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「好きなものを選ぶがいい」

 テーブルの上に満遍なく置かれている色とりどりの羽ペンをみて、私はポカンと固まった。

 羽ペンは宝石で装飾された豪奢なものから、ペン先がエメラルドで作られたものまで。実に種類豊富で高価そうな品々ばかりである。

 早朝。
 いつも通り教室と化したサマエルの談話室に入ってきたら、この有様だ。
 キョトンとしていれば、テーブルの向こうからサマエルの声が聞こえてきた。

「遠慮するな。欲しいなら全部持っていくといい。……それとも、いらないのか?」

 サマエルはそっぽを向いたままチラチラと私をみた。挙動不審すぎる。
 困惑したままサマエルに問いかけた。

「素敵なのですが、……こんなにもどこから?」

「俺が作らせた」

「つくらせた?」

「ああ。お前はまだ自分のものを持っていないのだろ? これからずっと一緒に勉強するなら、あったほうが便利と思ったのだが……」

 なるほど。

『これからも一緒に勉強して、たまに遊んで。美味しいものあれば分け合って、病気の時はそばにいてくれる。それで充分でしゅ』

『それが大事にすること……?』

『そうでしゅ』

 先週の会話を思い出して、ふいに微笑ましい気持ちになった。ぎこちないが、サマエルなりに私を大事にしようとしてくれている。
 これからも一緒に勉強するからって、無愛想で尊大なサマエルのくせに気の利いたことを……くふふ。

「……お前、今失礼なこと考えただろ?」

 サマエルがジト目で私をみた。
 びっくりするくらい人の反応に鋭いわね……

「わ、私はただお兄様は優しいな~って思っただけでしゅ~、……ひぇっ!」

「嘘つけ」

 ひゅうひゅうと音の出ない口笛を吹きながら目を逸らせば、サマエルに鼻先を摘まれた。

「ぼ、ぼぉ、ぅりょ、くあぁん、たぁぁあい!」

 キュッキュッと鼻を摘まれて、変に途切れた私の声が面白かったのか、サマエルがクスクスと笑いだした。
 指に力を入れてないようで痛みはないが、プライドが傷ついた。

「くくくっ、そう怒るな。お前が可愛い反応をするのが悪い」

 むっとする私の鼻先をちょんちょんと突いて、サマエルが無邪気に笑う。
 はじめて耳にするサマエルの爽やかな笑い声につられて、不本意ながら私もつい笑ってしまった。

 ややあって教師らも部屋に揃った。
 サマエルの気遣いに甘えてシンプルなエメラルドの羽ペンを選ぼうとした時、教師の1人がおずおずと切り出した。

 なんでも皇帝陛下の勅令で私とサマエルの教育を分けることになったので、新しい教師が待っている離宮へ帰るべきとかなんとか。
 陛下がサマエルを思ってと言っているが、絶対に違う。

「新しい教師にも言いましたが、私はサマエル様と一緒がいいでしゅ!」

 反発する私をみて、サマエルはやや驚いたように目を見張った。
 そしてその口元に淡い笑みが浮かびそうになったが、すぐさま憂いの色に掻き消された。

「……離宮へ帰れ、リリト」

「そんな! 嫌でしゅ!」

「話を聞け。父上の命令とあれば逆らえない。これ以上陛下に……」

 奥歯に物が挟まったようにそう言うと、サマエルが目を逸らした。そうか、サマエルは陛下が怖いのか。

「わかった、なら私が陛下に直談だんーー」

「よせ! 別にお前と一緒じゃなければ勉強できないわけじゃない。帰れ」

「…………」

 これ以上は踏み込めない。直感で分かり、せめて今日だけでもと最後のわがままを押し通した。

 授業中、サマエルの表情がずっと暗かった。
 午後の鍛錬時にふるった剣にも迫力がなく、やはり悲しんでいるのだと分かる。

 ならば私と勉強したいって、一緒に陛下のところに行ってくれればいいのに……
 悔しい気持ちが顔に現れたのか、サマエルは私と目があった瞬間に逸らして、さらに顔を曇らせた。

「……うっ!」

 鍛錬の最中。
 騎士の鉄剣が思いっきりサマエルの顔面を強打した。

「サマエル様、大丈夫!?」

 尻餅をついたサマエルの側へ駆けより、顔を覗きこむ。
 刃は潰れているから切れてないものの、サマエルの額に真っ赤な打撲痕ができていた。

「腫れてる……」

「くっ」

「あ、痛かったでしゅか、ごめんなさい……!」

 つい触れてしまった指を引こうとしたが、サマエルに手を掴まれて引き戻された。

「……大丈夫だ」

 ぎゅうと私の手を握ったままサマエルが強がった。
 その小さな背中をみて、なぜだか胸がちくりと痛かった。

「ねぇ、ハンナ。サマエル様と2人だけにしてくれるかな?」

「……かしこまりました。何かありましたら鈴を鳴らしてください」

 ハンナは躊躇したが、俯くサマエルをみてしぶしぶ頷いた。
 周囲の侍従と護衛も空気をよみ、ハンナとともに下がった。

 人がいなくなったところで正座して、ぽんぽんと自分の太ももを叩く。
 
「手当するからここに頭おいて?」

「は? いや、何言って……」

 サマエルはポカンとしてから、かぁあと顔を染めた。

「膝枕です、分かりますか? このほうが患部を冷やしやすいのでしゅ」

 少し落ち着いてきたからか、噛まず言えた。
 酢水に濡らしたハンカチをかるく揺らして、ほらとサマエルを急かす。

「腫れがひどくなっちゃうから照れてる場合じゃないです」

「照れるって、お前、生意気な……!」

 サマエルは勢いよく私の横に腰を落とすと、ちらりと私の表情を伺ってから、ぎこちなく上体を倒してきた。
 ふんわり、と私のスカートの上にサマエルの柔らかな黒髪が広がっていく。

「痛くないでしゅか?」

「……平気だ」

 慎重そうにサマエルの額にハンカチを当てて、様子をうかがう。
 時間の経過とともに緊張が和らいだようで、こわばっていたサマエルの身体から段々と力が抜けていった。

 額の腫れもだいぶ引いて、少しリラックスしたところでサマエルに問いかけた。

「本当は一緒に勉強したいんじゃないでしゅか?」

「……別に」

「そう、じゃあこれからずっと一緒に勉強するからって私にくれたペンは嘘だったのでしゅか」

「…………」

 サマエルが黙りこくった。いけない。
 つい自分の気持ちを優先してサマエルに当たってしまった。サマエルが悪いわけじゃないのに……

「サマエル様の本心が知りたいでしゅ。話したくなったらでいいから、聞かせてくれると嬉しい……」

 サマエルはしばし悩んでから、ポツリと呟いた。

「俺はこれ以上、父上に嫌われたくない」

「嫌われてなんか……」

 昨日のルキフェルの様子を思い出して、否定しきれなくなる。
 サマエルは賢いから、すぐに察知できたのだろう。私に気を利かせて言葉を続けた。

「俺はたまに、怖い夢を見るんだ」

「怖い夢……?」

「母上の夢。うる覚えだが、確かに優しい母上に抱きしめられる夢をみるんだ」

「それが怖い夢……?」

「それが夢だから、怖いのだ」

 サマエルは私のスカートをきゅっと握りしめて、できた拳で顔を隠した。

「父上が俺を好かないのと同じように、本当は母上も俺を好いてなどいなかった……あの時感じていた母上の温もり、家族は大切な人だと囁くあの優しい声でさえも、すべては単なる夢で、俺の妄想にすぎなかったのではと思うと、怖い……」

 廊下を通るたびにサマエルは王妃の肖像画を仰ぎみていた。
 王妃が病死した時、サマエルはまだ3才だったから、顔もあまり覚えていないという。王妃がサマエルを抱く肖像画が一枚もなかったから、記憶を証明する物証がない。
 そして視察から帰ってくる皇帝からは好かれていない現実だけを突きつけられるから、心細くなったわけか……

 微かに震えるサマエルの肩をとんとんと叩いて、できるだけ優しく呟いた。

「サマエル様は王妃のことをはっきりと覚えていなくてもね、感じた愛情は確かなものですよ」

 一拍の間をおいてから、サマエルが私のほうをみた。

「なぜそう言い切れる?」

「うーん、理論的には言い切れないのですけれど……、脳に記憶するところがあるのと同じようにね、心にも記憶するところがあると思うんです。だからね、少しは自分の心を、抱いた絆を信じて?」

「…………」

 私を見つめる金眼が動揺したふうにゆっくりと揺れる。
 やがて少しは納得してくれたのか、すぅっと満足げに細められた。

「心の記憶か……、素敵な発想だな」

「そうでしょう? いつか私がこの世から消えても、誰かの心の中に記憶されていたらいいな~、なんて」

 何かの間違いで私がここに転生してきたのなら、ひょんなことから消えてしまう可能性だってある。
 無意識のうちに芽生えていた恐怖心に気づかないふりして、私はえへへと冗談っぽく笑う。

「許さない。消えさせない」

 サマエルは真剣な面持ちで言った。
 膝枕されたまま、私をじっと仰ぎみている。
 
「誰かに連れ去られたら必ずお前を奪いかえす。勝手にどこかへ行っても必ず追いかけて連れもどすから、俺から離れられると思うな」

「嘘でも嬉しい言葉でしゅが」

「本気だからな」

「でしゅよね~~! ……へへ、面白い本と美味しい紅茶がある限り宮廷から離れませんよ~」

「そうか。覚えた」

「……はぇ?」

 誤魔化すように言った自分のセリフがヤンデレの伏線になっているとか、さすがの私も思わなかったのである。
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