あなたの望むものをご提供いたします～そのカフェバーには待ち人が集う～

エピソード１：ある画家の場合

入店

カランカラン
ドアベルの音が鳴り、店のドアを開けばコーヒーの芳しい香りがした。

「いらっしいませ」

声をかけられてそちらを見れば、白いシャツに黒いベストを来た若い男性が微笑んでいた。

柔和な笑みを浮かべていて、色素の薄い長くした髪を結い上げているその店員はマスターだろうか。

形の良いアーモンドのような目の目元は柔らかく、よく見ると瞳の色も少し水色を帯びている。

外国の血が入っているのかもしれない。病的ではないかきめの細かい透き通った白い肌とすらりとした体躯。一見するとモデルのようだ。

店内を見渡せば、赤茶色の木とオフホワイトの壁で整えられたお洒落な店だ。

オレンジ色のライトは、思わず寛ぎたくなる雰囲気をもたらしている。

右を見れば、一面がガラスになっており、店の外のテラスが見える。その窓側の席には老夫婦が仲良くコーヒーを飲んでいた。

他にも一人で新聞を読んでいる壮年の男性やＯＬ風の女性。中はそれなりに混んでいる。
店内の入り口にはカウンターがあり、先ほどの男性店員が声をかけてきた。

「お一人ですか？」
「あ、はい」
「お好きな席でいいのですが…良かったらこちらに座りませんか？」

呼ばれたのは店員の立っているカウンター席だ。目の前のサイフォンで淹れるコーヒーを間近に見えるのは興味がある。

私は誘われるままにカウンターの一席に座った。

「何がよろしいですか？コーヒーでもお酒でも、貴方の望むものをご提供できますよ」

にっこりと笑って男性店員がカウンター越しにメニューを渡してきた。
確かにマスターの青年の後ろにはグラスとカクテルリキュールが並べられている。

(お酒も飲めるんだ。せっかくだから飲みたい…けど)

私はお酒には滅法目がない。だがやはり昼間から飲むのは気が引ける。
結果私はコーヒーを注文することにした。

「この…果実系というコーヒーをお願いします」
「かしこまりました」

マスターはオーダーを聞くとそのままコーヒーの準備に取り掛かっていた。

それを見てから出されていた水に手をやると、自分の爪が目に入った。
ピンクのラメ入りのマニキュア。だいぶ久しぶりにつけた。

「爪、お綺麗ですね。お客様の雰囲気似合ってますよ」

不意にマスターに声をかけられて私は苦笑した。

「ふふふ、もう何年振りかにつけたんです。いつもは爪塗ったりする余裕もないんですよ。どうせ爪の間に絵の具が入っちゃうし」
「絵の具？」
「はい、私絵描きなんです」
「そうなんですか。どんな絵を描かれるんですか？」
「風景画を描きます。あ、こんな絵ですよ」

興味津々と言う感じのマスターに、私は持っていたスマホに入っている写真を見せた。
自作の絵を写真で撮っていたものだ。

「素敵な絵ですね。あれ、これって蔵王のお釜ではないですか？こっちは樹氷？」
「よく分かりましたね！」

お釜や樹氷なんかは仙台出身の私には馴染み深いがこちらではマイナーだと思う。
だからマスターの反応には驚いてしまった。

「ええ、お客様にも東北からやって来る方も多いので」
「そうなのですね」
「ああ、そう言えば彼も東北出身なんですよ」

そう言ったマスターの視線の先には青年が座っていた。

一見してかっこいい。クールな目元に薄い唇、通った鼻梁。
落ち着いた雰囲気のその青年はこちらを見て相槌を打った。

「せっかくですから貴方も見てはどうですか？」

マスターは青年に声をかけてからあっと気づいて私に確認をしてきた。

「いいですよね」
「もちろん大丈夫です」

私の言葉を聞いて、青年が私の隣の席に移動した。

「見てもいいですか？」
「どうぞ」

マスターからスマホを渡された青年が写真に映った絵を見る。
そして私を見上げると満足そうに笑った。

「絵描きになったんだ。良かった」
「えっ？」

まるで知り合いの様に話されて私は一瞬面食らってしまった。
だがそんな私の戸惑いをよそに青年はいくつかの作品を見て頷いていた。

「うん、素敵な絵だね。君の優しさが、出てる気がする。でもなんで風景画なの？どの作品にも人や動物が出てないけど。そういうのも描けばいいのに」
「それは…」

私は言い淀んでしまった。
実は今、その点について悩んでいる。

私は風景画しか描かない。だけど今描いている…おそらく私が作る最後の作品になるだろうその絵に人や動物を描き加えるのか悩んでいるのだ。

「描きたい思いはあるんだけど…ちょっと思い出があって…踏ん切りがつかないとうか…」

言い淀む私の様子を見た青年がアルトのしっとりした声で尋ねてきた。

「事情があるんだね。良かったら聞かせてくれないかな？君の話が聞きたい」

一瞬悩んだ。
今まで罪悪感から誰にも言えなかったことだ。

だけど青年の瞳からは私を心底案じている感情が見て取れた。

どう答えていいのか言い淀んでいると、カウンター越しにマスターがコーヒーカップを私の前に置いた。

「どうぞ、果実系コーヒーです」
「ありがとうございます」

マスターの落ち着いた声に私もそう返して、コーヒーを一口飲む。

コーヒーを飲むのはいつぶりだろうか。
大分前に医者に止められてからは口にしていなかったからだ。

苦みの少なくまろやかな味のコーヒーを飲むと、ずっと我慢していた心が溶けるような感覚になる。

そして不思議とこの青年になら、話をしてもいいような気がしてきた。
私は一旦手元に視線を移したのち、ポツリと呟いていた。

「私は弟に酷い事をしたから…」

懺悔なのかもしれない。

だけど、心配そうに見てくる青年に対して、それを無碍にはできない気がして、私は徐に話を始めた。