ダリルの剣 ~バスク人剣士が見た日本の剣流~

mizuno sei

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第二章

京の都の暗殺剣

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「┅┅これで三人目か┅┅くそっ、何が目的なんだ┅┅」
 東山の建仁寺参道脇で見つかった同心岡村正次郎の遺体を見下ろしながら、所司代から京都郡代に派遣された与力佐野伝蔵は思わず地面を踏みつけた。

「首の付け根を一太刀┅┅やはり前の二件と同じ奴ですね。争った後がほとんどありませんから、物陰に潜んでの闇討ちでしょう┅┅」
 遺体を調べていた配下の同心が苦々しい口ぶりで報告にきた。
「遺体を番屋に運ばせたら、周囲に何か落ちていないか徹底的に調べろ。俺は岡村の家に行ってくる」

 この半月ほど、京の町で警備に当たる役人を狙った事件が連続して起こっていた。最初は五月の中頃、京都所司代配下の与力下条平助が用事で左京区南禅寺近くの商家を訪ねた帰り道、丸太町通りに出る手前の路地で何者かに闇討ちされ死亡した。その後、五日おきに二人の同心がやはり人気の無い路地裏のような場所で闇討ちに遭い、一人が死亡、一人は奇跡的に助かったが、喉を切られており自宅で寝たきりの状態だった。そして、今回が三人目の犠牲者なのだった。

 事の重大さに、京都所司代板倉重宗は、早急に下手人を捕らえるように配下と郡代に指令を出すとともに、市中の警備を増やし、決して単独では行動しないよう通達した。だが、それにもかかわらず犠牲者が出てしまった。四つの事件に共通していることは、いずれもほとんど抵抗できずに首を切られていること、一人になったところを狙われていること。そして、夜間、京都の東側で起こっているということだった。

 佐野は岡村の遺族に辛い報告をし、お悔やみを述べた後、一連の事件で唯一生き残った郡代配下の同心竹井弥一郎の元へ向かった。今は、彼だけが下手人の手がかりを握る人物だった。
「これは、佐野様、お役目ご苦労様でござんす」
 三条通りの役宅には万一のことを考えて、口問いと呼ばれる奉行所の役人の下で働く者たちを交代で見張りにつけていた。
「おお、吾介、そのほうも暑い中難儀であったな。これで飴湯でも買って飲んでくれ」
 佐野は懐から一朱銀を取り出して口問いの男に渡した。
「これはどうも┅┅いつもお心遣いを頂いて申し訳ございやせん」
「気にするな┅┅それよりどうじゃ?怪しい者は来なかったか?」
「へい、特には┅┅ただ、口問い仲間も手分けして探りを入れているんでやんすがね、昨日、仲間の一人で、八坂の辰吉って奴が鹿ヶ谷の近くで、かなりの数のお侍さんたちが大文字の方へ登っていくのを見たと┅┅あんな辺鄙な所に何の用があるのかとちょいと気になりましてね」
「大文字山か┅┅いったい何であろうな┅┅分かった調べてみよう。では、また見張りの方を頼む」
「へい、まかせておくんなさい」
 佐野は吾介と別れると、竹井の家の門をくぐって入っていった。

 竹井はやせ細った姿で座敷に横たわっていた。妻女がほとんどつきっきりで看護をしていたが、まだしゃべることも食事を摂ることもできず、わずかに薬湯を冷ましたものを口に含ませることしかできない状態だった。
「わざわざお越し頂きましたが、夫は未だにこの有様、お役に立てず申し訳ございません」
「何を仰せられる。生きてさえいてくれれば、必ず回復します。お内儀殿もお辛かろうが、今しばらく頑張って下され」
 まだ若い妻女は思わず涙をこぼしながら頭を下げた。
 この竹井がせめてしゃべることが出来るようになったら、下手人の人相風体が分かる。何としても回復してくれることを祈るばかりだった。

 それから三日後のことだった。そろそろ次の犯行が行われるかもしれないとあって、所司代や郡代の役人たちはぴりぴりした焦りと緊張感の中にあった。
「佐野様、八坂の辰吉と申す口問いがお話したいことがあると┅┅」
「うむ、そうか┅┅郡代様の役宅の方へ来るよう伝えてくれ」
 佐野はそう言うと、京都郡代五味豊直に報告するため役宅の方へ向かった。
「何?侍が多数大文字山へとな┅┅」
「はい、口問いの者がそれについてお話いたしたきことがあると┅┅」
 五味は頷いて、佐野とともに庭の方へ出て行った。そこにはすでに八坂の辰吉が片膝を突いて控えていた。

「八坂の辰吉、ご苦労であったな。郡代様にご報告いたせ」
「へい┅┅」
 辰吉は緊張気味に頭を下げると、自分が一昨日見たことから順に話し始めた。
「┅┅そこで、昨日あっしは道なりにお侍さんたちが登っていった方へ行ってみたんでやすよ。そしたら、銀閣様の裏山の反対側の┅┅山がこうあるとしたら、この辺りでやんすが、林の中に立派なお屋敷が建っているじゃありやせんか┅┅こんな場所にお屋敷があるなんて聞いたことが無かったんで、帰ってから仲間に尋ねて見たんでやすが、誰も知らないって言うんで、こいつは怪しいんじゃねえかって思いましたんで、へい┅┅」
「五味様┅┅そのお屋敷については何か┅┅」
「いや、そんな話は初めて聞く。あの辺りは寺社奉行の管轄ゆえ、見回りの範疇からは外れておる。誰も気づかなかったのは不思議ではないが┅┅新しき屋敷なら、普請のとき、郡代にも届けを出す決まりじゃ、覚えがないのはやはりおかしい┅┅ふむ┅┅」
 五味は首をひねりながら難しい顔で考え込んだ。
「これは少々厄介なことになるやもしれんな┅┅」
 彼はそうつぶやくと、佐野と辰吉を側に呼んで内密の指示を出した。佐野と辰吉はそれを受けてそれぞれの役目を果たすべく動き出した。

 その夜のこと。祇園の華やかな通りから外れた八坂神社の近くの道を、二人連れの旅人が何やら聞いたことのない言葉で言い争いながらゆっくりと歩いていた。
「┅┅せっかく大阪で両替して、たんまり資金ができたんですよ、遊んでいきましょうよ」
「だから俺にはもう心に決めた女がいると、何度言えば分かる」
「それはそれ、これはこれでしょう、遊びなんですから┅┅ねえ、ダリルさん┅┅」
 つば広帽子を被り、腰に細身のロングソードを提げた外国人の男は、ため息を吐いて立ち止まった。一方、三十前の精悍な顔の侍は酒に酔った赤い顔でにやにやしながら、ダリルという外国人の男の顔を下からのぞき込んだ。

 二人は剣術修行中の外国人剣士とそのお供で通訳担当の役人だった。二人が長崎を出発してかれこれ二ヶ月になろうとしていた。
「仕方のない奴だ┅┅おい、ソエジマ、君も早く身を固めろ」
「えへへ┅┅そりゃあ、いい女がいればすぐにでもそうしますが┅┅まだ、それがしの目にかなう女に巡り会ったことがないんですよ┅┅」
「ふん、そうか┅┅では、これから先は、俺は剣術修行、君は花嫁捜しということだな。この旅が終わるまでに見つけなかったら、その刀は俺がもらう」
「ええっ┅┅そ、そんなあ┅┅ちょ、ちょっと待って下さいよ、ダリルさん┅┅」

 道を引き返し始めたダリルを追って、副島が慌てて歩き出した。と、そのとき、歩き出したダリルが不意に立ち止まった。副島はダリルに追いついて横に並びながら、左手は刀の束に掛かっていた。その二人の横を着流しの背の高い浪人風の男が音も無く通り過ぎていった。
 ダリルも副島もしばらくの間、その場に立ちすくんでいた。
「┅┅何だ、今の殺気は┅┅」
「┅┅さあ、何でしょうか┅┅しかし、これから良からぬことをしようと企んでいるのは、間違いないありませんね┅┅」
 副島はそう言うと、振り返ってその浪人風の男が八坂神社の裏道の方へ曲がるのを見た。
「あんなのとは関わらない方がいいです。行きましょう」
「ああ┅┅しかし、相当な腕の男だな┅┅ミヤコには有名な剣士がいるのか?」

 二人はようやく緊張を解いて、祇園の通りへ入っていった。
「んん┅┅今はそのような剣客がいるとは聞いていませんね。一昔前までは、将軍様のお膝元でしたからね。名のある剣士はこぞってこの京の都を目指したものです。でも、今は江戸が中心ですから、皆江戸へ下っていくんですよ┅┅ただ、京には〝京八流〟と呼ばれる古い剣術が伝えられています。元々は鬼一法眼という謎の人物が八人の弟子に伝えたものだと言われていますが、記録がほとんど残っていなくて、その実体は謎に包まれています。伊織様のお父上、武蔵様に敗れた吉岡一門がこの京八流を伝承していたらしいのですが、今は道場を閉ざして、染め物屋をやっています┅┅」

 副島がそんな話をしている内に、二人は祇園の中心街の近くまで来ていた。
「おい、そこの二人、止まれ」
 突然、前の道を曲がってきた二人連れの武士が、提灯を掲げてダリルと副島の前に立ちふさがった。提灯には郡代という文字が浮かんでいた。
「われわれは京都郡代の同心である。少々尋ねるが、正直に答えろ」
「はあ、構いませぬが、武士にものを尋ねる態度ではありませぬな」
「なに?」
 最初に問うた同心がいきり立つのを、傍らのもう一人の同心が抑えながら前に出てきた。
「失礼いたした。いささか気が立っておりましてな┅┅申し訳ござらぬが、名をお聞かせ願いたい」
「はい、それがしは肥前藩士で長崎奉行所通司の副島計馬、こちらはオランダ商館にお勤めのダリル・バスケス殿でござる」
「それはまた遠方からお越しですな。いかなるご用事でこの京へ?」
「ダリル殿は剣術の修行で全国を回られる途中にて、それがしは通訳としてお供をしております」

 二人の同心は顔を見合わせて小さく頷き合った。
「何か証明出来るものはお持ちでござるか?」
「証明?┅┅ああ、そうだ┅┅」
 副島は背中の小行李(こごうり)を下ろして蓋を開け、中から一通の文書を取りだして同心たちに差し出した。
「長崎奉行山崎様からの紹介状でござる」
 同心たちは書状を受け取ると、提灯で照らしながら中身を確認し始めた。が、やがて書状をきちんと折りたたんで返し、先ほどとはうってかわった態度で頭を下げた。
「誠にご無礼をいたし、申し訳ござらぬ」
「いえ、分かって頂ければ結構┅┅ところで、何があったのでござる?」
「はあ、それが┅┅辻斬りがござってな┅┅」
「辻斬り?それはまた物騒な┅┅」
 二人の同心は苦々しい表情で頷いた。
「それも、狙われたのは与力や同心ばかりで┅┅ああ、これは余計なことを話してしまった┅┅では、見回りがあるので失礼いたす」
「あなた方も、お気をつけなさい。かなり腕の立つ賊のようですからな。では┅┅」
 同心たちはそう言い残すと、八坂神社の方へ去って行った。
 副島は彼らの言葉をダリルに通訳しながら、彼らの後ろ姿を見送った。

「ソエジマ┅┅」
「ええ┅┅嫌な予感しかしませんね┅┅」
 二人は顔を見合わせて頷き合った。二人は役人たちの後を追って歩き出す。あまり近づき過ぎないように物陰の近くを選んで追跡していくと、案の定、同心たちは八坂神社の裏道の方へ入っていった。二人は小走りに後を追いかけていった。

「うぐっ!」
 風を切る音が闇の中に聞こえ、直後にうめき声とバタリと人が倒れる音が続いた。
「うわああっ」
 同心田村吉之助は、腰を抜かして地面に座り込み、目の前に立つ長身の男を見上げて恐怖の声を上げるのが精一杯だった。傍らには落ちた提灯が燃え上がり、一刀のもとに斬られて倒れた同僚大木佐三郎の死体を照らしていた。総髪の浪人風の男は、手に持った一尺八寸ほどの小刀を振り上げると、田村の上にまさに振り下ろそうとした。
「っ!」
前方の闇の中から飛んできた小柄が、男の左胸の肩の近くに突き刺さった。男はさっと身を翻して道の奧に走り去っていった。

「大丈夫でござるか?」
 茫然としている田村のもとに駆け寄って声を掛けたのは、先ほど職務質問をした旅の侍の一人、副島計馬だった。
「ソエジマ、こっちはだめだ┅┅即死だな┅┅」
 もう一人の異人の旅人が、倒れている大木の遺体を見ながら外国語で何か言った。
「あ、あなた方は┅┅」
「はい┅┅今の男と、あなたたちに会う前にすれ違ったのでござるよ。すごい殺気を振りまいていたので、気になって追いかけてきたのでござる」
「た、助かりました、かたじけない」
「いや、もう少し早く追いついていたら、こちらの御仁も助けられたのでござるが┅┅」

 田村はようやく立ち上がると、胸に提げていた竹笛を上に向かって力一杯吹き鳴らした。三回ほど吹き鳴らした後、彼は辺りの闇を凝視しながら、剣を構えて塀際に副島たちを移動させた。
 ピーっという竹笛の音が別々の場所から何度も聞こえてくる。その度に田村は竹笛を吹いて、自分の位置を知らせた。やがて幾つもの提灯が道の両方からこちらに近づいてくるのが見えた。
「おおい、誰だ?返事をしろっ」
「田村だ┅┅大木がやられた、奴だ、はっきり姿を見た」
 東の方を中心に見回っていた同心たちが六人、笛の音を聞いて集まってきた。

「ああ、間違いなく奴だな┅┅お主はよく無事だったな」
 大木の遺体を調べた同心がそう言って田村を振り返った。
「ああ、危ないところをこちらの御仁たちに助けられたのだ。長崎から来られた副島殿とええっと┅┅」
「ダリル・バスケス殿でござる」
「そう、ダリル殿だ┅┅お二人がいなかったら、俺も今頃は大木と同じ姿であったよ」
「そうだったのか┅┅それはかたじけのうござった。拙者は、京都郡代同心向山左内と申す。よろしければ、これから田村とともに郡代詰め所までご同行お願いできまいか?」

 副島とダリルは承知して、田村と向山と一緒に二条城西側にある郡代屋敷へ向かった。その道中、二人は田村と向山に訊かれて、これまでの旅のことをかいつまんで話した。田村たちは特に、門司での芸人一座による抜け荷事件に興味を引かれ、あれこれと質問した。
「┅┅菊の丞一座は京でも人気でしたから、その知らせが大阪から届いた時には、皆驚きましたよ。しかし、あの件にもお二人が関わっておられたとは、なおさら驚きですな」
「なんだか、事件に巻き込まれるさだめのようで、良い気持ちではござらぬな」
「いや、しかし、ここでも人一人の命を救われたのだ。これは、人助けをせよという、仏のお導きかもしれませぬぞ」
「なるほど、ものは取りよう、ということでござるか┅┅」
 田村と向山は思わず笑い声を上げそうになって、口を押さえた。また一人同僚の犠牲者が出た直後なのに、なぜか先ほどまでのぴりぴりした緊張感が消えていることに二人は同時に気づいて、不思議な気持ちになるのだった。

 郡代五味豊直は、四人を役宅の座敷に招き入れて、詳しく事情を聞いた。
「┅┅総髪に、長身、三十ほどの男か┅┅ふむ、恐らくあの者で間違いあるまい┅┅」
「郡代様、お心当たりがおありですか?」

「うむ┅┅わしがここに来て二年目、つまり今から五年前の事じゃ┅┅五条河原で決闘騒ぎがあってな。一人は五条通に道場を構える天真正自顕流の清藤将監、相手は吉岡真九郎直元、今は無き吉岡流本家の嫡流であった┅┅決闘は御法度、わしらは急いで現場に向かった。しかし、着いたときにはすでに決着がつき、勝った吉岡真九郎はいずことも知れず姿を消しておった。

 結局、お咎めは吉岡の家に下さねばならなかった。後で聞いたところによると、真九郎は幼き頃より、父祖伝来の吉岡流剣法を今一度復活させたいと、血のにじむような鍛錬に励み、二十歳になる頃には流祖吉岡憲法をも凌ぐ技量を身につけていたという┅┅だが、時勢はもはや太平の世、吉岡の家も染め物の商いで財を為し、家中の者は誰も剣術で吉岡の家を復興させたいとは願わなかった┅┅真九郎は家族の中で浮き上がり、悶々とした日々を送っていたらしい。そんな時、彼の耳に、清藤将監が吉岡流を愚弄したという噂が聞こえてきた。天真正自顕流こそ神代から続く剣術の正統を継ぐ流派であり、京八流やその傍流の吉岡流などは、所詮消えてゆく運命なのだとな┅┅真九郎からすれば耐えがたい侮辱だったろう、一人で清藤の道場に乗り込み、門弟たちを何人も打ちのめした後、看板を外して持ち去った。それが決闘のいきさつじゃ┅┅」

「では、辻斬りの下手人は、その吉岡真九郎であると┅┅」
「うむ┅┅年の頃、長身、総髪、すべて真九郎と合致する。それと、小刀を使っていたこと、まず間違いあるまい」
「しかし、なぜに与力や同心を襲うのでしょうか?今聞いたお話では、我らを恨む原因は思い当たりませんが┅┅」
「うむ、そのことだがな┅┅」
 五味豊直は頷いて、やや声を低くしながら続けた。
「この件は、今佐野に調べさせておるのだが、どうもこの京の町に抜け荷の取引を仕切っている輩がおるのではないかと、わしはにらんでおるのじゃ┅┅」
 それを聞いて二人の同心も、副島と彼の通訳で話を聞いていたダリルも驚きの声を上げた。

「菊の丞一座の件は聞いたであろう?まさかここにおられるお二人が、一座の捕り物に関わっておいでだとは驚いたが┅┅奴らは二年前からこの京の町と博多で半年ずつ興行を打っておった。そして、菊の丞一座が京を出て行くのと入れ替わりに、江戸から板東梅の助という芝居の一座が来ておったのじゃ。
 
 春から夏は梅の助、秋から冬は菊の丞、うまく考えたものじゃ。そして、その二組の一座を操って抜け荷を運ばせ、うまい酒を飲んでいる奴がこの京の町にいる┅┅抜け荷が隠してあるのは恐らく銀閣寺裏山の屋敷┅┅その証拠に、何人もの侍が密かにここに出入りしているのを見た者がいる┅┅と、ここまでは分かっておるのだがな┅┅」

 五味は苦々しい顔で立ち上がると、縁側に出て行って夜空を見上げた。
「郡代様、そのことと此度の辻斬りが関連があると?」
「うむ┅┅つまりじゃ、菊の丞一座が捕まって、奴は慌てておるのよ。菊の丞一座が口を割れば、溜め込んだ抜け荷の品と金がすべてお上に取り上げられてしまう。その前に何とか安全な場所に運び出したい。だが、あまり大がかりになると関所で止められてしまう。だから、小分けにして、何度も持ち出させているのであろう┅┅それでも、大勢の侍が山に出入りしていれば目立つものだ┅┅そこで、我々の目をそらすために、そして数を減らすために、真九郎が雇われた┅┅」
「なるほど、つじつまが合いますな┅┅しかし、それほどのことができるのは、どのような人物だと┅┅」
「ううむ、そこじゃよ、厄介なのは┅┅まあ、一人では無理であろうな┅┅」

 五味のつぶやきを聞いた副島が、ふと思いついて言った。
「菊の丞一味が捕まる前、自分たちは筑前の黒田様や所司代の板倉様からお許しを得ていると言っておりましたが、まさか┅┅」
「こ、これ、めったなことを口にするでない┅┅」
 同心の向山と田村は青くなって慌てて副島を諫めた。ところが、五味は一つため息を吐いて振り向いた。
「恐らく、そのまさか、であろうな┅┅さらに言うなら、江戸の寺社奉行安藤重長、堀直之松平勝隆のいずれかが絡んでおるのは間違いなかろう┅┅」

 二人の同心も副島もあまりのことに言葉を失った。これはへたに突けば、幕府を揺るがしかねない大事件である。
「まあ、彼らにしてみれば小遣い稼ぎ程度のものであろう。いざとなれば尻尾を切り捨てて知らぬ存ぜぬを通せば済むことじゃ。だから、わしも上まで持って行くつもりはない。とりあえず、真九郎を捕らえ、抜け荷の残りの品を押さえればそれで良いと考えておる。その方たちも、そのつもりでいてくれ」
「ははっ、承知つかまつりました」

 郡代の屋敷を出た副島とダリルは、もう祇園に戻ることはあきらめて宿に戻ることにした。道すがら語り合う中で、ダリルは、今一番命の危険にさらされているのは五味ではないかと自分の推理を語った。
「┅┅イタクラはゴミの上司になるわけだろう?もし、部下が自分の不正を見つけ出して告発したら、地位を奪われることになる。イタクラはその前にゴミを始末しようとするのではないか?」
「ええ、確かにそうですが、五味様は告発はされないでしょう。ただ、それを板倉様がご存じかどうか┅┅ううむ┅┅早まって刺客を差し向けられる可能性は大いにありますね」
 副島はそう言うと、しばらく考えてから続けた。
「ダリルさん、今のことを明日五味様に申し上げて、我々で五味様の身辺警護をすることにしましょう」
「うむ、彼が素直に受けてくれればいいがな┅┅」

 ダリルの心配は当たっていた。次の日、副島とダリルは朝から郡代屋敷に赴き、訳を話して身辺警護を申し出たが、五味は笑ってその申し出を断った。
「┅┅わしの身を案じてくれるのは嬉しいが、部外の者に警護を頼んだとなれば、わしの配下の者たちも面目が立つまい。ここはすまぬが手を引いてもらえまいか」
「そうですか┅┅分かりました。では、くれぐれもご用心なされませ┅┅」
 予想通りの返事に、二人はあきらめて屋敷を後にした。

 その日の夕方、五味は所司代に呼ばれて二条城の北にある所司代の屋敷に向かった。たいした距離ではないので、いつも一人で行くのだが、この日はなぜか朝の副島の言葉が心にかかり、配下で御蔵番の勝山を供にして出かけた。

 定例の報告を済ませた後、京都所司代板倉重宗はおもむろに五味にこう切り出した。
「のう、五味殿、郡代の仕事も日増しに忙しくなって大変ではござらぬか?」
「はあ┅┅確かに人手が足りぬのは事実でござる。特に近頃は訴訟ごとが増え、市中の治安も悪化しておりますゆえ、事務方をそちらに回すことが多くなっておりまする」
「うむ┅┅そこでじゃがな┅┅郡代の仕事を減らすために町奉行所を新たに設けようと、今江戸の御老中方にご相談しているところなのじゃ」
「町奉行所でござるか┅┅」
(わしを取り締まり方から遠ざけて、自分の思うままになる組織を造ろうというわけか┅┅)
「┅┅それは助かりますな。拙者もそろそろ隠居の年、無理の利かぬ体になってきておりますゆえ┅┅されば、此度の辻斬りの件が片付きましたら、そのお話を詳しく聞かせて頂きましょう┅┅」
「┅┅うむ┅┅」

 五味は頭を下げると、退室して所司代の屋敷を後にした。すでに陽は落ち、当たりは夕闇に包まれていた。白い塀に沿って植え込みの中を左へと曲がって歩いて行く。
「っ!┅┅勝山、止まれっ!」
 提灯を持って前を歩いていた若い侍は、何だろうという顔で後ろを振り向いた。その瞬間、前方の松の木の陰から黒い影が飛び出して襲いかかってきた。
「うわああっ」
 若い侍は身構える暇もなく、肩口に切りつけられて後ろに倒れた。影はそのまま五味に向かって突進してくる。五味は脇差しを抜いて構え、覚悟を決めた。
(彼らの予感が的中か┅┅よほどわしが邪魔とみえるな)

 覆面をした刺客は一尺八寸の小刀を下に下げたまま、音も無く五味の目の前まで迫ってきた。と、その時、刺客は何かに気づいて立ち止まり、周囲を見回した。五味の背後と前方から数人の足音が聞こえてきた。
「いたぞお、あそこだっ!」
 刺客は前後を挟み撃ちにされて逃げ場を失い、塀に向かって跳躍した。何とか瓦に手が掛かり、懸命によじ登ろうとしたが、その前に疾風のように走ってきた誰かが、彼の太ももに切りつけた。
「うぐううっ」
 刺客はたまらず地面に落ちたが、なおも立ち上がって戦う意志を見せた。すでに、周囲には提灯を持った三人の同心と彼に初太刀を浴びせた異相の外人剣士、精悍な顔の若い武士が、五味を守りながら取り囲んでいた。

「吉岡真九郎じゃな?もう無駄なあがきはよせ」
 五味がそう言うと、肩で荒い息をついている覆面の刺客は無念そうに下を向いたが、次の瞬間、小刀の刃を自分の首にあてがって自害しようとした。
 キーンという高い金属音を立てて、小刀が宙に舞い上がった。その瞬間を誰も見た者はいなかった。
「いつまで卑屈になっておる、それほどの腕を持ちながら┅┅世の中のせい、人のせいなどと甘ったれた性根で、まことの剣の高みに登れるものかっ┅┅」
 抜き放った剣を持ったまま、副島が一喝した。刺客の男は茫然と目を見開いたまま、やがて壁にもたれかかり、ゆっくりと地面に座り込んだ。同心たちが彼に歩み寄り、手を後ろ手に縛って、覆面をはぎ取った。提灯の明かりに浮かび上がったのは、痩せて青白い顔の、落ちくぼんだ目の奥に何とも形容しがたい光を湛えた男だった。
 
こうして、京の町を震撼させた辻斬り事件は幕を閉じた。吉岡真九郎は取り調べでも一切何も語らず、そのまま死罪となって果て、四条河原に首を晒された。だが、与力の佐野の執念の捜査で、銀閣寺裏山の屋敷の建築を請け負った大工たちが見つかり、そこから芋づる式に関わった商人や役人が明らかになった。そして、寺社奉行松平勝隆の許しを得て屋敷の捜索が行われ、多数の抜け荷の品と五百両の小判が押収された。それでも、恐らく半分以上は持ち出された後だったのだろう、慌てて重い荷物を引き摺った跡や壊れた荷車がそのままの状態で残されていた。

「┅┅これで、この一件は幕引きじゃ。皆には歯がゆい思いをさせるが、これ以上は藪を突いても毒蛇に嚙まれるだけじゃからのう」
 別れの挨拶に出向いたダリルと副島に、五味は苦笑いを浮かべながらそう言った。
「そなたたちには本当に世話になった。できればもう少しゆっくりしてもらい、京料理や芸子遊びでもてなしたいところじゃが┅┅そうもできぬのであろうな?」
「はい、お気持ちだけありがたく頂いておきます。一年が期限の旅ゆえ、そうそうゆるりとしてもおられません。五味様もどうかいつまでもお元気で。では、これにて失礼つかまつる」
 ダリルと副島は頭を下げると、広い石畳の道を門の方へ向かって歩き出す。
「┅┅あれ以上の修行が必要なものかのう┅┅」
 遠ざかっていく二人の姿を見送りながら、五味は先日の夜、副島が見せた神速の抜き打ちを思い出し、ぽつりとつぶやくのだった。

「ソエジマ、小太刀の利点は何だ?」
 近江街道を琵琶湖に向かって歩きながら、ダリルが尋ねる。
「んん、そうですね┅┅まず、小回りがきくこと、それとやはり早さでしょうか┅┅小太刀の相手に間合いの内に入られたら、まず逃れることができないでしょう」
「ふむ┅┅なるほどな┅┅そうすると、小太刀が相手の時は、何としても自分の間合いで戦わなければいけないということか┅┅」
 副島はにやりと笑いながら、前方を指さした。
「琵琶湖の先が越前の国です。小太刀と言えば中条流、越前はその本場ですよ」
「うむ┅┅何か胸が高鳴ってきたぞ┅┅早く小太刀の技を見てみたい」
 二人は夏の暑い日差しを受けながら、足取りも軽く北東の方角へ進んでいく。



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勝利のために走るのではない。 生きるために走る者は、 傷を負いながらも、歩みを止めない。 戦国という時代の只中で、 彼らは何を失い、 走り続けたのか。 滝川一益と、その郎党。 これは、勝者の物語ではない。 生き延びた者たちの記録である。

もし石田三成が島津義弘の意見に耳を傾けていたら

俣彦
歴史・時代
慶長5年9月14日。 赤坂に到着した徳川家康を狙うべく夜襲を提案する宇喜多秀家と島津義弘。 史実では、これを退けた石田三成でありましたが……。 もしここで彼らの意見に耳を傾けていたら……。

獅子の末裔

卯花月影
歴史・時代
未だ戦乱続く近江の国に生まれた蒲生氏郷。主家・六角氏を揺るがした六角家騒動がようやく落ち着いてきたころ、目の前に現れたのは天下を狙う織田信長だった。 和歌をこよなく愛する温厚で無力な少年は、信長にその非凡な才を見いだされ、戦国武将として成長し、開花していく。 前作「滝川家の人びと」の続編です。途中、エピソードの被りがありますが、蒲生氏郷視点で描かれます。

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