『勇者リリアとレベル999のモフモフぬいぐるみ』 Eden Force Stories I(第一部)

風間玲央

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『第二十話・4 : 灰の祈り、まだ終わらぬ炎』

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「女神さま……」

その呟きはやがて群衆全体へと伝播し、
ひざまずく者、天に祈る者、子を抱いて涙する者へと広がっていった。

「ぎゃぁぁぁぁっ!? ちょ、ちょっと待てぇぇ!!」
ブッくんの頁が透け、表紙がじりじりと光に溶けかける。

「や、やばいっ……! ワイまで浄化されるやんかぁぁ!!
ケーキに誓って無害やのにぃぃ!!
なんでや!? ワイ悪役枠ちゃうやろ!?」

その瞬間──
ワン太が“ぽふん”と前に飛び出した。

ぬいぐるみの小さな体が、光の波とブッくんのあいだに立ちはだかる。
布の耳がふるりと揺れ、目の奥に炎を映す。

光はワン太の前で柔らかく弾かれ、ブッくんの身体をそっと避けて流れていった。
まるで光そのものが、小さな守護者に気づき、頭を垂れたかのように。

「な、なんやこれ……っ……お犬さまの……ご加護……?」
ブッくんは、喉の奥が震えたまま、目を離せずにいた。
「……ワ、ワイのこと……守ってくれたんか……?」

炎の明滅が、二つの小さな影を重ねていた。
言葉は、まだ誰の口にも生まれなかった。

(……ワン太。やっぱお前、ただのぬいぐるみじゃねぇな……!)

光が収束すると、広場からは先ほどの魔物の部隊の影が、跡形もなく消えていた。
ただ──煤けた本と、無言で佇むぬいぐるみが残るだけだった。

けれど、静寂は“終わり”ではない。
王城の方角に揺れる炎が、かすかに“息をしている影”を照らしていた。

(……これで全部じゃない。)
(まだ他の部隊がいる。油断したら、街ごと飲まれる。)

リリアは剣を下げず、視線だけで闇を探る。
足音も、呼吸も――侵されないように。

風が吹き抜ける。灰が雪のように舞い、焼け落ちた街並みに積もっていく。
立ちすくむ人々は声を失い、ただその光景を見つめていた。

やがて誰かが、震える声で囁いた。

「……女神さまだ……」

膝を折り、額を床に押し当てる者。
泣きじゃくる子供を抱きしめる母親。
残った人々はひとりまたひとりとリリアに祈りの視線を向けた。

リリアが剣を下ろした直後──
灰の舞う静寂の中で、ひとりの老人が震える手を差し伸べる。

「どうか……どうか、この街を……」

その声は、裂けた街のどこか奥底で、乾いた祈りに火を灯した。

「女神さま……!」「救いを……!」

声が、声を呼ぶ。
願いが、願いを連れてくる。

兵士上がりの男は折れた剣を差し出し、子供は花を抱えて駆け寄る。

広場は祈りと願いで満ち、炎の中にもかかわらず荘厳な神殿と化していた。

リリアは、息を飲んだまま立ち尽くした。
胸の奥で、何かがわずかに軋む。
“私は、女神じゃない”──その言葉が、喉まで上がっているのに、声にならない。

……声にした瞬間、すべてを壊してしまうと分かっていた。

セラフィーはその光景を見つめ、かすかに苦く笑った。

「……本当に、女神さまだと思われてるんだね。」
セラフィーは、息を静かに吐いた。
「信仰は、時に救いであり、重荷にもなる。……気をつけて。」

皮肉に聞こえるその声の底には――微かな畏れがあった。

リリアは答えられなかった。
胸の奥が、ゆっくりと熱くなっていく。

(……人々を助けられた。俺が。ちゃんと。)

颯太の胸の内側で、固く縛られていた何かがほどけていく。
苦しかった理由も、逃げていた日々も、もう今は関係ない。

ここに“いてもいい”と思えた。

喉がきゅっと締まる。
胸が熱くなる。
それは涙ではなく、ずっと置き去りにしていた心が――やっと戻ってきた証だった。

(……胸が、あたたかい。)

それだけで十分だった。

そこで、思考が途切れた。

胸の奥で、熱と冷たさがゆっくり混ざり合う。
炎の中で、心臓だけが静かに脈打っていた。
それは痛みではなかった。“追われ続けた心が、やっと安らいだ場所”の温度だった。

息が、ふっとほどけた。

祈りの視線は、重かった。
背中に、そっと手を置かれたような温度だった。
逃げる理由は、もうどこにもなかった。

焼け落ちた屋根、泣き叫ぶ子供、焦げた風に混じる鉄と血の匂い。
人々は救われた──だが、街はまだ炎に包まれ続けている。

リリアは、ゆっくりと姿勢を正した。
震えはあった。けれど、それは逃げるためのものじゃない。
その震えは、前に進むためのものだった。

――炎は、まだ終わらない。

灰が静かに降り積もる中──
遠く、城の方角から。低い“角笛”が一度だけ鳴った。

誰も、動かなかった。

その音が何を意味するのか。
ここにいる全員が、もう理解していた。

灰だけが、静かに降り続いている。

遠く、城の炎だけが、まだ息をしている。

リリアは、ただ一度まばたきをした。

それだけで、十分だった。
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