その杯に葡萄酒を

蓬屋 月餅

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本編のその先の物語

「葡萄畑」

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 陸国は5つの地域と、そしてそれら地域を統括している陸国の城(敷地)で成り立っている。
 6つの特徴的な地域は国の中央にある広大な中央広場を中心として栄えており、それぞれがその地域でしか扱えない食料などを生産、そしてそれを分け合うことによって陸国に住む人々の生活を維持しているのだ。
 5つの地域は『地域』という呼称からではその広さ大きさを想像しづらいのだが、実際には1つの地域で陸国すべての人々が消費するもの(農作物などの食料品から日用雑貨まで)を生産して賄えるくらいなので、ほとんど一国と呼べるほどの敷地量がある。
 中央広場の中心からちょうど放射状に区分されている地域。
 その一つ一つが広大であるということは、もちろん他地域との行き来にもそれなりに時間がかかるもので、『目的地がどの地域の どの辺りなのか』『移動手段は何か』にもよるが、行き来をするだけで丸一日かかることだって珍しくはない。
 そのため目的地での用が済み次第急いでとんぼ返りをするか、それともどこかで一泊して少しのんびりとするか…それはその人の裁量によっている。


~~~~~~~


「あの…本当に良いんでしょうか」
「うん?」
「いえ……」

 荷車や家畜が行き来するための道『家畜通路』の上を行く一台の馬牽き荷車。
 その上には2人の男、せんこうが乗っている。
 夾は荷車を牽く馬を御しながら、隣でのんびりと寛いでいるような様子の璇をちらちらと気にしていた。
 なぜ彼らが同じ荷車に乗って揺られているのか。
 事の起こりは数日前に遡る。

ーーー
 すっかり習慣と化した夾への菓子の差し入れのため、璇が夾の仕事場である荷車整備工房へと向かった時のことだ。
 璇が工房の入口から中を窺うとちょうどそこには一台の破損した荷車が持ち込まれていて、持ち主と親方達が修理の算段を相談しているところだった。
 もちろんそこには夾も加わっており、なにやら聞き慣れない単語(おそらく荷車の部品の名称なのだろう)を交えながら真剣に話をしている。
 璇はこうして工房に出向くようになったことで時折 こうした夾の真面目な仕事姿を目にする機会を得るようになったのだが、やはりいつものどこかおっとりとしたようなのとは違う表情で小難しいことを話している姿を見ると、改めて尊敬の念を抱くというか…『いいな』と思うのだ。
 彼は夾の仕事の邪魔をしないように入口のところでそのまま話が終わるのを待ちつつ、密かに夾のその声にじっと耳を傾けていた。
 礼儀正しく、落ち着いていて、自分よりもずっと歳上の親方達とも対等に渡り合っている夾の一歩引いた姿を眺めているのは少しも退屈ではない。

 そうしているうちに荷車についての相談が終わったらしく、親方達は「……じゃあ、まぁ修理が終わり次第届けるからさ」「おう、頼むわ」「はいよ」と声を掛け合ってその場を解散し始めた。 
 璇が依頼主の男と入れ違いになるようにして工房の中へ入ると、すぐに夾はその姿に気付いて「璇さん」と声をかけてくる。
 璇は内心とても嬉しく思いながら持ってきていた菓子を手渡した。

「午前の仕事、お疲れ」
「璇さんも。わざわざありがとうございます、今日のもとても美味しそうですね」
「あぁ、またここの皆さんと分けて食べてくれ」

 受け取ったかごの中にある菓子を嬉しそうにのぞき込む夾を見ているとすぐに止められないくらいに頬が緩んできてしまうため、璇は軽く咳払いをして工房の中央に置かれている たった今持ち込まれたばかりの荷車に目を向けた。
 前部の車輪が外されているところを見ると どうもその辺りが破損してしまっているらしいのだが、しかし素人である璇には一体何がどうなってどう調子が悪くなっているのかは分からない。
 夾に聞いてみると 前輪を支えている軸に歪みが生じ、左右前後の均衡が崩れたせいでうまく車輪が回らなくなっているのだという。
 構造についての知識がほとんどない璇にも分かりやすいようにと簡潔にまとめて説明できるあたり、やはり夾はそれだけ荷車についての造詣が深いのだということが分かる。
 璇が感心しながら話を聞いていると、夾は「この軸の部品は手配するのに少し時間がかかるんですよ」とさらに付け加えて説明した。

「この軸の部分というのは荷車によって微妙に長さや太さが違うので交換するときは代替品を一から作る必要があるんですが、堅い木を少しの歪みなくきっちり加工しないといけないので工芸地域の工房に依頼してからここに届くまでが他の部品よりもかかるんです」
「へぇ…大変なんだな」
「はい。すぐに修理ができないし、いつ整備が終わるかも分からないので仕事で使っている荷車がこうなると持ち主も困ってしまうんですよね。なのでこういう場合は整備ができ次第持ち主の方のところまで俺達が直接届けに行くということになってるんですけど、やっぱり今回もそういうことになりました」
「届けに?どこまで?」
「これは…あぁ、農業地域ですね、農業地域のちょっと中の方に入ったところ」
「農業地域の中?」
「はい。多分俺が届けに行くことになると思うんですが、ここからだとちょっと時間がかかりそうな場所です」

 荷車の持ち主が書き残していった住所を見ながら言う夾。
 その住所を一緒になって覗き込んだ璇は「…あ、ここか。ちょうどいいな」と1人嬉しそうに言った。
 夾が知っている場所なのかと訊ねると、璇は頷いてさらに続ける。

「ここ、結構遠いだろ。荷車を届けたらどっかに泊まるのか?仕事は休みは取れないのか」

 璇が珍しく仕事のことについて訊ねてきたので、夾は少し驚きつつ「休みは…とれますけど」と答える。

「うーん…今は他に急ぎの仕事もないし、むしろ親方はいつも『どっかでゆっくりして来い』って言ってくださる人なので休みをもらうことは難しくないんです。でも泊まるための宿を探すのは面倒だし、それだったらすぐとんぼ返りをしてきて家で休みたいと思っているので…今回もそうすると思います」

 これまでにも外で泊まってきたことはないのだという夾が「どうかしたんですか?何かお土産でも求めて来ましょうか」と言うと、璇は少し考えてから口を開いた。

「なぁ、しょう。せっかくだから休みをとれよ」
「え?いえ、でも…」
「俺も休みをもらって一緒に行くからさ」

 突然の申し出に一体何事かと目を丸くする夾。
 璇はさらに続けて言ったのだった。

「この目的地の近くに俺の両親が管理してる葡萄畑があるんだ。というより両親が住んでるんだよ、そこに」

「一緒に行こう」
ーーー

 …そうして2人は今、整備が終わった荷車に揺られながら農業地域へと向かっているという訳だ。

 璇の両親といえば、あまり酒を飲まない夾が一番気に入っているあの葡萄酒を造っているという人達だ。
 農業地域に移り住んで葡萄酒を造りながら暮らしているとは聞いていたが…まさかこんな形で会いに行くことになるとは思いもしていなかった夾。
 ご両親に会いに行ってもいいのだろうか。そもそも会いに行ったところで自分のことをどう紹介して、どう挨拶をすればいいのか。
 そういったことを考えつつ璇の提案に対する答えを渋っているうちに、なんと璇は「近いうちに大事な人を連れて泊まりに行くから』という手紙を両親に出し『来るのを楽しみに待っている』というような内容の返信までもらってきてしまっていた。
 夾が慌てて『大事な人、と言ったらご両親は女性を連れてくるに違いないと思うじゃないですか』と璇に言ったところ、彼は『俺がすごく大切に想ってる男だって書いたから大丈夫だ』と少しも臆せずに答えたのだった。
 しかしだからといって『それならいいか』とはならないだろう。

「でも…やっぱりご両親に悪いですよ。璇さんはともかくとしても初対面の俺が…それも泊めていただくだなんて」

 恐縮する夾に、璇は「大丈夫だってば」とのんびり伸びをする。

「俺の両親に会ったらそんな心配はいらないってことが分かるはずだ。それに、もともと韶のことは前から手紙で伝えてあったし」
「え…つ、伝えてあったって、何をどういう風に伝えてたんですか」
「うん?別に、ただ『俺の恋人は父さん達が造った葡萄酒を一番気に入ってる』とかってそういうのだよ。たまに俺が父さんと母さんのところへ顔を見せに行くと必ず『その韶くんって子はどこに住んでるの?なんであたし達に会わせてくれないの』ってしつこく聞かれてさ。俺も会わせたいと思ってたけどなかなか機会がなかったから、今回ちょうど良かったよ」
「いつの間にそんな…」
「とにかく心配いらないから。そう言われたって気にはするだろうけど、でも俺の両親は本当にそんなかしこまった感じじゃないし」

「なぁ、俺の両親は俺と兄さんを酪農地域に残したまま、2人で農業地域に行って葡萄酒造りを始めたような人達なんだぞ。韶も知ってるだろ?」

 そうして璇が話しているうちにどんどんと荷車の届け先は近づいてきて、夾はとにかく荷車引き渡しという仕事をするために、いつもの職人としての顔に戻って荷車の持ち主である野菜などの配達を行っている主人へと話をつけに行った。
 整備内容などの説明とそれらを書き記した記録の写しを渡し、仕事での目的を果たした夾。
 この後は今日、明日と親方から休みをもらっているので、いよいよこの近くに住んでいるという璇の両親に会いに行くわけなのだが…

「すみません、璇さん。お待たせしまし…た……」

 用を済ませた夾が振り向くと、そこには自分達が今まで乗ってきた荷車を牽いていた一頭の馬を撫でる璇がいる。
 だが、さらにその横にはどこかでよく見たような風貌の女性もいた。

「あっ!どうもどうも、はじめまして!!あたし、璇の母親です」

 夾はその突然の明るい声に面食らってしまった。
 たしかに、荷車の受け渡しをしているときに後ろの方で璇が誰かと話しているらしいということには気付いていたのだが、その相手がよもや彼の母親だったとは思いもしていなかった夾。
 両親の元へ向かうことになっていたとはいえ、このようにいきなり顔を合わせることになると一気に緊張してしまい、夾は「あ…はじめまして」と小さく頭を下げながらなんとか応じる。
 しかしそんな夾とは裏腹に、璇の母親の元気のよさは凄まじかった。
 夾が「璇さんの、お母様…あの、俺は酪農地域でいつも璇さんにお世話になっている者で、あの…」と必死に言葉を探しているにもかかわらず「ふふっ、しょうくんでしょ?璇からいつも話を聞いてたのよ!璇ったらあなたのことをすごくよく話すんだもの、手紙でも何でも。だからあたし今日あなたが来てくれるって聞いてすごく楽しみにしてたの!あら~とってもかっこいいのね」と畳み掛けてくるのだ。

「お仕事でこっちの方まで来たんですってね?」
「ちょっと母さん…やめてよ、いきなりそんなんじゃ恥ずかしいだろ」
「なにが恥ずかしいのよ、いいじゃない!ね、韶くん!」

 矢継ぎ早に話をする璇の母親はさらに昼食はとったかと聞いてきた。
 2人は朝早くに出発してきたため、ここへ到着したのはちょうど昼前のことであり、ちょうど腹が空き始めている。
 璇は「いや、昼はまだだよ。それよりさ…」と母親に話そうとするものの、彼女はそれを遮って話しだした。

「それなら良かった!お口に合うかわからないんだけど、ぜひ我が家でお昼を食べてちょうだいな。夫もあなたが来るのを待ってるのよ、畑のことをやってて迎えには来れなかったんだけどね…揃って来れなくてごめんなさいね」
「あっ、いえ、そんな…お迎えに来ていただけるとは思っていなかったので、恐縮です」
「もう~いいのよいいのよ!さ、行きましょ!」

 璇の母親は自分が乗ってきた馬牽きの荷車に夾達が連れてきた馬をも繋いで二頭立てにすると、璇と夾を乗せてそのまま農業地域の中を進み始めた。
 通常、荷車は人々が普段歩く石畳の道とは異なる 車輪や動物への負担軽減を目的として敷かれた『家畜通路』という専用の通路を通るのだが、農業地域の中へと続く家畜通路の1つであるこの道は広大な畑を眺めながら行くことができて、とても心地がいい。
 季節はちょうど残暑の頃だ。
 まだあちこちに夏野菜の青い葉や、これからの秋の収穫に向けてぐんぐんと生育している作物の緑が残っているのが見える。
 夾がその美しい景色に感嘆すると、璇の母親は「ここら辺はこういう野菜の畑ばっかりだけど、もうちょっと漁業地域寄りの方に行くと穀物の畑になるから景色が黄金色になるの。それもまたすごく綺麗なのよ」と教えてくれたのだった。
 酪農地域の豊かな牧草の緑や刈り取った牧草の色も素晴らしいが、見渡す限りの畑に色々な作物が均等に植えられているこうした景色も本当に素晴らしい。
 夾は農業地域の隣に位置する工芸地域で育ちはしたものの、住まいが工芸地域の内側に位置する場所だったので農業地域に行くことはほとんどと言っていいほどなく、農業地域の景色というものをきちんと目にしたのはこれが初めてだったのだ。
 初めて目にした農業地域の広大さに目を奪われている夾は仕事をしている時とは全くの別人のようで、これまた見ていてちっとも飽きないなと璇は思いながら荷車に揺られていた。

 野菜が植えられている畑の区画が一本の真っすぐ横に走る農道によって区切られたその先へとさらに進んでいく荷車。
 するとたしかにそれまでとはまた違う様子の畑が広がり始める。
 等間隔に立てられた木の柱の間を覆いつくすように茂る切れ込みの入った葉と、そこに垂れさがる丸い実の付いた房…。
 すぐにそれが葡萄の畑であると気付いた夾が素直に「葡萄の畑って初めて見ました」と言うと、璇の母親も「そうよね、他の地域に住んでる人は普段ここまでは来ないもの」と頷いた。

「それぞれの植物に適した環境で分けてるっていうのもあるけど、基本的には野菜類は配達がしやすいようにって中央広場寄りで育てられてるのよ。その関係で加工が必要なものはどうしても少し奥まったところに植えられてるものだから、あたし達が管理してる畑もこういうところにあるの。ここら辺の葡萄畑はこうやって横に生らせてるけど、果物として食べる葡萄はまた違った生らせ方をしてるから畑の様子も随分と違うわよ」
「そうなんですか」
「えぇ。そういう葡萄はそれこそ もうちょっとあっちの漁業地域寄りっていうか、農業地域の中の本当に中心の部分に植えられてるから行くまでにもう少しかかるんだけどね。でもまた時間があるときには行ってみるといいわよ。時期が良ければ穀物の畑もそこから見れるはずだから」

 璇の母親から聞く話はどれも夾にとってとても新鮮なものだった。

 そうしているうちについに荷車は目的地へと到着し、動きを止める。
 葡萄畑のすぐ隣にある1棟の建物を従えた、素朴ながらも立派な造りをした家。
 その家の前にあるちょっとした草原には木造りの卓と椅子があって、さらにその上にはかごで覆われているものの、いくつかの皿が置かれている。

「あなた~!韶くん来た、韶くんが来たわよ~」

 璇の母親が荷車から降りながら呼びかけると、家の中から1人の体格のいい男が茶杯などを手にしながら出てきた。
 言わずもがな、その人は璇の父親だ。
 わざわざたしかめるまでもない。
 璇の母親が『あなた』と夫を呼ぶときの調子で呼びかけたからだけではなく、それ以前に歩き方や仕草などがどう見ても璇や璇の兄と同じなので、親子であるということは間違いないというような感じなのだ。
 荷車から降りた夾が「あの、初めまして…」と頭を下げると、その人は手にしていた食器を卓の上に置いて言う。

「どうも。璇の父親です」
「初めまして…」
「…いらっしゃい、しょうくん。ここまで遠いのによく来てくれたね」

 父親のその大人しく落ち着いた声音は璇の兄のものにそっくりだ。
 夾はその歓迎にさらに恐縮しつつ「こちらこそ、お会いできてとても嬉しいです」と恭しく返した。

 昼食はそうして畑のすぐそばで始まった。
 卓の上に並べられた料理の味付けは【柳宿の器】や【觜宿の杯】で食べるものと少し似ているようで、夾にとっても慣れた味であり、夾が「美味しいです、とても」と口にすると、璇の父親と母親は「これも食べてごらん」「しょうくんはどういう料理が好きなの?辛いものは好き?」などと熱心に聞いて璇そっちのけに夾と話し始める。
 あまりにも両親が前のめりになって話題を振るため、璇が「ちょっと…しょうを困らせるなよ、頼むから」とこぼしたほどだったが、当の夾は「いえ、俺も色々と聞いていただけて嬉しいですから」と璇の両親との会話を楽しみ、初対面とは思えないほど和気藹々とした食事を楽しんだのだった。

 楽しいひと時を過ごす夾。
 彼は璇の両親と親しく話をしながらも、璇が『なんとか2人きりで過ごす時間を得たい』と思っているらしいことに勘づいていたのだが、しかし 昼食が終わって一段楽したところで璇は父親に「…璇、せっかく来たんなら少し仕事を手伝ってくれ」と半ば強引に連れ出されてしまう。

「は…はぁ?父さん、俺は仕事を手伝いにきたんじゃないんだぞ」

 不満たっぷりに抵抗する璇だが、父親は「あまり時間はとらせないから」と取り合わない。

「父さんも今日は早く仕事を切り上げたいんだ。だから手伝いなさい」
「い、嫌だよ!何で俺が…休みをとってきたっていうのに!」
「何を言う。父さん達に休みはないんだぞ、葡萄の世話から醸造まで毎日やることがあるんだから。いいから手伝いなさい」

  璇は後ろ髪を引かれながらも結局 のそのそと父親のあとをついていき、残った夾と璇の母親は共に卓の上を片付けながら親しく会話を交わしてさらに深く打ち解けていった。
  仕事のこと、普段の生活のこと、好きなものについて、など…彼らは何でも話題にした。
 璇の母親の穏やかな優しさを含んだ明るい性格は夾にとっても居心地がよく、まるで以前にも長く一緒に過ごしたことがあるかのようだ。
  この頃にはもう、不思議と緊張などはなくなっていた。

「ふふっ…それにしても、韶くんって本当にいい子ね。璇があんなに惚れるのも当然だわ」

  朗らかに笑う璇の母親。
 その話題にはさすがに反応に困ってしまう夾だが、璇の母親はそれを察して「いいのよ、幸せにおやんなさいな」と夾の肩をバシバシと叩いてこれまた明るく言う。

「誰だって好きなように…心のままに生きていいのよ、韶くん。あたし達に気兼ねすることなんかないわ。あたし達は璇があなたのことをどれだけ大切に想っているかを知っているし、あなたも璇のことを大切に想ってくれているって分かってるから。2人がお互いを想い合ってるなら、それでもう充分でしょ」
「あ…ありがとう、ございます…」
「ふふっ、ありがとうだなんて、あたし達の方が言うべきことよ。ほら、璇って子供っぽいところがあるでしょう?韶くんが苦労してるんじゃないかと心配になるわ。あの子はしっかりしてそうなのにそそっかしいところもあるし」
「いえ!璇さんは俺のために菓子を作ってくれたり好きな料理を作ってくれたりして、いつもとても気を遣ってくれる…ので…」
「あら…!もう璇ったら、あなたのことが本当に大好きなのね!なんでも面倒くさがってたあの子がそんな風にあれこれするだなんて…そういえばこの間『野菜を使った菓子の作り方を知ってるか』なんてあたしに聞いてきたこともあったわ。あれは韶くんのためだったのね、なるほどそういうことか」
「璇さんがそんなことを?」
「そうよ~あたしもびっくりしたわ。觜宿での新しい献立を考えてるだのなんだのって言って誤魔化そうとしてたけど、どうも怪しいと思ってたのよね」

 璇の母親から思いがけず璇の行動を聞いた夾は、たしかに少し前に野菜を使った焼き菓子を渡されたことがあったなとひとり合点していた。
 野菜が使われているとは思えないほど美味しい菓子に仕上がっていたそれは、多少食べても罪悪感が少ないということもあって『これ…とっても美味しいです、作り方を教えてもらえませんか?』と璇に訊いてみたのだが『言ってくれれば俺が作るから』とついぞ詳しい作り方は教えてもらえずじまいだった。
 自分のために色々な菓子の作り方を調べて回っているのだと知り、夾はさらに璇への想いを深くする。
 璇の母親はそんな夾に「璇のこと、これからもお願いね。韶くん」と柔らかく微笑んだ。

「璇は璇なりに沢山寂しい思いをしてきたと思う。でも今はあなたがいてくれるおかげでとっても楽しそうだわ。ありがとう」
「そんな…こちらこそ…」

 夾が頭を下げると、璇の母親は朗らかに笑って「ま、子供達を酪農地域に残したまま葡萄畑やってるあたし達が一番好き勝手にやってるんだし。偉そうなことを言えた立場じゃないんだけどね!」と畑の方を見やる。
 夾は同じく畑の方に目を遣りながら、そういえばまだ璇の両親が造っている葡萄酒が好きなのだということを直接言っていなかったことを思い出して「俺、こちらで造られている葡萄酒が一番好きなんです」と伝えた。
 すると璇の母親は本当に嬉しそうに声を弾ませて「もう~本当にありがとう!」と声を弾ませると「韶くん、こっちおいで」と夾を畑の方へと招いたのだった。

「ねぇ、韶くんは葡萄酒造りに使う葡萄を食べたことってある?」
「葡萄酒の?いえ…普通のものとは違うんですか」
「ふふっ、葡萄酒用のは普通に果物として食べるのよりも小粒なんだけどね、すごく美味しいのよ!葡萄が嫌いじゃなかったら食べてみて!」
「え、いいんですか?」
「もちろんよ!お酒造りのために収穫するにはまだ早いんだけど、でも…ほら、こういうのとかはもう熟してて食べられるから」

 璇の母親は垂れ下がる房の中から特に良く色付いたいくつかの実を取って夾に食べてみるよう促す。
 葡萄などどれも同じだと思っていた夾は一体何が違うのかと不思議に思いながらその一粒を口にして…そしてその甘さ美味しさに驚いた。
 今まで食べてきた葡萄というものとはまるで別の果実のようで、夾が目を丸くしていると、璇の母親は酒にするためにはうんと甘い実でないとダメなのだと教えてくれる。
 初めて知ったその味に感動する夾へと璇の母親は次々に食べ頃の実を教えてくれた。
 璇の母親は自分が少しはしゃぎ過ぎていると自覚しているようで「ごめんなさい、つい…」と肩をすくめたが、夾はむしろ嬉しいのだと口にする。

「俺の両親もとても元気な人だったと、いつも兄や祖父母から聞かされていました。だから母がいたらきっとこんな感じだったんじゃないかと思えて…俺、嬉しいんです、すごく。…すみません、重い話をして」

 すると璇の母親はふるふると首を横に振って言った。

「いいのよ、母と思ってくれても」

「あたしも夫も…韶くんがあたし達のことを親と思ってくれたら とても嬉しいの。何かあれば頼ってほしいし、遠慮なんてせずに親しくしてほしいのよ」

 その言葉は夾の胸にすっと沁み込んでいくようで、上手く言葉にできない何かが体の奥底から込み上げてくる。
 璇の母親に頭を撫でられた夾は、すっかり照れてしまって「あ…ありがとうございま…す…」と応えるので精一杯だった。


ーーーーー


 昼食の片付けを終え、食器類がすべて無くなった卓の上を夾が布巾で丁寧に拭っていると、ようやく仕事の手伝いから解放されたらしい璇が父親と共に建物の方から出てきた。
 璇は父親の手伝いをすること自体は嫌ではないようなのだが、しかしその不満げな様子はちっとも変わっていない。
 そんな璇の心中を察した夾は、璇の母親に「この辺りを少し散歩してきてもいいですか」と訊ねた。

「せっかくなので畑の中を歩いてみたいんです。もし良かったら、なんですが」
「あら、もちろんいいわよ。ここに植わってる葡萄酒用の葡萄の木にもいくつか違う種類があるから、ぜひ見てきなさいな」
「ありがとうございます」

 畑の中を歩いてきてもいいという許可を取り付けた夾。
 彼がそのまま璇の方に向き直って「璇さん、一緒に行きませんか?案内してもらえたら嬉しいんですが」と声を掛けると、璇は「…あぁ」となんでもないようにそっけなくしつつも、どこか嬉しそうな様子で応じたのだった。


 きちんとまっすぐに、いくつもの列になって植えられた葡萄の木。
 その列の間を彼らは2人で歩く。
 農業地域は中央広場から遠くなればなるほどなだらかに地面が高くなっているため、ここへ来る道中に横を通ってきた畑などが広く良く見える。
 時刻的にはまだ陽が沈み始めるには早いものの、ここから見る夕陽もきっと格別のものに違いない。
 夾は周りを見渡しながらそんな事を考えつついつもとは違う散歩の景色を楽しんでいた。だが、璇はというと…特に言葉を交わすことも無く黙々と歩いていて、その表情はあまりよく伺えない。
 そんな璇の手をとると、璇は横の葡萄の木でも見るかのように顔を背けつつ夾の手を握り返してくる。
 繋いだ手からは言葉以上に気持ちが伝わってくるような感じがして…少し気恥ずかしい。

「…ここ、すごく素敵なところですね」

 夾が一歩後ろから話しかけると、璇は「あぁ」と一言で答える。

「璇さんのご両親もとても素敵な方々で」
「騒がしくて大変だろ」
「いいえ、璇さん。俺は本当に楽しくて…嬉しいんです」

 夾が立ち止まって遠くまで広がる景色を見つめると 璇も同じ方を見て立ち止まった。
 まったく同じ景色を見つめ、まったく同じ空気を胸にし、まったく同じ音を耳にしている2人。
 夾はじっと遠くを見つめたまま言った。

「俺は…小さい頃からただの一度も寂しいと思ったことはありません。俺が物心ついた時にはもう両親はいませんでしたけど、それでも寂しいと思ったことはないし、他の両親がいる子達のことを羨ましいと思ったこともありませんでした。両親のことを思わない日があったわけじゃないんです。でもそれ以上に祖父母や兄がいつもそばにいてくれたし、工房の職人さん達や同年代の子達にも良くしてもらっていたので…両親に会ってみたいと思ったことはあっても『そういうものだ』と思っていた、というか。だけど今日璇さんのご両親とお話をしていて、やっぱり俺は…自分が実は少し寂しく思ってたのかな、と思いました」

「本当にただの一度だってそんなことは感じたことがなかったのに、璇さんのお父さんやお母さんと話をしていたらとても楽しくて嬉しくて…祖父母や兄とは何かが違うそれが、すごく安心する感じがしたんです。温かくて…なんというか、すごく……その、上手く言えないんですが………」

 感じたことをそのまま的確に表現する術を見つけることができず言葉に詰まってしまった夾。
 璇はそんな彼のことを後ろからしっかりと抱きしめて包み込んだ。
 彼の腕の温かさは夾の胸の奥深くにまで届く。
 心地良く吹いた風に髪が揺らぎ、互いの体の熱と香りを一層濃くさせる中、夾は自らを抱きしめてくる璇の腕にそっと手を重ねる。
 それ以上は言葉がなくとも充分だった。
 しばらくの間そうして時々風に揺られる葡萄の葉が擦れる音を聴き、璇は口を開く。

「…さっき父さんがさ、今度葡萄の収穫をするときには韶にも来てほしいって言ってたんだ」
「収穫に?」
「あぁ。もし韶さえ良かったら…来ないか?収穫って結構大変だからいつも一家総出でやってるんだよ。そりゃあ休みの日にまで肉体労働なんかやりたくないだろうけど…」
「あの、ぜひ俺も参加したいです、収穫」
「…うん」

 葡萄畑の真ん中で頬がくっつくほど寄り添い合う2人。
 きっといつもであればそのまま口づけを交わし、すぐさま言葉ではないもので愛を伝え始めるに違いない。
 だが夾は存分に璇の温もりを味わったあとではっきりと言ったのだった。

「…璇さん、今日はダメですよ」
「なにが?」
「なにがって…そういうことを、ですよ…」
「なんで」
「なっ…だ、ダメに決まってるじゃないですか!ご両親のところへ泊まっているのにそんなことできるわけが無いでしょう?それに今日は長い時間荷車に揺られてきたし、明日は今日のよりも乗り心地が劣る簡易的な荷車で帰らなきゃいけないんですよ。今夜そんなことをしたら…いくらなんでも体が持ちませんよ」

 夾のもっともな訴えに璇はわざとらしい大きなため息で応える。
 結局彼らはその晩なにもせずに大人しく眠りについたが、しかし用意された一人用の寝台を別々に使うことはなく、窮屈さには目を瞑ることにして2人同じ一台の寝台で休んだのだった。
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