卯の花の門に

まーくん

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 二人は水族館の入口前で待ち合わせた。
 入口と言っても、門があるわけでも壁があるわけでもない。
 生い茂る木々の中にある林道である。

 国民情報は登録されており、脳波をキーとして、身分に合わせた国内の移動、公共施設への立ち入りは許可されている。セキュリティレベルはそれぞれ設定されているが、水族館などの施設は基本的に誰でも利用可能と考えてよい。
 西洋の一部の国のように、警備員に声をかけられるなどということは、この国ではない。
 完全なセキュリティがありながら、わざわざ兵士が門番を務めるということもない。


 彼女が約束時間の三十分前に到着していたことには気付いていた。
 クロの脳内には、彼女がその場所で待機しはじめたときから情報が伝わっている。

 ずいぶん早いと思う。
 確かに誘った側が遅刻をするのは人間性を疑う行為だが、アオイでは、わざと相手を怒らせたり、怒ったふりをしたりするのが恋愛の醍醐味とされている。

 めんどくせー

 クロはそんな風潮を面倒だと思っていた。
 自分には、両親のような気軽な男女の関係が好ましく思える。
 いつまで経っても友達夫婦だ。

 林道を進み、その姿が視認できる距離まで近づいたとき、まっすぐとこちらを見つめて立っている少女がいた。

 アオイの国民には、三十分の精神的負担は大きい。他国の数倍の生産性を持つこの国では、時間がとても貴重だ。反面、肉体は三十時間立ちっぱなしでも疲労を感じることはない。そのように調整済みだ。

 だから、クロは彼女の体の負担は気にしていない。

 三十分も待って退屈じゃないのかなーとは思う。

 ナビ端末を持ってくると言ってたから、なんらかのインフォメーションに接続したり、読書なりしているものと思ったが、そんなことはないようであった。

 ただ、青い瞳は、クロが歩いてくる林道をまっすぐに見つめていたのだ。

 ちょっと重く感じたり、怖いと思ったが、林の中にたたずむ美女は、それだけで絵になる存在だった。

 存在がシンフォニーだ。言葉をあれやこれやと選択しなくても、そこにいるだけで複雑な美を調和したように感じられる。

 でも、それを敢えて言語化するのが男であり大人なのかなと思う。

 自分には無理だ。
 粋と無粋の境目がわからない。

 当たり前ではあるが、彼女は学生服姿ではなかった。

 ミニスカートの印象が強烈に残っていたが、よくよく思い返せば、講義中あまり彼女を意識していなかったことに気付く。
 同級生に白人女性がいることはもちろん理解していたが、注意を払ったことはなかったのだ。

 『いるな~』くらいの感覚だ。

「待たせたね」
「時間ぴったりです」

 腰の高さが違うふたりは、そう言い合った。

 クロも、ちょっとは平常時のように会話できている。

 この一週間、けっこう無意識層通信を使用して会話したし、電脳空間でも会っていたからだ。

 自然な流れで電脳空間に誘えたと思うけど、実際は、『女性慣れのために訓練だ』と言い聞かせて自分を奮い立たせなければ、そんな大胆な行動はできなかっただろう。

 こんな気持ち、彼女にバレてないかな。と、ちょっとだけ焦りもある。ちょっとだけね。

 彼女がどの程度男性慣れしているかはわからないけど、無愛想なのは電脳空間でも変わらずだった。

 実際に今も無表情だ。
 でもシンフォニーな存在は、それでもいいんだよと思わせる説得力を持っている。

 いや、よくない。

 俺は姿形には惑わされないぞと決意したつもりだけど、自分でも強がっていると気付いた。

 彼女は白いTシャツとデニムパンツ姿であった。
 脚が長いのでデニムパンツはすごく決まって見えるし、Tシャツは清潔感があっていいと思う。

 ただ、やっぱり胸が大きすぎるので、そこがアンバランスには見える。

「変ですか?」

 マルガレーテは少し体をひねる。

 しまった。凝視してしまっていた。
 これは俺が悪いな。

「ごめん……」

 クロは不用意にじろじろ見てしまったことを謝罪した。
 彼女は両手に持っていた鞄から右手だけを離し、少し顔をそらして言った。

「いやでした?」

 彼女の言葉に、クロは不機嫌になり、言葉を無くしてしまった。

 他人のファッションに嫌だとか感じることはない。
 むしろそのように思われることが心外である。

 謝罪したのに。

「えっと、私、ドレッシングルームで着替えてきます」

 マルガレーテはそう言ってその場を離れようとした。
 テクティル(変形素材衣料)が苦手なのか、家族に服飾担当がいないのか、ドレッシングルームで別の服を転送(もしくは生成)をして着替えてくるというのだ。

 でも、クロはそれを止める。
 彼女の反応に機嫌を損ねてしまいはしたが、悪いのは自分であると自覚していたから。

「そんなこと言わないで。俺が不躾だった」

 彼女の行動が余計に惨めになると、クロはマルガレーテの左手首を掴んで留めたのだ。

「スカートの印象があったからちょっと驚いただけで嫌とかじゃないし。むしろ清潔感があって好印象だよ」

 マルガレーテは俯いて頬を染めた。白い肌だから余計に目立つ。
 白い水彩の上に赤が一滴落とされたようだ。じわっと紅色に広がる。

「あ、ごめん」

 クロは彼女の手首を離した。

「普段は、こういうかっこうなんです……」

 なるほどと思う。
 確かにこういうカジュアルスタイルは外国人らしいとは思う。
 根拠のないただのイメージだけど。

「えっと、じゃあ行こうか」

 間が持たせられず、クロは林道を進み始めた。
 言葉なく頷いた彼女も、一緒になって歩き始める。

 やがて、彼らの元に小型カーゴが派遣されてやってきた。
 自動運転された来客用のものである。
 脳波信号からクロの身元は水族館の管理システムには知らされており、敷地内に入ると同時に、送迎用としてカーゴが動作したのだ。

 内部は非常に簡素で、ラブソファが向かい合って並んでいるだけであった。
 二人組ということで、このタイプが選ばれたのであろう。
 アオイの人間は、その気になれば時速五十キロメートル程度の速度で走り続けることが可能ではある。とはいえ、わざわざデートで並んで走る必要もない。

 毎日無意識層通信で会話していたとはいえ、一週間ぶりに顔を合わせるのである。
 クロはこの三十分の会話で、ずいぶん二人の距離が縮んでいたことに気付いた。
 毎日会話していたのだから、当然ではある。

 ふたつのソファに向かい合って座っている。
 でも、『横にこないかい?』なんて言えるはずもない。
 距離が縮まったとはいえ、触れて良いわけではない。
 手探りは慎重でなければ、大失敗することは火を見るより明らかだ。

 真正面にマルガレーテの顔を見る。

 確かに整っている。

 明るいブロンドの髪。ちょっと長めかも。波打っていて、それがこの冷たい美人の印象を多少和らげる効果があるような気がする。

 美人だけではない。少しあどけなさも残る。

 とはいえ、彼女も自分と同じく学生の身だ。少しくらい幼さがあってもおかしくはない。

 しかし、長い手足と大きな胸が、そのような幼さを打ち消している。

 妙な色気も感じさせられるし、女の子の方が早熟って本当だなと思う。
 そしてなんと言っても目である。
 ぱっちりと開いた目の中に、青い瞳がある。
 まるで大きく咲いた花のように感じた。

 なんと形容すればいいのか。
 『アサガオ』か? いや、季節が違うな。

 無理。俺には無理。

 なんてクロは葛藤していたが、それでも車内で向かい合いながら、二人は打ち解けて話ができた。




 施設内情報は、すでに二人の脳内に入力されている。
 それを踏まえて、クロはどのような気持ちを持っているのか、どうして今までここを訪れなかったのか。など、落ち着いて話した。

 マルガレーテも、この水族館でどのようなものを見たいのか、なにを楽しみにしているのかを語る。

 普段は口数が少なく割と心開くまで時間のかかる二人ではあるが、思ったよりもすらすらと言葉が出てきている気がした。

 ゆっくりと進むカーゴで移動すること三十分。二人は水族館に到着した。
 体感では、あっという間だった。三十分の精神的負担はなかった。




 水族館では、まず職員による解説を受けた。

 電脳空間に接続して地球の環境の変化を追体験する。
 眼下に広がる地球。数億年が数秒で流れていく。

 やがて人類の歴史がはじまり、産業の発展と環境汚染にテーマが移る。

 このあたりからマルガレーテは活発に質問するようになった。

 こういうのに興味があるのかな? とクロは思う。

 だけど、クロにはまったく響かない話題だ。

 なぜなら、現在の海洋を含む地球環境は、四百年前にリセットされているからだ。

 具体的に言うならば、地球の自然環境は、四百年前に、約千年前の機械化生産元年以前に“戻されて”いる。

 アカデミアは、この事実を認めながら、それ以上は追求しないという姿勢に見える。

 クロにはこのことの方が興味深い。
 科学への飽くなき探究心を持つ人類が、それ以上踏み込まない領域を持つことへの疑問と興味である。

 人類の海洋汚染の歴史を学び、同じ過ちを繰り返さないという考え。マルガレーテの考えや、人類が共有すべき課題は理解できる。

 しかし、再び海が毒の液体と言われるまで汚染されたとしても、『また“リセット”すればいいじゃん』といったシニカルな感情。けっきょくは止められないのだという諦めの気持ちがわき上がるのだ。

 人間の欲望は加速していくばかりで、やがて手に負えなくなるというのが、クロの心情である。
 そういう意味では、アオイ国は四百年うまく立ち回っていると思う。
 理性と知性で欲望のパンデミックを最小限に食い止めている。
 これを実現しているのが、氏族うじぞくという枠組みであり、“システム”なのかもしれない。

 システムとは、法を作り、法に従うことだけではない。人間の営み、繋がりなのだ。
 誰もが産まれながらにシステムに組み込まれていて、逃れることはできない。
 自分は部品である。
 部品単体では動作不可能なのだ。

 マルガレーテが、積極的に、海洋汚染による影響の範囲拡大について質問している横で、クロはそんなことを考えていた。

 自分の足下に広がる地球は、四十五億年の時間を超えて四百年前の直前で消えた。

 人類の歴史が招いた悲惨な現実を、海の変化を通じて学べたのだ。
 そして、覆い隠したのだった。




 楽しんでいる。

 クロの感想である。

 電脳空間での説明を終えて、二人はディスカッションを行った。
 少しマルガレーテが饒舌になっている気がして、微笑ましく思った。
 そのあとは定番コースの水槽だ。

 池か湖か。途方もないほど大きな水槽の水底通路を、二人で並んで歩く。
 いくつか用意されているデータスポットに入ると、水質や水温、その場所の生態について、情報が頭に流れ込んでくる。
 この環境の意図。地球のどのあたりの海をシミュレートしているのか。

 マルガレーテは大きな声を出したりはしない。
 でも、頭の上を通り過ぎる魚の群れに何度か心を奪われている様子が見えた。

「アオイの暖流が」と言いかけて、彼女は言葉を止める。
 横を歩くクロと視線が合ったからだ。

「退屈ですか?」

 ちょっとだけ顔を赤らめながら、ちょっとだけ心配そうな顔でちょっとだけ問いかけてきた。

「予想以上に楽しめてるよ」

 クロは自然に笑えた。
 女の子と二人で出かけるなんて面倒だなって思っていたはずなのに、こうして並んで歩くことに、いつの間にか窮屈さは感じなくなっている。

 水族館見学だなんて、いままで意識したこともなかったけど、いざまわってみると、知的好奇心をくすぐられることばかりで刺激的だ。

「はい……」

 マルガレーテも同意の言葉を発した。

「いつでも来られるもんだと考えていたら、いつまでも来ることがないものなんだなと思い知らされたよ」
「人間心理ですね」
「だから、今日誘ってもらえて嬉しい。ありがとう」

 行動にはきっかけが必要なのだという改めての気付き。
 かっこつけの言葉ではない。だから、普段ちょっと斜に構えていたクロも素直に言えたのだ。

 デートというのは大いなる動機付けになる。
 人間関係を進めるきっかけだ。
 マルガレーテは、クロの素直な言葉を聞いて顔を背けてしまった……
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