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まるでちがう海の中みたいだ。七月の月浦湾にもぐった元山さんはそう思い、水中メガネの先に広がる世界に目をこらした。
梅雨や台風の影響で、海の中がいつもと違って見えているのだろうか?冷静にそう考えようとしたけれど、彼の目にはそれでは説明のつかない光景が次々に飛びこんでくる。そうでなくともこの不思議な現象は、梅雨に入る前からとっくに始まっていたのだから。
元山さんはこの日、月浦湾の近くで次々に珍しい生き物が出現している現象を取材しにやってきたテレビの撮影クルーを案内するために、一緒に海にもぐっていた。「変な生き物が網にかかった」という知らせがあるたびに漁港に行っていた元山さんだが、実際に海の中を調べてみるのははじめてだった。
まず目に入ったのは、水中をふわふわと漂う白くて丸いものだった。その数はとても多くて、まるで海の中を季節はずれの雪が舞っているみたいに見える。
元山さんはすぐに、その正体がクラゲの仲間であるサカサクラゲだと分かった。
サカサクラゲそのものは特に珍しい生き物というわけではない。けれど彼らはクラゲとしてはずい分と変わり者で、頭を海底にぴったりとつけて、イソギンチャクみたいな格好で生活していることが多い。そんなサカサクラゲがたくさん海を漂っている姿は、元山さんにとっては夏の海に雪が降るのと同じくらい奇妙な光景だった。
今度は海底の方に注目する。
そこは一目見ただけでは、特に大きな変化は感じられなかった。流れにあわせてゆらめく草原のようなアマモ場。それに豊かなサンゴ礁。鈴浜の埋め立て工事の影響でアヤイロミノリイシが絶滅してしまったのは残念だったけど、今では環境も少しずつ回復して、生き残ったサンゴたちが再び美しい景色を作り出している。
変わらない海底の様子に安心しかけた元山さんの視界のすみを、みょうに細長いものがしゅるりと通り過ぎていった。元山さんはどきりとして、急いでその方向に目を向ける。
一瞬リュウグウノツカイかと思ったけれど、よく見たらアカナマダというそっくりな魚だった。基本的には深海性でたまに浅い海にも現れるといわれているが、専門家でもめったに見ることがないすごく珍しい魚なので、くわしい生態は分かっていない。生きて泳いでいる姿を見るのは、元山さんでもこれがはじめてだった。もちろんこんな魚が月浦の海に現れるなんて、普通に考えたら絶対にありえないことだ。
(この不思議な光景をカメラに撮ってもらおう。すごく貴重な映像になるぞ)
カメラマンに合図を送ろうとしてふり向いた。しかしその時、元山さんの前に巨大な黒い影がぬっと現れる。あまりの大きさに、元山さんの視界からは太陽の光がすっかりさえぎられてしまったほどだ。
近くにいたカメラマンはその「何か」にカメラを向け続けている。元山さんも撮影をお願いすることを忘れて、その驚くべき正体をあ然としながら見つめ続けていた。
「なんだったんですか?その大きな影って」
その日の夕方。遥香はマリンパークの休憩室で、元山さんから今日の月浦湾ダイビングの結果報告を聞いていた。
「マンボウだよ。それも三メートルくらいある、ものすごくでっかいヤツ」
「えーっ!」
三メートルっていったら、遥香の身長二人ぶんはある。
そんな怪獣みたいに大きなマンボウと並んで海の中を泳ぐって、どんな気分なんだろう…遥香はその光景を思い浮かべてにやけた顔になり、泳げる人がうらやましいと思った。
「偶然にしちゃあ変な生き物があがりすぎだと思っていたけど、もぐってはっきりと分かったよ。このあたりの海で、なにかが起こっているんだ…でもその原因が分からない」
何十年も前から月浦の海にもぐり続けていた元山さんでさえ頭を抱えてしまうほど、この現象は珍しいものらしい。
「まあ、それでもテレビ局の人たちはすごいものが撮れたって喜んでたし、とりあえずは良かったってことにしようかな」
結局ここでこれ以上考えてもしかたがないとあきらめたのか、元山さんはそう言うと「ふーっ」と大きなため息をついて立ち上がった。
「それじゃ、水槽の見まわりに行ってくるよ」
「あ!それは私が行ってきますよ。大水槽のエサやりの時間だし、それに元山さんはダイビングのあとで疲れているんだし、ここでもう少し休んでてください」
「本当?それじゃあお言葉に甘えちゃおうかな」
元山さんはほっとした笑顔になって、再びイスに座った。
「しかし悪いね。ここ最近、水槽のことは遥香ちゃんばかりにまかせちゃって」
「いえいえ。私もお友達に手伝ってもらってるし、楽しんでやらせてもらってますから」
「そっか。ありがとう…しかしこうしてると、綸ちゃんがいたころを思い出すなあ」
元山さんの口から急にお母さんの名前が出てきたので、遥香はちょっとびっくりした。
「綸ちゃんもそうやって、よく俺に気をつかってくれたよ。そのぶんいなくなってからは大変に感じたし、さみしかったけど、まさか娘の遥香ちゃんが手伝ってくれるとはねえ」
「あの…私のお母さんってどんな人だったんですか?」
しみじみと語る元山さんに、遥香は思いきって質問してみた。元山さんはお父さんとはちがって、五年前を見ているような遠い目をしてすぐに話してくれた。
「綸ちゃんはね、近くの高校を卒業してからマリンパークを手伝ってくれるようになったんだよ。それからはだいぶ楽をさせてもらったなあ。綸ちゃんは教えてもないのにどんな魚のことも詳しかったし、最初から僕よりも扱いが上手だったし。そういう意味じゃあ、遥香ちゃんにすごく似ているよ」
「え!私、お母さんにそっくりですか?」
「うん。最初のころに遥香ちゃんがバックヤードで魚の世話をしているのを見ていたら、綸ちゃんが帰ってきたような気がしたよ。もちろん年はだいぶちがうけどね」
元山さんは最後に冗談ぽいことを言って笑ったけど、遥香は一緒に笑えなかった。「お母さんに似ている」といわれてから、不思議なくらい胸がドキドキしていたからだ。
「そっ、それじゃあ行ってきます!」
「うん。よろしくね」
遥香はあわてて休憩室を出ると、意味なく早足になって展示室に向かう。
マリンパークは今日もしんと静まりかえっている。梅雨が明けて本格的に暑くなってからは涼みに来る人で少しは混むけど、そういうお客さんも夕方時にはほとんど家に帰ってしまう。
入り口の近くまで来たところで、遥香の足がぱっと止まった。そこに裕一の姿を見つけたからだ。裕一は真剣な表情で、水槽の中のミノリイシをじっと見つめていた。
今の裕一と話すのは正直すごく気まずいけれど、どうしてそんなことをしているのか気になってしかたがなかった。遥香はおそるおそる裕一に近づき、声をかけた。
「ゆ…裕一、ミノリイシに興味があるの?」
絶対に聞こえている距離なのに、裕一は遥香に返事をしないどころか、目を合わせようともしない。それからすぐに遥香の横をすっと通り過ぎ、すたすた出口に歩いていってしまう。残された遥香は目をぱちくりさせたあとで、小さくなる裕一の背中をにらんだ。
「なによ、あの態度!」
六月のプールで無視されてからというもの、裕一はずっと遥香にあんな態度をとり続けている。もちろん理由は今でも分からないままだ。しかたがないのであまり気にしないようにしてきたけれど、彼がこんな時期にマリンパークに現れてミノリイシを見ていたことはさらに大きな謎を呼んで、遥香の心をざわつかせた。
ここで深く考えてもしかたがないと思った遥香は気分を切りかえ、ミノリイシの水槽に向き直った。本当はこの場所で、お母さんのことを思い出すつもりだったのに…。
遥香がミノリイシを光らせたあの日から、もう一ヶ月近くがたっている。あの歌のおかげなのか、前は成長のきざしさえ見られなかったミノリイシは目で分かるほど大きく育っていた。今もピンク色のポリプからは小さな空気の泡が立ちのぼっている。サンゴの中の褐虫藻が光合成をして、ちゃんと栄養を作り出している証拠だ。
順調なミノリイシを見て安心する遥香。だけど近ごろの遥香の中では、それとは別の思いが大きくなっていた。
このごろ遥香は、以前にも増してお母さんのことを強く意識するようになっていた。
理由はもちろん、ミノリイシをはじめて光らせた時にお母さんのことをはっきりと思い出したから。だけど大産卵の日、つまりお母さんの命日が近づくにつれて、ある疑問が出てきたというのも大きかった。
そのきっかけになったのは、梨華の言葉だった。
「遥香ちゃん、変なこと言ってごめんね。私、遥香ちゃんのお母さんのことで気になることがあるの」
梨華がふいにそんなことを切り出したのは、キィちゃんの出来事から二日後のこと。あの時に海に飛び込んだことで、梨華はある疑問を持ったという。
「実際にもぐって感じたんだけど、月浦湾の中って流れも穏やかだし、海の中にしては安全な方じゃないかと思うんだ。時間によっては潮の流れも変わるだろうし、絶対にとは言えないんだろうけど…あの海に落ちて亡くなるって、なんだか不思議じゃないかな?」
確かに梨華の言うとおりだった。黒潮に近いとはいえ、突き出した陸地に守られている月浦湾は潮の流れが湾の外よりもゆるやかで、海の中で子供が遊んでも安全だといわれている。お母さんが落ちたという防波堤は特にそうだった。
それにお父さんから聞いた話だと、お母さんはダイビングが得意で月浦湾の中には数えきれないほどもぐっていたらしい。いくら急に海に落ちたからといっても、簡単に溺れてしまうのは確かに不思議だ。遥香も前からなんとなく気になっていたけれど、こうして梨華に言われたことで、ますます妙だと思うようになった。
今まで遥香は「お母さんは大産卵の夜、海の中に落ちてしまって命を落とした」というお父さんの言葉を信じ続けていた。だけど今は、本当はそうじゃないのではないかと思い始めていたのだ。大産卵の日が近づくにつれて、その疑問は遥香の胸の中を大きく占めるようになっていった。
大産卵があるといわれている満月の夜まではもう、あと二日にせまっている。
(ちょっと!遥香!)
水槽の前ですっかり考えこんでいた遥香は、メリーの呼ぶ声で現実に引き戻される。
急いで大水槽に向かうと、メリーはかなりおかんむりの様子だった。
(あっ、やっぱりいるんじゃない!何度も呼んだんだよ?)
「ごめん!考えごとをしてたらほかの音が頭に入ってこなくて」
(まったくう。しっかりしてよね?)
メリーは口から泡をぶくぶく出しながら注意したあと、遥香のまわりをきょろきょろと見回した。
(ねえねえ、今日は梨華ちゃんは来てないの?)
「今日はおうちに家庭教師の先生がくるんだって。っていうかねえ…言っておくけど梨華ちゃんは毎日マリンパークにこれるってわけじゃないから。それに来てくれたとしても、必ずイセエビを持って来てくれるわけじゃないから!」
(そんなことはないよ!梨華ちゃんは遥香みたいにケチじゃないんだから!)
「ちょっと!それってどういう意味?」
いつもの言い合いをはじめる一人と一匹。最初は梨華ちゃんにひどい言葉をかけたくせに…それもすっかり忘れているようなメリーの態度に、遥香はすっかりあきれていた。
メリーがこんなふうに心変わりをしたきっかけは、梨華が「キィちゃんのことで、なにかお礼をさせてほしい」と遥香に言ってきたことだった。遥香は「そもそも私のお願いが原因だったんだし、お礼なんていいよ」と言ったけれど、梨華はどうしてもとゆずらなかった。
だけどその時にメリーとの約束を思い出したので、おそるおそるイセエビをお願いしてみた。高価な頼みごとのはずだったけど、そこはさすが関急グループのご令嬢。梨華は迷うことなくOKし、次の日の放課後にはイセエビを持ってマリンパークにやってきた。
これによって、メリーは梨華への態度をひらりと変えた。しかも遥香からメリーがイセエビが大好物だと聞いた梨華は、それからもマリンパークに来るたびにメリーへのお土産にと必ずイセエビを持ってくるようになった。人間だったら通風とかメタボを気にしなければいけない量だ。これでメリーはすっかり心をつかまれてしまい、今では大水槽に来ると最初に梨華がいるかどうかをそわそわしながら気にするようにまでなっていた。
(まあ、最初みたいに梨華ちゃんを嫌いなままでいるよりは良いけど…)
そう思って自分を納得させようとするけど、メリーのお気楽さと調子の良すぎる性格には、ため息をおさえることができない遥香だった。
それからおよそ一〇分後。
(ところで遥香、ミノリイシはどう?)
遥香が用意したイワシの切り身を食べ終えたメリーが、やっと本題の質問をしてきた。遥香は大水槽にエサをまくためにバックヤードの三階に移動しており、水面に顔を出したメリーと会話をしている。
「すごく順調!でも、歌に反応して成長するとは思ってなかったなあ。植物に音楽を聞かせたらよく育つって話は聞いたことがあるけど、まさかサンゴもそうだなんてさ」
(そんなに不思議なことかな?だって人間だって歌を聴いて元気になることがあるでしょう。それと同じで、あの歌がミノリイシの心に響いて元気になったんだよ)
「心かあ。なるほど、そうかもしれないね」
遥香はメリーの言葉にうなずき、最初にあの歌をミノリイシに聞かせた時をふり返る。確かにあの時、今までは一生懸命に世話をしても、話しかけてもなんの変化もなかったミノリイシがびっくりするくらい大きな反応を示した。遥香はその瞬間に、自分とミノリイシの心がはじめてつながったように感じていた。
(遥香がミノリイシを発光させたって伝えたら、乙姫様も喜んでたよ。けっこう期待しちゃってるみたいだし、大産卵の時はしっかりやってよね)
「分かってるよ。でもさ、私の役目は産卵できるようにミノリイシを育てるだけでしょう?当日にやることはあんまりないと思うけど」
「それにさ」とつけ加えて、遥香はメリーの小さな目をじっと見つめた。
「前から気になってたことがあるの。ミノリイシがちゃんと卵を産んでくれたとしても、その卵は水槽の水の中を漂うことになるよね。その卵を竜宮まで届けるにはどうするの?すくいとって海にはなせばいいの?」
(あっ!)
メリーが口をがばっ!と開け、急に大きな声を出す。
(ごめん、言い忘れてたわ!遥香には、ミノリイシが卵を産んだあとでやってもらいたいことがあるのよ。大産卵の夜は、むしろそっちが大事なの!)
思わぬ言葉を聞いて、遥香は眉をひそめた。ふっと嫌な予感がよぎる。
(生まれたミノリイシの卵を確実に竜宮へ運ぶための大切な仕事なの。前に梨華ちゃんと手こぎのボートに乗っていたでしょう?あれで竜宮に近い海流の合流地点まで行って、それから卵をみちびいてほしいのよ)
メリーは簡単に話しているようだけど、遥香にはその意味がさっぱり分からなかった。
「私がミノリイシを竜宮までみちびく?だけど私は歌を知っているだけで、そんな方法なんて分からないよ?そもそも、竜宮の場所だって知らないんだし…」
(乙姫様はそれで充分だって言ってるわよ。しかも遥香が無事にそこまでたどり着けるようにって、たくさんのお迎えも月浦におくってくれたんだから)
「うそっ、そんなことまでしてくれたの?」
(そうだよ。なにせ乙姫様はすごく遥香のことを気にしてるんだから!お迎えの生き物たちだってもう、次々に月浦に集まってきてるよ。最近、海の中にいつもは見ない生き物がいるって話を聞いてない?)
それを聞いた遥香はすぐに、最近の月浦湾で起こっている不思議な現象を思い出した。その話をすると、メリーは(ああ、それそれ!)と明るい声であっさり認めた。
(気が早いのはかなり前に月浦に着いちゃったんだけど、漁師の網に引っかかったりして竜宮に送り返されちゃってるんだよねえ。大産卵の夜までにはもっとたくさんの生き物が集まって、月浦の海はパレードみたいになるから。楽しみにしてるといいよ)
しばらく月浦を騒がしていた怪現象が、まさか自分のためのお迎えだったなんて…どんどんスケールが大きくなるメリーの話に、遥香は気が遠くなってくる。
だけど頭の中で整理しているうちに、遥香は今の話の中にすごく気になる部分があったことに気がついた。
「ねえ。さっきお迎えの話をした時、『遥香にとっては初めてで』って言い方したでしょう?それってさあ、私のほかにも月浦でこの役目を果たしていた人がいたってこと?」
(ああ、そうみたいね)
今度もあっさりと認めるメリー。遥香は自分の胸の音がドキドキと激しくなっていくのを感じていた。自分と同じ役目を果たしていたということは、自分と同じ力を持っていたと考えられる。その可能性が一番高いのは、遥香の…。
「ひょっとして、それって私のお母さんのことじゃない?」
おそるおそるたずねると、メリーはガラス越しに顔を寄せ、じっと見つめてきた。
(それ、本当に知りたい?)
遥香はごくりとつばを飲み、大きくうなずいた。メリーはもったいぶるようにしばらく黙りこんでから、ぽつりと言った。
(さあ。そこまでは知らないわ)
がくっ!遥香の体から急に力が抜けて、水槽の中に落っこちそうになってしまう。あわてて姿勢を戻し、メリーをきっとにらみ付けた。
「なによその答え!すっごく緊張させておいて!」
(だって本当に知らなかったんだもん。遥香のお母さんがいなくなったのって、私たちが会うより前のことなんでしょう?そんなことは乙姫様に聞いてみないと分からないよ)
「それはそうかも知れないけど、だったらすぐにそう言えばいいでしょう?」
(あーっ!なにその言い方?せっかくマジメに考えてあげたのにい!)
それからは、結局いつもの口ゲンカになってしまう。しばらくぎゃーぎゃー言葉のぶつけ合いをしていると、階段を上ってくる足音が聞こえてきた。
「あっ、元山さんが来ちゃう!」
遥香は急いで階段に駆けよってドアを開け、すぐ近くまできていた元山さんの行く手をふさいだ。不自然なつくり笑いで立つ遥香を見て、元山さんはまばたきをくり返す。
「は…遥香ちゃん、何かあったの?」
「いえっ、なにもないですよお?元山さんこそ、急にどうしたんですか?」
「そう?いや、なんにもないなら良いんだけどさ」
遥香の話を聞いた元山さんは首をかしげながらも、すぐに後ろを向いて階段を降りていった。遥香はふーっと深く息をつき、大水槽の前に戻る。
だけどその時にはもう、メリーも水槽からいなくなっていた。どうやら元山さんが急に近づいてきたことにびっくりして、とっさに水槽を出て行ってしまったようだ。
(遥香ちゃん、ごはんまだあ?)
「あっ、ごめん。すぐに準備するからね」
「食べちゃうぞお」が口ぐせの天敵メリーがいなくなって安心した魚たちが岩やサンゴのかげからいっせいに出てきて、遥香にエサをねだる。遥香はすぐに持ってきたエサを水槽にまき始めたけれど、その間もさっきのメリーから聞いた話が頭の中を離れなかった。
お母さんのことを思い出すと、ますますそんな気がしてくる。昔、ミノリイシの水槽の前でお母さんが遥香にお別れの気配をただよわせることを言ったのは、自分がもうすぐここからいなくなることを知っていたからかもしれない。
だけど、もしもそうだとしたら、今度の大産卵で同じ役割を与えられた遥香はどうなってしまうのだろう?それを考えると、遥香は背すじがぞっと寒くなる感じがした。
とはいえメリーがお母さんを知らないのは仕方がないし、この疑問は別の方法で解決するしかないだろう。遥香はまたすぐに気持ちを切りかえ、大水槽のエサやりに集中した。
そもそも遥香の近くには、もっと真実を知っていそうな人がいるのだから。
梅雨や台風の影響で、海の中がいつもと違って見えているのだろうか?冷静にそう考えようとしたけれど、彼の目にはそれでは説明のつかない光景が次々に飛びこんでくる。そうでなくともこの不思議な現象は、梅雨に入る前からとっくに始まっていたのだから。
元山さんはこの日、月浦湾の近くで次々に珍しい生き物が出現している現象を取材しにやってきたテレビの撮影クルーを案内するために、一緒に海にもぐっていた。「変な生き物が網にかかった」という知らせがあるたびに漁港に行っていた元山さんだが、実際に海の中を調べてみるのははじめてだった。
まず目に入ったのは、水中をふわふわと漂う白くて丸いものだった。その数はとても多くて、まるで海の中を季節はずれの雪が舞っているみたいに見える。
元山さんはすぐに、その正体がクラゲの仲間であるサカサクラゲだと分かった。
サカサクラゲそのものは特に珍しい生き物というわけではない。けれど彼らはクラゲとしてはずい分と変わり者で、頭を海底にぴったりとつけて、イソギンチャクみたいな格好で生活していることが多い。そんなサカサクラゲがたくさん海を漂っている姿は、元山さんにとっては夏の海に雪が降るのと同じくらい奇妙な光景だった。
今度は海底の方に注目する。
そこは一目見ただけでは、特に大きな変化は感じられなかった。流れにあわせてゆらめく草原のようなアマモ場。それに豊かなサンゴ礁。鈴浜の埋め立て工事の影響でアヤイロミノリイシが絶滅してしまったのは残念だったけど、今では環境も少しずつ回復して、生き残ったサンゴたちが再び美しい景色を作り出している。
変わらない海底の様子に安心しかけた元山さんの視界のすみを、みょうに細長いものがしゅるりと通り過ぎていった。元山さんはどきりとして、急いでその方向に目を向ける。
一瞬リュウグウノツカイかと思ったけれど、よく見たらアカナマダというそっくりな魚だった。基本的には深海性でたまに浅い海にも現れるといわれているが、専門家でもめったに見ることがないすごく珍しい魚なので、くわしい生態は分かっていない。生きて泳いでいる姿を見るのは、元山さんでもこれがはじめてだった。もちろんこんな魚が月浦の海に現れるなんて、普通に考えたら絶対にありえないことだ。
(この不思議な光景をカメラに撮ってもらおう。すごく貴重な映像になるぞ)
カメラマンに合図を送ろうとしてふり向いた。しかしその時、元山さんの前に巨大な黒い影がぬっと現れる。あまりの大きさに、元山さんの視界からは太陽の光がすっかりさえぎられてしまったほどだ。
近くにいたカメラマンはその「何か」にカメラを向け続けている。元山さんも撮影をお願いすることを忘れて、その驚くべき正体をあ然としながら見つめ続けていた。
「なんだったんですか?その大きな影って」
その日の夕方。遥香はマリンパークの休憩室で、元山さんから今日の月浦湾ダイビングの結果報告を聞いていた。
「マンボウだよ。それも三メートルくらいある、ものすごくでっかいヤツ」
「えーっ!」
三メートルっていったら、遥香の身長二人ぶんはある。
そんな怪獣みたいに大きなマンボウと並んで海の中を泳ぐって、どんな気分なんだろう…遥香はその光景を思い浮かべてにやけた顔になり、泳げる人がうらやましいと思った。
「偶然にしちゃあ変な生き物があがりすぎだと思っていたけど、もぐってはっきりと分かったよ。このあたりの海で、なにかが起こっているんだ…でもその原因が分からない」
何十年も前から月浦の海にもぐり続けていた元山さんでさえ頭を抱えてしまうほど、この現象は珍しいものらしい。
「まあ、それでもテレビ局の人たちはすごいものが撮れたって喜んでたし、とりあえずは良かったってことにしようかな」
結局ここでこれ以上考えてもしかたがないとあきらめたのか、元山さんはそう言うと「ふーっ」と大きなため息をついて立ち上がった。
「それじゃ、水槽の見まわりに行ってくるよ」
「あ!それは私が行ってきますよ。大水槽のエサやりの時間だし、それに元山さんはダイビングのあとで疲れているんだし、ここでもう少し休んでてください」
「本当?それじゃあお言葉に甘えちゃおうかな」
元山さんはほっとした笑顔になって、再びイスに座った。
「しかし悪いね。ここ最近、水槽のことは遥香ちゃんばかりにまかせちゃって」
「いえいえ。私もお友達に手伝ってもらってるし、楽しんでやらせてもらってますから」
「そっか。ありがとう…しかしこうしてると、綸ちゃんがいたころを思い出すなあ」
元山さんの口から急にお母さんの名前が出てきたので、遥香はちょっとびっくりした。
「綸ちゃんもそうやって、よく俺に気をつかってくれたよ。そのぶんいなくなってからは大変に感じたし、さみしかったけど、まさか娘の遥香ちゃんが手伝ってくれるとはねえ」
「あの…私のお母さんってどんな人だったんですか?」
しみじみと語る元山さんに、遥香は思いきって質問してみた。元山さんはお父さんとはちがって、五年前を見ているような遠い目をしてすぐに話してくれた。
「綸ちゃんはね、近くの高校を卒業してからマリンパークを手伝ってくれるようになったんだよ。それからはだいぶ楽をさせてもらったなあ。綸ちゃんは教えてもないのにどんな魚のことも詳しかったし、最初から僕よりも扱いが上手だったし。そういう意味じゃあ、遥香ちゃんにすごく似ているよ」
「え!私、お母さんにそっくりですか?」
「うん。最初のころに遥香ちゃんがバックヤードで魚の世話をしているのを見ていたら、綸ちゃんが帰ってきたような気がしたよ。もちろん年はだいぶちがうけどね」
元山さんは最後に冗談ぽいことを言って笑ったけど、遥香は一緒に笑えなかった。「お母さんに似ている」といわれてから、不思議なくらい胸がドキドキしていたからだ。
「そっ、それじゃあ行ってきます!」
「うん。よろしくね」
遥香はあわてて休憩室を出ると、意味なく早足になって展示室に向かう。
マリンパークは今日もしんと静まりかえっている。梅雨が明けて本格的に暑くなってからは涼みに来る人で少しは混むけど、そういうお客さんも夕方時にはほとんど家に帰ってしまう。
入り口の近くまで来たところで、遥香の足がぱっと止まった。そこに裕一の姿を見つけたからだ。裕一は真剣な表情で、水槽の中のミノリイシをじっと見つめていた。
今の裕一と話すのは正直すごく気まずいけれど、どうしてそんなことをしているのか気になってしかたがなかった。遥香はおそるおそる裕一に近づき、声をかけた。
「ゆ…裕一、ミノリイシに興味があるの?」
絶対に聞こえている距離なのに、裕一は遥香に返事をしないどころか、目を合わせようともしない。それからすぐに遥香の横をすっと通り過ぎ、すたすた出口に歩いていってしまう。残された遥香は目をぱちくりさせたあとで、小さくなる裕一の背中をにらんだ。
「なによ、あの態度!」
六月のプールで無視されてからというもの、裕一はずっと遥香にあんな態度をとり続けている。もちろん理由は今でも分からないままだ。しかたがないのであまり気にしないようにしてきたけれど、彼がこんな時期にマリンパークに現れてミノリイシを見ていたことはさらに大きな謎を呼んで、遥香の心をざわつかせた。
ここで深く考えてもしかたがないと思った遥香は気分を切りかえ、ミノリイシの水槽に向き直った。本当はこの場所で、お母さんのことを思い出すつもりだったのに…。
遥香がミノリイシを光らせたあの日から、もう一ヶ月近くがたっている。あの歌のおかげなのか、前は成長のきざしさえ見られなかったミノリイシは目で分かるほど大きく育っていた。今もピンク色のポリプからは小さな空気の泡が立ちのぼっている。サンゴの中の褐虫藻が光合成をして、ちゃんと栄養を作り出している証拠だ。
順調なミノリイシを見て安心する遥香。だけど近ごろの遥香の中では、それとは別の思いが大きくなっていた。
このごろ遥香は、以前にも増してお母さんのことを強く意識するようになっていた。
理由はもちろん、ミノリイシをはじめて光らせた時にお母さんのことをはっきりと思い出したから。だけど大産卵の日、つまりお母さんの命日が近づくにつれて、ある疑問が出てきたというのも大きかった。
そのきっかけになったのは、梨華の言葉だった。
「遥香ちゃん、変なこと言ってごめんね。私、遥香ちゃんのお母さんのことで気になることがあるの」
梨華がふいにそんなことを切り出したのは、キィちゃんの出来事から二日後のこと。あの時に海に飛び込んだことで、梨華はある疑問を持ったという。
「実際にもぐって感じたんだけど、月浦湾の中って流れも穏やかだし、海の中にしては安全な方じゃないかと思うんだ。時間によっては潮の流れも変わるだろうし、絶対にとは言えないんだろうけど…あの海に落ちて亡くなるって、なんだか不思議じゃないかな?」
確かに梨華の言うとおりだった。黒潮に近いとはいえ、突き出した陸地に守られている月浦湾は潮の流れが湾の外よりもゆるやかで、海の中で子供が遊んでも安全だといわれている。お母さんが落ちたという防波堤は特にそうだった。
それにお父さんから聞いた話だと、お母さんはダイビングが得意で月浦湾の中には数えきれないほどもぐっていたらしい。いくら急に海に落ちたからといっても、簡単に溺れてしまうのは確かに不思議だ。遥香も前からなんとなく気になっていたけれど、こうして梨華に言われたことで、ますます妙だと思うようになった。
今まで遥香は「お母さんは大産卵の夜、海の中に落ちてしまって命を落とした」というお父さんの言葉を信じ続けていた。だけど今は、本当はそうじゃないのではないかと思い始めていたのだ。大産卵の日が近づくにつれて、その疑問は遥香の胸の中を大きく占めるようになっていった。
大産卵があるといわれている満月の夜まではもう、あと二日にせまっている。
(ちょっと!遥香!)
水槽の前ですっかり考えこんでいた遥香は、メリーの呼ぶ声で現実に引き戻される。
急いで大水槽に向かうと、メリーはかなりおかんむりの様子だった。
(あっ、やっぱりいるんじゃない!何度も呼んだんだよ?)
「ごめん!考えごとをしてたらほかの音が頭に入ってこなくて」
(まったくう。しっかりしてよね?)
メリーは口から泡をぶくぶく出しながら注意したあと、遥香のまわりをきょろきょろと見回した。
(ねえねえ、今日は梨華ちゃんは来てないの?)
「今日はおうちに家庭教師の先生がくるんだって。っていうかねえ…言っておくけど梨華ちゃんは毎日マリンパークにこれるってわけじゃないから。それに来てくれたとしても、必ずイセエビを持って来てくれるわけじゃないから!」
(そんなことはないよ!梨華ちゃんは遥香みたいにケチじゃないんだから!)
「ちょっと!それってどういう意味?」
いつもの言い合いをはじめる一人と一匹。最初は梨華ちゃんにひどい言葉をかけたくせに…それもすっかり忘れているようなメリーの態度に、遥香はすっかりあきれていた。
メリーがこんなふうに心変わりをしたきっかけは、梨華が「キィちゃんのことで、なにかお礼をさせてほしい」と遥香に言ってきたことだった。遥香は「そもそも私のお願いが原因だったんだし、お礼なんていいよ」と言ったけれど、梨華はどうしてもとゆずらなかった。
だけどその時にメリーとの約束を思い出したので、おそるおそるイセエビをお願いしてみた。高価な頼みごとのはずだったけど、そこはさすが関急グループのご令嬢。梨華は迷うことなくOKし、次の日の放課後にはイセエビを持ってマリンパークにやってきた。
これによって、メリーは梨華への態度をひらりと変えた。しかも遥香からメリーがイセエビが大好物だと聞いた梨華は、それからもマリンパークに来るたびにメリーへのお土産にと必ずイセエビを持ってくるようになった。人間だったら通風とかメタボを気にしなければいけない量だ。これでメリーはすっかり心をつかまれてしまい、今では大水槽に来ると最初に梨華がいるかどうかをそわそわしながら気にするようにまでなっていた。
(まあ、最初みたいに梨華ちゃんを嫌いなままでいるよりは良いけど…)
そう思って自分を納得させようとするけど、メリーのお気楽さと調子の良すぎる性格には、ため息をおさえることができない遥香だった。
それからおよそ一〇分後。
(ところで遥香、ミノリイシはどう?)
遥香が用意したイワシの切り身を食べ終えたメリーが、やっと本題の質問をしてきた。遥香は大水槽にエサをまくためにバックヤードの三階に移動しており、水面に顔を出したメリーと会話をしている。
「すごく順調!でも、歌に反応して成長するとは思ってなかったなあ。植物に音楽を聞かせたらよく育つって話は聞いたことがあるけど、まさかサンゴもそうだなんてさ」
(そんなに不思議なことかな?だって人間だって歌を聴いて元気になることがあるでしょう。それと同じで、あの歌がミノリイシの心に響いて元気になったんだよ)
「心かあ。なるほど、そうかもしれないね」
遥香はメリーの言葉にうなずき、最初にあの歌をミノリイシに聞かせた時をふり返る。確かにあの時、今までは一生懸命に世話をしても、話しかけてもなんの変化もなかったミノリイシがびっくりするくらい大きな反応を示した。遥香はその瞬間に、自分とミノリイシの心がはじめてつながったように感じていた。
(遥香がミノリイシを発光させたって伝えたら、乙姫様も喜んでたよ。けっこう期待しちゃってるみたいだし、大産卵の時はしっかりやってよね)
「分かってるよ。でもさ、私の役目は産卵できるようにミノリイシを育てるだけでしょう?当日にやることはあんまりないと思うけど」
「それにさ」とつけ加えて、遥香はメリーの小さな目をじっと見つめた。
「前から気になってたことがあるの。ミノリイシがちゃんと卵を産んでくれたとしても、その卵は水槽の水の中を漂うことになるよね。その卵を竜宮まで届けるにはどうするの?すくいとって海にはなせばいいの?」
(あっ!)
メリーが口をがばっ!と開け、急に大きな声を出す。
(ごめん、言い忘れてたわ!遥香には、ミノリイシが卵を産んだあとでやってもらいたいことがあるのよ。大産卵の夜は、むしろそっちが大事なの!)
思わぬ言葉を聞いて、遥香は眉をひそめた。ふっと嫌な予感がよぎる。
(生まれたミノリイシの卵を確実に竜宮へ運ぶための大切な仕事なの。前に梨華ちゃんと手こぎのボートに乗っていたでしょう?あれで竜宮に近い海流の合流地点まで行って、それから卵をみちびいてほしいのよ)
メリーは簡単に話しているようだけど、遥香にはその意味がさっぱり分からなかった。
「私がミノリイシを竜宮までみちびく?だけど私は歌を知っているだけで、そんな方法なんて分からないよ?そもそも、竜宮の場所だって知らないんだし…」
(乙姫様はそれで充分だって言ってるわよ。しかも遥香が無事にそこまでたどり着けるようにって、たくさんのお迎えも月浦におくってくれたんだから)
「うそっ、そんなことまでしてくれたの?」
(そうだよ。なにせ乙姫様はすごく遥香のことを気にしてるんだから!お迎えの生き物たちだってもう、次々に月浦に集まってきてるよ。最近、海の中にいつもは見ない生き物がいるって話を聞いてない?)
それを聞いた遥香はすぐに、最近の月浦湾で起こっている不思議な現象を思い出した。その話をすると、メリーは(ああ、それそれ!)と明るい声であっさり認めた。
(気が早いのはかなり前に月浦に着いちゃったんだけど、漁師の網に引っかかったりして竜宮に送り返されちゃってるんだよねえ。大産卵の夜までにはもっとたくさんの生き物が集まって、月浦の海はパレードみたいになるから。楽しみにしてるといいよ)
しばらく月浦を騒がしていた怪現象が、まさか自分のためのお迎えだったなんて…どんどんスケールが大きくなるメリーの話に、遥香は気が遠くなってくる。
だけど頭の中で整理しているうちに、遥香は今の話の中にすごく気になる部分があったことに気がついた。
「ねえ。さっきお迎えの話をした時、『遥香にとっては初めてで』って言い方したでしょう?それってさあ、私のほかにも月浦でこの役目を果たしていた人がいたってこと?」
(ああ、そうみたいね)
今度もあっさりと認めるメリー。遥香は自分の胸の音がドキドキと激しくなっていくのを感じていた。自分と同じ役目を果たしていたということは、自分と同じ力を持っていたと考えられる。その可能性が一番高いのは、遥香の…。
「ひょっとして、それって私のお母さんのことじゃない?」
おそるおそるたずねると、メリーはガラス越しに顔を寄せ、じっと見つめてきた。
(それ、本当に知りたい?)
遥香はごくりとつばを飲み、大きくうなずいた。メリーはもったいぶるようにしばらく黙りこんでから、ぽつりと言った。
(さあ。そこまでは知らないわ)
がくっ!遥香の体から急に力が抜けて、水槽の中に落っこちそうになってしまう。あわてて姿勢を戻し、メリーをきっとにらみ付けた。
「なによその答え!すっごく緊張させておいて!」
(だって本当に知らなかったんだもん。遥香のお母さんがいなくなったのって、私たちが会うより前のことなんでしょう?そんなことは乙姫様に聞いてみないと分からないよ)
「それはそうかも知れないけど、だったらすぐにそう言えばいいでしょう?」
(あーっ!なにその言い方?せっかくマジメに考えてあげたのにい!)
それからは、結局いつもの口ゲンカになってしまう。しばらくぎゃーぎゃー言葉のぶつけ合いをしていると、階段を上ってくる足音が聞こえてきた。
「あっ、元山さんが来ちゃう!」
遥香は急いで階段に駆けよってドアを開け、すぐ近くまできていた元山さんの行く手をふさいだ。不自然なつくり笑いで立つ遥香を見て、元山さんはまばたきをくり返す。
「は…遥香ちゃん、何かあったの?」
「いえっ、なにもないですよお?元山さんこそ、急にどうしたんですか?」
「そう?いや、なんにもないなら良いんだけどさ」
遥香の話を聞いた元山さんは首をかしげながらも、すぐに後ろを向いて階段を降りていった。遥香はふーっと深く息をつき、大水槽の前に戻る。
だけどその時にはもう、メリーも水槽からいなくなっていた。どうやら元山さんが急に近づいてきたことにびっくりして、とっさに水槽を出て行ってしまったようだ。
(遥香ちゃん、ごはんまだあ?)
「あっ、ごめん。すぐに準備するからね」
「食べちゃうぞお」が口ぐせの天敵メリーがいなくなって安心した魚たちが岩やサンゴのかげからいっせいに出てきて、遥香にエサをねだる。遥香はすぐに持ってきたエサを水槽にまき始めたけれど、その間もさっきのメリーから聞いた話が頭の中を離れなかった。
お母さんのことを思い出すと、ますますそんな気がしてくる。昔、ミノリイシの水槽の前でお母さんが遥香にお別れの気配をただよわせることを言ったのは、自分がもうすぐここからいなくなることを知っていたからかもしれない。
だけど、もしもそうだとしたら、今度の大産卵で同じ役割を与えられた遥香はどうなってしまうのだろう?それを考えると、遥香は背すじがぞっと寒くなる感じがした。
とはいえメリーがお母さんを知らないのは仕方がないし、この疑問は別の方法で解決するしかないだろう。遥香はまたすぐに気持ちを切りかえ、大水槽のエサやりに集中した。
そもそも遥香の近くには、もっと真実を知っていそうな人がいるのだから。
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