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サイドストーリー

森の神と梟

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木々のざわめき、遠くで激しく水飛沫をあげる滝の音
青白い光が美しい陰影で描き出す広大な森林
草木や地から立ち込める深い香り…

(あぁ…なんて穏やかなんだろう…)

 自らの屋敷の露台に立ち、ゆったりと呼吸を繰り返しながら満足そうに微笑む森の神。
 一日の務めを終えた後のこの静かな環境の中、こうして露台から眼下に広がる素晴らしい景色を目にすることは森の神の日課の一つだ。

 酪農地域と鉱業地域にまたがる森をずっとずっと、さらにずっと奥まで行った先に広がるこの森には森の神の屋敷がある。
 もちろん屋敷があるのは【天界】だ。
 人間達が住む【地界】とは異なるため、たとえ人間がどれだけ長く旅をして森の奥深くにあるこの辺りへ足を踏み入れたとしても、この屋敷を目にすることは叶わない。
 そう。けっして人間には認識できない。
 だが、たしかにその屋敷は存在しているのだ。

 森の神の神力によって創られたこの5階建ての屋敷は全体が美しい白木造りとなっていて、不思議と創られてからの年月をまったく感じさせないような真新しさを保っている。
 柱、床板、天井、階段や手すりなどは細部に至るまでそのすべてが滑らかに磨かれ、木本来の品のある艶を放っている。
 外観には特にこれといった装飾はないのだが、そこ ここには藤のツルなどが自然な風合いを加えていて、過度な装飾はむしろまったく必要ない。
 室内に関しても同じで、建具に草木を思わせる装飾がひっそりとあしらわれている他はほとんどが木目と白木の木肌のみという、質素で、落ち着いた雰囲気のこの屋敷。
 その佇まいはまさしく森の神自身を表しているようだ。

 そしてこの屋敷に住むのは森の神と、もう1人…

ーーーーーー

きょう、記録はどう?」

 露台から室内へと戻ってきた森の神は文机に向かって書き物をしている男に話しかける。
 繊細な鳥の羽模様があしらわれた白い衣姿のその男は森の神の声掛けに顔をあげると、「たった今すべて済みました、シン様」と小さく頷いて応えた。

「今年の木々の様子は特に良好ですね。昨年の今頃と比べてみても」
「うん。あの大雨にはさすがにどうなることかと思ったけど…大して影響もなかったし、森全体の状況もいいね」
「はい」

 文机の上を片付けていくその男。
 彼は森の神の側仕えであり、今や夫でもある『きょう』だ。真の名を『祐梟うきょう』とも言う。
 元々ただのふくろうに過ぎなかった彼は【地界】へ人間として転生してくることで神々と同じように神力を扱えるようになった。
 神力を安定して操ることで元の梟の姿に戻ることなく、こうして書き物などを続けてできるようになったきょうは森の神がいつも一人でこなしていた日々の務めの【記録】をこうして代わりに書き記すようになっている。
 きょうが転生を終えてこの【天界】へ戻ってきたのはつい数か月前のことだが、【天界】を離れていた長い時間を感じさせずテキパキと補佐の役目をこなす梟。
 森の神はそんな梟を文机越しに、頬杖を突きながらじっと見つめてしまう。

「シン様、どうなさいましたか」

 【記録】を重ねて持とうとした梟が訊ねると、森の神は両目を覆っている目隠しの下にある瞳を細めてニコニコとしながら「ん…梟のことを見てるの」と答える。

「昼の間は森の中をあちこち飛び回って、屋敷に帰ってきてからはこうして記録をまとめて…大変でしょう?」
「それはシン様だってそうじゃないですか」
「でも僕は目醒めた時からそうだもん。【天界】に生きる身だからね」
「えぇ、私もそうですよ、同じです。私もシン様と同じくすでに『【天界】に生きる身』ですから」
「…それじゃってこと?」

 首をかしげながら微笑む森の神に「そうです」と答えた梟は【記録】が記された書の山を抱え、部屋の中にずらりと並ぶ記録棚へと向かう。
 記録棚にはこれまで森の神が毎日してきた務めの内容が詳細に記された【記録】が無数に収められている。
 この【記録】とは『森にどのような変化があったか』『それにどのように対処し、どれだけの神力を分け与えたか』『【地界】や人間達の反応はどうだったか』などといったことが陸国に存在する森ごとにまとめられたものだ。
 すでにいくつも並んだ巨大な記録棚だが、それは今後も延々と増え続けていくことになる。神々が守護するこの陸国が続く限り…。
 参照したこれまでの【記録】をそれぞれ元あった棚に戻していく梟の手元から、森の神は「これはこっちにね」といくつか抜き取って同じように戻していく。

「シン様、このような雑事は私がいたしますので…」
「梟、2人でやった方が早いでしょ?」
「しかし…いえ、そうですね」

 森の神と梟は互いに【記録】を分け合って戻し、ようやく一日の全ての務めを終えた。

ーーーーー

 【天界】に住む神力の持ち主達には睡眠という習慣がないが、その代わりに瞑想をして自身の神力を回復させる必要がある。
 そのため神々は本来はその用途ではない閨も屋敷に設け、瞑想の場として使用しているのだ。
 森の神は今夜も屋敷の最上階にある閨で梟と共に瞑想を済ませると、そのまま横になって梟の腕に頭を預けながらうっとりと目を閉じていた。
 後ろから抱きしめられることの幸福感は森の神にとって何物にも代えがたいものだ。

「ねぇ、梟…とってもいいね」

 森の神は自らの体に回された梟の腕を愛おしそうにさすりながら言う。

「どんなことがあっても僕は…こうして梟が傍にいてくれたらそれでいい」
「私も、シン様のおそばにいることの他に望むことはありません」
「そう…?」

 森の神が微笑むと梟は「そうですよ」と抱きしめる腕の力を強める。

「転生を乗り越えたのも全てはこの一時のためなのですから。…きっと今頃、風の神様の屋敷でもこのような穏やかな時間が流れているでしょうね」
「ふふっ…風の神とひたき君か」
「はい。鶲は人間として【地界】で暮らしていた時もずっと風の神様のことを恋しがって、しょっちゅう涙を流していましたからね」
「へぇ…記憶を失っているのに?」
「えぇ。風が吹くたびに『なぜか分からないけど悲しくてたまらない、恋しくてたまらないんだ』と言っては泣き出していました。そんな彼をなだめるのが私の役目だったんです」

 珍しく人間として転生していた時の話をする梟に、森の神はそっとため息をついて「…なんだ、風の神が羨ましいな」と唇を尖らせた。

「いいね、風の神は。鶲君に愛されていて」

 すると梟は「何を仰るんです」と眉をひそめる。

「そんな…まるで私がシン様をお慕いしていないかのようではありませんか」
「違うの?」
「違いますよ!そんな…私はシン様をこんなにお慕いしているのに…」
「ふぅん…では、どうして君は転生しているときに森へ来なかったの?6歳の頃に一度来ただけだったでしょ。それもすぐに出て行ってしまって…君の気配を感じてすぐにそこへ行ったのに、【地界】にまで降りたのに、結局見ることができたのは後姿を少しだけだった。鶲君は風が吹くのだけでも風の神を恋しがって涙まで流していたのにね、君は薄情だな」
「そ、れは……」

 何かを言おうとしつつも言葉を詰まらせる梟に、森の神はそれまでのすねたような口調を止めて「いいよ、分かっているからね」とくすくすと笑う。

「梟の気持ちを疑ったことは無いよ、ちょっとからかってみただけ!【天界】での記憶を失くしていたんだし、そもそも人間として生きていたんだから仕方のないことだよ」

 「今、こうして一緒にいるということが大切なんだから」と言う森の神だが、梟は押し黙った後、静かに身を起こして閨の中に端座してしまう。
 あまりにもかしこまったその様子に驚いた森の神は同じように起き上がると「梟…?」と心配そうに呼びかけた。

「あの、本当にちょっとからかってみただけ…なんだよ、梟。そんな顔をしないで、ね?僕はきちんと分かってるよ、梟が僕を心から愛してくれているんだってこと」

 だがいくらそう言っても梟の表情は暗いままだ。
 どうしたものか…、と戸惑う森の神に、やがて梟は「私はシン様に申し上げなければならないことがあります」と口を開く。

「私は…してはならないことをしたんです。ずっと伏せておこうと思っていたのですが…やはりシン様には申し上げるべき、ですよね」
「な、何のこと…?そんな急にかしこまって…」

 突然漂い始めた重い雰囲気に思わず身をすくめる森の神。
 すると梟は目を伏せたまま話し出した。

「…私があの【転生の泉】のことを知ったのは、【先見の明】によって未来を垣間見たからです。それはシン様もご存じでしょう。神力を得始めたことで私には特定の未来を視る力が備わりました。そしてその力で私は私と鶲が転生を終えてこの【天界】に戻ってきた様子を視て、あの泉がどういったものなのかを知ったんです」


 それは梟と鶲が転生をする前のことだ。

 神力を得始めたものの、元がただの動物に過ぎない梟達にはそれ以上の力を身に宿すことができず、中途半端な存在となっていた当時。
 そんな時に梟は自身の【先見の明】によって『将来自分達がきちんとした神格を得て、神力を自在に扱えるようになる』ということを悟った。
 何か特別な力があるということは分かっていたが近寄るべきではないとさえ感じていた【天界】にあるその泉は、中に入った者から【天界】での記憶の一切を奪い、人間として30年の時を過ごさせた後に完全なる【天界に住む者】として転生させるという特別な泉だったのだ。
 今でこそ その効果がはっきりとしているが、梟がそれを突き止めなければその泉はきっと今も誰からも見向きされていなかっただろう。


 梟は続ける。

「…私のこの【先見の明】には多くの制限があります。たとえば、『視る』といってもそれは私自身の目を通して物を見るのではなく、『近くにいる同じ鳥類の者』が見たものをそっくりそのまま私が覗き見るようなものであるということ。実際、私は転生に関する未来を鶲の目を通して視ました。彼はいつもあんな調子ですが、実はよく周りのことを見ているので、状況を把握するのにもとても適しているんです。…そうして私は鶲の目を通し、転生を終えたことをシン様にご報告している自分自身の姿を視ました」

「あの時見た光景を…私は今も忘れることができません。シン様に自身の神力がきちんと備わっているのかと訊ねた、自分のあの姿を…」

 梟はなんとも辛そうな表情を浮かべながら「ひどいものでしたよ」と喉奥から絞り出した。

「転生を終えて【天界】に、シン様のおそばに戻ってきたのなら、もっと嬉しそうにするはずなのに。なぜ私があんなにも心ここにあらずといった様子でいるのか、私にはさっぱり分かりませんでした。そして考えた末にこう思ったんです。『私はシン様とのこれまでの記憶を、すべてではないにしろ部分的にでも本当に失ってしまったのではないか?』…と。…えぇ、愚かでしょう?でも当時は本当にそうとしか考えられなかったんです。転生して神格を得るなどということは誰も成したことがないのですから、未来のそのわずかな場面だけを見ただけではどのような過程で、どのように転生が済むのかが不確実でもありました。『泉に入り、【天界】でのこれまでの記憶を失って、人間として【地界】で30年の時を生きる』。それ以外の詳細なことは不確実だったんです。…しかし、私達側仕えがこの【天界】でこれからも神様方にお仕えするためにはこの転生が必要不可欠であるということははっきりとしていました。私が見た未来の自分は、明らかにそれまでとは違っていましたから」

 そう、たしかに転生を済ませた側仕え達は皆一様に身に纏う強い神力によって以前よりも大人びたり、どこか異なる雰囲気を漂わせているものだ。
 神格を得て、名実ともに【天界に住む者】となった側仕え達。
 梟もそんな自身の姿を見て転生が必要であることを確信した。

「…私は自分の記憶を絶対に失いたくありませんでした。たとえそれが、ほんの一欠片であったとしても。飢えて死を待つばかりだった私を救ってくださったシン様のことを、シン様のお優しさに包まれて過ごした【天界】での日々を、私は何一つ忘れたくなかったんです。転生はしなければならない、けれどもシン様のことを、【天界】でのことを忘れたくない…人間として【地界】で生きている間も、シン様のこと忘れたくない、と」

 森の神が梟のその言葉に「まさか…」と呆然とすると、梟はわずかに頷いて言った。

「私は策を講じたんです。記憶を失わないために、シン様のことを忘れないために。…簡単なことでした、自身の記憶をわずかな神力を使って箱に込め、必ず自分が訪れるであろうという森の中に隠しておいたんです。いくら人間に転生しているからといっても所詮私は梟であり、この魄は本来の習性に従って落ち着く場所を探すはずだと思ったので…隠す場所にはまったく迷いませんでした。いくら記憶を失くしている状態だったとしても、神力を失っていたとしても、近寄りさえすれば私は神力を込めた箱を手にすると確信していたんです」

 そうして転生前の梟はこっそり【地界】に降り、とある森の中の、立派な1本の木のうろへと箱を隠してきたのだ。
 森の神が神力をたどって探さないよう、念には念を入れて、洞の奥の奥に。

「泉に入ったとしても『記憶を取り戻すから大丈夫だ』と安心しきり、私は鶲を連れて転生しました。…もちろん、転生してすぐの頃は隠した箱に触れる機会がなかったので記憶を失ったままだったでしょう。しかし、私は私自身の読み通りに箱を見つけました。…その時のことをよく覚えています、あれは6歳の時でした」
「6歳…?」
「そうです、6歳の時。シン様が私の後姿を見た、その時です」

 人間の赤子として【地界】に転生した梟は孤児として育てられていたが、6歳になった頃、なぜか惹き込まれるようにして森の中へ1人で入っていったのだという。
 鬱蒼とした木々の間は真昼にもかかわらず随分と薄暗かったが、それが妙に心地よく感じた幼い日の梟はどんどんと奥へ入っていき、やがて立派な木の洞の元へとたどり着いた。
 恐怖心もなくその暗い洞の中を覗き込み、何気なく腕を精一杯中へと突っ込んだ梟。
 手の先に何かが触れたため、懸命にそれを掴み出してみると…それはまさしく、梟が転生前に隠した例の箱だった。

「中に何が入っているのか、気になった当時の私は何の躊躇もなくその箱を開け…そして思い出したんです。体の中に記憶が流れ込んでくるあの感覚はとても不思議なものでした。なぜこんなにも素晴らしいことを忘れてしまっていたんだろうと思うほどに、すんなりとすべてを思い出したんです。自分が何者で、なぜここにいるのか、何をすべきなのか…あの時、私はすべてを悟りました。『そうだ、私はこれからもずっとシン様のおそばにいるためにここへ来たんだ』と。…しかし、それと同時に、私は自分がとんでもない思い違いをしていることにも気が付いたんです」
「思い違い?」
「…はい、思い違いです」

 梟はほとんど涙目になって言った。

「私は記憶を失うことを恐れるあまり『転生することの意味』についての考察をおろそかにしてしまっていたんです。転生をする際に記憶を失うのには…きっと何か大きな意味があったに違いありません。【天界】やそれまでの一切を忘れてただの人間として生きることが、神力を得ることに関係していると考えるのが普通でしょう?それなのに私はそのことを顧みず、記憶を戻してしまったんです。それがどんな影響を及ぼすかも考えずに…」

「記憶を取り戻してしまった以上はそれを無かったことにはできません。私は恐ろしくなって、すぐさま森を出ました。私がシン様を恋しがって森にばかり行っていたら…神力を得ることができないか、もっと悪くすれば【天界】にも戻れなくなるのではないかと思ったからです。私はそれからというもの、『記憶を取り戻さないままだったらどのように生活していたか』を常に考えて行動するようになりました。森に近づきすぎると良くないのではないかと考えてわざと陸国の中心地に住むようにしたり、この『罪』を忘れて楽しく生きるなどあってはならないことだと自らを律したり…とにかく、記憶を取り戻したことによる転生への影響が少なくなるようにと日々生きていたんです」

 【天界】での沢山の記憶や知恵を思い出してしまった梟はなるべく普通の、年相応の人間として振る舞うようにしてはいたのだが、やはりそのすべてを隠しきることはできず、周囲から一目置かれる存在となっていた。
 そしてその大人びた様子から周りの子供達よりも一足、二足も早く自立した梟は、同じく【地界】に降りて転生をしていた鶲をそばに置き、身の回りの面倒を見るようになる。
 鶲は【天界】での記憶を完全に失っていたが、その心の奥底ではいつも主である風の神を強く想い、愛していた。
 年下の子供達などの面倒見が良い上に年上からも愛されるような愛嬌に満ちた鶲は、時折ひどく悲しそうにとめどなく涙を流しては周りを困惑させていたものだ。
 なぜそんなにも悲しがるのかと尋ねられても「分からない、分からないけれど悲しくて、恋しくてたまらない」と泣き続けていた鶲。
 梟にはその理由と気持ちが痛いほどよく分かっていた。

記憶を取り戻していなければ、自分も鶲と同じようになっていたに違いない。

 梟は鶲に自分の姿を重ね合わせ、共に暮らしながら甲斐甲斐しく世話をした。

「鶲は主に地域の子供達の子守りをしていましたが、私はまだきちんとした担い手がいなかった司書として生活するようになりました。司書として様々なことを書き記し、本にまとめ、陸国と【天界】のためになることを後世に残そうとしたんです。転生に影響が出ないような範囲で、何とかシン様の役に立つことをしようと…その一心でした。森の木々や動物の扱い方など、直接シン様のお務めに関わってくることは特に何冊も書いたんですよ。そして…嵐で森に被害が出たと聞く度に、建材として何本も木が切られる度に、被害をもたらした野生動物を狩ろうと人々が森へ向かうたびに…私はシン様のことが心配でたまりませんでした。シン様がお疲れになっているのではないかと、神力が不足してはいないだろうかと、いつも心配で…」

 深い悲しみに満ちた梟のその瞳は数え切れないほどの長い時を共にしてきていた森の神でさえも見たことのないものであり、森の神は初めて胸が苦しくなるような思いを経験する。
 自身の知らないところで梟がそんな経験をしていたなど、まったく、思いもしていなかったのだ。
 森の神は呆然としながら「本当に…僕のことを覚えていたの?」と呟く。

「僕はてっきり…梟が【天界】を忘れて、楽しく人間としての日々を…過ごしているのだと…」
「いいえ、私はいつもシン様のことを想っていました」
「6歳の頃から…24年も?」
「そうです。ずっとシン様のばかり考えていました」
「う、嘘だ…【地界】での24年はけっして短くないはずなのに…」
「嘘ではありません、本当のことです。それに、私よりもシン様の方が長くお待ちになったでしょう?【天界】では【地界】の2倍で時が流れているのですから…」

 森の神は我慢できず、飛びつくようにして梟を抱きしめた。

「なんてことをしたの…まさか、そんな思いを抱えながら生きていただなんて…!!」

 今、この腕の中に梟がいるということが どれほどありがたく素晴らしく、ありがたいことなのかを実感する森の神。
 もし梟の転生が上手くいかず、【天界】に戻ってこれなくなってしまっていたとしたら…そんな恐ろしいことは考えたくもなかった。
 ただただ、梟がきちんとした神格を得て戻ってきたというこの事実だけを噛みしめる。

「僕は…梟がきっと楽しい日々を送っているのだろうと…そう思っていたからこの30年を乗り切れたというのに…もし僕が梟だったら、そんなの耐えられない…」
「私も、本当に辛かったです…しかし、シン様のことを想って過ごす毎日は幸せでもありました。シン様のことを想えばそれが神力となってシン様の元に届くはずでしたから…【天界】に戻る日が来ると信じて、私は一日一日を重ねていったのです」
「梟…」

 そうして不安や恋しさを抱えたまま24年もの時を過ごした後、梟はついに鶲と共にこの【天界】へ戻ってきた。

自分は本当に【天界】へ戻ってきたのか
目の前にいる森の神は幻想などではなく、本物なのか
自身の身に神力がきちんと宿っているのか…

 いくつもの懸念が渦巻いて喜ぶどころではなかった梟の表情は『心ここにあらず』といったものであり、それは転生前に梟が【先見の明】で見た自身の姿そのものだった。
 結局、梟は未来を変えようとしたその手で自身の視た未来とまったく同じ状況を作り出したということになる。
 梟はそうして、自らのこの【先見の明】で視たことが手を加えることのできない、不変のものだということも結論付けた。

 梟はしがみついている森の神の肩を押してわずかに離れると、向き合って「シン様」と口を開く。

「離れていた間も、私は本当にシン様のことを心から想っていました。今までも、そしてこれからも…この想いは変わりません」
「梟…」
「どうかずっと、おそばにいさせてください」

 瞳を潤ませる梟。
 森の神はそんな梟の頬を両手で包み込むと、そっと唇を重ね合わせて応えた。
 唇から伝わる神力が改めて梟の転生がきちんと済んでいることを知らしめてくる。

「ねぇ、梟…」

 森の神は吐息がかかるほど近くで囁く。

「もう眩しくないから…覆いを取ってくれる?」

 梟はその囁きに応じて小さく頷くと、森の神の両目を覆っている布の結び目を解く。
 するりと音を立てて滑り落ちた目隠し。
 森の神は何度か瞬きをしてから薄明かりの中でじっと梟を見つめた。
 梟は森の神の瞳を覗き込むと、指先で森の神の目元をなぞりながら「なんて…お美しいのでしょう」と感嘆のため息を漏らす。

「シン様…私は【地界】で色々な素晴らしいものを目にしてきました。初夏の新緑が芽吹く広大な畑に、人間の丁寧な手仕事によって磨き抜かれた玉や色付きの硝子など…どれも美しいものばかり。しかし、この瞳に勝るものはありませんでした。どんなものも、景色も、この瞳には…」

 じっと梟を見つめる森の神の瞳。
 その瞳は透き通った深緑色の、なんとも形容し難い美しさに満ちている。
 木々のよく生い茂った葉も、上質なぎょくも、硝子も…たとえそれがどれだけ素晴らしいものであったとしても、この瞳には遠く及ばないだろう。
 梟は人間として転生していた時、美しい緑のものを見る度に森の神のこの瞳を思い出していたのだと語った。

「シン様が懐かしくて、恋しくて…似たものを探しては『やはり違う』と項垂れて…ずっとそうして24年間過ごしていました。…いえ、記憶を取り戻す前からそうでした。この美しい瞳をまた見つめたい、と…私は……」
「梟」

 【地界】での日々を思い出したらしい梟のその苦しげな言葉を遮るように、森の神は「似たものなど、もう探さなくていい」と微笑む。

「この瞳はこの閨に立ち入ることができる者だけに向けられるものだ。つまり、梟だけのものだよ。いつも梟のそばにあるのだから…眺めたいときは、いつでもこうして覗き込めばいい。似たものなど、代わりなど…もう必要ない」
「シン様」

 再びどちらからともなく顔を近づけて口づけを交わす森の神と梟。
 ちゅっ、と音を立てながら顔を傾け合うと、森の神はそのまま梟を閨に押し倒し、馬乗りになった。
 はぁはぁと胸を上下させる梟を見ながら森の神は上気した声を出す。

「梟…ねぇ、祐梟…無事に転生が済んだから良かったけど…でも、君はいけないことをした・・・・・・・・・と思わない?」
「シン…様…」
「僕に黙ってそんなことをして、そんな辛い思いをして、隠し通すつもりだった…?転生が無事に済んだから、もういいって?」

「ダメでしょ?そんな勝手なことをした君には…『罰』が必要だよね」

 柔らかな尻で梟の下半身を上から軽く押しつぶすようにする森の神。
 そのあからさまな刺激に梟は眉根を寄せた。

「これが…罰になるでしょうか」

 森の神は尻の下にあるものがすでに硬くなっているのを感じながら口の端に笑みを浮かべて言う。

「さぁね…やってみないと」


ーーーーーーー


 森の神の屋敷の最上階にある閨。
 そこでは挿入することを許されないまま散々に弄ばれ続けている梟がいた。
 ただただ敏感な部分へと弱く神力を流し込まれ、絶頂に至りそうな地点を延々と彷徨わされる。
 【天界】の長い夜の間中そうして『罰』を受ける梟は髪に羽が混ざるほど激しく興奮していて、そんな梟の姿を見る森の神も夜が半分過ぎるかどうかというところで完全に自らの衣を脱ぎ去った。
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