34 / 396
4 ある二月の雪の夜
二 転職したらしい
しおりを挟む
二月初旬。木曜日。
午後六時。
「ただいま戻りましたー」
外回りからオフィスに戻ってきた俺に、デスクでパソコンに向かっていた西さんが顔を上げて、のんびりした声で訊ねてくる。
「相田くん、おかえりー。外どやったー?」
西さんは俺の上司で、四十代前半男性、若干小太りだけどハンサム系の、この会社の社長。グループ会社の人材派遣部門が独立した形で子会社化していて、オフィスはここ大阪、北浜。
雑居ビルの八階。社員は十人。内勤スタッフはすでに帰っていて、事務スペースには西さんだけ。
半年前に中途入社して、つい先日正社員に切り替わったばかりの俺がいちばん下っ端で、西さんにいろいろ教えてもらいつつ、慣れてきたところ。
ちなみに西さんは社長だけど社長と呼ばれるのは苦手だそうで、さん付け。
コートを脱いでポールハンガーに掛けながら俺は答える。西さんは、仕事については訊いてない。質問は、天気だ。
「ちょっと降ってます。雪」
「ちょっとって嘘やーん。俺さっき煙草吸いに屋上出たとき、めっちゃ降っとってん」
「大阪基準だとめっちゃかもです」
「こんな降るとか寒いとか、ありえへんわ。凍ってまうわ」
今週は大寒波が日本列島全域を襲い、大阪にも雪が降っている。といっても積もるほどではない、溶けていくだけの雪だけれど。
西さんに言わせると、未曽有の事態らしい。
「いうて、関東はもっと寒いな」
「そうですね。あっちに比べると、大阪はまだ秋っぽいですよね」
「それな」
大阪に来て、温暖さに驚いた。これほど気候が違うんだ。冬はいいけど、この分だと夏はしんどいかも。
「あー。こんな寒いのに明日東京やん。しんど」
明日は、西さんと一緒に東京出張の予定だ。グループ会社と連携している内部システムの大規模な刷新がおこなわれるので、その説明会と、いくつかの関連会社が派遣社員を入れるというので、紹介ついでに企業の要望をヒアリング予定なのである。
それにしても、東京か……。
大阪に引っ越ししてから、一度も戻ってない。
「寒いですもんねえ。あっちはもっと降るみたいですし」
「ひとりで行ってみる?」
「こんなぺーぺーひとりでいいんですか」
「相田くんやったら大丈夫やわぁ」
そんなふんわりした言い方に変えてもだめだよ。
寒くて行きたくないだけだし。
「そういや、相田くん、土日はどうすんの? 実家は埼玉やっけ」
「いえ、実家は帰らないです。東京の友達も都合がつかないんで、金曜のうちに帰ります」
「俺、葉子と流れで飲みかも。まだわからんけど。相田くんは行かへん?」
まずい。それは、場合によっては、葉子さんだけでは済まない。
葉子さんには会いたいなとは思う。
葉子さんが西さんの会社を紹介してくれたのは、去年の夏のことだ。
前職で、東京から名古屋への異動希望は秒で却下された。なので退職届を出して、すったもんだの末、なんとか退職した。
同時進行で、葉子さんが教えてくれたとおり、俺は西さんの会社の求人が出る前に応募させてもらえることになり、カズ先輩も話を通してくれて、すぐに採用となった。
それから早くも半年が経っている。
会社にも慣れて、大阪にも慣れて、馴染んできている。
葉子さんには個人的にお礼をしたし、カズ先輩にもお礼の電話はしておいたけれど。一回きり。不義理だろうか。でも、これ以上は……。
昨年の夏に名古屋駅で別れて以来、カズ先輩には一度も会っていない。
やっぱり、カズ先輩と顔を合わせる可能性はできるだけ少なくしておきたいというか。
俺のためじゃなくて、苦しがってたカズ先輩のためにも。
今頃なにしてんのかな。本当は、会いたいんだけどな……。
ただの先輩後輩として、会えるのであれば。
「あ、行きたいんですが……」
「なんか用事ー?」
「土曜にこっちでやりたいことがあって……」
「そうなーん。ま、ええわ。今日はさっさと帰りやー。明日早いし」
「ありがとうございます」
俺は手元の仕事を終わらせて、会社を出ることにした。橋を渡る。
西さんはゆるいし、仕事はグループ会社内の雇用調整なので、ルート営業のようなもので、あとはスタッフのサポート。スタッフは女性が多くていい子ばっかり。仕事自体はゆるい。ほぼ定時。
そのわりに給料はそこそこ。年収は上がった。これからもきちんと上がるらしい。
家賃がかかるからその分使える額は減るけれど、東京よりも家賃は安い。南森町のマンションは徒歩十分で近くて楽だし。
あるところにはあるものなんだな、こういう環境って。
それにしても、明日は東京かー……。
雪がちらつく夜空を仰ぎながら、遠い場所と、あっという間の半年を思う。
何もないといいけれど……。
午後六時。
「ただいま戻りましたー」
外回りからオフィスに戻ってきた俺に、デスクでパソコンに向かっていた西さんが顔を上げて、のんびりした声で訊ねてくる。
「相田くん、おかえりー。外どやったー?」
西さんは俺の上司で、四十代前半男性、若干小太りだけどハンサム系の、この会社の社長。グループ会社の人材派遣部門が独立した形で子会社化していて、オフィスはここ大阪、北浜。
雑居ビルの八階。社員は十人。内勤スタッフはすでに帰っていて、事務スペースには西さんだけ。
半年前に中途入社して、つい先日正社員に切り替わったばかりの俺がいちばん下っ端で、西さんにいろいろ教えてもらいつつ、慣れてきたところ。
ちなみに西さんは社長だけど社長と呼ばれるのは苦手だそうで、さん付け。
コートを脱いでポールハンガーに掛けながら俺は答える。西さんは、仕事については訊いてない。質問は、天気だ。
「ちょっと降ってます。雪」
「ちょっとって嘘やーん。俺さっき煙草吸いに屋上出たとき、めっちゃ降っとってん」
「大阪基準だとめっちゃかもです」
「こんな降るとか寒いとか、ありえへんわ。凍ってまうわ」
今週は大寒波が日本列島全域を襲い、大阪にも雪が降っている。といっても積もるほどではない、溶けていくだけの雪だけれど。
西さんに言わせると、未曽有の事態らしい。
「いうて、関東はもっと寒いな」
「そうですね。あっちに比べると、大阪はまだ秋っぽいですよね」
「それな」
大阪に来て、温暖さに驚いた。これほど気候が違うんだ。冬はいいけど、この分だと夏はしんどいかも。
「あー。こんな寒いのに明日東京やん。しんど」
明日は、西さんと一緒に東京出張の予定だ。グループ会社と連携している内部システムの大規模な刷新がおこなわれるので、その説明会と、いくつかの関連会社が派遣社員を入れるというので、紹介ついでに企業の要望をヒアリング予定なのである。
それにしても、東京か……。
大阪に引っ越ししてから、一度も戻ってない。
「寒いですもんねえ。あっちはもっと降るみたいですし」
「ひとりで行ってみる?」
「こんなぺーぺーひとりでいいんですか」
「相田くんやったら大丈夫やわぁ」
そんなふんわりした言い方に変えてもだめだよ。
寒くて行きたくないだけだし。
「そういや、相田くん、土日はどうすんの? 実家は埼玉やっけ」
「いえ、実家は帰らないです。東京の友達も都合がつかないんで、金曜のうちに帰ります」
「俺、葉子と流れで飲みかも。まだわからんけど。相田くんは行かへん?」
まずい。それは、場合によっては、葉子さんだけでは済まない。
葉子さんには会いたいなとは思う。
葉子さんが西さんの会社を紹介してくれたのは、去年の夏のことだ。
前職で、東京から名古屋への異動希望は秒で却下された。なので退職届を出して、すったもんだの末、なんとか退職した。
同時進行で、葉子さんが教えてくれたとおり、俺は西さんの会社の求人が出る前に応募させてもらえることになり、カズ先輩も話を通してくれて、すぐに採用となった。
それから早くも半年が経っている。
会社にも慣れて、大阪にも慣れて、馴染んできている。
葉子さんには個人的にお礼をしたし、カズ先輩にもお礼の電話はしておいたけれど。一回きり。不義理だろうか。でも、これ以上は……。
昨年の夏に名古屋駅で別れて以来、カズ先輩には一度も会っていない。
やっぱり、カズ先輩と顔を合わせる可能性はできるだけ少なくしておきたいというか。
俺のためじゃなくて、苦しがってたカズ先輩のためにも。
今頃なにしてんのかな。本当は、会いたいんだけどな……。
ただの先輩後輩として、会えるのであれば。
「あ、行きたいんですが……」
「なんか用事ー?」
「土曜にこっちでやりたいことがあって……」
「そうなーん。ま、ええわ。今日はさっさと帰りやー。明日早いし」
「ありがとうございます」
俺は手元の仕事を終わらせて、会社を出ることにした。橋を渡る。
西さんはゆるいし、仕事はグループ会社内の雇用調整なので、ルート営業のようなもので、あとはスタッフのサポート。スタッフは女性が多くていい子ばっかり。仕事自体はゆるい。ほぼ定時。
そのわりに給料はそこそこ。年収は上がった。これからもきちんと上がるらしい。
家賃がかかるからその分使える額は減るけれど、東京よりも家賃は安い。南森町のマンションは徒歩十分で近くて楽だし。
あるところにはあるものなんだな、こういう環境って。
それにしても、明日は東京かー……。
雪がちらつく夜空を仰ぎながら、遠い場所と、あっという間の半年を思う。
何もないといいけれど……。
243
あなたにおすすめの小説
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる
結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。
冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。
憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。
誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。
鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。
やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。
毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。
そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。
彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。
「これでやっと安心して退場できる」
これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。
目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。
「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
「へ?」
そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て――
オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
魔王の息子を育てることになった俺の話
お鮫
BL
俺が18歳の時森で少年を拾った。その子が将来魔王になることを知りながら俺は今日も息子としてこの子を育てる。そう決意してはや数年。
「今なんつった?よっぽど死にたいんだね。そんなに俺と離れたい?」
現在俺はかわいい息子に殺害予告を受けている。あれ、魔王は?旅に出なくていいの?とりあえず放してくれません?
魔王になる予定の男と育て親のヤンデレBL
BLは初めて書きます。見ずらい点多々あるかと思いますが、もしありましたら指摘くださるとありがたいです。
BL大賞エントリー中です。
ブラコンすぎて面倒な男を演じていた平凡兄、やめたら押し倒されました
あと
BL
「お兄ちゃん!人肌脱ぎます!」
完璧公爵跡取り息子許嫁攻め×ブラコン兄鈍感受け
可愛い弟と攻めの幸せのために、平凡なのに面倒な男を演じることにした受け。毎日の告白、束縛発言などを繰り広げ、上手くいきそうになったため、やめたら、なんと…?
攻め:ヴィクター・ローレンツ
受け:リアム・グレイソン
弟:リチャード・グレイソン
pixivにも投稿しています。
ひよったら消します。
誤字脱字はサイレント修正します。
また、内容もサイレント修正する時もあります。
定期的にタグも整理します。
批判・中傷コメントはお控えください。
見つけ次第削除いたします。
悪役令嬢の兄でしたが、追放後は参謀として騎士たちに囲まれています。- 第1巻 - 婚約破棄と一族追放
大の字だい
BL
王国にその名を轟かせる名門・ブラックウッド公爵家。
嫡男レイモンドは比類なき才知と冷徹な眼差しを持つ若き天才であった。
だが妹リディアナが王太子の許嫁でありながら、王太子が心奪われたのは庶民の少女リーシャ・グレイヴェル。
嫉妬と憎悪が社交界を揺るがす愚行へと繋がり、王宮での婚約破棄、王の御前での一族追放へと至る。
混乱の只中、妹を庇おうとするレイモンドの前に立ちはだかったのは、王国騎士団副団長にしてリーシャの異母兄、ヴィンセント・グレイヴェル。
琥珀の瞳に嗜虐を宿した彼は言う――
「この才を捨てるは惜しい。ゆえに、我が手で飼い馴らそう」
知略と支配欲を秘めた騎士と、没落した宰相家の天才青年。
耽美と背徳の物語が、冷たい鎖と熱い口づけの中で幕を開ける。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる