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Side ヴィンセント
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新雪の白の髪、湖面の蒼の瞳。
そんな清廉な雰囲気を纏う、滑らかな陶磁器のような肌。青白い皮膚の下にうっすら浮かぶ血管を見留めなければ、私の主人は精巧に作られたビスクドールのような御方だった。
毎日決まった時間に食事をして、毎日決まった時間に湯浴みを行う。それ以外の時間は分厚い本を膝に乗せて一日をほぼ同じ体勢で過ごす。家族がこの部屋を訪れることも、誰かを招くこともない。
例外とすれば彼の母親の弟、つまり叔父にあたる男がたまに様子を見に訪れるくらいの、世界から切り取られた部屋。
屋敷から一歩も出ないこの生活は強いられたものなのか、彼の心や身体に起因するものなのか。公爵家がそこまでして世俗から彼を遠ざけようとするのは、噂に囁かれる通り妾のオメガだからなのか。
余計な詮索など一従者である自分には過ぎたことだと理解はしていても、それが本当に彼のためになることなのかは分からなかった。
本来であれば学徒として同級生と共に学び舎に通うような年齢だったが、彼には家庭教師すら付けられなかった。年に一度教本が届き、月に一度答案用紙が粛々と回収される。高等部二年に上がる今になってようやく通学の打診が来たが、どう権力を行使したのか、中等部は卒業までそれでなんとかなってしまったのだから驚きだ。
外出の準備をしたこともほとんどない。王子殿下との婚約が正式に決まると城へ数度招かれたが、それきりだ。
ただ、殿下からは数ヶ月に一度、形式的な贈り物が届けられた。
花ならばかろうじて花瓶に生けて部屋に飾ることができたが、高価な宝石類の扱いには頭を悩ませた。ベルフェリオはそもそもどの贈り物に対しても関心を示さないし、装飾品など受け取っても披露する場がないのだ。届く都度、一応彼に見せてから衣装よりも容量を圧迫してきたクローゼットに丁重にしまい込む。
仕えてすぐの頃は戸惑うことが多かったが、今ではすっかり慣れてしまった。三年。情けないことに現在に至ってなお、ヴィンセントは主が何を嫌い何を好むのかも知らない。しかし返事が返ってこないことも織り込み済みで、それでも声をかけ続けた。
ベルフェリオが血の通った人間だと知っているから。
出会った頃よりも艷やかに櫛を通すようになったシルクの髪が、湯浴みをすればほのかに朱く色付く肌が、言葉はなくとも、彼が生きている事を伝えてくれた。
彼の暮らす別館に増員を希望したことは一度や二度ではなかったが、公爵にいくら進言しても首を横に振るばかり。彼のそばに自分しか侍ることが許されないのなら、彼が不自由のない健やかな生活を送れるよう尽力したいという考えに至るまで、そう時間はかからなかった。
それでもきっと、長い睫毛から覗く伏し目がちな湖面が誰かを映すことはない。彼の心を波立たせることなどこれから先も起こり得ない…はずだった。
晴れた冬の昼下がり、ベルフェリオが自室のバルコニーから転落した。それこそ他に従者が控えていないがゆえにヴィンセントが水差しを換えに退出した、一瞬の間に。
心臓が止まるかと思った。奇跡的に外傷はほとんどなく、すぐに目を覚ますだろうという医師の見立ても頭に入らないほど深く後悔した。自分のせいだ。彼には、私しかいなかったのに。
「…ぁ、う……、」
目覚めた日、浴室で彼の声を初めて聞いた時にまたしても心臓が止まるかと思った。湯船が波立つ音よりも小さな小さな声。
「ヴィイ、ぅ…けほっ」
「っはい、ベルフェリオ様。ヴィンセントはここにおります」
名前を。私の名前を、呼んだ。
主が侍従を呼びつける、なんてありふれたことが心を震わせた。上手く声が出せずに咳き込むベルフェリオは命を与えられたばかりの人形のようで、初めて見せた人間らしい仕草に胸が苦しくなった。
「…ゔぃー」
「はい」
ぱちぱちと数度瞬きをして、彼の瞳が自分を映す。不覚にも泣いてしまいそうだ。不安そうに見上げる主人に動揺を悟られぬよう、できるかぎり優しく微笑んだ。
その後の事はその、多少浮かれてやり過ぎてしまったかもしれない。
-------
ベルフェリオ:
白髪青目
ヴィンセントの事を女神だと思っている
ヴィンセント:
銀髪紫目
ベルフェリオの事を天使だと思っている
そんな清廉な雰囲気を纏う、滑らかな陶磁器のような肌。青白い皮膚の下にうっすら浮かぶ血管を見留めなければ、私の主人は精巧に作られたビスクドールのような御方だった。
毎日決まった時間に食事をして、毎日決まった時間に湯浴みを行う。それ以外の時間は分厚い本を膝に乗せて一日をほぼ同じ体勢で過ごす。家族がこの部屋を訪れることも、誰かを招くこともない。
例外とすれば彼の母親の弟、つまり叔父にあたる男がたまに様子を見に訪れるくらいの、世界から切り取られた部屋。
屋敷から一歩も出ないこの生活は強いられたものなのか、彼の心や身体に起因するものなのか。公爵家がそこまでして世俗から彼を遠ざけようとするのは、噂に囁かれる通り妾のオメガだからなのか。
余計な詮索など一従者である自分には過ぎたことだと理解はしていても、それが本当に彼のためになることなのかは分からなかった。
本来であれば学徒として同級生と共に学び舎に通うような年齢だったが、彼には家庭教師すら付けられなかった。年に一度教本が届き、月に一度答案用紙が粛々と回収される。高等部二年に上がる今になってようやく通学の打診が来たが、どう権力を行使したのか、中等部は卒業までそれでなんとかなってしまったのだから驚きだ。
外出の準備をしたこともほとんどない。王子殿下との婚約が正式に決まると城へ数度招かれたが、それきりだ。
ただ、殿下からは数ヶ月に一度、形式的な贈り物が届けられた。
花ならばかろうじて花瓶に生けて部屋に飾ることができたが、高価な宝石類の扱いには頭を悩ませた。ベルフェリオはそもそもどの贈り物に対しても関心を示さないし、装飾品など受け取っても披露する場がないのだ。届く都度、一応彼に見せてから衣装よりも容量を圧迫してきたクローゼットに丁重にしまい込む。
仕えてすぐの頃は戸惑うことが多かったが、今ではすっかり慣れてしまった。三年。情けないことに現在に至ってなお、ヴィンセントは主が何を嫌い何を好むのかも知らない。しかし返事が返ってこないことも織り込み済みで、それでも声をかけ続けた。
ベルフェリオが血の通った人間だと知っているから。
出会った頃よりも艷やかに櫛を通すようになったシルクの髪が、湯浴みをすればほのかに朱く色付く肌が、言葉はなくとも、彼が生きている事を伝えてくれた。
彼の暮らす別館に増員を希望したことは一度や二度ではなかったが、公爵にいくら進言しても首を横に振るばかり。彼のそばに自分しか侍ることが許されないのなら、彼が不自由のない健やかな生活を送れるよう尽力したいという考えに至るまで、そう時間はかからなかった。
それでもきっと、長い睫毛から覗く伏し目がちな湖面が誰かを映すことはない。彼の心を波立たせることなどこれから先も起こり得ない…はずだった。
晴れた冬の昼下がり、ベルフェリオが自室のバルコニーから転落した。それこそ他に従者が控えていないがゆえにヴィンセントが水差しを換えに退出した、一瞬の間に。
心臓が止まるかと思った。奇跡的に外傷はほとんどなく、すぐに目を覚ますだろうという医師の見立ても頭に入らないほど深く後悔した。自分のせいだ。彼には、私しかいなかったのに。
「…ぁ、う……、」
目覚めた日、浴室で彼の声を初めて聞いた時にまたしても心臓が止まるかと思った。湯船が波立つ音よりも小さな小さな声。
「ヴィイ、ぅ…けほっ」
「っはい、ベルフェリオ様。ヴィンセントはここにおります」
名前を。私の名前を、呼んだ。
主が侍従を呼びつける、なんてありふれたことが心を震わせた。上手く声が出せずに咳き込むベルフェリオは命を与えられたばかりの人形のようで、初めて見せた人間らしい仕草に胸が苦しくなった。
「…ゔぃー」
「はい」
ぱちぱちと数度瞬きをして、彼の瞳が自分を映す。不覚にも泣いてしまいそうだ。不安そうに見上げる主人に動揺を悟られぬよう、できるかぎり優しく微笑んだ。
その後の事はその、多少浮かれてやり過ぎてしまったかもしれない。
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ベルフェリオ:
白髪青目
ヴィンセントの事を女神だと思っている
ヴィンセント:
銀髪紫目
ベルフェリオの事を天使だと思っている
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