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15話

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はらりと地面に落ちるガーゼ

マリー様の頬は、うっすらと赤みを帯びてはいますが、その顔に傷などがついているはずもありませんでした。
「…伯爵。この程度で、私の一生を捧げろと?貴方はそう仰ったわけですか?」
「い、いや。その。殴ったことが問題なのであって、、、」
力なく言い訳をするかの様に、ぼそぼそと呟く伯爵。

畳みかけるなら今ですね。あまり、人様にお見せするのは好きではないのですが。

私は、長く伸ばした後ろ髪を片手で持ち上げると、首筋を伯爵の方へと向けました。
「覚えていますか?伯爵。貴方が酔っ払って、私につけたものです」
首筋には、大きくはないながらも、紫色に変色した傷跡が付いています。

その傷を見て、怪訝そうな表情を浮かべるリュカ様。
「クロエさん。その跡は…火傷?」

私は、小さく頷きます。
「8年ほど前になりますかね。当時、屋敷で父とワインを呑み交わしていた伯爵が、吸われていたタバコの灰を私の首筋に落としたのです。まだ幼かった私は、痛みで泣いていましたが処置が行われることもなく、貴方に怒鳴られ自室に戻らされましたよね」

母が出張で家を空ける日には、毎回の様に訪れて、勝手にワインを抜栓して飲んでいました。中には、母が投資用にと購入した貴重なものまで。

「伯爵。貴方がわざと灰を落としたのかは分かりません。しかし、先ほどの貴方の言葉を拝借するならば、この責任をどのように取って頂けるのでしょう」

伯爵は覗き見るかの様にリュカ様を一瞥、そして彼の表情を見ると、慄くかのように一歩後退しました。

リュカ様は、怒るとか哀しむとかそういった類の表情ではなく、正に憎悪というべき表情を浮かべていました。

ゆっくりと無言で伯爵に詰めよるリュカ様。リュカ様が一歩進む度に、伯爵は一歩後退します。しかし、いずれ壁に追い込まれ逃げ場を失いました。

ドン!という大きな音が響きました。リュカ様が、伯爵の顔のすぐ横の壁を叩きつけた為です。

「なあ伯爵。どうしてあんた達はそうなんだよ。上の者には媚びて、下の者は簡単に傷つける。どうして貴族はそんな奴らばかりなんだよ!?」

正直に申し上げて酷く動揺しました。まさか、この様な反応をされるとは思ってもみませんでしたので。

今にも伯爵に手をあげるのではないか、そう思わせる程に鬼気迫るものがありました。ミシミシと音を立てて強く握られた拳は、叩くという表現では、余りにも生易しい未来を想像させます。

そしてついに、その拳が宙に掲げられました。

「駄目!」
私は思わずリュカ様に後ろから抱き着き、その動きを制止していました。

「…それは駄目です。本当に戻れなくなります。お願いですから」
ありったけの力で、リュカ様にしがみつきました。思わず、涙が滲み出ました。この人は、本当に優しい方なのでしょう。私の痛みが分かるから、このような行動を取ってしまったのだと思います。

だからこそ、こんな所で人生を棒に振って欲しくないのです。

「…クロエさん、申し訳ない。もう大丈夫ですから」
そう言うと、リュカ様は強く握られた掌を解き、それをぶらりと下げました。

危機が去ったのを理解したのか、伯爵は力なくその場にへたり込みました。その目には涙を浮かべ、怯えた表情をしています。思わず同情の念が生まれてしまいそうになる位、ぶるぶると震えています。

「リュカ様。用件を済ませて、早くここを出ましょう」
「…はい。そうですね」
フウと息を吐き、振り返った時には、いつもの穏やかな笑みを浮かべていました。


そして、リュカ様は憐みともいえる眼差しで、伯爵に視線を向けるのでした。
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