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003-凍える夜の檻
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唇を、強引に奪われた。
坂本理光は私の口を吸い上げ、舌先で容易く歯列をこじ開けて、深く侵入してきた。絡みつき、舐め回すようなその所作は、明確な侵害の意志に満ちている。
私は痛みに息を呑み、ようやく彼が何をしようとしているのかを理解した。絡め取られた髪が引っ張られ、頭皮に鈍い痛みが走る。その感覚が熱病のように体中に広がり、内側から爆発しそうだった。
理光さんは酔っていた。その事実に、私は底知れぬ恐怖と激しい怒りを同時に覚えた。
必死に彼を押し戻そうとするが、力及ばず、握り締めた拳で何度も彼の胸を叩いた。嗚咽を漏らしながら身をよじって逃げようとするが、彼の両腕は鉄の鎖のように私を抱きしめ、震える体を決して離さなかった。
蹴り飛ばして距離を取ろうとするも、後頭部が車の扉に打ち付けられ、火花が散る。痛み以上に恐ろしいのは、この狭い空間に逃げ場がどこにもないことだった。
かつて私は、理光さんの腕に包まれたいと心から願っていた。
彼が京都に戻るたび、ほんの一目でも会えれば、それだけで心は満たされた。
彼と目が合えば頬が熱くなり、指先が触れれば恥ずかしさに俯いた。歩幅を揃え、彼の邪魔にならぬよう、影のように慎重に後を追った。
彼といる間、私の神経はいつも心地よく張り詰めていた。疲れた時にはその肩に寄り添い、いつか彼の手を握りたいと、それだけを夢見ていた。
私は、時代に取り残された木偶(でく)などではない。
新しい思想も、「自由」という言葉の意味も理解しているつもりだ。公の場であっても、彼を慕う気持ちを隠すことなどなかった。
理光さんが幸せなら、それでよかった。
彼が冷たくても、その言葉が刃のように刺さっても構わなかった。
彼が笑いさえすれば、京都の底冷えする冬も和らぎ、透き通った陽光は春のように柔らかく感じられたのだ。
だが今は、手を繋ぐよりも深い「親密さ」を暴力的に強要され、私は逃げ出したくて仕方がなかった。
理光さんは私を逃さず、白く柔らかな頬を強く掴み、危うい光を宿した瞳で問いかけた。
「どこへ逃げるつもりだ?」
彼は膝を割り込ませ、閉じた私の両脚をこじ開けると、太腿の内側を強引に押し上げた。
「離して!」
嗚咽とともに、私は彼のシャツを掴んだ。仕立ての良い布地が、私の手の中で無残に皺(しわ)だらけになってゆく。
彼は大きな山のように微動だにしない。
私は、こんな理光さんを知らなかった。横暴で、激しく、私を力で押さえつけるその姿は、私の唇を奪い、魂までも掠め取ろうとしているようだった。
舌の根元は痺れ、唇は痛みで腫れ上がり、涙が止めどなく頬を伝った。
突然、理光さんは私の帯を乱暴に解き放った。金糸の刺繍がほどけ、解(ほど)けてゆく。私は慌てて、泣きながら衣を握り締めた。
「やめて……お願い……」
私の嗚咽に、理光さんの力がわずかに和らぎ、ようやく唇が離れた。私は荒い息をつきながら震え、無我夢中で車のドアノブを探した。
彼ははだけた着物の襟をそっと掴み、低い声で囁いた。
「降りたければ降りればいい。誰も止めはしない」
だが、その言葉こそが、私の体を硬直させた。
車の周囲は、港町の用心棒のような屈強な男たちが壁を作っている。理光さんの一言で動く彼らは、誰一人としてこの車に近づくことを許さない。
それが、私がかろうじて「渡辺家の令嬢」としての面目を保てる唯一の頼みの綱であることを、彼は知っているのだ。
心の奥底で、彼への憎しみが燃え上がった。
強きを挫き、弱きを虐げるこの男を、あまりに軽薄で無頼なその振る舞いを、激しく恨んだ。
私は拳を握り締め、彼に向かって無我夢中に打ちつけた。
「どうして私にこんなことができるの! この狼藉者! 卑劣漢! 愚か者!」
言葉は荒れ狂い、嗚咽に詰まり、涙が溢れ出た。
濡れた唇を指で拭い、何度も何度も手の甲で擦(こす)った。
理光さんの汚れた唇が嫌でたまらなかった。あの唇は、いったいどれほどの女に触れてきたのか。
その度に、汚物を払うように手を拭った。
すると彼は、私の細い手首をぎゅっと掴み、再び顔を寄せた。
今度は優しく吸い上げ、湿った感触を残して。
「僕に口づけされるのが、そんなに嫌か?」
理光さんは片手で私の頬を包み込み、嘲るように笑った。
「渡辺さん。君は夢の中でも、僕のことばかり考えているだろう?」
心の内を見透かされたようで、頬がさらに熱く染まる。
彼は、私がかつて彼を慕っていたことを知りながら、残酷に弄んでいるだけなのだ。
涙ぐむ私を見て、彼の笑みはさらに深くなり、再び唇を重ねようとした。
私は両手で彼の肩を押し返し、泣きじゃくりながら言った。
「勘違いしないで。私は、貴方の囲っている女たちとは違うの。遊びたいなら、彼女たちのところへ行って。私にはもう関係ないわ。私は……私は、ちゃんと他所(よそ)へお嫁に行かなくちゃいけないの」
「誰に?」
理光さんの目が細まり、冷ややかな嘲笑を浮かべた。
「まさか、あんな人力車引きか?」
その口調は蔑みに満ちていた。まるで自分が雲の上の存在で、他はすべて道端の泥土であるかのように。
彼が私に冷酷なのは知っていたが、他人には最低限の礼儀を持つ人だと思っていた。
けれど今、従兄の中山川合を嘲笑う言葉を聞いて、私は怒りに唇を震わせた。
「たとえ彼に嫁いでも、貴方に嫁ぐよりずっとましです。人力車引きだろうと何だろうと、彼は貴方よりずっと清らかな人だわ!」
「清い、だと?」
理光さんの黒い瞳が私を射抜いた。その瞳の中に、自分の小さな白い影が燃え盛る炎に焼かれているのを見た気がした。
その瞬間、私は自分の失言を激しく後悔した。
突然、車外が騒がしくなった。
用心棒の一人が車窓に近づき、理光さんに伺いを立てる。
「……あの方は渡辺様の従兄弟です。先生、どうかお許しを」
車内の理光と、外にいる川合の視線が、硝子越しに交錯した。
底知れぬ闇のような理光さんの瞳が、すべてを飲み込んでゆく。
「行け。腕を切り落とせ。右腕一本だ」
理光さんの冷徹な命令が響いた。
私は氷水を浴びせられたように全身が凍りついた。
「何をするつもり!? 何を、やめて!」
慌ててドアを掴み、外へ出ようとしたが、彼は私を力任せに引き戻した。
理光さんの冷たい唇が耳元に触れ、低く、危険な声で囁く。
「動けば、片腕どころじゃ済まないぞ」
運転手が車に乗り込み、車内の惨状など目に入らぬかのように前を見据えた。
「先生、下鴨(しもがも)へお戻りですか?」
理光さんは私の柔らかな耳たぶを愛撫するように撫でながら、告げた。
「まずは、御所南(ごしょみなみ)へ」
坂本理光は私の口を吸い上げ、舌先で容易く歯列をこじ開けて、深く侵入してきた。絡みつき、舐め回すようなその所作は、明確な侵害の意志に満ちている。
私は痛みに息を呑み、ようやく彼が何をしようとしているのかを理解した。絡め取られた髪が引っ張られ、頭皮に鈍い痛みが走る。その感覚が熱病のように体中に広がり、内側から爆発しそうだった。
理光さんは酔っていた。その事実に、私は底知れぬ恐怖と激しい怒りを同時に覚えた。
必死に彼を押し戻そうとするが、力及ばず、握り締めた拳で何度も彼の胸を叩いた。嗚咽を漏らしながら身をよじって逃げようとするが、彼の両腕は鉄の鎖のように私を抱きしめ、震える体を決して離さなかった。
蹴り飛ばして距離を取ろうとするも、後頭部が車の扉に打ち付けられ、火花が散る。痛み以上に恐ろしいのは、この狭い空間に逃げ場がどこにもないことだった。
かつて私は、理光さんの腕に包まれたいと心から願っていた。
彼が京都に戻るたび、ほんの一目でも会えれば、それだけで心は満たされた。
彼と目が合えば頬が熱くなり、指先が触れれば恥ずかしさに俯いた。歩幅を揃え、彼の邪魔にならぬよう、影のように慎重に後を追った。
彼といる間、私の神経はいつも心地よく張り詰めていた。疲れた時にはその肩に寄り添い、いつか彼の手を握りたいと、それだけを夢見ていた。
私は、時代に取り残された木偶(でく)などではない。
新しい思想も、「自由」という言葉の意味も理解しているつもりだ。公の場であっても、彼を慕う気持ちを隠すことなどなかった。
理光さんが幸せなら、それでよかった。
彼が冷たくても、その言葉が刃のように刺さっても構わなかった。
彼が笑いさえすれば、京都の底冷えする冬も和らぎ、透き通った陽光は春のように柔らかく感じられたのだ。
だが今は、手を繋ぐよりも深い「親密さ」を暴力的に強要され、私は逃げ出したくて仕方がなかった。
理光さんは私を逃さず、白く柔らかな頬を強く掴み、危うい光を宿した瞳で問いかけた。
「どこへ逃げるつもりだ?」
彼は膝を割り込ませ、閉じた私の両脚をこじ開けると、太腿の内側を強引に押し上げた。
「離して!」
嗚咽とともに、私は彼のシャツを掴んだ。仕立ての良い布地が、私の手の中で無残に皺(しわ)だらけになってゆく。
彼は大きな山のように微動だにしない。
私は、こんな理光さんを知らなかった。横暴で、激しく、私を力で押さえつけるその姿は、私の唇を奪い、魂までも掠め取ろうとしているようだった。
舌の根元は痺れ、唇は痛みで腫れ上がり、涙が止めどなく頬を伝った。
突然、理光さんは私の帯を乱暴に解き放った。金糸の刺繍がほどけ、解(ほど)けてゆく。私は慌てて、泣きながら衣を握り締めた。
「やめて……お願い……」
私の嗚咽に、理光さんの力がわずかに和らぎ、ようやく唇が離れた。私は荒い息をつきながら震え、無我夢中で車のドアノブを探した。
彼ははだけた着物の襟をそっと掴み、低い声で囁いた。
「降りたければ降りればいい。誰も止めはしない」
だが、その言葉こそが、私の体を硬直させた。
車の周囲は、港町の用心棒のような屈強な男たちが壁を作っている。理光さんの一言で動く彼らは、誰一人としてこの車に近づくことを許さない。
それが、私がかろうじて「渡辺家の令嬢」としての面目を保てる唯一の頼みの綱であることを、彼は知っているのだ。
心の奥底で、彼への憎しみが燃え上がった。
強きを挫き、弱きを虐げるこの男を、あまりに軽薄で無頼なその振る舞いを、激しく恨んだ。
私は拳を握り締め、彼に向かって無我夢中に打ちつけた。
「どうして私にこんなことができるの! この狼藉者! 卑劣漢! 愚か者!」
言葉は荒れ狂い、嗚咽に詰まり、涙が溢れ出た。
濡れた唇を指で拭い、何度も何度も手の甲で擦(こす)った。
理光さんの汚れた唇が嫌でたまらなかった。あの唇は、いったいどれほどの女に触れてきたのか。
その度に、汚物を払うように手を拭った。
すると彼は、私の細い手首をぎゅっと掴み、再び顔を寄せた。
今度は優しく吸い上げ、湿った感触を残して。
「僕に口づけされるのが、そんなに嫌か?」
理光さんは片手で私の頬を包み込み、嘲るように笑った。
「渡辺さん。君は夢の中でも、僕のことばかり考えているだろう?」
心の内を見透かされたようで、頬がさらに熱く染まる。
彼は、私がかつて彼を慕っていたことを知りながら、残酷に弄んでいるだけなのだ。
涙ぐむ私を見て、彼の笑みはさらに深くなり、再び唇を重ねようとした。
私は両手で彼の肩を押し返し、泣きじゃくりながら言った。
「勘違いしないで。私は、貴方の囲っている女たちとは違うの。遊びたいなら、彼女たちのところへ行って。私にはもう関係ないわ。私は……私は、ちゃんと他所(よそ)へお嫁に行かなくちゃいけないの」
「誰に?」
理光さんの目が細まり、冷ややかな嘲笑を浮かべた。
「まさか、あんな人力車引きか?」
その口調は蔑みに満ちていた。まるで自分が雲の上の存在で、他はすべて道端の泥土であるかのように。
彼が私に冷酷なのは知っていたが、他人には最低限の礼儀を持つ人だと思っていた。
けれど今、従兄の中山川合を嘲笑う言葉を聞いて、私は怒りに唇を震わせた。
「たとえ彼に嫁いでも、貴方に嫁ぐよりずっとましです。人力車引きだろうと何だろうと、彼は貴方よりずっと清らかな人だわ!」
「清い、だと?」
理光さんの黒い瞳が私を射抜いた。その瞳の中に、自分の小さな白い影が燃え盛る炎に焼かれているのを見た気がした。
その瞬間、私は自分の失言を激しく後悔した。
突然、車外が騒がしくなった。
用心棒の一人が車窓に近づき、理光さんに伺いを立てる。
「……あの方は渡辺様の従兄弟です。先生、どうかお許しを」
車内の理光と、外にいる川合の視線が、硝子越しに交錯した。
底知れぬ闇のような理光さんの瞳が、すべてを飲み込んでゆく。
「行け。腕を切り落とせ。右腕一本だ」
理光さんの冷徹な命令が響いた。
私は氷水を浴びせられたように全身が凍りついた。
「何をするつもり!? 何を、やめて!」
慌ててドアを掴み、外へ出ようとしたが、彼は私を力任せに引き戻した。
理光さんの冷たい唇が耳元に触れ、低く、危険な声で囁く。
「動けば、片腕どころじゃ済まないぞ」
運転手が車に乗り込み、車内の惨状など目に入らぬかのように前を見据えた。
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