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颯のマーキング
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ネクタイを軽く引かれ手首がわずかに揺れる。けれど力づくというわけでもない。ただ、そこに込められた意思だけが、強く伝わってくる。
「……近いって」
吐き捨てるような声もほんの少し掠れていた。颯の呼吸が近くて頬をかすめては熱を残していく。
「……こうしてると、落ち着くんです」
「先輩の匂い……ふわっとしてて男の人なのに、柔らかい」
「な……何言ってんだよ」
「覚えてくださいね、僕の匂いも」
颯は低く囁く。すぐ耳元でそっと息を吐くように。それだけで首筋の産毛がふわりと逆立った。
「今、すぐじゃなくていいです。だけど……この距離、この感覚、この空気――先輩の中に、ちゃんと残したいです」
囁くたびに、微かに肌が触れる。吐息が、香りが、視線が――五感に刻みつけられていく。理屈じゃなかった。ただ、動けなかった。逃げようとしても……どこにも逃げられなかった。
そして、そっと唇が触れ合う。浅く、けれど、確かに。押しつけるような強さはない。でも、その分だけ、内側まで響いた。
「……ほら、ちゃんと覚えてください。僕の、全部」
――思考が、ふっと空白になる。目の前に差し出されたのは颯の胸元だった。俺が戸惑って視線をそらそうとすると颯が優しく微笑んで見せた。
けれど、その笑みの奥に潜むものはどこか静かな狂気だった。
「先輩。……僕の匂い嗅いでください。ちゃんと、覚えて欲しいんです。僕の匂い」
いつもと変わらない敬語のまま、その願望は静かに語られる。布越しに漂ってくるのは清潔感の奥に潜む、わずかに湿った体温。上司と部下の二人にとっては、明らかに不自然な距離感だった。
俺は唇を開きかけて何も言えず、視線だけを逸らした。だが、それを見ていた颯はさらに踏み込む。
「恥ずかしがらないでください。……逃げても、きっと残りますよ。僕の匂い」
耳元で囁かれた瞬間吐息が肌をかすめて震えが走る。
思わず目を閉じてしまった俺に、颯はさらに畳み掛けるように近づく。
「首元……ここ、香りがよく残るんです」
「嗅いでください」
その言葉とともに、まるで子猫のようにすり寄せてくる彼の香りが近づいてきた。俺の視界はぼやけた。心臓の鼓動だけがやけにうるさく響く。
どこまでも柔らかい言葉で容赦のない支配。それはまるで甘い檻の中に自分だけを閉じ込めようとしてくる。
「あっ……見えてると覚えにくいですよね……」
颯はそう言って手元にあったもう一本のネクタイを、やんわりと俺の目元へ当てた。丁寧に、隠すように。
「……目……隠しますね?」
ふいに視界が閉ざされ世界が音と匂いだけになる。薄暗い部屋の静寂の中、心臓の鼓動だけがやけに響いた。
(なんで……こんなことに……)
思考は曇る。けれど相変わらずこの身体は、わずかに震えながらもなぜか拒みきれてない。恐怖とは違う、なにか妙な緊張と熱がじわりと喉元を這い上がってくる。颯の声がすぐ耳元で落ちる。
「どうですか、先輩。見えないって、不安ですよね」
「でも、感覚が……鋭くなってきますから……」
言葉の合間に、微かに聞こえる吐息。そして、すぐ近くに寄る気配とふわりとした香り。
(この匂い……)
石鹸の香りの奥にかすかに熱を帯びた汗の匂いが混ざっている。視界が奪われたことでわずかな体温の違いも音の反響も、香りの輪郭もいやに伝わる。
「僕の香りさっきより強くなってます。……先輩が熱いから汗ばんで。汗が皮膚から、滲んで」
囁きが、すぐ首の辺りをかすめた。喉が、無意識にごくりと鳴る。
「ねえ、先輩。どんな匂いに感じますか? 正直に、教えてください。僕の匂い……強く感じました?」
静かに、でも確実に心の奥を追い詰めてくる颯の声。いつものように礼儀正しい語調のまままるで何でもない会話のように支配が進行していく。
見えない。けれど、はっきり感じている。視界を奪われた俺は、もはやどこに顔を向けているのかも分からない。だが――その曖昧な空間がなぜか心地よくて。
(やばい……何なんだ、この感覚……)
身体の奥にゆっくりと馴染んでいくように香りが浸透していく。まるで、五感すべてを使って「自分」という存在を塗り替えられていくようだった。
颯の指先が、ゆっくりと俺の手を取って導いた。
「この辺り、もうだいぶ熱こもってて」
目隠しされた視界は真っ暗。けれど、そこにある温度と匂いは、はっきりと感じ取れる。
「先輩。ここ、嗅いでみてください」
そのまま、すっと顔を引き寄せられる。頬が、何か柔らかな布に触れた。シャツの内側――体温の直下。ふわりと、体を包み込むような熱気と香りが鼻腔を満たす。
(ん……)
まるで、甘く蒸れた空気をそのまま吸い込んでしまったような、なんとも言い難い感覚に俺はふっと息を呑んだ。
「どう、ですか……?」
颯の声は静かに、耳元に落ちる。
「僕の汗の匂いちゃんとわかりますよね?」
鼻腔が満たされていくたび妙な熱が胸の奥で広がっていく。我慢しようとした声が、ひとすじ漏れてしまう。
「…ぁ…っ」
その瞬間――
「……あ、今……声、出ましたね」
颯の声が、ほんの少し弾んだ。
「……嬉しいです。匂い感じてくれてるのちゃんと伝わるので」
「もっと、嗅いでください」
手を添えて、逃げないようにそっと後頭部を支えられる。俺の心臓はもう自分の意思では制御できないほど速くなっていた。ただの匂いのはずなのにまるで自分の奥まで支配されているようで――
(……どうして、こんなに……)
脳裏に絡みつく熱と香り。耳元の声も、指先の感触もすべてが肌に焼きついていく。颯は優しく笑った。
「先輩、ゆっくり……全部僕のものになってくださいね」
どれくらいそうしていただろう。目隠しをされたまま熱を帯びた空気の中に俺はただ身を置いていた。
「……先輩、大丈夫ですか?」
耳元に落ちるその声に微かに肩が跳ねた。
「僕の匂い、ちゃんと届いてますか?」
息がかかる距離。声の温度すら肌に伝わるほど、近い。俺は何も答えない。けれど──気づけば鼻先がまたふわりと布に触れていた。汗が染みたその香りはどこか癖になるような濃さを持っていた。
少し息を吸うと喉の奥まで甘いような熱っぽいようなものが染み込んでくる。
今思うと逃げる事はいくらでもできた。むしろ、今も……力づくでなら逃げれる。でも、逃げようとは思わなかった。自分から、寄っていたのかもしれない。
「……っ」
鼻を寄せてしまったことに気づいた瞬間、息を止めた。なのに、口元から漏れた小さな吐息は──隠せなかった。その音に、颯の声が弾む。
「……ふふ。先輩、今の……もっと嗅ぎたいんですか?」
口元に柔らかな吐息が触れた。囁くような声。けれど確実に求めていることが伝わってくる。
そっと、後頭部に添えられた手がもう一度静かに押す。
「そのまま、もう少し……嗅いでいてくださいね」
鼻腔が、また満たされていく。少し湿った空気と、颯だけの香りに。
「……いい反応です。先輩が段々と僕に染まっていくのが……僕すごく、気持ちいい」
吐息が重なり合う距離で支配は確かに進行していた。
「……先輩」
目隠しの奥で、俺はわずかに首を傾けた。その仕草を待っていたかのように──
「少しだけ、失礼します」
吐息と共に、唇が触れた。一瞬だけのはずが、離れない。触れたまま、颯は息を吐き出し唇の端で囁くように甘く滑らせた。
「……近いって」
吐き捨てるような声もほんの少し掠れていた。颯の呼吸が近くて頬をかすめては熱を残していく。
「……こうしてると、落ち着くんです」
「先輩の匂い……ふわっとしてて男の人なのに、柔らかい」
「な……何言ってんだよ」
「覚えてくださいね、僕の匂いも」
颯は低く囁く。すぐ耳元でそっと息を吐くように。それだけで首筋の産毛がふわりと逆立った。
「今、すぐじゃなくていいです。だけど……この距離、この感覚、この空気――先輩の中に、ちゃんと残したいです」
囁くたびに、微かに肌が触れる。吐息が、香りが、視線が――五感に刻みつけられていく。理屈じゃなかった。ただ、動けなかった。逃げようとしても……どこにも逃げられなかった。
そして、そっと唇が触れ合う。浅く、けれど、確かに。押しつけるような強さはない。でも、その分だけ、内側まで響いた。
「……ほら、ちゃんと覚えてください。僕の、全部」
――思考が、ふっと空白になる。目の前に差し出されたのは颯の胸元だった。俺が戸惑って視線をそらそうとすると颯が優しく微笑んで見せた。
けれど、その笑みの奥に潜むものはどこか静かな狂気だった。
「先輩。……僕の匂い嗅いでください。ちゃんと、覚えて欲しいんです。僕の匂い」
いつもと変わらない敬語のまま、その願望は静かに語られる。布越しに漂ってくるのは清潔感の奥に潜む、わずかに湿った体温。上司と部下の二人にとっては、明らかに不自然な距離感だった。
俺は唇を開きかけて何も言えず、視線だけを逸らした。だが、それを見ていた颯はさらに踏み込む。
「恥ずかしがらないでください。……逃げても、きっと残りますよ。僕の匂い」
耳元で囁かれた瞬間吐息が肌をかすめて震えが走る。
思わず目を閉じてしまった俺に、颯はさらに畳み掛けるように近づく。
「首元……ここ、香りがよく残るんです」
「嗅いでください」
その言葉とともに、まるで子猫のようにすり寄せてくる彼の香りが近づいてきた。俺の視界はぼやけた。心臓の鼓動だけがやけにうるさく響く。
どこまでも柔らかい言葉で容赦のない支配。それはまるで甘い檻の中に自分だけを閉じ込めようとしてくる。
「あっ……見えてると覚えにくいですよね……」
颯はそう言って手元にあったもう一本のネクタイを、やんわりと俺の目元へ当てた。丁寧に、隠すように。
「……目……隠しますね?」
ふいに視界が閉ざされ世界が音と匂いだけになる。薄暗い部屋の静寂の中、心臓の鼓動だけがやけに響いた。
(なんで……こんなことに……)
思考は曇る。けれど相変わらずこの身体は、わずかに震えながらもなぜか拒みきれてない。恐怖とは違う、なにか妙な緊張と熱がじわりと喉元を這い上がってくる。颯の声がすぐ耳元で落ちる。
「どうですか、先輩。見えないって、不安ですよね」
「でも、感覚が……鋭くなってきますから……」
言葉の合間に、微かに聞こえる吐息。そして、すぐ近くに寄る気配とふわりとした香り。
(この匂い……)
石鹸の香りの奥にかすかに熱を帯びた汗の匂いが混ざっている。視界が奪われたことでわずかな体温の違いも音の反響も、香りの輪郭もいやに伝わる。
「僕の香りさっきより強くなってます。……先輩が熱いから汗ばんで。汗が皮膚から、滲んで」
囁きが、すぐ首の辺りをかすめた。喉が、無意識にごくりと鳴る。
「ねえ、先輩。どんな匂いに感じますか? 正直に、教えてください。僕の匂い……強く感じました?」
静かに、でも確実に心の奥を追い詰めてくる颯の声。いつものように礼儀正しい語調のまままるで何でもない会話のように支配が進行していく。
見えない。けれど、はっきり感じている。視界を奪われた俺は、もはやどこに顔を向けているのかも分からない。だが――その曖昧な空間がなぜか心地よくて。
(やばい……何なんだ、この感覚……)
身体の奥にゆっくりと馴染んでいくように香りが浸透していく。まるで、五感すべてを使って「自分」という存在を塗り替えられていくようだった。
颯の指先が、ゆっくりと俺の手を取って導いた。
「この辺り、もうだいぶ熱こもってて」
目隠しされた視界は真っ暗。けれど、そこにある温度と匂いは、はっきりと感じ取れる。
「先輩。ここ、嗅いでみてください」
そのまま、すっと顔を引き寄せられる。頬が、何か柔らかな布に触れた。シャツの内側――体温の直下。ふわりと、体を包み込むような熱気と香りが鼻腔を満たす。
(ん……)
まるで、甘く蒸れた空気をそのまま吸い込んでしまったような、なんとも言い難い感覚に俺はふっと息を呑んだ。
「どう、ですか……?」
颯の声は静かに、耳元に落ちる。
「僕の汗の匂いちゃんとわかりますよね?」
鼻腔が満たされていくたび妙な熱が胸の奥で広がっていく。我慢しようとした声が、ひとすじ漏れてしまう。
「…ぁ…っ」
その瞬間――
「……あ、今……声、出ましたね」
颯の声が、ほんの少し弾んだ。
「……嬉しいです。匂い感じてくれてるのちゃんと伝わるので」
「もっと、嗅いでください」
手を添えて、逃げないようにそっと後頭部を支えられる。俺の心臓はもう自分の意思では制御できないほど速くなっていた。ただの匂いのはずなのにまるで自分の奥まで支配されているようで――
(……どうして、こんなに……)
脳裏に絡みつく熱と香り。耳元の声も、指先の感触もすべてが肌に焼きついていく。颯は優しく笑った。
「先輩、ゆっくり……全部僕のものになってくださいね」
どれくらいそうしていただろう。目隠しをされたまま熱を帯びた空気の中に俺はただ身を置いていた。
「……先輩、大丈夫ですか?」
耳元に落ちるその声に微かに肩が跳ねた。
「僕の匂い、ちゃんと届いてますか?」
息がかかる距離。声の温度すら肌に伝わるほど、近い。俺は何も答えない。けれど──気づけば鼻先がまたふわりと布に触れていた。汗が染みたその香りはどこか癖になるような濃さを持っていた。
少し息を吸うと喉の奥まで甘いような熱っぽいようなものが染み込んでくる。
今思うと逃げる事はいくらでもできた。むしろ、今も……力づくでなら逃げれる。でも、逃げようとは思わなかった。自分から、寄っていたのかもしれない。
「……っ」
鼻を寄せてしまったことに気づいた瞬間、息を止めた。なのに、口元から漏れた小さな吐息は──隠せなかった。その音に、颯の声が弾む。
「……ふふ。先輩、今の……もっと嗅ぎたいんですか?」
口元に柔らかな吐息が触れた。囁くような声。けれど確実に求めていることが伝わってくる。
そっと、後頭部に添えられた手がもう一度静かに押す。
「そのまま、もう少し……嗅いでいてくださいね」
鼻腔が、また満たされていく。少し湿った空気と、颯だけの香りに。
「……いい反応です。先輩が段々と僕に染まっていくのが……僕すごく、気持ちいい」
吐息が重なり合う距離で支配は確かに進行していた。
「……先輩」
目隠しの奥で、俺はわずかに首を傾けた。その仕草を待っていたかのように──
「少しだけ、失礼します」
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