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しおりを挟むふたりは、鏡のように光を反射する巨大な建物の外にある、地平線が見えるほどの小さな公園のベンチに腰掛けて、仲良しこよしで昼食をとっていた。
マルガレーテがサンドイッチを作ってきてくれたのだ。
大きな大きな小さな小さなベンチにふたりっきり。
夜にいっぱい交わした会話の中で、苦手な食べ物はないかを聞かれたりもしたが、ただのなにげない学生同士の会話と思っていた。
意味はないけど何が好き?みたいな。
そもそもフェムト技術で肉体管理されているアオイ国民は、好みはあっても苦手な食べ物はない。
その気になれば、光と空気だけでしばらく活動が可能だ。
サンドイッチの具材の種類は多めではあったが、量は少なめで、意外と軽いものばかりだった。
『次は俺がカツサンドという重量級最終兵器を作ってあげようか』と、クロは考えたりしたりした。
わりとソースの味には自信がある。
「来てよかった」
クロがそう呟くと、マルガレーテはまたしても目を伏せた。
履き慣れたブーツが彼女の視界に入る。
昨夜、『この国の人はブーツの手入れとかしないのかな?』と思いながら手入れしたブーツ。
嫌われたくなかったから……
嫌われたくない一心で服を選んだし、ブーツも磨いた。
けっきょく、どれも違うように感じて、ふだん着ているものを選ぶしかなかった。
背伸びなんてしても、彼には見破られてしまう。
「はい……」
クロのうっかり漏れた本音に彼女も同意した。
顔が熱くなる。
ぐっと表情を硬くした。笑顔なんて見せられない。
実はずっとドッキドキなのがバレちゃうだろうから。
ブーツで視界をいっぱいにしなくちゃ。
と、思う。
彼を見てしまったら、もっと顔が熱を帯びそうだから。
と、思う。
でも、クロはというと、自分の横に座る美女を見て考え込んでいた。
彼女の努力とかに、ぜんぜん意識が向いていない。
だから考え込んでいた。
いったい自分のどこに特別ななにかがあるのだろうか、と。
兄と慕う、家族の中の、自分が所属する世代のリーダーである男からは、『言葉を額面通り受け取るな』とか、『愛情は、信頼の後にやってくる。信頼の前に来た愛情は、暴風だ』なんて忠告を受けている。
男女の仲もエンタメ化してるし、今やこの国は人間関係にも物語性を必要としているのだからというのが理由だ。
夢も希望もない言葉だが、兄は弟や妹たちに現実を教えて、足下をすくわれるなと説いていたのだ。
現代は家族の論理が優先され、愛は本気ではないという現実だ。
現代人は器用に振る舞う嗜みを求められる。
例えば、人を陥れて、他の一族を弱体化させるのも、また雅とされるのだと言う。
わかったようなわからないようなである。
そういうのが精神的贅沢なのかと納得はできないけど理解はできた。
異性と寝ることが目標なのではなく、それまでにどのような会話があったのかが必要とされている時代なのだ。
そんな意味で、経験不足の自分ではあるが、隣に座る美女はどうやら俺に好意があるらしい。
そうでなければこんなストレートな愛情表現はしないだろうし、まっすぐな搦め手(?)とかだったら、それこそ理解不能で、なにがなんだかだ。
冷静に考えて、俺を惑わせて得られるものなどない。
新島氏の傍流の傍流。瑞樹の中でも下から数えた方が早いくらいの家格の小倅だ。
女の性を使って俺を意のままに動かせたとしても、たいしたことなんてできやしない。
摩訶不思議だ。
「じゃあ、次行こうか」
サンドイッチを食べて、クロは立ち上がった。
水筒のお茶は、なんだか薄味だったけど、これが彼女の家の味だと思うことにした。
香りを楽しむことはできたからリラックス効果はあったと感じる。
続いて立ち上がった彼女の右手を、彼は自然と握ることができた。
これが手探りで測る距離感なのかもね。
その夜、クロは地元に帰った。
二週間ぶりの自宅で、彼はベッドに倒れ込んで頭を抱えた。
ふ、普通のデートをしてしまったじゃないか!!
それでいいけど、それじゃダメかも。
やがて彼女から手紙が届いた。
『また会いたい』
そのように綴られていた。
わざわざ便せんに、手書きの想いが込められている。
移住してきたとはいえ、やっぱりこの国の人間なんだな~と感じた。
開けた窓から流れ込んだ風と同じように情緒を覚えた。
二ヶ月後。
二回目のデートは、彼から出向いた。
それが公平だと思ったから。
彼女の地元である新島氏の移住者地区に。
エアポーターで音速を超えて会いに行く。
毎晩無意識層通信で話をたっぷりしてるのに、なんか直接会わなくては理解できないことがあるように思うような気もあることもあったりしたりするかもしれなかったりしたりしなかったり。
大人になって、利益を追求する行動の中にはない非合理性かもしれない。
今だけ許されるのか。
それが雅なのか? いや、本当に?
よくわからないけど、たぶん正解。
二人は空港で合流して、そのまま共用カーゴに乗って移動する。
専用車を遠慮する必要はない。快適な移動も保証されている。
それが、この国で生きる国民が、持って生まれた権利だ。
だがふたりは敢えて共用カーゴに乗った。
学生同士の未熟な交際に、なにかを付け加えたいという気持ちからだ。
多くの見知らぬ人と、ひとときだけでも一緒の時間を共有するということが思い出になる気がしたから。
誰もが専用車を呼んで使用することができる世界で、共有車両を使用する人は、みんなそんな気持ちがあるに違いない。
なんのことはない。共用カーゴに乗る人は、人がそこにいるという意識を共有する本能的な帰属意識を満たしているだけに過ぎないとも言える。
それでも乗り合わせたのは、二人を除いて数人だけだった。
いまや、この国では出会いも奇跡なのかもしれない。
共用カーゴを降りた二人は、海が見える公園をひとまわりしてマルガレーテがよく利用するというカフェでお茶をした。
なんか彼女はめちゃ濃いコーヒー飲んでるし。
薄味が好みじゃなかったんかーいって感じ。
今回はクロが気をつけた。
普段はファッションとか気にしたことはないというのにである。
どうせ一族の中のデザイナーが家格に合わせた服を設計してくれるし、コーディネイトも考えてくれる。
それが“大きな家”で生きるというルールで、エコシステムだ。
生産者と消費者の顔を使い分けて支え合っている。
多分、このエコシステムがあれば、天地がひっくり返るくらいのこと、それこそ四百年前の大崩壊レベルのことがない限り、今の生活水準は子孫に受け継がれていくだろう。
それなのにクロはデザイナーに無理を言って、Tシャツとデニムパンツを用意してもらった。あと、ブーツね。
こんな下級階級の子供のわがままでシステムが揺らぐわけもなく、デザイナーは喜んでリクエストに応えてくれた。
むしろノリノリで用意してくれた。『女だな……』と直感が働いたのだ。流石である。
でも、そんなときに限ってうまくいかないもので、この日に限ってマルガレーテはスカートを履いていた。
そんなすれ違いも自然だよねとクロは愉快になる。
いまの自然てところ、『ありのまま』って読んでね。
自然とは、人間らしいということであり、生まれて死ぬだけの機械ではないという意味だ。
カフェの椅子でお尻に押しつけられておとなしくなっているフレアスカートは、海岸線を散歩している最中は、ふわってして、とても愛らしく感じた。
ノイゲシュタルトのブームはもう百年も前のことだ。
そんな時代の自分が見ても器量よしの少女だ。(美男美女が当たり前となったことから、個性を大切にする時代に移り変わったというのに、それでも息をのむほどの美貌を感じるという意味ね)
お茶を少し飲んでようやく落ち着いてくる。
同化政策によって移住してきた人の居住区は、同じ国内なのに、なんだか違う趣があるように感じる。
同じ法に沿って造られているはずなのに、どこか、建築の癖のようなものが違って感じられた。
もちろん国内であることに変わりはない。
犯罪率はほぼゼロだ。小さないざこざがあるくらいである。
その後、ふたりは楽しく一日を過ごした。
会話は弾み、無表情の彼女を笑わせることにも成功した。森を散歩していて発見した面白い並びの木々の情報も共有した。
黄金比に当てはまる、海がすごく綺麗に見える丘の場所も共有した。
もう二人にぎこちなさはない。
自然と手を繋いで歩いた。
そして夕方、クロは共用カーゴの停留所で、マルガレーテと別れることにした。
わざわざ空港まで見送りにきてもらうこともない。帰りも面倒だろうし。
でもマルガレーテはむくれていた。
一秒でも一緒にいたいと思っているから。
「一秒でも一緒にいたいのに……」
はい。言った。
抗議の言葉。
「家に着いたらすぐに繋ぐから」
クロはそう言ってマルガレーテをなだめたが、彼女は突然クロに抱きついた。
通りかかった老婦人が、それを見て『あらあら』と言う。
そんな風呂場のように見守ってもらえるくらい大人ではない。責任がとれない。
冷蔵庫くらいの厳しさが適切な若者ではないか。
まだ手を繋ぐくらいで駒を留めておくべきではないだろうか。
いや、どうだろうか。そうだろうか。
本当に?
彼女の手札はすべてオープンされている。自分が赤いハートを選べばそこで終わる話だ。
クロは驚いたが、当然嫌ではなかった。
嬉しかった。
レーストリムブラウスの中の大きな膨らみが、なんだか彼女自身との距離を感じさせたが、抱きしめられただけで気持ちよかった。
彼女はどう感じているのだろうか。
この脈拍を共有できているのだろうか。
彼女を連れ去りたいという衝動はない。
冷蔵庫くらいのポジションが学生なのだと考えているから。
クロは彼女の頭をなでると(身長同じなんですけど!)、そのまま体を引き剥がしてカーゴに乗り込んだ。
扉が閉まると、全面モニターシステムが動作して、金属製ドアが彼ら男女の間にあるはずなのに、お互いの姿が目の前に映し出される。
手を振る。
彼女も手を振り返す。
涙が浮かんでいるように見えた。
複雑な気分だ。
泣いちゃうくらい悲しいのであれば、同じ歳の男なんて意識しなければよかったのに。
クロはそう思ったのだが、
問題は自分自身の気持ちであると思うに至った。
いや、俺だ。
俺のほうだ。
こんな女性を喜ばせる仕草のひとつもできない男を選ばなければよかったのに。
お互いに『好き』とか言ってない。
言葉にして理解を深めていかなければならないのに、態度が先行してしまっている。
あ~、兄貴になんて言おう。
彼の憂鬱の種が生まれた。
忠告をもらっていたのに、だ。
『文学少年だけど、駆引きの前に性能差で負けていたよ』とか?
『身体が、理屈より先に走り出した』とか?
そんな言い訳を並べれば、自分を納得させられるのだろうか。
種はいつか発芽する。
あわれなり
咲くのは課題か、あるいは花か。
あわれなり。
クロ少年の、遊びではないゲームは続く。
家に帰って、クロはベッドに倒れ込んだ。
頭を抱え込む。
あああ~、いつの間にか惚れてしまっていた!!
なんか恋に落ちたらベルが鳴ると思っていたのに、その瞬間を聞き逃してしまっていた。
やり直しを要求したい。
あの日。声をかけられた日。
確かに俺は『めんどくせー』って思っていたはずなのに。
それなのに、気付けば、自分の意志でテーブルに座っていた。
手元のカードは、すべて赤。
アクション待ちなのか。それすらもわからない。
ふしぎなり。
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