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エピソード1:ある画家の場合

目覚め

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「すごく悔やんでいた」

全てを吐き出すようにそう言うと青年は私の背をゆっくりとさすった。
溢れる涙が止まらない。
泣きじゃくりながら私は青年を見た。

「許してなんて言えないけど…でももう一度会えたら謝りたいの!ごめん、ごめんね」

私は青年に縋るようにしながらそう言った。
青年は一瞬目を瞑った。
そして寂しそうに、でも小さく笑った。

「きっと彼は貴女の心の中で思ってくれていたこと、嬉しいと思っているよ」
「そう?謝らせてもらえるかな?」
「もちろん。だからもう一度こうして会おうと思ったんだよ」

青年の言葉が私の心の中に染みる。

「私、死んだらもう一度彼に会いたいわ。今度こそ一緒に過ごす。生きてるときに傍に居れなかった分いっぱい愛して、ずっと傍にいる」

私は自然と青年に手を伸ばして、その頬に触れる。
すると青年は嬉しそうに私の手にすり寄って、そして笑った。
その笑顔がマルに重なる。

「ありがとう」

青年がそう呟く。
それが何故かマルに言われているような気がして、勝手にもマルに少しだけ許してもらえたような気がした。

私の話を聞いていたマスターは、思い出したように私に言った。

「おや、そろそろ帰る時間ではないですか?それにこのカフェバーも閉店時間なのです」

マスターの言葉に私は慌てて店内を見回すと確かに他の客は居なくなっていた。
その様子に私は目尻に薄く溜まった涙を拭ってマスターへ言った。

その時には既に気持ちは落ち着きを取り戻していて、何とか笑うことができた。

「あ!もうそんな時間なのね。コーヒー、美味しかったです」
「そう言っていただいて光栄です」
「じゃあ、ありがとうございました」

私は青年とマスターにそう告げて店の外へと出た。
ふと後ろを振り向けば、全面ガラス張りの窓から青年がこちらを見ていた。

優しくほほ笑みながら、そっと私を見守るように。
そう言えば、マルもああして窓ガラスの脇で外を眺めていた。

店の外に出ればなんとなく気持ちが楽になっていた。
今まで溜まってた心の澱が吐き出せたような気持ちだ。

私は青年に手を振り、路を歩きだした。


※※※


不意に私は目が覚めた。
見えるのは病院の天井だと理解するのに少し時間がかかった。

「私…ここ…」

ピッピッという規則正しい音。腕に違和感があり、チューブが刺されていた。
その先には点滴が等間隔で落ちている。

それを見てこれが現実であると認識した。

手を天井に伸ばしてみればそれはシワシワの手で、先ほどまでマニュキュアをしていたのが嘘のようだ。

自分が年を重ねたことを実感した。

マニュキュアを塗っていた若かりし頃など疾うに過ぎているのだが、夢でも綺麗な手で爪を塗っていたことは嬉しい。

「ふふふ…若い頃に戻る夢を見るなんてちょっとラッキーだわね」

夢の中の私はまだ二十代だったのだろうか。
現実の私は今、七十歳になる。
末期のすい臓がんと申告され、もう余命がないことは自分でも分かっていた。

筋肉が萎えた体をようやく起こしてみれば、ベッドサイドには味気ない流動食の缶が置かれているのが目に入った。

もう固形物を摂取することはできないくらい私の体は衰弱している。

その流動食もなるべく取るようにと医師に言われ、気持ちが悪いのを押して飲んだが、死ぬ間際までこんな苦痛はしたくないと今はもう拒否しているのだが。
だからこそ、マルの事を思い出したのだ。

食事を摂らなくなったマルに無理に食べさせたこと。
マルは食事を摂るストレスで毛が抜けるほど嫌がっていたのに。
最後は叩いてまで食べさせようとした。

それが今の自分と被り、再び罪悪感を思い出したのだ。

「あれは…きっとマルだったのね」

夢の中の青年を思い出す。
あれはどう考えてもマルだ。今際の際に、贖罪のチャンスを与えられたのかもしれない。

少しばかり広い病院の個室には自分のベッドと、形ばかりに置かれたテレビ、そしてキャンバスがある。
部屋の半分ほどを占めているキャンバスには緑の草原と山が描かれていた。

これはヤクライ山。

マルとドライブに行った最後の思い出の地だ。

だが、夢の中でカフェバーのマスターと青年に話したように、私は今まで風景画しか描かなかった。
いや、描けなかったのだ。

動物も人も。

最後に見たマルの瞳を思い出してしまい、形を描いても瞳を加えることができなかった。

対象物がこちらをじっと見つめる度に、その視線を逸らしてしまいたくなる。

だが、これは最後の作品。

私はそう思うと、なんとかベッドから這い出し、キャンパスへと足を進めた。
左手で点滴台を支え、それに寄りかかるようにしながら右手で筆を取る。

もう筆さえも重く感じてしまう。
だが、私は一筆一筆ゆっくりとそのキャンパスに付け加えた。

一人は少女。その傍らには真っ白い犬。

「待っていてくれるかしら?」

私がぽつりと呟けば、夢の中の青年が頷いた気がした。

そう言えば、昔聞いたことがある。三途の川のたもとには一軒の店があるらしい。
先立った者が後から来る人と共に極楽へと行くために、待つための店だ。

もしかしてあそこはそういう場所だったのかもしれない。

「私も直ぐ逝くから。また、遊ぼうね。待ってて」

そう言って私は筆を置くと、再びベッドへと身を横たえた。
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