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「ん、んんっ!」

 くつわで声を発せないオイディは、光の眩しさに目をすがめながら、ガタガタと椅子を揺らした。
 すかさず縄を解いて、轡もとった。

「……はぁ、助かっ、ゴホッ!」

 ゴホゴホとオイディは咳きこんで、床に倒れこんだ。
 見れば、オイディの体中に裂傷がある。
 特にシャツの肩部分が真っ赤に染まっていて、ちぎれた布の中から痛ましい咬み傷がみえた。

「さっきの狼に咬まれたのですか!」

 慌ててオイディに治癒魔法をかけようとした時、白馬がそわそわと私を止めた。

『姫の魔法は、人間に使わないほうがいいのだ……!』

「え?」

 白馬いわく、この世界に深く根ざす世界樹は、世の森羅万象を生み出す神聖な力の源。
 通称世界樹の息と呼ばれるそれは、決して人間が触れていいものではない。
 
「……世界樹の息? 聖力みたいなもの? にふれると、人間は段々と狂気に侵されていくの……?」

 白馬は頷いて、説明をつづけた。

 私を作るために伐採された大樹は、世界のコアから伸びる世界樹の一端にすぎなかったという。
 それでもその力を宿す私の魔力は、接触する人間に悪影響をおよぼすらしい。

『数千年前、地割れから溢れでる世界樹の息により世界が大変な混乱に陥ったのだ。その救済措置として生み出されたのが、ぼくらユニコーンという存在なのだ』

 ユニコーンは人間の狂気を浄化できる特別な存在である。

 しかし、やがて世界樹の息を地表から封印するための大樹が育つと、ユニコーンは使命を終えて世界樹の一部に帰したという。

 ユニコーンの角欲しさに濫獲が跋扈していたから、古書では絶滅したと記録されたわけだ。

「帝国が地表の大樹を伐採したから、再び息が漏れているのか?」

 私を通して説明を聞いていたサマエルが尋ねた。
 隣国で謎の病が流行り出したのはそれが原因かもしれない。
 ランスロットの妹の病気も、もしかしたら……

「ユニコーンはなんて言ったんだ、リリト?」

 しばらくしても白馬が私から視線を逸らさなかったのをみて、サマエルが首をかしげた。

「えっと、『ぼくは、姫を助けるために生み出されたのだ。ぼくを頼って欲しいのだ』、と言っています」

「……こいつ、俺を無視したな」

 ユニコーンは清らかな乙女にしか近づかないという古書の記述を思い出しつつ、まあまあとサマエルに苦笑いを浮かべた。

「それで、あなたは私の中にある力を浄化できるの?」

『姫の中に原因があるわけじゃないから、浄化する必要はないのだ』

「どういうこと?」

『そもそも、世界樹の息を受け入れきれない人間のほうに問題があるのだ。ぼくの角で浄化できるのは、人間の狂気だけなのだが……』

 白馬は首を下げて、傷のある額を私に見せた。

『見ての通り、きれいに奪われたから、いまのぼくは何もできないのだ。……もとい、人間は私欲でも勝手に狂いはじめるので、救いようがないのだが』

 白馬が蔑んだ目でサマエルを睨むから、サマエルの額にピキピキと青筋がたってしまった。

「何を言っているのか分からないが、こいつは一度痛い目にあわせた方がよさそうだな」

『や、野蛮で低俗だから、ぼくは人間が嫌いなのだ……!』

 とか言いながら白馬は私の背後に隠れた。
 2人の険悪な関係は気になるが、それよりーー

「サマエル様、治癒が使えないから、まずはオイディ様を医務室に運びましょう」

「お兄さんもそれがいいと思う……」

 さっきから黙って聞いていたオイディがか細い声で賛同すると、サマエルは「……そうだな」と目をつむって頷いた。

「歩けるか、オイディ?」

「支えが必要かも」

 サマエルは困ったようにため息をつくと、立ち上がって棚を漁りはじめた。

「……何してるの、皇太子?」

「まずは証拠を確保しておこうと思ってな」

「いや、お兄さん泣いてないだけで、傷は結構キツイよ?」

「もうちと我慢しろ。俺とリリトでは貴様を支えきれない。外に出て人を呼ぶ必要がある」

「お兄さんを1人にするの? その間アンドラスが帰ってきたら、お兄さん始末されちゃうかもしれないんだよぉ?」

「ゆえに貴様の代わりになる物証を探しているのだ」

「えぇぇぇぇえ~~!」

 あまりだ! と涙目のオイディ。

「サマエル様……」

 不安がる私をみて、サマエルは仕方ないなといった具合でオイディに手を差し出した。その時、バン! という音と共に刺すような冷気に襲われた。

「凍結魔法だ! 伏せろ!」
 
 オイディが地面に手をつけて結界をつくった。
 しかし、体力が限界なのだろう。

「ごめん、ム、リィ……」

 パリンと結界が割れて、ばたりとオイディが倒れた。

「オイディ様!」

「失神しただけだ。気をぬくな、くるぞ」

 サマエルは私に上着をかけると、腰から剣をぬいてかまえた。
 入口の方を見れば、いつのまにか数十個もの氷塊が空中に浮いている。
 
 たいまつの淡い光を映りこみながら、高速でこちらに向かってきた。

 突如、硬いものが衝突する大きな音が鳴りうごき、床一面に砕けた氷塊が散らばる。
 サマエルが全部斬ったのだ!

「……使い魔との繋がりが消えて見にきたら、これまた大変なネズミが迷い込んでしまったようじゃのう」

 ようやく影から姿を見せたのは、いかにも魔法使いらしい長い白髭をたらす老人であった。
 オバロス公爵につかえる宮廷魔術師ーーアンドラスだ。

「ほほぉ! そこにいるのは、わしのユニコーンではないか! 闇市に餌をまいたのが功を奏したな!」
 
 アンドラスは白馬をみるなり、両手を叩いて歓喜した。

「帝国のユニコーン、の間違いだろ。アンドラス? 勝手に研究を進めて、バレたら最期という自覚はあるようだが」

 アンドラスは震える白馬からサマエルへと視線を滑らせると、忌々しげに目を細めた。

「瞬時に状況を汲みとったか。鬼才と呼ばれるだけあって、皇太子殿下は優秀じゃのう」

「御託はよい。死ぬ覚悟はできているな?」

「フン。わしに勝てるとでも? 人質にして換金しようと思ったのじゃが、……やめじゃ」

 アンドラスは黒いマントの中から小さな瓶を取りだすと、赤い錠剤を噛み砕いて飲み込んだ。
 それをみた白馬は真っ青になって、ぷるぷると更に顫えた。

「まさか、あれはユニコーンの血……?」

「ふん、ふはははは! そうじゃ! ユニコーンの角は万病に効くが、本当の価値は、身体を若返らせるその血肉にあるのじゃ!」

「!?」

 アンドラスの身体が金色に発光したかと思えば、その皮膚が液体に分解され、また瞬時に再構築を行われているみたいに表面がぷくぷくと気持ち悪く蠢いた。
 
「はっ、はぁ……、これだ、身体から力が漲ってくる! 精神と身体が再びシンクロするこの気持ち……! く、くはは、ふはははははッ!」

 アンドラスの高笑いが石壁に反響する。

「……なるほど。確証となるユニコーンの角を闇市で処分して、血だけ残す。万一あっても若返った姿で逃亡すればバレない。その確信があっての犯行か」

「さすが皇太子殿下、察しがよいじゃのう」

 アンドラスの体がみるみる若返ってゆく。
 白かった髭も根元から黒く染まりはじめーー止まった。

「……フン。血錠ではこれが限界かのう」

 みてくれは20歳くらい若返ったのだろうか。
 しかし、髭といい、肌といい。血の効力が及ばず中途半端に老いたままの部位が残る。

「気持ち悪い見た目……」

 ぽつりと溢した私を睨むと、アンドラスはなんて事はないというように肩をすくめた。

「なあに。ユニコーンが丸ごと残っているのだ、飼い慣らしつつその血をぬけば、わしは不死身になるのじゃ」

「ヒィ……!!」

 白馬が悲鳴をあげて、私の胸に顔をうずめた。
 それをみたサマエルの眉間に深い皺がよる。

「俺が貴様なら、ユニコーンが再び逃げるリスクを考えて、早めに食ってしまおうと思うのだが」

「ヒヒーン!!」

 白馬は猛抗議するが、サマエルは知らんぷりだ。
 アンドラスは一拍悩んでから、手のひらに氷塊をつくった。

「提案を感謝する、皇太子殿下。ひとまずネズミを処分してから、わしゃじっくり考えよう」

 氷塊が宙を切って飛んでくる。
 
「そこから動くな、リリト!」

 血錠の効力か、さっきよりも氷塊の速度が上がっている。
 サマエルは私の前へ出て、休まず飛んでくる氷塊を斬り落としていく。
 青く光る塊の中に、一つだけ真っ赤に染まったものが紛れこんでいた。

「サマエル様! あれはーー」

 気づいて叫ぶが、その前にサマエルの剣が赤い氷塊を砕きーー

「くっ!」

 ドカン! と氷塊が爆発した。
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