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14「やまもも」
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牧草地の神が鴨の『やまもも』として【地界】へ降りるようになってから、早いもので丸1年が経とうとしている。
【天界】の長い夜を迎える度に牧草地の神の屋敷へ通いつめていた水の神も今では必要以上に牧草地の神をせっつくことはせず、にこやかに「うん、うん」と話を聞く程度には落ち着きを見せるようになっていた。
元々牧草地の神は自身よりも神格が高く、その上滅多に話をする機会のなかった水の神に対しては気後れしている部分があったのだが、それもすっかり解消され、今ではなんでも気軽に話し合えるくらいになっている。
なにより、牧草地の神と水の神は互いに『最愛の者を待つ身』なのだ。
日々思うことも感じることも似た2神は、いつしか励まし合うような仲になっていた。
ーーーーーー
「水の神…水の神はその…不安になったりしませんか?」
ある夜、いつものように清めの茶を飲んでいた牧草地の神は思いきった様子で水の神に問いかけた。
水の神は空になった自らの茶器に新たな茶を注ぎながら「不安?」と牧草地の神に目を向ける。
「不安って、たとえばどんな?」
「それは…その…」
言いづらそうにしている牧草地の神に「僕達の間にはもうなんの遠慮もいらないと思うけど?」と柔らかな声をかける水の神。
そのおおらかな雰囲気は躊躇う牧草地の神の心を柔らかくし、ついに口を開かせる。
「その、近頃…私は不安になるんです。銀達はもう20歳を過ぎたでしょう?周りの子達には早々に、その、相手を…」
「あぁ…婚姻とか、ということ?」
「えぇ……まぁ、そうです…」
改めて口に出したことで、牧草地の神が抱いていた不安感はいっそう強まってしまった。
最近、牧草地の神は白馬の人間関係について思うことが多くなっている。
それまでは白蛇との友人関係だけに目がいっていたのだが、鴨小屋にいると「あの家の息子が結婚するんだとさ」だとか「俺の娘が城の料理人と結婚することになって…」という話がよく耳に入ってくるようになったのだ。
それでなくても白馬と同年代の男女達はそのほとんどが恋をしているらしい。
(銀だって…きっと……)
牧草地の神はため息をつく。
「あの子達は今、人間です。人間として暮らしているんです。だから銀は…【天界】のことを、私のことを忘れている銀は、【地界】の人間と…」
「恋に落ちるかもしれない、って?」
水の神のまっすぐな言葉が胸に刺さるようで、牧草地の神は眉をひそめた。
もし白馬が人間に恋をして、誰かと夫婦になったとしたら…【天界】に戻ってきた時、一体何を思うのだろう。
そう考えると複雑な思いに駆られてしまう牧草地の神は、ついに水の神にその胸の内を明かしたのだ。
さらに、水の神がそのことについてどう思っているのかについても関心がある。
だが、水の神からの返答は牧草地の神にとって意外なものだった。
「まぁ、そうだね。森の神と風の神の側仕えはどちらも30歳まで独り身で、【天界】へ戻ってきてからは転生する前と同じ…いや、それ以上にそれぞれ想いを強めているみたいだけど。白蛇や白馬君が彼らと同じかは分からないし」
「水の神……」
「もしかしたら もう恋人がいるかも、僕達が知らないだけで。白蛇はかっこよくて優しくて、その上明るい性格をした最高な存在だからさ。なんといっても完璧だからさ」
あっけらかんとしたその言葉に項垂れる牧草地の神。
すると水の神は「あははっ!なんてね!」と手元の茶を飲み干して笑った。
「白蛇が僕以外を?そんなのないね!!あははっ!いくら今の白蛇が僕との記憶を無くしてるっていったって、その魄には僕の存在がはっきりと刻み込まれているんだ。君が言ったじゃないか、『白蛇達は【天界】にいる時と性格からなにからがそっくり同じだ』って。白蛇は今でも心の奥底で僕のことを想っているよ、間違いない、そう感じる。もし余所見をしようものなら…僕はいよいよ正気を保てないかもね、あはは!」
笑い声を響かせているものの、水の神のその目はちっとも笑っておらず、なにやら狂気じみたものまで感じられるほどだ。
その様子に(やはり口にするんじゃなかったかな…)と肩をすくめる牧草地の神だったが、新たに注いだ茶を再び飲み干した水の神は「ねぇ、牧草地の神」と穏やかに語りかけてきた。
「たしかにその不安がないわけじゃないよ、僕も。白蛇は人間としての生活に慣れてしまって、【天界】に戻ってきてもここでの暮らしに馴染めなくなるんじゃないかってね。そう、そう思うこともある…だけど、結局僕にできるのは白蛇を信じて待つことだけ、それだけなんだ。白蛇は僕のために【地界】での暮しを捨てて【天界】に来てくれた。そしてまさに今、僕のために神格を得ようとまでしてくれている。白蛇にとって その決意や覚悟は相当なものだったに違いないし、それだけ強い思いならきっと今もそれを持ち続けてくれているはずだ」
水の神は「それに…」とさらに続ける。
「僕は思うんだ、白蛇達には人間とのそういう縁がないんじゃないかってね」
「縁、ですか」
「うん、そうだよ、縁だ」
夜の静けさの中に水の神の「縁というのは、運命というのは不思議なものだね」という声が響く。
「僕達でさえ知り得ないもの、力の及ばないものだ。僕達とは比べ物にならないほど高い神格をもつ神々によって決定されたものであり、人間のみならず僕達にさえも関係しているもの。…それがどういった因果で決定されるのかは分からない、けれど1つ言えることはたしかだ。白蛇達は元々単なる蛇や動物だったのに、いまや僕達の側仕えとしてすでに【天界】に生きるものとなっている。そう、白蛇達は転生をして【地界】に行ってはいるけど魄がすでに【天界】のものになっているんだ。本来、人間とは住む世界が異なる存在なんだよ。だからきっと人間とは『そういう縁』がないものなんだと、僕は思ってる」
やけに落ち着き払ったその言い分に牧草地の神も納得してしまうが、水の神は突然「…でもやっぱり心配だな、うん」と言い出した。
「いくら縁がなくったって…白蛇はあんなにかっこいいんだからさ、人間なんか皆虜になっちゃうよ。でしょ?沢山の人間に言い寄られてるのなんか想像したら…あぁ、僕、どうにかなりそう」
「え、水の神…」
「君、ちゃんと白蛇のことを見といてよ。もし人間が言い寄ってきてたら間に入って邪魔してくれても良い、むしろそうして。ね、どんな人間とどんな話をしたのか、ちゃんと僕に全部…」
しばらくナリをひそめていたその詰め寄るような話し方に牧草地の神がたじろぐと、水の神は「あはは」と柔らかで自然な笑みを見せる。
「いいよ、分かってる、君はもう僕の無理をよく聞いてくれてるってことをね」
口角をわずかに上げながら茶器を手の中で弄ぶ水の神。
牧草地の神は思わずその様子に見惚れてしまう。
水の神の笑みがもたらす穏やかな様子はゆったりと水をたたえた静かな湖畔に漂う雰囲気そのものであり、なんとも清らかで美しいものだ。
そんな水の神は淑やかに目を伏せて続ける。
「僕…白蛇がいなくなってから寂しくて恋しくて、本当に…堪らなく辛かった。側仕えがすぐ横にいる他の神を見かけるのも辛くて仕方がなくて…それで20年近くを1人で過ごしてきたんだ。だけど、君とは もっと話をするべきだったかもしれないね。こんな風に押しかけられて君は迷惑に思っているだろうけど…でも僕はここに来ている間、とても心が安らぐんだ。屋敷に帰っても白蛇がいるときのことばかり思い出してしまうから……」
「水の神…」
それは牧草地の神にも充分すぎるほどに理解できる気持ちだった。
牧草地の神もあの日、森の神から『器』に魄を移し【地界】に降りる話を聞かなければ…今頃白馬のいなくなった日々をどう過ごしていたのか想像もつかない。
こうして【地界】での暮らしを間近で見守っているからこそ いくらか落ち着いて日々の務めをこなすことができているが、もしそうではなかったとしたら……。
「…私も、あなたともっと早くこうしてお話すればよかったと思っています、水の神。この屋敷にもなぜあなたをお招きしていなかったのか…でも、私達がこんなに…気が合う、というのか、なんというか……そうとは思っていなかったもので…」
「…そうだね、側仕え同士の仲が良いのに」
「そう、そうなんですよね、なぜあまり接点をもたなかったんでしょう、私達」
目を合わせ、「ふふふっ」と笑い合う2神。
水の神は牧草地の神に「ねぇ、抱っこしてもいい?」と両手を伸ばす。
「その子のこと、僕も労ってあげたいんだ」
「えぇ、もちろん!ぜひ抱っこを!撫でてあげてください」
「ん…ありがとう」
牧草地の神はずっと膝の上に乗せて撫でていた眠り姿の『やまもも』をそっと抱き上げると、水の神の両手に委ねた。
『やまもも』は水の神の腕の中でも変わらず愛らしい寝姿を見せている。
この1年の間に水の神でさえも虜にしてしまった寝姿だ。
今はなんの特徴もないような模様をしているが、やはり『あけび』の時同様、この『やまもも』も牧草地の神が魄を移した際には首元に白い輪のような模様が現れる。
「可愛いね…なんていうのかな、この身を預けてくる感じがとても愛らしいんだよね。それに、このさらさらとした羽の手触り…水辺には色々な動物も来るし、それこそ水鳥なんかはよく触れ合ったりもするけど、それでもなにか違うものがこの子からは感じられる気がする」
「はい…長いこと一緒に時を過ごしているから余計にそう感じられるんでしょうかね?」
「そうだね、この長い夜はずっとこうしてそばで姿を見ているから」
水の神は『やまもも』に優しく語りかける。
「ねぇ、やまもも…いつもありがとう。君のおかげで僕は愛する白蛇のことを知れるんだ。いつも牧草地の神と一緒に沢山の鴨達に囲まれて…大変だろう?すまない、苦労をかけるね」
もちろん、魄や魂を宿していないただの『器』である『やまもも』からの返答はない。
しかし、それでも水の神の言葉はきっと届いているはずだ。
「見たところ、この子は普通の鴨と同じくらいの成長度合いを保っているみたいだ。それはつまり、牧草地の神がこの子に巡らせる神力をしっかりと抑えられているということ。さすがだね」
「いえいえ、それもこれも水の神が私にきちんと教えてくださったからですよ。それに神力を1番使うのは動く時なので…小屋の外にでさえすればすぐに抱き上げられるこの子は いつも本当にわずかな神力だけでいいんです。…今思うと、あけびはずっと走ったりしていました。だから普通よりもずっと早く最期を迎えてしまったんですね」
「うん…そうかもしれない。しかしそれもやはり『運命』というものなんだろう。あけびとの別れがあったことで、この子との出会いがあったのだから」
水の神は何度も『やまもも』の背を撫でる。
「君なら、きっと白蛇達が戻ってくるその日まで元気でいてくれるね。まだあと9年ほどはあるから…よろしく頼むよ、やまもも」
牧草地の神にも改めて「よろしく頼む」と真正面から言う水の神。
牧草地の神は「えぇ、お任せください」と深く頷いてみせた。
ーーーーーーーー
【地界】ではもう日付が変わる頃だろうか。
【天界】のもう1つの1日、つまり夜だけの1日が始まるのは【地界】が約午前2時を迎えた頃であり、それまでは【天界】でも【地界】と同じような時の流れ方をしている。
牧草地の神と水の神の話は尽きることなく、今日は『屋敷の改築』についての話をしているようだ。
「…うん、だから戻ってきた白蛇には人の姿で過ごしやすいように今までの部屋を造り変えてあげたほうが良いんじゃないかと思ってるんだ」
「えぇ、私もそうですよ。銀は人の姿になれるようになっても休む時には必ず馬の姿になっていたので…ずっと部屋が藁敷だったんです、つまりは厩ですよね。でも戻ってきたらずっと人の姿でいるようになるでしょうし、そうしたらきちんとした部屋を用意してあげたくて」
「…でも勝手に作り替えるのもどうかという気がする」
「そう、そうなんですよね……本人に聞いてからの方がいいのかもしれません。だけど どうするかを聞いても銀は遠慮すると思うんです、『このままで構わないから』って…きちんとした神格を得た存在を今まで通りの部屋に、というのは、それもそれでよくないと思うのですが」
「まったくだね」
屋敷はそこに住む神々の神力によって造られているものであるため、部屋の改築などは多少の神力を使えば造作もないことだ。
自由自在に屋敷の構造を変えることができる神々は それ故にこうして悩むこともある。
資材や労力の心配もない2神は「どうせなら新しく部屋を増築してしまおうか」とも真剣に話し出した。
「まぁ、気に入ってもらえなければさらに造り直せばいいし…好みを予想してあれこれ考えるのも楽しいといえば楽しいかもしれない」
「そうですね、私も……」
《たすけて!!!》
「っ……!」
和やかに談笑していたところに突然叫ぶような声が聞こえ、ぱっと顔を見合わせた2神。
一瞬のことかと思いきや、その声は次第に数が増え、すぐにけたたましい警報のようになった。
《たすけて、たすけて!》
《神様、たすけて!!!》
《いやだ、いやだ!!》
その尋常ではない様子に、牧草地の神は「な…何事でしょう?」と目を瞬かせる。
「この声…やまももの鴨小屋からに間違いありません、でもこんな時間に…?もしかして人間が鴨達を捕まえようとしているんでしょうか?」
「いや、そんな区画ではないことは君も充分に知っているだろう。しかしこの様子は…明らかになにかがおかしい、鴨達がこんなにも怯えているとは」
「一体何があったんでしょうか…私、行ってきます」
「うん、僕はここで待っているから」
「はい」
席を立ちあがった牧草地の神に水の神からやまももが手渡された。
よく眠っているようなやまももを抱え、牧草地の神は一足飛びにいつもの鴨小屋へと向かう。
その間にも鴨達の悲鳴は一切途切れることがなかった。
【天界】の長い夜を迎える度に牧草地の神の屋敷へ通いつめていた水の神も今では必要以上に牧草地の神をせっつくことはせず、にこやかに「うん、うん」と話を聞く程度には落ち着きを見せるようになっていた。
元々牧草地の神は自身よりも神格が高く、その上滅多に話をする機会のなかった水の神に対しては気後れしている部分があったのだが、それもすっかり解消され、今ではなんでも気軽に話し合えるくらいになっている。
なにより、牧草地の神と水の神は互いに『最愛の者を待つ身』なのだ。
日々思うことも感じることも似た2神は、いつしか励まし合うような仲になっていた。
ーーーーーー
「水の神…水の神はその…不安になったりしませんか?」
ある夜、いつものように清めの茶を飲んでいた牧草地の神は思いきった様子で水の神に問いかけた。
水の神は空になった自らの茶器に新たな茶を注ぎながら「不安?」と牧草地の神に目を向ける。
「不安って、たとえばどんな?」
「それは…その…」
言いづらそうにしている牧草地の神に「僕達の間にはもうなんの遠慮もいらないと思うけど?」と柔らかな声をかける水の神。
そのおおらかな雰囲気は躊躇う牧草地の神の心を柔らかくし、ついに口を開かせる。
「その、近頃…私は不安になるんです。銀達はもう20歳を過ぎたでしょう?周りの子達には早々に、その、相手を…」
「あぁ…婚姻とか、ということ?」
「えぇ……まぁ、そうです…」
改めて口に出したことで、牧草地の神が抱いていた不安感はいっそう強まってしまった。
最近、牧草地の神は白馬の人間関係について思うことが多くなっている。
それまでは白蛇との友人関係だけに目がいっていたのだが、鴨小屋にいると「あの家の息子が結婚するんだとさ」だとか「俺の娘が城の料理人と結婚することになって…」という話がよく耳に入ってくるようになったのだ。
それでなくても白馬と同年代の男女達はそのほとんどが恋をしているらしい。
(銀だって…きっと……)
牧草地の神はため息をつく。
「あの子達は今、人間です。人間として暮らしているんです。だから銀は…【天界】のことを、私のことを忘れている銀は、【地界】の人間と…」
「恋に落ちるかもしれない、って?」
水の神のまっすぐな言葉が胸に刺さるようで、牧草地の神は眉をひそめた。
もし白馬が人間に恋をして、誰かと夫婦になったとしたら…【天界】に戻ってきた時、一体何を思うのだろう。
そう考えると複雑な思いに駆られてしまう牧草地の神は、ついに水の神にその胸の内を明かしたのだ。
さらに、水の神がそのことについてどう思っているのかについても関心がある。
だが、水の神からの返答は牧草地の神にとって意外なものだった。
「まぁ、そうだね。森の神と風の神の側仕えはどちらも30歳まで独り身で、【天界】へ戻ってきてからは転生する前と同じ…いや、それ以上にそれぞれ想いを強めているみたいだけど。白蛇や白馬君が彼らと同じかは分からないし」
「水の神……」
「もしかしたら もう恋人がいるかも、僕達が知らないだけで。白蛇はかっこよくて優しくて、その上明るい性格をした最高な存在だからさ。なんといっても完璧だからさ」
あっけらかんとしたその言葉に項垂れる牧草地の神。
すると水の神は「あははっ!なんてね!」と手元の茶を飲み干して笑った。
「白蛇が僕以外を?そんなのないね!!あははっ!いくら今の白蛇が僕との記憶を無くしてるっていったって、その魄には僕の存在がはっきりと刻み込まれているんだ。君が言ったじゃないか、『白蛇達は【天界】にいる時と性格からなにからがそっくり同じだ』って。白蛇は今でも心の奥底で僕のことを想っているよ、間違いない、そう感じる。もし余所見をしようものなら…僕はいよいよ正気を保てないかもね、あはは!」
笑い声を響かせているものの、水の神のその目はちっとも笑っておらず、なにやら狂気じみたものまで感じられるほどだ。
その様子に(やはり口にするんじゃなかったかな…)と肩をすくめる牧草地の神だったが、新たに注いだ茶を再び飲み干した水の神は「ねぇ、牧草地の神」と穏やかに語りかけてきた。
「たしかにその不安がないわけじゃないよ、僕も。白蛇は人間としての生活に慣れてしまって、【天界】に戻ってきてもここでの暮らしに馴染めなくなるんじゃないかってね。そう、そう思うこともある…だけど、結局僕にできるのは白蛇を信じて待つことだけ、それだけなんだ。白蛇は僕のために【地界】での暮しを捨てて【天界】に来てくれた。そしてまさに今、僕のために神格を得ようとまでしてくれている。白蛇にとって その決意や覚悟は相当なものだったに違いないし、それだけ強い思いならきっと今もそれを持ち続けてくれているはずだ」
水の神は「それに…」とさらに続ける。
「僕は思うんだ、白蛇達には人間とのそういう縁がないんじゃないかってね」
「縁、ですか」
「うん、そうだよ、縁だ」
夜の静けさの中に水の神の「縁というのは、運命というのは不思議なものだね」という声が響く。
「僕達でさえ知り得ないもの、力の及ばないものだ。僕達とは比べ物にならないほど高い神格をもつ神々によって決定されたものであり、人間のみならず僕達にさえも関係しているもの。…それがどういった因果で決定されるのかは分からない、けれど1つ言えることはたしかだ。白蛇達は元々単なる蛇や動物だったのに、いまや僕達の側仕えとしてすでに【天界】に生きるものとなっている。そう、白蛇達は転生をして【地界】に行ってはいるけど魄がすでに【天界】のものになっているんだ。本来、人間とは住む世界が異なる存在なんだよ。だからきっと人間とは『そういう縁』がないものなんだと、僕は思ってる」
やけに落ち着き払ったその言い分に牧草地の神も納得してしまうが、水の神は突然「…でもやっぱり心配だな、うん」と言い出した。
「いくら縁がなくったって…白蛇はあんなにかっこいいんだからさ、人間なんか皆虜になっちゃうよ。でしょ?沢山の人間に言い寄られてるのなんか想像したら…あぁ、僕、どうにかなりそう」
「え、水の神…」
「君、ちゃんと白蛇のことを見といてよ。もし人間が言い寄ってきてたら間に入って邪魔してくれても良い、むしろそうして。ね、どんな人間とどんな話をしたのか、ちゃんと僕に全部…」
しばらくナリをひそめていたその詰め寄るような話し方に牧草地の神がたじろぐと、水の神は「あはは」と柔らかで自然な笑みを見せる。
「いいよ、分かってる、君はもう僕の無理をよく聞いてくれてるってことをね」
口角をわずかに上げながら茶器を手の中で弄ぶ水の神。
牧草地の神は思わずその様子に見惚れてしまう。
水の神の笑みがもたらす穏やかな様子はゆったりと水をたたえた静かな湖畔に漂う雰囲気そのものであり、なんとも清らかで美しいものだ。
そんな水の神は淑やかに目を伏せて続ける。
「僕…白蛇がいなくなってから寂しくて恋しくて、本当に…堪らなく辛かった。側仕えがすぐ横にいる他の神を見かけるのも辛くて仕方がなくて…それで20年近くを1人で過ごしてきたんだ。だけど、君とは もっと話をするべきだったかもしれないね。こんな風に押しかけられて君は迷惑に思っているだろうけど…でも僕はここに来ている間、とても心が安らぐんだ。屋敷に帰っても白蛇がいるときのことばかり思い出してしまうから……」
「水の神…」
それは牧草地の神にも充分すぎるほどに理解できる気持ちだった。
牧草地の神もあの日、森の神から『器』に魄を移し【地界】に降りる話を聞かなければ…今頃白馬のいなくなった日々をどう過ごしていたのか想像もつかない。
こうして【地界】での暮らしを間近で見守っているからこそ いくらか落ち着いて日々の務めをこなすことができているが、もしそうではなかったとしたら……。
「…私も、あなたともっと早くこうしてお話すればよかったと思っています、水の神。この屋敷にもなぜあなたをお招きしていなかったのか…でも、私達がこんなに…気が合う、というのか、なんというか……そうとは思っていなかったもので…」
「…そうだね、側仕え同士の仲が良いのに」
「そう、そうなんですよね、なぜあまり接点をもたなかったんでしょう、私達」
目を合わせ、「ふふふっ」と笑い合う2神。
水の神は牧草地の神に「ねぇ、抱っこしてもいい?」と両手を伸ばす。
「その子のこと、僕も労ってあげたいんだ」
「えぇ、もちろん!ぜひ抱っこを!撫でてあげてください」
「ん…ありがとう」
牧草地の神はずっと膝の上に乗せて撫でていた眠り姿の『やまもも』をそっと抱き上げると、水の神の両手に委ねた。
『やまもも』は水の神の腕の中でも変わらず愛らしい寝姿を見せている。
この1年の間に水の神でさえも虜にしてしまった寝姿だ。
今はなんの特徴もないような模様をしているが、やはり『あけび』の時同様、この『やまもも』も牧草地の神が魄を移した際には首元に白い輪のような模様が現れる。
「可愛いね…なんていうのかな、この身を預けてくる感じがとても愛らしいんだよね。それに、このさらさらとした羽の手触り…水辺には色々な動物も来るし、それこそ水鳥なんかはよく触れ合ったりもするけど、それでもなにか違うものがこの子からは感じられる気がする」
「はい…長いこと一緒に時を過ごしているから余計にそう感じられるんでしょうかね?」
「そうだね、この長い夜はずっとこうしてそばで姿を見ているから」
水の神は『やまもも』に優しく語りかける。
「ねぇ、やまもも…いつもありがとう。君のおかげで僕は愛する白蛇のことを知れるんだ。いつも牧草地の神と一緒に沢山の鴨達に囲まれて…大変だろう?すまない、苦労をかけるね」
もちろん、魄や魂を宿していないただの『器』である『やまもも』からの返答はない。
しかし、それでも水の神の言葉はきっと届いているはずだ。
「見たところ、この子は普通の鴨と同じくらいの成長度合いを保っているみたいだ。それはつまり、牧草地の神がこの子に巡らせる神力をしっかりと抑えられているということ。さすがだね」
「いえいえ、それもこれも水の神が私にきちんと教えてくださったからですよ。それに神力を1番使うのは動く時なので…小屋の外にでさえすればすぐに抱き上げられるこの子は いつも本当にわずかな神力だけでいいんです。…今思うと、あけびはずっと走ったりしていました。だから普通よりもずっと早く最期を迎えてしまったんですね」
「うん…そうかもしれない。しかしそれもやはり『運命』というものなんだろう。あけびとの別れがあったことで、この子との出会いがあったのだから」
水の神は何度も『やまもも』の背を撫でる。
「君なら、きっと白蛇達が戻ってくるその日まで元気でいてくれるね。まだあと9年ほどはあるから…よろしく頼むよ、やまもも」
牧草地の神にも改めて「よろしく頼む」と真正面から言う水の神。
牧草地の神は「えぇ、お任せください」と深く頷いてみせた。
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【地界】ではもう日付が変わる頃だろうか。
【天界】のもう1つの1日、つまり夜だけの1日が始まるのは【地界】が約午前2時を迎えた頃であり、それまでは【天界】でも【地界】と同じような時の流れ方をしている。
牧草地の神と水の神の話は尽きることなく、今日は『屋敷の改築』についての話をしているようだ。
「…うん、だから戻ってきた白蛇には人の姿で過ごしやすいように今までの部屋を造り変えてあげたほうが良いんじゃないかと思ってるんだ」
「えぇ、私もそうですよ。銀は人の姿になれるようになっても休む時には必ず馬の姿になっていたので…ずっと部屋が藁敷だったんです、つまりは厩ですよね。でも戻ってきたらずっと人の姿でいるようになるでしょうし、そうしたらきちんとした部屋を用意してあげたくて」
「…でも勝手に作り替えるのもどうかという気がする」
「そう、そうなんですよね……本人に聞いてからの方がいいのかもしれません。だけど どうするかを聞いても銀は遠慮すると思うんです、『このままで構わないから』って…きちんとした神格を得た存在を今まで通りの部屋に、というのは、それもそれでよくないと思うのですが」
「まったくだね」
屋敷はそこに住む神々の神力によって造られているものであるため、部屋の改築などは多少の神力を使えば造作もないことだ。
自由自在に屋敷の構造を変えることができる神々は それ故にこうして悩むこともある。
資材や労力の心配もない2神は「どうせなら新しく部屋を増築してしまおうか」とも真剣に話し出した。
「まぁ、気に入ってもらえなければさらに造り直せばいいし…好みを予想してあれこれ考えるのも楽しいといえば楽しいかもしれない」
「そうですね、私も……」
《たすけて!!!》
「っ……!」
和やかに談笑していたところに突然叫ぶような声が聞こえ、ぱっと顔を見合わせた2神。
一瞬のことかと思いきや、その声は次第に数が増え、すぐにけたたましい警報のようになった。
《たすけて、たすけて!》
《神様、たすけて!!!》
《いやだ、いやだ!!》
その尋常ではない様子に、牧草地の神は「な…何事でしょう?」と目を瞬かせる。
「この声…やまももの鴨小屋からに間違いありません、でもこんな時間に…?もしかして人間が鴨達を捕まえようとしているんでしょうか?」
「いや、そんな区画ではないことは君も充分に知っているだろう。しかしこの様子は…明らかになにかがおかしい、鴨達がこんなにも怯えているとは」
「一体何があったんでしょうか…私、行ってきます」
「うん、僕はここで待っているから」
「はい」
席を立ちあがった牧草地の神に水の神からやまももが手渡された。
よく眠っているようなやまももを抱え、牧草地の神は一足飛びにいつもの鴨小屋へと向かう。
その間にも鴨達の悲鳴は一切途切れることがなかった。
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大陸中に、かっこいー激つよ従僕たちを輸出して、悪役令息たちをたすける透夜(笑)
名前が * ゆるゆ になりましたー!
中身はいっしょなので(笑)これからもどうぞよろしくお願い致しますー!
僕の恋人は、超イケメン!!
刃
BL
僕は、普通の高校2年生。そんな僕にある日恋人ができた!それは超イケメンのモテモテ男子、あまりにもモテるため女の子に嫌気をさして、偽者の恋人同士になってほしいとお願いされる。最初は、嘘から始まった恋人ごっこがだんだん本気になっていく。お互いに本気になっていくが・・・二人とも、どうすれば良いのかわからない。この後、僕たちはどうなって行くのかな?
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