失われた記憶の先で、もう一度君と恋に落ちる。聖夜の教会で始まる、切ない恋物語。

久遠翠

文字の大きさ
11 / 15

第10話「綴られた時間」

しおりを挟む
 湊さんから受け取った十五冊の日記を抱え、私は逃げるように自分の部屋に戻ってきた。ドアに鍵をかけ、その場にずるずると座り込む。紙袋の重みが、彼の過ごしてきた十五年という時間の重さのように感じられた。

 心臓が、早鐘のように鳴っている。これを読んでしまったら、私はもう後戻りできなくなる。真実を知ってしまう。それが怖かった。でも、読まなければならない。彼の十五年ぶんの告白から、もう目を逸らすことは許されないのだ。

 震える手で、一番上にあるノートを手に取った。表紙にはマジックで大きく『1』と書かれている。最初の一冊。

 ゆっくりと、ページを開く。そこには子供らしい、少し拙い丸文字が並んでいた。

『十二月二十五日。きょう、しずくはこなかった。びょういんにいるって、おばさんからきいた。あたまをうって、おれのこと、わすれちゃったんだって。すごく、すごくかなしい。おれが、いじわるを言ったからだ。ボールを追いかけるきっかけを作ったからだ。ごめん。ごめんね、しずく。でも、おれはやくそくをおぼえてる。
『まいとしクリスマスのよる、このきょうかいであおうね』って。だから、おれはまってる。しずくがぜんぶわすれても、おれがぜんぶおぼえてるから。だから、はやくげんきになって。』

 一ページ目を読んだだけで、涙がぼろぼろとこぼれ落ちた。幼い湊くんの悲痛な叫びが聞こえるようだった。彼は自分のせいだと思っていたのだ。私が事故に遭ったことを。違うのに。悪いのは、道路に飛び出した私なのに。

 ページをめくる手が止まらない。

 二冊目、三冊目と読み進めていく。文字は少しずつ大人びていき、内容は日々の出来事や学校でのこと、そして必ず、私のことが綴られていた。

『中学二年。今日、街で偶然雫を見かけた。友達と笑っていて、元気そうだった。声をかけたかったけど、俺のことなんて覚えてないだろうから、できなかった。でも、元気でいてくれてよかった。』

『高校三年。進路を決めた。建築家になる。いつか、雫と住む家を俺が設計するんだ。その日が来ることを信じて、頑張る。』

『大学四年。設計事務所への就職が決まった。クリスマスの夜、今年も教会に行った。もちろん、雫は来なかった。わかっているけど、毎年少しだけ期待してしまう。馬鹿だよな、俺。』

 そこには、私が全く知らなかった湊さんの十五年間があった。私が友達と笑い、部活に打ち込み、恋に悩み、平凡な毎日を送っていたその裏で、彼はたった一人、遠い日の約束を胸に抱いて私を想い続けてくれていたのだ。

 胸が、張り裂けそうだった。嬉しさ、切なさ、申し訳なさ。様々な感情がごちゃ混ぜになり、涙となって溢れ出す。

 私は、なんて愚かだったんだろう。彼が何かを隠していると疑い、彼を傷つけ、一人で苦しんでいた。でも、本当に苦しかったのは彼の方だったのだ。真実を言えないまま記憶のない私に寄り添い、どれほど辛い思いをしてきただろう。

 日記は、後半に進むにつれて私との再会後の喜びで満ちていた。

『二十四年目のクリスマス。奇跡が起きた。雫が、俺に声をかけてくれた。夢みたいだ。覚えてはいなかったけど、それでもいい。もう一度、ゼロから始められる。神様、ありがとう。』

『雫と、恋人になった。十五年間、ずっと夢見てきたことが現実になった。この幸せが壊れないように、大切にしたい。彼女が記憶を取り戻すのが怖い、と思ってしまう俺を許してほしい。』

 彼の喜び、葛藤、そして深い愛情。そのすべてが、インクの染み一つ一つから痛いほど伝わってくる。

 私は、なんて大きな愛に包まれていたのだろう。そのことに、今まで気づかずにいた。

 最後の一冊、十五冊目のノートは、まだほとんどが白紙だった。最後のページに、震えるような文字でこう書かれていた。

『雫、もしこれを読んでいるなら、俺は君に別れを告げられた後なんだろうな。それでいい。君が苦しむくらいなら、俺は一人でいることを選ぶ。でも、これだけは信じてほしい。君を愛している。あの日から、今この瞬間まで、そして、これからもずっと。』

 もう、涙は出なかった。ただ、言いようのないほどの愛おしさが胸いっぱいに広がっていく。

 失われた記憶が、パズルのピースがはまるように次々とはまっていく。

 陽だまりの中で笑う湊くん。シロツメクサの花冠。霞草の花束。『大きくなったら、お嫁さんにしてあげる』という彼の言葉。そして、事故の直前に交わした、小指の約束。

『―――毎年十二月二十五日の夜に、この教会で会おう。そして、二十五歳になった年のクリスマスに、お互いがまだ想い合っていたら、結婚しよう』

 そうだ。思い出した。全部、思い出した。

 私は、湊くんが大好きだった。ずっと、ずっと大好きだったんだ。

 時計を見ると、針は夜の十一時を指していた。窓の外では、いつの間にか雪が降り始めている。

 今日は、十二月二十四日。クリスマスイブ。

 そして、明日は―――約束の、二十五歳のクリスマス。

 私は立ち上がった。もう迷いはない。行かなければ。彼の元へ。

「待ってて、湊くん」

 十五年ぶんの想いを伝えるために。そして、約束を果たすために。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

婚約者が記憶喪失になりました。

ねーさん
恋愛
 平凡な子爵令嬢のセシリアは、「氷の彫刻」と呼ばれる無愛想で冷徹な公爵家の嫡男シルベストと恋に落ちた。  二人が婚約してしばらく経ったある日、シルベストが馬車の事故に遭ってしまう。 「キミは誰だ?」  目を覚ましたシルベストは三年分の記憶を失っていた。  それはつまりセシリアとの出会いからの全てが無かった事になったという事だった─── 注:1、2話のエピソードは時系列順ではありません

身を引いたのに、皇帝からの溺愛が止まりません ~秘された珠の還る場所~

ささゆき細雪
恋愛
五年前、内乱の混乱のなかで姿を消した最愛の妃・白瑤華(はくようか)。 彼女を失った皇帝・景玄耀(けいげんよう)は、その後ただ一人を想い続けながら執務に追われていた。そんなある日、書類に彼女の名前を発見し、居ても立っても居られなくなる。 ――死んだはずの彼女が、生きている? 同姓同名かもしれないが確かめずにいられなくなった彼は地方巡察を決行。そこで、彼によく似た幼子とともに彼女と再会、地方官吏として働く瑤華と、珠児(しゅじ)を見て、皇帝は決意する――もう二度と、逃がさないと。 「今さら、逃げ道があると思うなよ」 瑤華を玄耀は責めずに、待ちの姿勢で包み込み、囲い込んでいく。 秘された皇子と、選び直した愛。 三人で食卓を囲む幸福が、国をも動かすことになるなんて――?    * * * 後宮から逃げ出して身を引いたのに、皇帝の溺愛は止まらない――これはそんな、中華風異世界ロマンス。

(完結)婚約者の勇者に忘れられた王女様――行方不明になった勇者は妻と子供を伴い戻って来た

青空一夏
恋愛
私はジョージア王国の王女でレイラ・ジョージア。護衛騎士のアルフィーは私の憧れの男性だった。彼はローガンナ男爵家の三男で到底私とは結婚できる身分ではない。 それでも私は彼にお嫁さんにしてほしいと告白し勇者になってくれるようにお願いした。勇者は望めば王女とも婚姻できるからだ。 彼は私の為に勇者になり私と婚約。その後、魔物討伐に向かった。 ところが彼は行方不明となりおよそ2年後やっと戻って来た。しかし、彼の横には子供を抱いた見知らぬ女性が立っており・・・・・・ ハッピーエンドではない悲恋になるかもしれません。もやもやエンドの追記あり。ちょっとしたざまぁになっています。

【完結】そんなに嫌いなら婚約破棄して下さい! と口にした後、婚約者が記憶喪失になりまして

Rohdea
恋愛
──ある日、婚約者が記憶喪失になりました。 伯爵令嬢のアリーチェには、幼い頃からの想い人でもある婚約者のエドワードがいる。 幼馴染でもある彼は、ある日を境に無口で無愛想な人に変わってしまっていた。 素っ気無い態度を取られても一途にエドワードを想ってきたアリーチェだったけど、 ある日、つい心にも無い言葉……婚約破棄を口走ってしまう。 だけど、その事を謝る前にエドワードが事故にあってしまい、目を覚ました彼はこれまでの記憶を全て失っていた。 記憶を失ったエドワードは、まるで昔の彼に戻ったかのように優しく、 また婚約者のアリーチェを一途に愛してくれるようになったけど──…… そしてある日、一人の女性がエドワードを訪ねて来る。 ※婚約者をざまぁする話ではありません ※2022.1.1 “謎の女”が登場したのでタグ追加しました

忘れ去られた婚約者

かべうち右近
恋愛
『僕はレベッカしか選ばない』 甘い声音でそう話したはずの王太子サイラスは、レベッカを忘れてしまった。 レベッカは、王太子サイラスと付き合っていることを、ある事情により隠していた。舞踏会で関係を公表し、婚約者に指名される予定だったのに、舞踊会の夜にサイラスは薬を盛られて倒れ、記憶喪失になってしまう。 恋人が誰なのかわからないのをいいことに、偽の恋人が次々と名乗りをあげ王太子の婚約者の座を狙ってくる。おかげで不信に陥ったサイラスに、レベッカは自分が恋人だと名乗り出せなくなってしまった。 サイラスの記憶喪失を解消するため、薬師兼魔女であるレベッカは恋人であることを隠しながら、事件調査を協力することになった。そうして記憶が戻らないまま二人の距離は再び近づいていく。だが、そんなおりにサイラスの偽の恋人を名乗りでた令嬢たちが、次々と襲われる事件も起き始めて……!? ※他のサイトにも掲載しています。 毎日更新です。

記憶を失くした悪役令嬢~私に婚約者なんておりましたでしょうか~

Blue
恋愛
マッツォレーラ侯爵の娘、エレオノーラ・マッツォレーラは、第一王子の婚約者。しかし、その婚約者を奪った男爵令嬢を助けようとして今正に、階段から二人まとめて落ちようとしていた。 走馬灯のように、第一王子との思い出を思い出す彼女は、強い衝撃と共に意識を失ったのだった。

この度娘が結婚する事になりました。女手一つ、なんとか親としての務めを果たし終えたと思っていたら騎士上がりの年下侯爵様に見初められました。

毒島かすみ
恋愛
真実の愛を見つけたと、夫に離婚を突きつけられた主人公エミリアは娘と共に貧しい生活を強いられながらも、自分達の幸せの為に道を切り開き、幸せを掴んでいく物語です。

女王は若き美貌の夫に離婚を申し出る

小西あまね
恋愛
「喜べ!やっと離婚できそうだぞ!」「……は?」 政略結婚して9年目、32歳の女王陛下は22歳の王配陛下に笑顔で告げた。 9年前の約束を叶えるために……。 豪胆果断だがどこか天然な女王と、彼女を敬愛してやまない美貌の若き王配のすれ違い離婚騒動。 「月と雪と温泉と ~幼馴染みの天然王子と最強魔術師~」の王子の姉の話ですが、独立した話で、作風も違います。 本作は小説家になろうにも投稿しています。

処理中です...