『神宮寺綾羽の調整記録 ―ナースへ堕とす禁断オペ―』

風間玲央

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第十二話 救いという名の陥落

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紙袋を持ち上げる。
中身は軽い。拍子抜けするほどに。

――なのに。

掴んだ指先だけが、妙に熱を帯びた。

リボンをほどく。
かさり、と乾いた音。

中を覗いた瞬間――肺が、その色の毒を拒むように固まった。

淡い色。
ほとんど白に溶けそうな、くすんだ桜色。
柔らかそうな布地。細いレースの縁。

……いや。

一枚じゃない。

紙の中には、数点の下着が整然と重ねられていた。
色も、形も、控えめなものから――目に刺さるほど甘い色合いのものまで、温度差のある数種類。

淡いもの。
少しだけ装飾の強いもの。
そして――

やけに静かな一枚。

露骨な装飾など、どこにもない。
それなのに、視線だけが磁石のように吸い寄せられ、逃げ場を失う。

線はすっきりとして、ウエストのラインも直線に近い。
つるりと滑らかな表面に、ごく控えめに縫い込まれた縁取り。

(……女物だ。)

露骨に女を誇示する形じゃないのに、
視線の置き場だけを狂わせる――
自分の指先が、その滑らかな「不正解」をなぞる未来だけが、
ありありと立ち上がる。

なぜか。

重なっている他のものには触れず、
指先だけが、迷いなく――
その一番控えめな一枚へ伸びていた。

――選んだ、はずなのに。

指先のどこかで、最初から順番を決められていたような、
説明のつかない引っかかりが、遅れて胸の奥に落ちる。

冷徹なまでに計算された、設計だった。

考えるより先に袋を閉じる。
ばさり。
心臓が裏側から肋骨を叩く。

(……何してんだ、僕は)

ソファに深く腰を落とし、袋を床へ置いた。

深呼吸。

一度。
二度。

……収まらない。

閉じたはずの中身の質感が、脳裏で勝手に輪郭を持ち始める。

薄い布。
伸びる素材。
肌に吸いつく感触。

――違う。
触っていない。
見ただけだ。

なのに。

胸の奥に、熱の塊がゆっくり沈殿していく。

(……やめろ)

タンスの前へ戻り、男物の腰を強く引き上げた。
けれど――

さっきより、ずっと、違和感が鋭い。

硬い。
重たい。
邪魔だ。

身体の動きを先回りして縛ってくる鎖みたいで、呼吸の通り道まで狭く感じる。

ゴムが肌を圧した瞬間、指先が勝手に開いた。

「……」

目を閉じる。
――落ち着くはずだ。

綾羽の、あの熱を持たない声が不意に脳裏をよぎる。

『ちゃんと落ち着くから』

……何が。何が落ち着くというんだ。

苦い顔のまま、床の袋を凝視する。
触れていない。置いてあるだけだ。

それなのに。

腹の奥からせり上がる熱が、一つ、また一つと、退路を塗り潰していく。

迷うことさえ許されない。
さっきまで自分を支えていた理屈が、泥のように足元で崩れていく。

自分の意思というフィルターをすり抜けた、
純粋で、残酷な身体の要求。

立ち上がる。

気づいた時には、逃げ場を失った指先が、
誘われるように――あの紙袋に掛かっていた。

しゃがみ込む。
今度は、ゆっくり開ける。

中身を取り出す。

掌に乗せた瞬間――

(……軽い。)

驚くほどに。

指の腹に触れた布は、思っていたよりもずっと細く、
体温を吸い上げるみたいに、わずかにしっとりと馴染んだ。

表面は滑らかなのに、
レースの縁だけが微細に引っかかり、
撫でる方向によって、指先の感触がほんの少しだけ変わる。

つまめば簡単に形が崩れる。

(柔らかい。薄い。)

親指でなぞった途端、
ぞくり、と背筋を冷たいものが走った。

(……なんでだ)

胸の奥が、きゅっと縮む。

なのに。

離そうとすると、指が遅れる。

(……履くわけじゃない。)

そう言い聞かせながら、布を見つめる。

淡い桜色。
血の気を抜いた花弁みたいにやさしくて、
それでいて、肌の色と溶け合うように設計された色合い。

主張しすぎない。
派手でもない。

――なのに、視線だけを捕まえて離さない。

……落ち着きそうな色。

そう思ってしまったこと自体が、気味が悪い。

(……試すだけだ)

誰もいない部屋で、低く呟く。

(……確認だ。ただの、確認だ)

男物を脱ぐ。

床に置いた瞬間、
それだけで皮膚の一枚を剥がされたみたいな不安が背骨を撫で、
胸の奥がざわついた。

足元に残った布の重さが、
さっきまでの自分の輪郭だった。

それを見下ろした瞬間――

胸の奥で、小さく何かが鳴った。

警鐘みたいで、でも。

……妙に甘い音。

それを踏み越えるように、
指先が――次の布を掴んでいた。

逃げたいと思ったはずなのに。

止めようとする思考より、
ほんの一瞬だけ早く。

(……違う。僕は――)

言葉になる前に、喉の奥で溶けた。

――そのとき。

胸の奥で、針先ほどの戸惑いが、遅れて浮かんだ。

(……あれ)

驚くはずだった。
もっと強く、拒絶するはずだったのに。

……なのに。

胸のどこかが、
最初から、この感触を知っていたみたいに――静かにほどけていく。

拒絶が、遅い。

それに気づいた瞬間、
背骨の奥を、細い何かが静かに撫で上げた。

指先は、もう拒絶を忘れていた。

それは。

まだ名前を与えられていない変化が、
皮膚の内側で、音もなく位置を整えた瞬間だった。
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