辺境の灯(ともしび)

mizuno sei

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プロローグ

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(……なんで、こんなことに……)
 馬上の僕は、月明かりだけが照らす荒野の道をひた走る馬の背中で、必死に騎士の腰につかまりながら心の中でつぶやいた。本当に、どうしてこんなことになってしまったのか……。


 それは今日の昼過ぎのこと。僕は、日本のある地方で暮らす、ごく普通の中学二年生だ。いや、実はあまり普通ではないが、それはまた後で話そう。
 この日は一学期末のテスト一日目で、午前中にテストが終わり、疲れた頭でいつも通りの道を家に向かって帰っていた。晴れて暑い日だった。

(ああ、暑いなあ……喉が渇いたし、腹も減ったなあ……だめだ、少し休もう)
 軽いめまいを感じた僕は、辺りを見回して、少し離れた公園の木陰にあるベンチへ向かった。
 うつむいてとぼとぼと歩く僕の目に、熱く焼けたアスファルトを踏みしめる自分のぼろぼろの靴が目に入った。もはや見慣れたものだったが、なぜかこの時は、急に涙がこぼれそうになった。
 ぼろぼろなのは靴だけではない。制服もカバンも長年使い古され、普通ならとっくに廃棄されるようなものだった。

 今どき、どんなに田舎でも、こんな姿の中学生などいないだろう。学費は無償だし、子ども手当も支給されている、いざという時は生活保護もある。もちろん、僕にも公的な援助は与えられているはずだ。でも……僕の家では、そのお金は僕のためには使われていない。
 僕が、母が未婚のまま産んだ不倫の子だからとか、その母が、実家から絶縁され、僕を育てられなくなって、兄である伯父に無理矢理預けたからだとか、理由はいろいろあるだろう。だが、本当は単純な話だ。伯父は、僕が邪魔なのだ。世間体があるから、本当は殺して捨てたいけれど、殺せずに生かしてきただけ、それだけの話なのだ。

 でも、僕はそんな家に帰らなければならない。他に帰る場所なんてないから。
 自分の惨めな境遇も惨めな姿も、小学校に上がる二年前、五歳の頃からだから、当たり前のように受け入れている自分がいる。でも、中学生ともなれば、客観的に自分の置かれた状況を理解できるようになるし、周囲や異性の目も気になってくる年頃だ。でも、僕に許されているのは、ただ、いじめられないように、目立たず、薄笑いの仮面をかぶって生きること、それだけだった。


♢♢♢

 公園のベンチで、僕は荒い息を吐きながら、体の中からこみあげてくるわけの分からない感情を必死に抑えながら、涙をポトポトと乾いた地面の上に落としていた。
 今まで、死にたいと思ったことは数えきれないほどある。でも、伯父さんの家でひどい仕打ちを受けるたびに、こんな惨めな人生に負けて死ぬなんて嫌だ、いつかはきっと、神様か仏様が救いの手を差し伸べてくださるはず、そう信じて、この日まで生きてきた。
 しかし、この日は、暑さに頭がやられたのかもしれない、自分のボロ靴を見たとたん、急に「もう、神も仏もいない、誰も助けてはくれない。よし、もう死のう、すべて終わりにしよう」、そう思ったのだ。

 僕は、涙をぬぐって立ち上がった。

 死ぬ勇気があるなら、なぜ、死ぬ気で頑張って生きようと思わないのか、と、多くの人は言うかもしれない。あるいは、勇気を出して、誰かに助けを求めたらいいのに、と言うかもしれない。でも、そう言える人は、ほとんどの場合、恵まれた人生を歩んできた人たちだ。自尊心が高い人たちだ。でも、その時の僕は、自尊心の欠片もなかった。自分の命なんてゴミクズ同然としか思っていなかった。

 僕は、肩掛けカバンのベルトを外して、ベンチの上に上がった。ちょうど腕を伸ばした高さに太い木の枝がベンチの上まで伸びている。ベルトで輪っかを作って、まず自分の頭を通し、首がきっちり締まるまで長さを調節した。そして木の枝にベルトを掛けてワンタッチバックルをカチッと留めた。これで、準備は整った。後はこのベンチから飛び降りるだけだ。
 僕は何のためらいもなく、ベンチから飛び降りた……と、思った。

 ドサッ、っという鈍い音と共に、腰と背中に痛みが走った。

「あちゃあ、失敗したか……僕って、何をやっても……ん? あれ? は?」
 僕はてっきり木の枝が折れたか、バックルが外れたかと思って、自分の間抜けさを笑いながら起き上がったとたん、周囲に異常さに気づいた。

 まず、真昼だったはずなのに、周囲が薄暗い。しかも、あんなに暑かったのに、今は肌寒いくらいの気温だった。そして、何より違うのが、周囲の風景が今の今までいた公園とはうって変わり、荒涼とした草原のような場所になっていることだった。

 僕は全く理解が追いつかず、ただ茫然と辺りを見回して座り込んでいた。と、その時、不意に何か〝生臭い、腐った生ゴミ〟のような匂いが鼻を刺激し、ぼーっとしていた意識を現実に引き戻した。

 フゴ、フゴ……プギャッ!

 そいつは、いきなり草の茂みから姿を現すと、辺りを見回して大きなワシ鼻を上に向けひくひくさせていたが、叫び声を上げる寸前の僕と目が合って、一瞬驚いた表情になった。

 僕の方はもう完全にパニック状態だった。なぜなら、そいつの姿は、僕が知る限り、図書館のファンタジー関連の図鑑やラノベの挿絵で見た《ゴブリン》そのものだったからだ。

(いや、これは夢だ、死ぬ寸前に悪夢を見ているんだ……そうじゃなきゃ……そうじゃ…なきゃ……転移?……異世界に転移した?)

 とんでもない可能性に思いがおよんだ時、そいつは警戒状態を解いて、ニヤリと笑った。僕が怯えて動けない状態だと分かったのだ。そいつは、右手にあちこち刃が欠けて錆びついたショートソードを持っていたが、それを構えながらゆっくりと僕に近づいてきた。

 パニック状態でも、人間は嫌なことは本能的に避けようとする。さっきまで死のうとしていた僕だったが、さすがにゴブリンに殺されて死ぬのは嫌だ、たとえ、悪夢だったとしても……。
 僕が何とか立ち上がろうと、もがいている間に、ゴブリンが近づいてくる。嫌だ、逃げなきゃ、そう思って焦るほどに体が言うことを聞かない。

「おおい、手を伸ばせえええっ」
 そんな声とともに、馬の走る足音が近づいてくるのが聞こえた。声の方を見ると、こちらに向かってくる一頭の馬と、馬上からかがんで手を伸ばす騎士の姿が見えた。

 僕は必死に立ち上がりながら、近づいてくる騎士の手を掴もうと手を伸ばした。ゴブリンは、そうはさせじと、走りがかりで剣を振り上げて迫ってくる。
 ああ、もうダメか、そう思った時、騎士が僕の手を掴んで思いきり引き上げた。彼はとりあえず、僕を自分の前の鞍の上にうつぶせにして乗せると、腰のロングソードを引き抜いて、僕に一太刀を浴びせようとしていたゴブリンに、剣を振り下ろした。

 ブギャアアッ……ドサッ。

 僕の目からは反対側の出来事だったので見えなかったが、ゴブリンの断末魔の悲鳴と地面に倒れる音は聞こえた。

「おい、大丈夫か、ケガはないか?」
 なぜ騎士が日本語をしゃべっているのか、分からなかったが、とにかく命を救ってもらったお礼は言わなければならない。

「は、はい、大丈夫です。助けてくださってありがとうございます」

「そうか、良かった……ふむ、どうやら兵士ではないようだな、村人か?」
 騎士は僕を馬から下ろし、しげしげと見つめながら尋ねた。

 何と答えるべきか迷ったが、とりあえずは無難に答えたほうがいい、そう判断して頷いた。
「はい、近くの村の者です」

「近く? この辺りで一番近い村といえば、ロゴス村だが、馬車で半日かかる距離だ。こんな場所で一体何をしていたのだ?」

 うわあ、まずい…ええっと、こんな時、ラノベではどんな言いわけしてたっけ……。
「あ、あの、実は冒険者になろうと思って村を出たのですが、途中で道に迷ってしまって……」
 うん、我ながら咄嗟にうまい言いわけができたのでは?

「ほう、冒険者にな……それにしては……」

 ですよねえ。荷物を何も持たず、薄いよれよれのポロシャツとズボンに、ボロ靴の姿は、どう見ても、村を出たのではなく、追い出されたようにしか見えないだろう。

 その時、遠くから何頭かの馬のひずめの音が近づいてくるのが聞こえてきた。
 騎士が言った。
「今日は、この辺りで大規模な魔物討伐が行われたのだ。我々は、ケガをして動けない兵士がいないか見回っていたところだが、お前は運が良かったな」

「あ、はい」
 運が良かったのか、悪かったのか、今は頭が混乱して考えられなかった。

「ジェンス、こちらは見回りが終わったが……その者は、兵士か?」

「はっ、いいえ、村人らしいのですが、道に迷ったと言っております」

 どうやら、僕を助けてくれた騎士の上官らしい人が、馬上から僕をじっと見つめた。
「……ふむ、顔つきといい、服といい、この国の者ではないようだが、詳しいことは街に帰ってから聞くとしよう。とりあえず、夜になる前にここを離れるぞ。ジェンス、その者を馬に乗せていってやれ」

「はっ、承知しました。おい、俺の後ろに乗れ。飛ばすから落とされないようにな」

「あ、はい、分かりました」


 そんなわけで、僕は訳が分からないまま、今、地球で見る月とはけた違いに大きな月がのっそり顔を出した荒野を、馬に乗ってどこかへ向かっている。

(……なんで、こんなことに……神様、救いの手って、こんなことだったのですか?)
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