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喉元過ぎれば熱さを忘れる人々
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三國の和平協議という歴史的快挙の報は、瞬く間に大陸中を駆け巡った。
サザン王国の鉄壁の防御力と、それを操る王太子ウィリアムの知略。彼の思惑通りかはさておき、諸外国にとってサザン王国は「絶対に敵に回してはならない国」として、その名を深く刻み込むこととなったのである。
ウィリアムは、国を守り抜いた辺境伯とその騎士団に対し、異例とも言える莫大な褒美を弾んだ。それは金銭だけでなく、領地の免税や最新設備への投資も含まれており、さらなる国防の強化を期待してのことだった。
一方、喉元を過ぎて熱さを忘れたサザンの貴族たちは、危機を脱した途端、まるで何事もなかったかのように図々しい日常へと戻っていた。
「殿下、此度の経験を活かし、さらなる軍事費の拡大と常備軍の増強を早急に進めねばなりませんな。やはり力こそが正義です!」
議場に響く厚顔無恥な進言。ウィリアムの側近アンドリューは、親子ほど年の離れた貴族たちの顔を、隠しきれない情けなさと軽蔑の眼差しで眺めていた。
⋯つい先日まで、震える膝を押さえて降伏を叫んでいたのはどこのどいつだ
と、喉まで出かかった言葉を飲み込む。
ウィリアムはそんな雑音など最初から耳に入れる様子もなく、手元の書類をめくりながら次季の予備費について淡々と話し始めた。
「来期の予算だが、大幅に薬草の開発へと回すことにする。皆も、此度の戦でこの薬草がどれほど多くの兵の命を救い、戦線を維持させたか、その目で思い知らされただろう? すべてはパーカー伯爵の執念と功績によるものだね」
にこやかに笑うウィリアム。だが、貴族たちは一様に眉間にシワを寄せた。彼らにとって、戦果とは派手な剣戟や新種の魔導兵器であってほしかったのだ。
「……あんな道端に生えているような雑草ごときに、国家の予算をつぎ込むなど正気か」
「パーカー伯爵のような落ちぶれ貴族に、またもや甘い汁を吸わせるとは」
議会が閉幕すると、彼らはぞろぞろと退席しながら、あちこちで愚痴を吐き出した。その醜い光景を、ミハエルは神妙な面持ちで、独り静かに眺めていた。弟が見ている世界と、この貴族たちが見ている世界の絶望的な差。ミハエルの心は、今も晴れぬままであった。
その夜、辺境伯の功績を祝う夜会が王宮で盛大に執り行われた。主役である辺境伯が現れると、会場には小さなどよめきが起こった。
北の荒野で野蛮な敵を相手にしていた男とは思えぬほど、その線は細く、洗練された立ち振る舞いは、一見するとどこか遠い国の王子様のように見えたからだ。
「アル、見て。辺境伯様、まるで物語に出てくる王子様のようだわ」
壁際で夜会を眺めていたヴィクトリアが、側近のアルフレッドに声をかけた。アルフレッドは呆れたように眉を上げ、主君の顔を覗き込む。
「おや? 妃殿下、もしや忘れておられた『嫁取り』ですか? 独身で有望な貴族をチームヴィクトリアに引き入れるという例の計画」
「そうね、そうだったわ……」
ヴィクトリアは真剣な顔で、頭の中に「有能な駒リスト」を並べて思考を巡らせ始めた。だが、その夢想はすぐに遮られる。
「妃殿下。確かも何も、貴女にはもう、世界一執念深くて有能な夫がいらっしゃいますからね?」
アルフレッドの冷ややかな指摘に、ヴィクトリアはハッとして、見る間に顔を真っ赤に染めた。
「わ、分かっているわよ! そんなこと、言われなくても!」
ここ最近のヴィクトリアは、自分でも制御しきれない変化を感じていた。常に「氷の王女」として心を武装していなければならない身でありながら、ふとした瞬間に表情が緩んでしまうのだ。
⋯ま、まずいわ。私の氷が溶けてしまっている。これでは威厳が
心の中の焦りを読み取るかのように、アルフレッドが意地悪く囁いた。
「妃殿下、まずいですよ。……あちらを」
アルフレッドの視線の先には、華やかな令嬢たちに囲まれ、いつもの完璧な笑顔で応対しているウィリアムの姿があった。かつてはミハエル派だった令嬢たちまでもが、此度の英雄的活躍を機に、すっかりウィリアムへと鞍替えしているのだ。
「殿下、今度ぜひ我が領地の特産品を……」
「まあ、ウィリアム殿下、あのような策をいつから練っておられたのですか?」
群がる蝶たちを、そつなく、しかし親しげにあしらうウィリアム。
ヴィクトリアは平静を装い、無関心を決め込もうとした。しかし、胸の奥がチクチクと痛むのを無視することはできなかった。氷が溶けた後に残ったのは、名前も知らない、ひどく不器用で熱い感情だった。
サザン王国の鉄壁の防御力と、それを操る王太子ウィリアムの知略。彼の思惑通りかはさておき、諸外国にとってサザン王国は「絶対に敵に回してはならない国」として、その名を深く刻み込むこととなったのである。
ウィリアムは、国を守り抜いた辺境伯とその騎士団に対し、異例とも言える莫大な褒美を弾んだ。それは金銭だけでなく、領地の免税や最新設備への投資も含まれており、さらなる国防の強化を期待してのことだった。
一方、喉元を過ぎて熱さを忘れたサザンの貴族たちは、危機を脱した途端、まるで何事もなかったかのように図々しい日常へと戻っていた。
「殿下、此度の経験を活かし、さらなる軍事費の拡大と常備軍の増強を早急に進めねばなりませんな。やはり力こそが正義です!」
議場に響く厚顔無恥な進言。ウィリアムの側近アンドリューは、親子ほど年の離れた貴族たちの顔を、隠しきれない情けなさと軽蔑の眼差しで眺めていた。
⋯つい先日まで、震える膝を押さえて降伏を叫んでいたのはどこのどいつだ
と、喉まで出かかった言葉を飲み込む。
ウィリアムはそんな雑音など最初から耳に入れる様子もなく、手元の書類をめくりながら次季の予備費について淡々と話し始めた。
「来期の予算だが、大幅に薬草の開発へと回すことにする。皆も、此度の戦でこの薬草がどれほど多くの兵の命を救い、戦線を維持させたか、その目で思い知らされただろう? すべてはパーカー伯爵の執念と功績によるものだね」
にこやかに笑うウィリアム。だが、貴族たちは一様に眉間にシワを寄せた。彼らにとって、戦果とは派手な剣戟や新種の魔導兵器であってほしかったのだ。
「……あんな道端に生えているような雑草ごときに、国家の予算をつぎ込むなど正気か」
「パーカー伯爵のような落ちぶれ貴族に、またもや甘い汁を吸わせるとは」
議会が閉幕すると、彼らはぞろぞろと退席しながら、あちこちで愚痴を吐き出した。その醜い光景を、ミハエルは神妙な面持ちで、独り静かに眺めていた。弟が見ている世界と、この貴族たちが見ている世界の絶望的な差。ミハエルの心は、今も晴れぬままであった。
その夜、辺境伯の功績を祝う夜会が王宮で盛大に執り行われた。主役である辺境伯が現れると、会場には小さなどよめきが起こった。
北の荒野で野蛮な敵を相手にしていた男とは思えぬほど、その線は細く、洗練された立ち振る舞いは、一見するとどこか遠い国の王子様のように見えたからだ。
「アル、見て。辺境伯様、まるで物語に出てくる王子様のようだわ」
壁際で夜会を眺めていたヴィクトリアが、側近のアルフレッドに声をかけた。アルフレッドは呆れたように眉を上げ、主君の顔を覗き込む。
「おや? 妃殿下、もしや忘れておられた『嫁取り』ですか? 独身で有望な貴族をチームヴィクトリアに引き入れるという例の計画」
「そうね、そうだったわ……」
ヴィクトリアは真剣な顔で、頭の中に「有能な駒リスト」を並べて思考を巡らせ始めた。だが、その夢想はすぐに遮られる。
「妃殿下。確かも何も、貴女にはもう、世界一執念深くて有能な夫がいらっしゃいますからね?」
アルフレッドの冷ややかな指摘に、ヴィクトリアはハッとして、見る間に顔を真っ赤に染めた。
「わ、分かっているわよ! そんなこと、言われなくても!」
ここ最近のヴィクトリアは、自分でも制御しきれない変化を感じていた。常に「氷の王女」として心を武装していなければならない身でありながら、ふとした瞬間に表情が緩んでしまうのだ。
⋯ま、まずいわ。私の氷が溶けてしまっている。これでは威厳が
心の中の焦りを読み取るかのように、アルフレッドが意地悪く囁いた。
「妃殿下、まずいですよ。……あちらを」
アルフレッドの視線の先には、華やかな令嬢たちに囲まれ、いつもの完璧な笑顔で応対しているウィリアムの姿があった。かつてはミハエル派だった令嬢たちまでもが、此度の英雄的活躍を機に、すっかりウィリアムへと鞍替えしているのだ。
「殿下、今度ぜひ我が領地の特産品を……」
「まあ、ウィリアム殿下、あのような策をいつから練っておられたのですか?」
群がる蝶たちを、そつなく、しかし親しげにあしらうウィリアム。
ヴィクトリアは平静を装い、無関心を決め込もうとした。しかし、胸の奥がチクチクと痛むのを無視することはできなかった。氷が溶けた後に残ったのは、名前も知らない、ひどく不器用で熱い感情だった。
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