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気づいたら聖女がいました①
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登城最終日。
今日で短期ではあったが勤めていた城での執務が終わりになる。
(ようやく……これで平穏な暮らしができるわ……)
執務室に向かう途中の廊下で、アドリアーヌが執務を行っているという事情を知っている政務官たちと挨拶を交わす。
彼らと会う機会がなくなるのは若干寂しい気もするが、やはり攻略対象者たちと関わって断罪される可能性を考えるとこの別れも仕方がない。
(こうして城に来るのも最後なのね……なんだかんだで通い慣れたし、むしろ家に居るよりも長い時間を過ごしている気もするけど、明日からは来なくていいのかぁ)
一抹の寂しさと同時に清々しさを感じて歩いているとアドリアーヌは〝アドリアーヌお姉さま〟という声を聴いてそちらに体を向けた。
自分をこう呼ぶのは一人しかいない。
ずいぶん珍しい人間と会うなぁと思いつつ先を見ると、小走りにアイリスがやってくるのが見えた。
「おはようございます、アイリス。」
「お姉さま、おはようございます!また助けていただいたのに気づかずお礼が遅くなってすみません!」
そういってアイリスはバッという音がするほどに勢いよく頭を下げた。
何があったのかと何人かが立ち止まってこちらを注視している。
恥ずかしくなったアドリアーヌは慌ててアイリスを起き上がらせる。
「ど、どうしたの、アイリス。止めて顔を上げて!」
「だって……セギュール子爵の件、お姉さまが助けてくださったのでしょ?私、子爵が捕縛された後にその話をお父様から聞いて……」
「あぁ、いいのよ。セギュール子爵にはムルム伯爵家の件もあったし……コテンパにしないと気が収まらなかっただけだから」
「でも……私いつもお姉さまに助けていただいてばかりで……。私にも何かお手伝いできることはありませんか⁉お姉さまのためならこの命だって差し出します!」
熱弁するアイリスに再び視線が集まる。
ひそひそと何かを噂されているのも耳に入り、アドリアーヌは慌ててアイリスを落ち着かせることにした。
「アイリス、声が大きいわ。大丈夫よ、命を賭けるようなことは何もないし、そんなことをしてもらおうとも思わないから」
「ですが……。そうだ、私お針仕事は得意なんです!刺繍も得意なんですよ!」
(あぁ……知っている……)
ゲームでは刺繍が得意な主人公アイリスは攻略対象達に刺繍入りのハンカチを渡して仲がぐっと近づく……みたいなイベントがあった気がする。
その前の伏線として、アイリスが落としてしまったハンカチを攻略対象が拾って『なんてすばらしい刺繍。一針一針丁寧で、人柄が現れているね』とかいうシーンがある。
「それでですね、お姉さまにせめてもと思いまして、ハンカチに刺繍をしてきたんです。……あれ?」
意気揚々とハンカチを手渡そうとしたであろうアイリスはワンピースのポケットを探るのだがどうやらないようだ。
「アイリス?」
「す、すみません。どこかに落としてきたのかもしれません。ここに入れておいたのに!」
「それは……せっかくの刺繍を見たかったけど、仕方ないわ。誰かが届けてくれるかもしれないし。とりあえずは来た道をたどってみましょうか」
「うっうっ……やっぱり私はダメな人間です。お姉さまの役に一つも立てない!」
「ああああ泣かなくていいから!さぁ、行きましょ」
「はい……」
また後ろ向き発言をしようとするアイリスを宥めながらアドリアーヌとアイリスは来た道を戻る。
すると前方からざわりとした声が聞こえ、見ればクローディス達が歩いて来ていた。
王太子であるクローディスに政務官が道を譲り、廊下の端に立ちながら頭を下げている。
「お前もこれから執務室に行くのか?」
「おはようございます、クローディス殿下。サイナス様、リオネル様もおはようございます。はい、これから向かいます」
執務室で顔を合わせているが一応他の政務官に倣って頭を下げようとするアドリアーヌを止めて、クローディスが近づいて普段通りに話しかけてきた。
そしてアドリアーヌの半歩後ろにいたアイリスにクローディスが目を止める。
「こちらは……確かアイリス・ミッドフォードだったかな」
「は、はい!クローディス殿下にサイナス様、リオネル様、ご機嫌麗しく……」
アイリスが緊張した声で挨拶をすると、がばり音がするほどに頭を下げた。
それを見てクローディスは気にすることもなく、頭を上げるように促した。
「そうか、お前がアイリスか。アドリアーヌがずいぶん気にかけていたから覚えている」
「あ、ありがとうございます!お姉さまには返せないほどの恩ができました!」
それを見たクローディスは今度はアドリアーヌに目を移した。
「アドリアーヌ、せっかくだから共に執務室に行くか」
「それなんですけど、アイリスがハンカチを落としてしまったようで。それを一緒に探してから執務室に行こうと思うのですが」
「ハンカチ……?あぁ、そういえばこれを拾ったが、お前のか?」
クローディスが差し出してきたのは青いバラの花の刺繍が入ったハンカチだ。
金糸で縁取りされたそれは、豪華で優美なものだった。
売り物でもいいのではないかというほどの出来だ。
「あっ!これです!」
「お前が施したのか?すばらしい刺繍だな。一針一針丁寧で、人柄が現れている」
(こ、このセリフは!)
まさしくヒロインに攻略対象が言うセリフだった。
アイリスは少し照れながらもハンカチを受け取るとふわりと笑った。
「殿下にお見せするには恥ずかしいのですが……でも贈る人を思って大切に作ったんです」
「そうか。それを贈ってもらう人間は幸せだな。俺もそういうのが欲しいものだな」
そうしてクローディスもアイリスに微笑みかける。
いつもはぶきっ帳面でつっけんどんなクローディスが見せる突然の笑みにアドリアーヌは我が目を疑う。
そして気づく。
これは……もしやクローディスルートに入ったのではと。
ならば自分はこのままフェードアウトできれば断罪ルートを回避できる。
心の中で小躍りしているのを表情に出さないようにして、アドリアーヌは二人を見つめた。
「クローディス、そろそろ行きましょうか?」
「あ?あぁ、そうだな。」
見つめ合っていたクローディスとアイリスだったが、サイナスの促しによって二人は我に返ったようだった。
「アドリアーヌ嬢も行きますよね」
「分かりました。じゃあアイリスまたね」
「あ!お姉さま!これです。渡したかったハンカチはこれなんです!是非、受け取ってください!」
アイリスはアドリアーヌにハンカチを突き出して頭を下げる。
だからどうしてこうオーバーなのか……また周囲の視線が突き刺さっている気がする。
「まぁありがとう!素敵なハンカチだわ。大切に使うわね」
「はい!では、お姉さまお仕事頑張ってくださいね」
手を振るアイリスを残して歩き出そうと瞬間だった。
ふらふらと真っ赤なドレスの女性が歩いてくることに気づいた。
金髪に縦ロール……若干乱れてはいるがその人物に思い当たった。
セギュール子爵の娘であるルイーズだ。
アイリスと同じ行儀見習いで城にいるのは不思議ではない。
だが、先日子爵は爵位を奪われ、ルイーズも城を出て行ったはずだ。
アドリアーヌと同じで最後に私物でも取りに来たのだろうか?
(それにしても……なんとなく雰囲気が……異常じゃない?)
目がぎらぎらとしており、ふらふら歩く様子は普通じゃない。
具合でも悪いのかと声をかけるために近づいた瞬間だった。
「あの、ルイーズ様ですよね?具合でもお悪いのですか?」
「……お前……アドリアーヌ!お前のせいで!お父様は……爵位が……全て無くなったのよ!」
そう言いながら突然アドリアーヌに突進してきたのだ。
その手に光るものがある。瞬間しか見えなかったがあれは短刀だ。
頭では理解できたが、だからと言って体は動かない。
それはものの数十秒の事だったと思う。
気づいた時にはアドリアーヌは腹部に痛みを感じた。
息が詰まる。
足元には深紅の雫がポツリポツリとシミを作っている。
(刺された……の?)
よく理解ができないまま、アドリアーヌはその場に倒れた。
遠くの方で誰かの叫びを聞き、バタバタと足音がしたような気がしたが、もうその頃にはアドリアーヌは意識を失っていた。
罪を避けてきたのに、まさかこんな最期を迎えるとはアドリアーヌにとって思ってみないことだった。
(私死ぬのかしら……まさかDEADエンドになるなんて……思わなかったなぁ)
そうしてアドリアーヌの意識は暗闇閉ざされて行ったのだった。
今日で短期ではあったが勤めていた城での執務が終わりになる。
(ようやく……これで平穏な暮らしができるわ……)
執務室に向かう途中の廊下で、アドリアーヌが執務を行っているという事情を知っている政務官たちと挨拶を交わす。
彼らと会う機会がなくなるのは若干寂しい気もするが、やはり攻略対象者たちと関わって断罪される可能性を考えるとこの別れも仕方がない。
(こうして城に来るのも最後なのね……なんだかんだで通い慣れたし、むしろ家に居るよりも長い時間を過ごしている気もするけど、明日からは来なくていいのかぁ)
一抹の寂しさと同時に清々しさを感じて歩いているとアドリアーヌは〝アドリアーヌお姉さま〟という声を聴いてそちらに体を向けた。
自分をこう呼ぶのは一人しかいない。
ずいぶん珍しい人間と会うなぁと思いつつ先を見ると、小走りにアイリスがやってくるのが見えた。
「おはようございます、アイリス。」
「お姉さま、おはようございます!また助けていただいたのに気づかずお礼が遅くなってすみません!」
そういってアイリスはバッという音がするほどに勢いよく頭を下げた。
何があったのかと何人かが立ち止まってこちらを注視している。
恥ずかしくなったアドリアーヌは慌ててアイリスを起き上がらせる。
「ど、どうしたの、アイリス。止めて顔を上げて!」
「だって……セギュール子爵の件、お姉さまが助けてくださったのでしょ?私、子爵が捕縛された後にその話をお父様から聞いて……」
「あぁ、いいのよ。セギュール子爵にはムルム伯爵家の件もあったし……コテンパにしないと気が収まらなかっただけだから」
「でも……私いつもお姉さまに助けていただいてばかりで……。私にも何かお手伝いできることはありませんか⁉お姉さまのためならこの命だって差し出します!」
熱弁するアイリスに再び視線が集まる。
ひそひそと何かを噂されているのも耳に入り、アドリアーヌは慌ててアイリスを落ち着かせることにした。
「アイリス、声が大きいわ。大丈夫よ、命を賭けるようなことは何もないし、そんなことをしてもらおうとも思わないから」
「ですが……。そうだ、私お針仕事は得意なんです!刺繍も得意なんですよ!」
(あぁ……知っている……)
ゲームでは刺繍が得意な主人公アイリスは攻略対象達に刺繍入りのハンカチを渡して仲がぐっと近づく……みたいなイベントがあった気がする。
その前の伏線として、アイリスが落としてしまったハンカチを攻略対象が拾って『なんてすばらしい刺繍。一針一針丁寧で、人柄が現れているね』とかいうシーンがある。
「それでですね、お姉さまにせめてもと思いまして、ハンカチに刺繍をしてきたんです。……あれ?」
意気揚々とハンカチを手渡そうとしたであろうアイリスはワンピースのポケットを探るのだがどうやらないようだ。
「アイリス?」
「す、すみません。どこかに落としてきたのかもしれません。ここに入れておいたのに!」
「それは……せっかくの刺繍を見たかったけど、仕方ないわ。誰かが届けてくれるかもしれないし。とりあえずは来た道をたどってみましょうか」
「うっうっ……やっぱり私はダメな人間です。お姉さまの役に一つも立てない!」
「ああああ泣かなくていいから!さぁ、行きましょ」
「はい……」
また後ろ向き発言をしようとするアイリスを宥めながらアドリアーヌとアイリスは来た道を戻る。
すると前方からざわりとした声が聞こえ、見ればクローディス達が歩いて来ていた。
王太子であるクローディスに政務官が道を譲り、廊下の端に立ちながら頭を下げている。
「お前もこれから執務室に行くのか?」
「おはようございます、クローディス殿下。サイナス様、リオネル様もおはようございます。はい、これから向かいます」
執務室で顔を合わせているが一応他の政務官に倣って頭を下げようとするアドリアーヌを止めて、クローディスが近づいて普段通りに話しかけてきた。
そしてアドリアーヌの半歩後ろにいたアイリスにクローディスが目を止める。
「こちらは……確かアイリス・ミッドフォードだったかな」
「は、はい!クローディス殿下にサイナス様、リオネル様、ご機嫌麗しく……」
アイリスが緊張した声で挨拶をすると、がばり音がするほどに頭を下げた。
それを見てクローディスは気にすることもなく、頭を上げるように促した。
「そうか、お前がアイリスか。アドリアーヌがずいぶん気にかけていたから覚えている」
「あ、ありがとうございます!お姉さまには返せないほどの恩ができました!」
それを見たクローディスは今度はアドリアーヌに目を移した。
「アドリアーヌ、せっかくだから共に執務室に行くか」
「それなんですけど、アイリスがハンカチを落としてしまったようで。それを一緒に探してから執務室に行こうと思うのですが」
「ハンカチ……?あぁ、そういえばこれを拾ったが、お前のか?」
クローディスが差し出してきたのは青いバラの花の刺繍が入ったハンカチだ。
金糸で縁取りされたそれは、豪華で優美なものだった。
売り物でもいいのではないかというほどの出来だ。
「あっ!これです!」
「お前が施したのか?すばらしい刺繍だな。一針一針丁寧で、人柄が現れている」
(こ、このセリフは!)
まさしくヒロインに攻略対象が言うセリフだった。
アイリスは少し照れながらもハンカチを受け取るとふわりと笑った。
「殿下にお見せするには恥ずかしいのですが……でも贈る人を思って大切に作ったんです」
「そうか。それを贈ってもらう人間は幸せだな。俺もそういうのが欲しいものだな」
そうしてクローディスもアイリスに微笑みかける。
いつもはぶきっ帳面でつっけんどんなクローディスが見せる突然の笑みにアドリアーヌは我が目を疑う。
そして気づく。
これは……もしやクローディスルートに入ったのではと。
ならば自分はこのままフェードアウトできれば断罪ルートを回避できる。
心の中で小躍りしているのを表情に出さないようにして、アドリアーヌは二人を見つめた。
「クローディス、そろそろ行きましょうか?」
「あ?あぁ、そうだな。」
見つめ合っていたクローディスとアイリスだったが、サイナスの促しによって二人は我に返ったようだった。
「アドリアーヌ嬢も行きますよね」
「分かりました。じゃあアイリスまたね」
「あ!お姉さま!これです。渡したかったハンカチはこれなんです!是非、受け取ってください!」
アイリスはアドリアーヌにハンカチを突き出して頭を下げる。
だからどうしてこうオーバーなのか……また周囲の視線が突き刺さっている気がする。
「まぁありがとう!素敵なハンカチだわ。大切に使うわね」
「はい!では、お姉さまお仕事頑張ってくださいね」
手を振るアイリスを残して歩き出そうと瞬間だった。
ふらふらと真っ赤なドレスの女性が歩いてくることに気づいた。
金髪に縦ロール……若干乱れてはいるがその人物に思い当たった。
セギュール子爵の娘であるルイーズだ。
アイリスと同じ行儀見習いで城にいるのは不思議ではない。
だが、先日子爵は爵位を奪われ、ルイーズも城を出て行ったはずだ。
アドリアーヌと同じで最後に私物でも取りに来たのだろうか?
(それにしても……なんとなく雰囲気が……異常じゃない?)
目がぎらぎらとしており、ふらふら歩く様子は普通じゃない。
具合でも悪いのかと声をかけるために近づいた瞬間だった。
「あの、ルイーズ様ですよね?具合でもお悪いのですか?」
「……お前……アドリアーヌ!お前のせいで!お父様は……爵位が……全て無くなったのよ!」
そう言いながら突然アドリアーヌに突進してきたのだ。
その手に光るものがある。瞬間しか見えなかったがあれは短刀だ。
頭では理解できたが、だからと言って体は動かない。
それはものの数十秒の事だったと思う。
気づいた時にはアドリアーヌは腹部に痛みを感じた。
息が詰まる。
足元には深紅の雫がポツリポツリとシミを作っている。
(刺された……の?)
よく理解ができないまま、アドリアーヌはその場に倒れた。
遠くの方で誰かの叫びを聞き、バタバタと足音がしたような気がしたが、もうその頃にはアドリアーヌは意識を失っていた。
罪を避けてきたのに、まさかこんな最期を迎えるとはアドリアーヌにとって思ってみないことだった。
(私死ぬのかしら……まさかDEADエンドになるなんて……思わなかったなぁ)
そうしてアドリアーヌの意識は暗闇閉ざされて行ったのだった。
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