甲子園を目指した男装美少女のひと夏の経験

牧村燈

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第5章

8回裏/男と女の差

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<8回裏>

 わかたか学園の攻撃。7回に一気に3点差まで詰め寄ったが、あけぼのの粘りに再び点差は再び5点に広がった。しかし、この回も先ほどと同じ1番からの好打順、ランナーをためて花畑兄に回せば必ず何とかしてくれるという大きな期待感があった。あけぼの側から見れば4番の前にランナーをためないことがこの回の最重要課題だった。

 マウンドのマモルは3点差と5点差の違いを強く感じていた。7回の悪夢は花畑の末弟のボーンヘッドで切ることが出来たものの、もしもあそこで勢いが途切れなければ逆転されていてもおかしくなかった。何とかリードを守って切り抜けたところで、すかさず味方が2点を取ってくれた。後向きなことを考えるわけではないが、5点差があれば、最悪満塁で花畑兄に回って満塁ホームランを食らっても、俵一枚残る。そのおかげで4番の見えない恐怖におののくことなく、目の前の打者に集中することが出来た。結果として1番にはレフト前にヒットを打たれたものの、続く2.3番を抑えることが出来た。

 2アウト1塁で打席に立った花畑兄。こうなると狙いはホームランしかない。しかもホームランを打ったとしてもまだ3点、つまり7回終了時と同じ点差に戻すのが精いっぱいだ。花畑兄はスコアボードを眺めて、

『あと1回か、もう打席も回ってこないな』

勝負を半分諦めながら、頭の中ではまた別のことを考えていた。

『結局、モモもまるで音沙汰ねえし。一年もそうだったが、先輩のことを何だと思ってやがるんだ。まさかあいつ、俺の獲物を横取りしようなんて考えてんじゃ……。うーん。あるな、あるな、一年はともかくモモならありありだ、畜生、ふざけやがって、』

 花畑兄に対してたちまち0-2と追い込んだマモルは、集中力を欠く花畑兄の様子を察知して3球勝負に出た。

『ちくしょう、ふざけんなー』

 アウトコースに逃げるシュートに力んだバットが空を切った。三振。花畑兄はこれで4打数1安打、1ホームランながら3三振という無残な結果。8割を超える打棒を見せて来た主軸のこの急ブレーキは、優勝候補わかたか学園の劣勢の最大の理由と言えた。この回での逆転だけは何としても免れたかったあけぼのにとっては、ここを無得点に抑えたのは何よりも大きい収穫だった。あと1回で5点差、いよいよ万事休すかという空気がグランドを覆った。

<シャワールーム>

 花畑弟がやりたかった身体検査が、実はうのの体力測定だったと知り、よからぬことを想像して妄想を膨らませていた山本先生もホッと胸を撫で下ろした。そうと分かると途端に自分の今のバスタオル姿が恥ずかしくなる。それは一年生3人組にとっても同様だったらしく、測定機材の準備の傍ら山本先生の方をチラチラと盗み見ては、各自それぞれの血流を滾らせていた。

「よし準備は整ったぞ。まずは小手調べにベンチプレスを挙げてもらおうか」

 何故か張り切っている花畑弟は、

「まず、その前に俺が手本を見せてやろう」

 3人組が機材を運ぶのに一番難儀したのがこのバーベルのウエイトである。何しろモモ先輩は160kgを挙げてしまうのだから、それをトレーニングルームから運んでこなければならなかった。それも人目を憚っての作業である。だが、モモ先輩はこれを君島選手に見せたかったに違いない。男子と思っている内には何とか心のブレーキが掛かって踏みとどまれるが、いや自分たちはその時から結構やばかったのだが、女子と知った上でちゃんと見ると、君島うのは超絶の付く美少女である。面食いのモモ先輩が、いいところを見せて気を引きたいと思うのも当然のことだろう。

 花畑弟の指示でベンチプレスにウエイト100kgのバーベルが用意された。花畑弟はユニフォームの上を脱いでベンチに背を付けると軽々とこのウエイトを挙げて見せた。1回、2回、3回、リズムの良い拳上が続く。花畑弟にとっては余裕のウエイト、10RMをあっさりとこなした。

「どうだ、うの。お前にはこの程度のウエイトでも一度だって挙げられないだろう。これが男と女のパワーの違いだ。分かるか。つまり同じ土俵で相撲は取れないってことさ。そんな傷だらけの身体をして野球なんて続けたって、プロになれるわけでもないんだ。さっさとやめた方がいいんじゃないか」

 花畑弟はベンチから降りると、背筋力計を握ってグイと引っ張った。軽く引っ張ったように見えたが、目盛は190kgを示している。続けて握力計を握り70kgの表示をうのに見せた。なるほど、負けず嫌いか。うのは黙ってベンチプレスに座ると、そのままになっているバーベルの下に潜り込んだ。

「あ、それ100kgのままですよ、ああああ、危ない」

 うのがバーベル台からバーベルを外したのを見た3人組の1人が慌ててサポートに入った。

「いいから、離して」

 バーベルを胸の上でキープしたうのの強い口調に、3人組は手を離す。それでもいつ何があってもバーベルに左右にそれぞれいつでも手を出せるように待機した。ベンチプレス100kgなんて重さは男子でも滅多に挙げられるものではない。わかたか学園でも挙げられるのはモモ先輩とサクラだけだ。それを女子としては多少大柄とは言え、せいぜい体重50kg位のうのにどうにかなるもんじゃない。

「危ないから、ね、君島さん、やめよう、ね」

 3人組の心配を余所にうのは間違いなくこのバーベルを挙げようとしていた。

「やめとけよ、無理するんじゃねえよ」

 冷静を装いながらも花畑弟もまさかの展開に動揺を隠せない。

「ううりゃあああ」

 うのの気合いを込めた声がシャワールームにこだまして、肘が一気に伸びた。決して太い腕ではない。柔らかくしなる腕がうののボールに伸びとキレを生んでいた。

 しかし。

 今、100kgのバーベルはうのの身体の上に拳上され、そして、3秒間、静止した。静かで、そして燃えるような熱い時間だった。シャワールームの中にいた全員の目が、バーベルを挙げたうのに釘付けになった。

「つかめえ!!」

 3人組は左右からバーベルを支えて、ゆっくりとバーベル台に戻した。体重の倍をものの見事に挙げてしまった。花畑弟の160kgに匹敵、いや、女子と男子の差を考慮するならば200kgを挙げなければ釣り合わない。

 花畑弟に言葉はなかった。

(続く)
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