潔な身でないといけないと思った樫はなるべく手早く湯浴みを終え、寝間着に着替えて寝台に潜り込む。
間近で眺める蔦の寝顔は今までに何度も見てきたものだが、今は『愛おしい』という気持ちよりも『今に蔦の呼吸が止まるのではないか』という不安の方が勝ってそれどころではない。
樫は蔦の髪を撫で、手を握り、ピクリとも動かないその横顔を眺めて夜のほとんどを過ごした。
枕元にある油灯の灯り。
その暖色の光が照らすのは滑らかな素肌をさらした2本の足と、その間にあるものを覆い隠すようにしている 色の髪だ。
足を開いている男は眉根を寄せ、寝具を固く握りしめながら喉の奥からこらえきれない喘ぎ声を漏らしている。
「う、あっ……樫……やめ、やめろ……」
「ん…止めていいのか?うん?蔦…」
「やっ……ひ、いぃっいっ……ん………」
樫はモゾモゾと動きたがる蔦の太ももを寝具に押さえつけながら、口内にある蔦の肉棒の先端をわざとらしく音を立てて啜ったり、舌の上を滑らせるようにして喉奥まで呑み込んだり、唇を窄めて激しく頭を前後したりと、ありとあらゆる手を尽くして奉仕していた。
時折、樫が先端から溢れ出してくる白濁と自身の唾液とを飲み込むようにすると、蔦は激しく腰回りを痙攣させて苦しげにする。
すでに数え切れないほどの夜を抱き合って過ごし、互いに奉仕をしてきた間柄なのだ。
樫はもはや蔦のそれを扱うのに最適な術を1つ残らず習得していて、その術を披露するのにもまったく躊躇がない。
激しさと緩やかさを交えた絶妙なその口技。
それはもちろん蔦を絶頂に至らしめるのに時間は取らせないものだが、そこに関しても樫は非常に巧みな技を持っている。
決して絶頂には至らせず、常にそこに至るまでの一歩手前、半歩手前を長く彷徨わせるのだ。
蔦は射精することを許されず、ただただ先端から白濁をとろりと1滴ずつ滲ませては寝具を握る手に力を込め続けている。
それは苦痛と快感を絶えず与え続けていて…蔦から一切の拒む力を失わさせていた。
「うっ……た、たのむよ、樫……俺ほんと…もう………おかしくなる、って……」
「出したいか?」
「う、ん…っ」
「出したい?」
「だ、だしたい……もう…たのむから、これ……やめ…っ…」
そのあまりにも苦しげに懇願する様にいよいよ満足したのか、樫は蔦の腹や太もも、足の付け根などの至る所に口づけをしてから「いいよ、蔦。出させてやる」と言って蔦の肉棒を咥え、さらに素早くジュポジュポと音を立てて攻め始めた。
蔦は激しく身をよがらせながら、その逃げようのない強烈な快楽に酔いしれる。
「あっ、あっ、イ…イク……イ、イク イク、イク……かし…ぅ……っあ……」
「………」
間もなく、蔦は背を浮かせるほど体全体をビクビクと痙攣させながら樫の口内に精液を放出した。
それはまるで水のようにサラサラとしていて、濃厚さは一切感じられない。
樫は一呼吸おいてから口の中のそれらを飲み込むと、自らの下で顔を隠すようにしながら大きく胸を上下させている蔦をじっと見た。
長く焦らされた末に最大限の絶頂を迎え、力を無くしてぐったりとしたその様子は上衣を着ていたとしても非常に淫らなものだ。
樫はすっかり満ち足りた気分になり、傍らに あらかじめ用意しておいた手巾を湯桶に浸すと、固く絞ったそれで蔦の下腹部を拭い始める。
感覚が過敏になっている蔦は手巾が触れると無意識的に体をはねらせてしまうため、慌てて樫の腕を掴みながら「樫…やめろ……」と拭うのを止めさせた。
「今、イッたばかりだろ……触るな…」
「でも拭わないと」
「いいから…それよりこっち来て、樫……」
催促するように手を伸ばす蔦に従い、樫は蔦に腕枕をするように横になって寄り添う。
汗ばんだ額と潤んだ熱っぽい瞳。
それを間近で眺めた樫は蔦が愛らしくてたまらず、しっとりとした前髪を撫でるようにして払い除けてやりながら額に口づける。
その口づけには蔦を散々焦らし、苦しませたことへの詫びも込められていたようだ。
「…俺、樫がこうして抱き寄せてくれんの…ほんと好き」
樫の頬や首筋を手のひらで撫でながら呟く蔦。
「俺って…甘ったれだろ。面倒なところも沢山あってさ…一緒にいて楽じゃないことは、俺もよく分かってるんだ。なのに樫がこうやってそばにいてくれて…しかもこんな俺を……」
「なぁ蔦。おまえ、俺を買いかぶりすぎてないか」
「そんなことない」
「いいや、随分 美化してるぞ俺を。今さっきまであんなことされてたくせに。止めろって言っても止めなかった俺にそんなこと言うのは変じゃないか?」
「……でも好きなんだ」
至近距離で目が合い、蔦は目を伏せながら唇を突き出してきた。
樫が「いいのか?俺は今おまえのを飲んだばっかりだけど」といたずらっぽく言うと、蔦は「今さら…なんだよ」と伸び上がって唇を合わせる。
ただ唇を触れ合わせるだけで満足するはずもなく、すぐに2人は互いの舌を絡め、貪るように口づけだした。
蔦は樫の口内のどこかにまだ少し残っていた自身の白濁までもを味わったに違いない。
だが、もっと恥ずかしい部分に舌を差し込まれた後でも数え切れないほどの口づけをしてきたため、もはやそれも関係ないらしい。
蔦は樫の胸元を握る手に力を込め、さらに口づけを激しくしていく。
「…おい、蔦」
「ん…」
「今日はヤらないって約束だったろ」
「俺は承知してない」
「だめだ」
「なんで」
「連日はよそうって決めただろ」
「知らない」
「知らない、じゃないだろ蔦。おまえの負担が大きいから言ってるんだぞ、俺は。さっきだって出したやつが薄かったし…」
「樫…飽きたのか?」
「は…?」
「俺に飽きたんだろ」
唐突な蔦の言葉に目を丸くする樫。
蔦は樫から顔を隠すように俯いて「飽きたんだろ…」と繰り返した。
「俺は別に、樫みたいに色々技を持ってるわけでもないし……」
「なんでそうなるんだよ」
「…なら緩んでんだ、俺」
「あのなぁ…昨日ヤッたから今日は休ませようって言ってるだけだろ」
「そんなこと言って…本当はこんなにヤりたがる俺が嫌なんだろ?前だけじゃ満足できない俺なんか、相手してらんないんだろ。お前みたいに理性を保てない俺なんか……」
「違う、そうじゃない」
「何が違うんだよ」
「おまえ…俺が理性を保ってると本気で思ってんのか」
「だってそうだろ」
「…人の気も知らないで」
「へぇ?じゃあ、そうじゃないって証明してみせろよ…今すぐに」
蔦の挑発的な言い方に触発され、ついに樫は蔦に覆いかぶさって首筋に吸い付く。
そのくすぐったいような感覚と共に、蔦は樫の下半身の変化にも気づいて軽く笑い声をあげた。
「ははっ…やっと本気になったな、樫……」
「………」
「お前を『その気』にさせるのも、なかなか骨が折れるよ……」
この展開は何から何まで蔦の思い通り、仕組んだ通りになっているものなのだが、樫はそうとは知らずにいる。
技を持っていないから云々と言ってはいたものの、結局蔦も樫に対する有効なこの手の術を知り尽くしているらしい。
一度火をつけてしまいさえすれば、後は簡単だった。
樫が蔦の首筋から鎖骨を辿り、胸まで唇を滑らせていく一連の動きは2人が行為を始める時の合図でもある。
毎回同じ感触、香り、熱を感じた後に信じられない絶頂を得ると教え込まされ続けた2人の体は、一連の動きを辿っただけでひどく興奮し始めるのだ。
上衣を剥き、そこにある尖りを一舐めすればその後は流れのままになる。
…だが、今夜は樫が蔦の上衣の合わせ目に手をかけた時になって、ふいに家の戸が叩かれる音が鳴り響いた。
心臓が飛び出そうなほど驚いた蔦はすぐさま体を隠そうとするが、樫は《放っておけばいい》と とりあわずに続けようとする。
蔦は《な、何言ってんの!》と樫の肩を押しのけた。
《聴いたでしょ今の!人が来たって…!》
《…前に作業場で来客に構わずヤッたのは誰だ?》
《そ、それとこれとは話が違う…!!》
声を潜めて話す2人。
樫は《放っておけばいい》と再び言いながらため息をつく。
《大体、こんな時間に訪ねてくる方がおかしいだろ。寝てるってことにしとけばいいんだよ、実際『寝てる』んだから》
《な、何言ってんだよ、もう……こんな時間に来たからこそ出なきゃだめだろ!それだけ急ぎの用ってことなんだから!》
《はぁ……》
それでもなお渋る樫。
蔦は《樫が出ないなら俺が行くからな》と本当に起き上がろうとしたが、その前に腕を掴んで止められた。
《分かったよ…俺が行く。そんな姿のおまえに出させるなんて ありえない》
寝台に手をついて起き上がる樫の耳に再び戸の叩かれる音が響いてきた。
樫はすっかり余所行きの、『司書』としてのかしこまった声で「はい、少々お待ちください」と応えると、衣を整えて羽織に袖を通し、一口水を飲んでから戸の鍵を外す。
「…はい」
「司書様、お休みのところ夜分にすみません」
「あぁ、いえ…どうなさいましたか」
来訪者となにやら話している樫の声を聞きながら、蔦は音を立てないよう慎重に掛け具をかぶって体を隠している。
戸のすぐそばには室内とを隔てる壁のような大きい衝立がある上、そもそもこの寝台は部屋のずっと端にあり、相当中に踏み入ってこなければ蔦の姿が見られることはないのだが…だからといって むき出しの下半身を露出させたままでいるわけにはいかないだろう。
全身をすっぽりと掛け具で覆っていた蔦がいくつか静かに呼吸を繰り返したところで戸に再び鍵のかけられる音が聞こえてきた。
来訪者が帰ったらしいとみた蔦が掛け具の中から顔を出すと、羽織を脱ぎ、手洗いうがいを終えた樫が寝台に戻ってきた。
「何の用だったの?」
蔦が訊ねると、樫は寝台に腰掛け、掛け具の端を掴んでめくろうとしながら「ま、大した用じゃなかったな」と肩を竦める。
「親父が倒れたって、それだけだ」
「え」
「蔦…汚れるから掛け具はなしでっていつも言うけど、そうやって隠されると余計ヤラシイんだよ」
「ちょ…ちょっと、樫!」
「うん?」
何食わぬ顔で上衣を脱ぎながら寝台に入ってこようとする樫。
蔦は起き上がってそれを止める。
「な、何やってんの!」
「何って?」
「いや、今はっきり言ったろ『親父が倒れた』って!」
「あぁ」
「『あぁ』じゃないだろ!実家行かなきゃ!」
「いや、別にその必要は……」
寝台から慌てて降りようとする蔦を引き止めた樫は「蔦、『倒れた』っていうのは別にそんな深刻なことじゃないんだ」と安心させるように言う。
「親父は昔から疲れがたまるとすぐ具合悪くなったりするんだよ。どうせまたなんか無理したんだろ、昔からそうだ。離れて暮らす俺のとこにいちいち報せることもないんだよ」
「でも…だからこそだろ?わざわざ報せに来るなんてよっぽど悪いに違いないよ、ましてやこんな時間に…」
「いや、今来たのはかかりつけの医者のところで見習いやってる人だってさ。家に帰る途中でチラッと灯りが見えたから一応言っておこうと思って来たんだと。それだけだ」
「それだけって……」
「心配いらないって。どうせ明日にはピンピンしてるんだし」
まったく心配する素振りのない樫。
しかし蔦はじっと押し黙った後で「…やっぱり、実家に行った方がいいよ」と切り出した。
「行ってみて、何もなければそれで良いんだから」
「いや、だから別にそんなのは……」
「樫」
樫の言葉を真っ直ぐな声で遮った蔦は「行った方がいい」と再びはっきり言う。
「樫は親父さんのことをよく知ってて、『いつものことだ』って慣れてるかもしれない。様子を見に行く必要はないって思ってるでしょ。でも、今もっと具合が悪くなってたとしたらどうする?『明日』『次会ったら』って思ってても未来のことは誰にも分らないんだよ。親父さんに何かあってから後悔するんじゃ遅いよ、樫。こういうのは慣れちゃいけない、慣れちゃいけないんだ」
真剣な眼差しで訴えてくるその姿に心を動かされない者などいるのだろうか。
「実家に行かなきゃ」とさらに促す蔦に、樫はさらに大きなため息をついて「…おまえがその気にさせたくせに」と不満げな視線を向ける。
「その気にさせておいて追い出すのか……なかなかやるな」
「樫」
「分かったよ、分かったって。顔を見てくるよ、それでいいだろ?」
樫が再び衣を整えて外出の支度を始めると、蔦も寝台から降りて支度を始めようとしだした。
蔦も共に向かおうというつもりのようだ。
「蔦はここで待ってろよ」
「いや…真夜中じゃないにせよ夜の独り歩きは良くないから。実家の外で待つようにする、俺もついて行くよ」
「あのなぁ…俺、とっくに成人した男だぞ」
「でも途中で何があるか分かんないだろ」
「大丈夫だって」
樫は蔦の頬を撫でながら「ちょっと様子を見たらすぐに帰ってくる」と口角を上げる。
「おまえと夜道を歩くのも悪くないけど…どうせ今は足腰立たなくなってるだろうしな」
「そ、れは……」
「無理して隠そうったって、そうはいかないぞ。足腰立たなくさせたのは俺なんだから」
ははっ、と軽く笑う樫。
蔦は「もう…分かったから、早く親父さんとこに行きなよ」と樫の手を取った。
「気をつけてね」
「あぁ、おまえもな。鍵はかけていくよ」
「うん」
ちゅっと軽く口づけを交わし、樫は外套をまとって家を出た。
主に夕方から深夜にかけて開いているいくつかの食堂からはまだ酒呑み達の明るい声がしているが、それ以外の家々はほとんどが1つだ、2つの油灯だけを灯してしんと静まり返っている。
所々にある街灯の炎に手持ちの灯りを加えながら、樫はそう遠くない実家へと向かった。
案の定、実家にはいつも通りの穏やかな時が流れていて、樫が訪ねてきたことに父も母も、そして一回り年下である樫の弟も驚き、そして「こんな時間に悪かったな」と申し訳無さそうにまでされる始末だった。
母は蔦が実家に向かった方が良いと言ってくれたことにも感謝し、いくつか日持ちのする食材や調味料などを手土産にと樫に手渡す。
樫は蔦との約束通り、父親の様子を見て無事なことを確認するとすぐさま帰途についた。
家に帰って時にはすでに蔦はよく眠っていて、わざわざ起こして報告する必要もないかと考えた樫は道中急ぎ足をしてきたことによって若干汗ばんだ体を湯で流し、寝間着を着直して蔦との寝台に潜り込んだ。
蔦も樫が家を出た後に軽く湯を浴びて汗などを流していたらしい。
家を出る前には薄らいでいた洗い粉の良い香りが再びふんわりと漂っていた。
「…ありがとうな、蔦」
樫は眠る蔦の頬にそっと唇をつけると、そのまま寄り添って眠りについた。
ーーーーーーーーー
翌朝、目を覚ました樫は寝台から体を起こし、しばしの間ぼぅっとして完全に目が冴えてくるのを待つ。
大体 いつもそうしていると蔦がモゾモゾと起きだしてくるのだが…
「蔦?」
今朝は樫が声をかけてみても、蔦は瞳を閉じたまま身じろぎ一つしない。
珍しく寝過ごしているんだな、と思った樫だったのだが、着替えなどの朝の支度をそばでしていても、蔦は一向に起きる気配がなかった。
「蔦…蔦?」
樫が肩を揺さぶってみても状況はまったく変わらない。
ただ規則正しく胸を上下させ続ける蔦。
蔦は深く眠り続けてしまっていた。
ーーーーーーーー
樫が蔦の兄に宛てた手紙を届けさせると、蔦の兄はすぐさま様子を見にやってきて、一通り様子を確かめてから「うん…前と同じだ」と眉をひそめる。
「弟は眠り続けています。前に話したことがありましたよね?朝起きれるようにしようとして、丸一日寝ずにいた後のことを」
「え、えぇ…そして夜眠ったのに、結局それから丸一日半眠り続けて…起きたのは朝ではなく夕方だったと」
「そうです、その時と同じです。何か病に罹っているといったことではなく、ただ単に眠り続けているんです。でも樫君と暮らし始めてこんなことはなかったのに……昨夜、なにかいつもと変わったことでもありましたか?」
今までどれだけ激しく絡み合ったあとでもこんなことにはならなかったため、疲れとは一切関係がないように思える。
となると、思い当たることといえば1つだ。
それは昨夜、蔦が眠るその瞬間に樫がそばにいなかったこと。
もしやと思いながらそのことを蔦の兄に話してみると、「たしかに…それはあるかもしれませんね」という答えが返ってきた。
「おそらく弟は…蔦は、隣で眠るあなたをきっかけとして寝起きしているんでしょう。それが崩れたことで『起きるきっかけ』を失い、今こうして眠り続けているんです。そうだとはっきり言えるわけではありませんが…でもそれ以外にないと思います。私達は病に関してはいくらでも研究を重ねて対処することができますが、体質というものに関しては個人による ものばかりで不確かなことも多く、どうしても尽くす手には限りがあるんです。そしてこれは蔦の体質によるものなので…現状、蔦が自分で目を覚ますのを待つしかないでしょう」
それから蔦の兄は樫に対して眠っている蔦の体の向きを時々変えることなどといった基本的な世話の仕方を教えると、「また後で様子を見に来ますね」と言って家を出ていった。
眠り続ける蔦の姿を見るのは、樫にとって初めてのことだった。
話には聞いていたものの、いざそれを間近にしてみると ひどく不安になってしまう。
声をかけてもなんの反応も示さない蔦。
寝具が昨夜のままであることが少し気になった樫は、もう1つの寝台(元々樫のために用意されていたもの)を整え直し、蔦を抱きかかえて移してやったのだが、やはりそれでも蔦は指先1つ動かさずにされるがままになっていた。
昨夜の汚れもない寝具だったため無理に寝台を変える必要もなかったのだが、こうして移すことが刺激になって目を覚ますのではないかと思っていた樫。
しかし、その僅かな希望も完全に打ち砕かれてしまう。
樫は家に持ち帰ってきていた分の仕事をしながらも蔦のことが気になって仕方なく、何度もそばへ行っては手を握り、少しでも反応がないかと待ち続けた。
夕方になり、蔦の兄が両親を伴って家を訪ねてきたが…それでも蔦は目を覚まさない。
樫は蔦がこうなったのも自分のせいだと思うと申し訳なくてたまらず、顔をあげられずにいたが、蔦の両親はそんな樫に「きっとすぐに目を覚ますから」と優しく慰めの言葉をかけて励ました。
「驚くでしょう?でも…この子は本当に小さい頃からこうなの」
「私達は皆医者だ、この子がどんな状態なのかは把握しているよ。本当にただ眠っているだけなんだ」
「あなたが気に病むことはないのよ、樫君。大丈夫だから」
だが、そんな慰めの言葉も樫を落ち着かせるには至らなかった。
蔦の家族が帰った後の家はいやに静かで、樫は一人で暮らしていた時でさえ感じていなかった孤独というものをひしひしと感じる。
自身の食事のことなども忘れ、樫は湯に浸した手巾で蔦の額や手を拭いながらひたすら蔦に話しかけた。
そばを離れるのも恐ろしいが、隣で眠るのには清潔な身でないといけないと思った樫はなるべく手早く湯浴みを終え、寝間着に着替えて寝台に潜り込む。
間近で眺める蔦の寝顔は今までに何度も見てきたものだが、今は『愛おしい』という気持ちよりも『今に蔦の呼吸が止まるのではないか』という不安の方が勝ってそれどころではない。
樫は蔦の髪を撫で、手を握り、ピクリとも動かないその横顔を眺めて夜のほとんどを過ごした。
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【公開日2018年11月2日】
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