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颯のマーキング
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颯のマーキング
今日は地方都市への一泊二日の出張。同行するのは、颯。初の遠出ということで颯は浮かれているようにも見えた。取引先との打ち合わせは滞りなく終わり、宿へと向かう。古めのビジネスホテル。部屋はツインだった。
「先輩、こっちです」
颯が先にドアを開ける。中はシンプルで、狭すぎず、広すぎず。
「疲れたな」
「おつかれさまでした」
颯は荷物をベッドの横に置くと背伸びをして一息ついた。俺もジャケットを脱ぎ、ベッドに腰を下ろす。
「シャワー、先入るね」
「どうぞ」
浴室に向かう途中、ふと記憶がよぎった。――あの夜のこと。颯の部屋に泊まったあの終電を逃した夜。何気なく見たゴミ箱の中、山のように詰めこまれたティッシュ。違和感の正体が掴めずにそれでも記憶のどこかに引っかかったままだ。シャワーの音に紛れてその記憶は泡のように揺れていた。
風呂を済ませると颯がすぐに交代で浴室へ。俺はTシャツとスウェットに着替え、ベッドに身体を預ける。都会の夜とは違い静かな夜。やがてシャワーが止まり颯がバスルームから出てきた。濡れた髪、ラフなTシャツ姿。どこか、普段より無防備に見える。
「先輩、今日の資料……もう完璧でしたね」
「ん、ありがと。神城の準備があったからだよ」
「……僕はまだまだですけど。もっと隣で見てたいなって、思いました」
その目線に、どこか熱を感じた。どこか感情の色が濃い。
ライトを落とすと部屋はほの暗くなった。隣のベッドに入った颯はすぐに寝つけないようで布団の擦れる音が、かすかに続いていた。
「……先輩」
「ん?」
「寝る前に少しだけ話してもいいですか?」
「……いいけど」
「この前、僕の家に泊まってくれたとき」
「……」
「先輩、全然気づいてませんでしたよね。僕が起きてたの」
その声は柔らかかったけれど妙に耳に残った。背筋がわずかに強張る。
「先輩って……案外、無防備ですよね。寝顔、可愛かったですよ」
「はい……?」
「大丈夫です。可愛かったけど何もしてませんから」
その言葉がやけに意味深だった。そして、沈黙。俺は、寝返りを打つふりをして、そっとそっぽを向いた。
しかし、心臓だけがなぜか速くなる。ドアの鍵がかかっていることをなぜか意識していた。
○
ベッドに潜り込んでからどれくらい時間が経っただろう。俺は目を閉じていたが、眠れてはいなかった。隣のベッドからは、微かな呼吸音。それが時折、途切れる。
気配が変わる。――起きてる?そう思った瞬間に布団が少し沈んだ。距離が近づいているのが、わかった。俺は息を殺したまま、動けずにいた。
「……先輩、寝てます?」
囁くような声。耳元近くに感じて、背筋が震える。返事をしようとしたが言葉にならなかった。その隙間に、頬へ触れるほど何かが近づいた気配があった。
「動かないでくださいね……なにもしませんから」
その言葉の裏に、選択肢がなかった。すぐに俺の額に、指先がそっと触れる。なぞるように、髪をかきあげてくる。次に、首筋。そして、喉元。どれもかすかに触れるだけ。
「……綺麗です。先輩」
耳元で囁かれた瞬間、心臓が跳ねた。完全にいつもの颯ではなかった。甘くて冷静。優しいのに、有無を言わせない。俺は、動けなかった。
けれど恐怖ではない。身体に走る感覚を我慢しながら、寝たふりをして指先の動きをただ受け入れる。シャツの上から、颯の手が胸元に触れる。
「ドキドキしてる。気づいてました?」
確かに、動悸が早まっていた。身体は嘘をつけなかった。
「ずっと、触れてみたかったんです。……どこまで許してくれますか?」
耳たぶに触れる指が、すこし熱を帯びていた。俺の身体も、火照っていた。拒めなかった。指先だけで何かを塗り替えられるような……そんな夜だった。
○
朝。
薄明かりの差し込む部屋。静かすぎる空気の中、俺はゆっくりと目を覚ました。天井が見える。まだ夢の中のように、頭がぼんやりとしていた。
隣のベッドに目をやると颯の姿はすでになかった。枕元に整頓されたベッドカバーが彼の几帳面さを物語っている。スマホを確認すると時間は朝の七時。
「……早いな」
小さく呟いて、起き上がる。けれど、どこか妙な感覚が残っていた。身体が重いわけではない。疲れているわけでもない。なのに、肌の上に何かを塗り込まれたような……そんな不思議な感覚が首筋に残っていた。
――あれは、夢だったのか?昨夜のことを思い返す。耳元の囁き。指先の感触。息づかい。全てが現実のようで、全てが曖昧な夢のようでもあった。頭の中に、うっすらと颯の声が残っている。
『……どこまで許してくれますか?』
背筋が、わずかにぞくりとした。俺は洗面所へ向かい、顔を洗う。鏡に映る自分の顔に変化はない。けれど、その奥にあるものがいつもと違う気がした。
着替えてロビーへ向かうと、颯はすでにソファに座って待っていた。
「おはようございます、先輩。……よく眠れました?」
いつもの笑顔。いつもの声音。それなのに。
「……まあ、普通には」
そう返しながらなんとなく視線を合わせづらかった。颯は、特に何も触れてこない。まるで、昨夜などなかったように。
「朝食、行きましょうか」
「……あっうん。行こうか」
○
二日目の商談も、順調に終わった。クライアントの反応も良好で思った以上にスムーズだった。ホテルに戻ったのは、夕方。ふたりで簡単に打ち上げを兼ねた、夕食を済ませ、早めに部屋へ戻った。
昨夜と同じ、ツインルーム。同じ配置。同じ匂い。ただ、俺の中でなにかが違っていた。
「今日もお疲れ様でした」
颯はベッドの上でノートパソコンを広げて明日の報告資料を整理している。
「……ほんと真面目だなあ」
俺は窓際の椅子に座ったまま缶コーヒーを片手にぽつりと呟いた。
「真面目にしてないと、先輩に怒られるかと思って」
「はは。別に、怒らないよ」
笑って返したつもりだったけど颯はふわりと笑うだけで目だけはどこか冷めていた。たまに見せるその目が、俺は少しだけ苦手だった。
時計の針が九時を回った頃
「先輩、先にシャワー浴びていいですか」
と颯が言って、バスルームへ消えた。静かになった部屋で俺はなんとなくベッドに腰を下ろす。昨晩のことが、ふと脳裏をかすめた。曖昧に濁った記憶のままで未だにはっきりしない。
けれど――
「今日の夜も来るかな……」
そう思ってしまった時点でなんとなく期待している自分に気づいてしまった。やがて浴室のドアが開き濡れた髪のままラフなTシャツに着替えた颯が出てくる。
「先輩もどうぞ」
その声は変わらず、穏やかだった。俺がシャワーを終えて出てきた頃には颯はもうベッドに潜り込んでいた。灯りを落とすと、部屋は暗闇に包まれた。静けさの中に、ふたつの呼吸が重なる。
しばらくは何も起こらなかった。――気にしすぎだったか。そう思いかけたそのとき。ふいに、布団越しに颯の手が触れた。指先だけ。確かに、俺の手の甲に触れている。
「……今日も、寝てる間だったら何してもいいですか?」
小さく囁かれた声に、身体が反応する。
今日は地方都市への一泊二日の出張。同行するのは、颯。初の遠出ということで颯は浮かれているようにも見えた。取引先との打ち合わせは滞りなく終わり、宿へと向かう。古めのビジネスホテル。部屋はツインだった。
「先輩、こっちです」
颯が先にドアを開ける。中はシンプルで、狭すぎず、広すぎず。
「疲れたな」
「おつかれさまでした」
颯は荷物をベッドの横に置くと背伸びをして一息ついた。俺もジャケットを脱ぎ、ベッドに腰を下ろす。
「シャワー、先入るね」
「どうぞ」
浴室に向かう途中、ふと記憶がよぎった。――あの夜のこと。颯の部屋に泊まったあの終電を逃した夜。何気なく見たゴミ箱の中、山のように詰めこまれたティッシュ。違和感の正体が掴めずにそれでも記憶のどこかに引っかかったままだ。シャワーの音に紛れてその記憶は泡のように揺れていた。
風呂を済ませると颯がすぐに交代で浴室へ。俺はTシャツとスウェットに着替え、ベッドに身体を預ける。都会の夜とは違い静かな夜。やがてシャワーが止まり颯がバスルームから出てきた。濡れた髪、ラフなTシャツ姿。どこか、普段より無防備に見える。
「先輩、今日の資料……もう完璧でしたね」
「ん、ありがと。神城の準備があったからだよ」
「……僕はまだまだですけど。もっと隣で見てたいなって、思いました」
その目線に、どこか熱を感じた。どこか感情の色が濃い。
ライトを落とすと部屋はほの暗くなった。隣のベッドに入った颯はすぐに寝つけないようで布団の擦れる音が、かすかに続いていた。
「……先輩」
「ん?」
「寝る前に少しだけ話してもいいですか?」
「……いいけど」
「この前、僕の家に泊まってくれたとき」
「……」
「先輩、全然気づいてませんでしたよね。僕が起きてたの」
その声は柔らかかったけれど妙に耳に残った。背筋がわずかに強張る。
「先輩って……案外、無防備ですよね。寝顔、可愛かったですよ」
「はい……?」
「大丈夫です。可愛かったけど何もしてませんから」
その言葉がやけに意味深だった。そして、沈黙。俺は、寝返りを打つふりをして、そっとそっぽを向いた。
しかし、心臓だけがなぜか速くなる。ドアの鍵がかかっていることをなぜか意識していた。
○
ベッドに潜り込んでからどれくらい時間が経っただろう。俺は目を閉じていたが、眠れてはいなかった。隣のベッドからは、微かな呼吸音。それが時折、途切れる。
気配が変わる。――起きてる?そう思った瞬間に布団が少し沈んだ。距離が近づいているのが、わかった。俺は息を殺したまま、動けずにいた。
「……先輩、寝てます?」
囁くような声。耳元近くに感じて、背筋が震える。返事をしようとしたが言葉にならなかった。その隙間に、頬へ触れるほど何かが近づいた気配があった。
「動かないでくださいね……なにもしませんから」
その言葉の裏に、選択肢がなかった。すぐに俺の額に、指先がそっと触れる。なぞるように、髪をかきあげてくる。次に、首筋。そして、喉元。どれもかすかに触れるだけ。
「……綺麗です。先輩」
耳元で囁かれた瞬間、心臓が跳ねた。完全にいつもの颯ではなかった。甘くて冷静。優しいのに、有無を言わせない。俺は、動けなかった。
けれど恐怖ではない。身体に走る感覚を我慢しながら、寝たふりをして指先の動きをただ受け入れる。シャツの上から、颯の手が胸元に触れる。
「ドキドキしてる。気づいてました?」
確かに、動悸が早まっていた。身体は嘘をつけなかった。
「ずっと、触れてみたかったんです。……どこまで許してくれますか?」
耳たぶに触れる指が、すこし熱を帯びていた。俺の身体も、火照っていた。拒めなかった。指先だけで何かを塗り替えられるような……そんな夜だった。
○
朝。
薄明かりの差し込む部屋。静かすぎる空気の中、俺はゆっくりと目を覚ました。天井が見える。まだ夢の中のように、頭がぼんやりとしていた。
隣のベッドに目をやると颯の姿はすでになかった。枕元に整頓されたベッドカバーが彼の几帳面さを物語っている。スマホを確認すると時間は朝の七時。
「……早いな」
小さく呟いて、起き上がる。けれど、どこか妙な感覚が残っていた。身体が重いわけではない。疲れているわけでもない。なのに、肌の上に何かを塗り込まれたような……そんな不思議な感覚が首筋に残っていた。
――あれは、夢だったのか?昨夜のことを思い返す。耳元の囁き。指先の感触。息づかい。全てが現実のようで、全てが曖昧な夢のようでもあった。頭の中に、うっすらと颯の声が残っている。
『……どこまで許してくれますか?』
背筋が、わずかにぞくりとした。俺は洗面所へ向かい、顔を洗う。鏡に映る自分の顔に変化はない。けれど、その奥にあるものがいつもと違う気がした。
着替えてロビーへ向かうと、颯はすでにソファに座って待っていた。
「おはようございます、先輩。……よく眠れました?」
いつもの笑顔。いつもの声音。それなのに。
「……まあ、普通には」
そう返しながらなんとなく視線を合わせづらかった。颯は、特に何も触れてこない。まるで、昨夜などなかったように。
「朝食、行きましょうか」
「……あっうん。行こうか」
○
二日目の商談も、順調に終わった。クライアントの反応も良好で思った以上にスムーズだった。ホテルに戻ったのは、夕方。ふたりで簡単に打ち上げを兼ねた、夕食を済ませ、早めに部屋へ戻った。
昨夜と同じ、ツインルーム。同じ配置。同じ匂い。ただ、俺の中でなにかが違っていた。
「今日もお疲れ様でした」
颯はベッドの上でノートパソコンを広げて明日の報告資料を整理している。
「……ほんと真面目だなあ」
俺は窓際の椅子に座ったまま缶コーヒーを片手にぽつりと呟いた。
「真面目にしてないと、先輩に怒られるかと思って」
「はは。別に、怒らないよ」
笑って返したつもりだったけど颯はふわりと笑うだけで目だけはどこか冷めていた。たまに見せるその目が、俺は少しだけ苦手だった。
時計の針が九時を回った頃
「先輩、先にシャワー浴びていいですか」
と颯が言って、バスルームへ消えた。静かになった部屋で俺はなんとなくベッドに腰を下ろす。昨晩のことが、ふと脳裏をかすめた。曖昧に濁った記憶のままで未だにはっきりしない。
けれど――
「今日の夜も来るかな……」
そう思ってしまった時点でなんとなく期待している自分に気づいてしまった。やがて浴室のドアが開き濡れた髪のままラフなTシャツに着替えた颯が出てくる。
「先輩もどうぞ」
その声は変わらず、穏やかだった。俺がシャワーを終えて出てきた頃には颯はもうベッドに潜り込んでいた。灯りを落とすと、部屋は暗闇に包まれた。静けさの中に、ふたつの呼吸が重なる。
しばらくは何も起こらなかった。――気にしすぎだったか。そう思いかけたそのとき。ふいに、布団越しに颯の手が触れた。指先だけ。確かに、俺の手の甲に触れている。
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